ボクの悪魔の話(お題:白昼夢)

ぱちり、と一つ瞬きをすると、世界は音もなく砕け落ちて、後には何も残らない。

もう既に、ボクには現実と夢の境目は存在していない。


「キミはこんなにも味気ない刻を過ごしていたのに、それでもボクに譲ろうとは思わないんだね」


眼帯の下、左目がぐつりと疼く。ボクの、半ば呆れた台詞に答えるように。

何が悪魔だ、聞いて呆れる。

お人好しにも、程がある。


「諦めて解放されなよ、キミ。ボクにその力を譲ってさ。キミはいい加減、眠るべきだよ。夢も見ず、後先考えず」


ボクの中にいる彼に声をかけながら、そぅ、と足を踏み出す。

世界がゆらりと揺らめいて、ボクの身体へと纏わり付いてくる。それをいなして、衣服を纏うように白昼夢の中へと踏み入れた。


「いい加減、会いに行ってあげなよ」


眼帯を外して、左目を世界へ晒す。

この左目がしかと白昼夢を捉えた瞬間、先ほどよりも強く、左の眼窩が疼いた。


きっと、ボクは辿り着いたのだろう。


***


『夢渡り』と呼ばれる存在が、この世界にはある。

ありとあらゆる人間の夢へと入り込み、夢の中では何事をもなし得る、灰色の悪魔。

畏れと憐憫をこめて『夢渡り』と呼ばれる存在をこの身に取り込んで、どれほど経ったのだろうか。……もう、覚えていない。


彼は、何の変哲もない少年だった。

ほんの少し人より丈夫で、物凄く……お人好しだった。

それが、この結末だ。


***


ボクの両目から、ぼたぼたと水滴が落ちていく。


(助けられなかった)


ボクの灰色の髪が、風にさらわれて鬱陶しくなびく。


(力を手に入れたところで、どうにもならなかった)


轟々と燃え盛る炎は街を舐め尽くし、ボクの足元へと向かってくる。

……熱くもなければ、ボクが燃えることも無いのだけれど、身体は前へ前へと、一緒にこの身も灼き尽くして欲しいと前へ出る。


(何もかも手遅れだった。……俺だけが残ってしまった)


燃え盛る赤い色も、肉の焦げる匂いも、家屋が焼け爆ぜる音も、頬を伝う水滴も、その塩辛さも。

総てを感じていて尚、世界から切り離されているボクとキミ。


(置いていかないで、-----)


キミは誰を呼んだのだろうね?

この長い刻の果てで、キミは本当にそれを覚えているの?


***


何もかもが焼け落ちて、街は酷く見晴らしが良くなっていた。

丘の上にある教会のような建物から、ボクは街を見下ろしていた。

救うべき人々はもういないのに、空間だけが残っているのが、ひどく歪な気がした。


「入ってみようか」

(……勝手にしろよ。そう広くもなかったけどな、確か)

「そう」


泣いてしまったのを恥じているのか、彼は小さく答えた。

それでも、答えてくれたことに感動する。始めは全然会話も、そもそもコミュニケーションが成り立たなかったんだよな。


ボクは、既に予感していた。

彼との旅は、これで終わる、と。


教会の扉を少し開けて、出来た隙間に身体をねじ込んで中へと這入る。

中を進んで、……それを見つけた瞬間に、ボクはボクの身体の主導権を、彼に委ねた。


「-----?」


祈りを捧げる、美しい少女がいた。


「なんで、こんなとこに、」

「帰ってきたんだね、-----」


祈りを捧げる格好のまま、少女は囁いた。


「おかえり。待ってたよ」


少女はするりと立ち上がると、彼へ向かって微笑んだ。

左目がじわりと熱を持つ。


此処こそが、彼が密かに探し求めていた、旅の終わり。

ボクは瞬時に身体の主導権を奪うと、その勢いで左目へと指を伸ばし、そのまま抉り取った。灰色の眼球が、急速に色を失っていく。


「ここが、キミの墓場だ」


目の前で崩れている骨を拾い集めて、祭壇へと運ぶ。

その亡骸の手のひらと思われる場所に眼帯を置いて、更にその上へ、色の失われた眼球をそっと、捧げるように置いた。


「キミの力はボクが持っていく。キミはこの夢の中で……夢を見ずに、彼女とともに、おやすみ」


ぱちり、と一つ瞬きをすると、音もなく世界がひび割れていく。


「お前だって大概、お人好しだよ」


呆れたように笑う彼の顔を、ボクはようやく見ることができた。


「うるさいよ、バカ悪魔。……おやすみ」

「あぁ、……おやすみ」


もう一つ瞬きをして、そうして白昼夢は完全に姿を消した。


「ボクの墓場は、どこにあるんだろうなぁ」


彼の満足気な顔を思い出す。

ひとまず、何も考えずにどこかに行こう。

そう思って、ボクは踵を返した。

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