第8話 一つの別れ【1】

「フィシュア~! ちゃんと盗って来たよぉ~!」

 テトは誇らしげな笑顔で、麻の袋を掲げてみせる。シェラートは、少年の身体にはまだ重そうな荷袋をテトの頭上から取り上げると、フィシュアに向かって放った。

「――たくっ、テトに盗みなんかさせるなよな」

「ちょっと! 二人とも人聞きの悪いこと言わないでよ!」

 しっかりと麻袋を受け取ったフィシュアは、二人を交互に睨みつけて抗議した。

「これはもともと私のなんだから盗みにはなりません!」

 むしろ盗まれていたのは私の方なんだから、とフィシュアは不服気に口を尖らせながら袋を開いた。とりあえず必要なものがちゃんと入っているか、簡単に中身を確認していく。だが、フィシュアの心配をよそに何かなくなっているということはなかった。それどころか、特にいじられた形跡すらないことに、フィシュアはほっと表情を緩める。

 満足げに袋の口を閉めたフィシュアを横目で見ながら、シェラートは疲労を滲ませ溜息をついた。

「結局願いは二つにするしな」

 いかにも文句を言いたげな魔人ジンに、フィシュアは悪びれもなく首を傾げる。

「いいじゃない、次の町まで案内してあげるんだから。それに、あなたには約束通り一つの願いしかしてないでしょう? あと一つはテトに頼んだんだから」

「どっちも同じだろうが。大体次の街っていうけどなぁ、もとはと言えばここから一番近いさっきの街を避けて、わざわざもう一つ遠い街まで行かなきゃならなくなったのは、お前の願いのせいだろ」

「それを言うなら、もとはと言えばあなたが砂漠で倒れたのが悪いんでしょう?」

 フィシュアは挑むように魔人ジンを見据えた。口にしたのは、彼女が彼らと出会った原因。まごうことなき真実でしかない。

 自分の過ちを指摘されたシェラートは、どこか納得いかない気分を味わいながらも、口をつぐむしかなかった。


『私を誘拐して欲しい』 


 そう願いを告げたフィシュアは、次の瞬間、はたと気がついた。これだけでは、領主の館に置いている自分の荷物が取り返せない。

 魔人ジンに誘拐さえしてもらえば、領主の求婚を退け、屋敷から出ることもでき、ここ数日彼女を悩ませ続けた問題は一気に解決する。しかし、屋敷を離れた後々のことを考えると、当面の資金や日用品、その他もろもろの必需品が入っている荷物を捨ててゆくのはいたかった。

 そこで、フィシュアは二人を次の街まで案内することを条件に、荷物を取り返すことを願いの条件に加えてくれないかと提案してみたのだ。

 もちろんシェラートはフィシュアの提案をすげなく断った。頑として首を縦に振らない魔人ジンの態度にフィシュアは彼に頼むことを早々に諦めた。代わりに今度は、テトの方へ向き直り、駄目もとで頼んでみた。するとテトはにっこり笑って「いいよ」とフィシュアの願いをあっさり快諾してしまったのである。

 結果、シェラートの仕事量は自動的に倍増した。


 領主の屋敷に戻ったフィシュアは、いったん自分にあてがわれた部屋へ向かった。破れた侍女服から普段着に着替え、フィシュアは急いで荷物を纏める。後から荷物を取りに来る手筈になっていたテトが、すぐに分かるようにと荷物を扉付近に置いてから、フィシュアは首飾りを取り戻すため、領主であるザイールの部屋へ向かった。

 想定外だったのは、部屋を出てすぐザイールに出くわしてしたことだ。角を曲がったとたん目に飛び込んできたザイールの姿には、さすがにフィシュアも焦った。もう少し部屋を出るのが遅かったら、危なかっただろう。

 無事フィシュアの荷物を回収し終えたテトも、部屋を出た直後、領主とフィシュアが対峙しているのを目の当たりにして、立ち止まらざるを得なかった。屋敷の外でフィシュアとシェラートに落ち合う手筈になっていたのだが、動こうにも動けない。結局、テトは見つからないよう角に隠れて待機しながら、フィシュアとザイールの様子をうかがっていた。

 唯一、シェラートだけが空中からフィシュアとテト双方の状況を見渡していた。だから、全てが終わった後、彼はフィシュアと一緒にテトも伴って、もといた水場へといっぺんに転移させた。そうして今、現在に至る。


 フィシュアはちぎれた首飾りの紐を結び直すと、首にかけた。重みある確かな量感。

 今ようやくフィシュアの胸元に戻った光を通さない藍色の石を、テトはじっと見つめた。

「その石の色、フィシュアの瞳の色と同じだね。綺麗な色」

「そう? 私の瞳ってこんなに濃いかしら? 自分ではこんなに深い色だとは思わないんだけど、よく言われるのよね」

 フィシュアは、微苦笑する。

 彼女を見上げていたテトは、問われた答えを探す為、顔を動かし、フィシュアの胸元を彩る藍石に視線を定めた。そうして、もう一度、確かめるようにフィシュアの双眸を覗き込む。瞬きもせず、一心に彼女の双眸の色を見極めていたテトは、まもなく「うん」と頷いた。

 テトはにこりと笑みを広げる。

「僕にはおんなじに見えるよ。ね、シェラートもそう思うでしょ?」

 テトは首飾りについた藍石を手に取り持ち上げた。見て、と言わんばかりに差し出された石。あまりに無邪気な少年の行動に、シェラートは慌てて身を引いた。

「うわっ、お前、テト、それこっちに近づけるな!」

 掌に石を乗せたまま少年はきょとんとした顔になる。石から一定距離を置いたシェラートは、用心深く石の様子を伺っている。こんなにも綺麗な石なのに、なぜシェラートが嫌がるのか、テトには皆目見当もつかなかった。

 フィシュアは、テトの掌からひょいと藍色の石を取り上げると手の中に握り締める。覆い隠された石に、魔人ジンはあからさまに安堵した。

 余裕が出てきたのだろう。シェラートは警戒を滲ませながらも、藍石を握り込んでいる女を注視した。

「お前、それラピスラズリだろう?」

「そうよ。まさかこんなに魔人ジンに効果があるとは思っていなかったけど」

 フィシュアは、堪え切れずにくすくすと笑いながら、掌を開いた。途端、「うっ」とシェラートは身体を強張らせる。

 一人、訳が分からないままのテトは、理由を求めてフィシュアを見上げた。

「ラピスラズリって、この国の守り石じゃなかったっけ? どうしてシェラートは幸福の守り石をそんなに嫌がるの?」

「そう。その通りよ、テト。このラピスラズリは、この国のまもり石と同じもの」

 よくできました、とフィシュアはテトの頭をなでる。はにかむテトに、フィシュアは「けどね、まもり石には実は二つの意味があるのよ」と微笑みかけた。

「一つ目は、テトが言った幸福を呼び、守る、守り石。そしてもう一つ。こっちはあまり知られていないんだけど、魔から護る、魔護まもり石という意味を持っているの。だから性質的には魔に属する魔神ジーニー魔人ジンにとっては、できれば関わりたくない嫌な代物ってわけ」

「じゃあ、さっき言ってたこの石が魔人ジンにとっての天敵っていうのも本当の話だったんだ」

「そういうこと」

「へぇー。大変だねぇ」

 テトはしきりに感心しながら、自分の魔人ジンに目を向ける。少年の視線にいくらか同情が入り混じっているのを見てとって、シェラートはなんだか情けなくなった。

「ほんっと大変よねぇ」

 面白がっているのか、同意するフィシュアの明るい声の調子がシェラートにさらなる追い打ちをかけた。テトとフィシュアの目が心なしか笑っているように見えるのも多分気のせいではない。シェラートは、重い嘆息を漏らすと項垂れた。

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