文字書きワンドロまとめ

行木しずく

その色に魅入られた男の話(お題:はじまり)

それは、町に密やかに流れる噂の通り、美しすぎて死んでしまいそうになる色。

黄昏に沈む瞬間の太陽色の瞳。


「ごめんね、もう逃がせない」


いっそ清々しいまでに独りよがりな彼女の宣言を背に、俺は階段を駆け下りる。

これはまずい、大変まずい。

これにハマったら、きっと二度とマトモには戻れない。

わかっては、いるんだけども。


(でもまた、ここに戻ってくる)


そんな、確信めいた何かが、俺の中に渦巻いていた。


***


「今日は。……今晩は?」

「……ども」


珍しいこともあるもんだ。

いつもはがらんとしている公園の東屋に、美しい女の子がいた。

黒く、風になびく長い髪。透き通るような白い肌。短いスカートから覗く、すらりとしつつもむっちりとした太もも。赤い唇。

美少女、と形容するに他ない、完全なる存在が、そこにはいた。

なんだろうね、美少女って、声まで含まれるものなんだね。


阿呆なことを間抜けな顔で考えていたのがバレたのか、彼女は少々居住まいを正すと再び、「今晩は」と朗らかに声をかけてきた。


「今晩は。この辺では見ない顔だね」

「うん。最近ここに来たばかりなの」

「そうなんだ」


なるほど。休み明けには転校生として紹介されるのだろうか。憂鬱な連休明けの楽しみができた。

どうぞ、と何気ない様子でベンチを指し示されたので、緊張しつつもお隣にお邪魔させてもらう。


「この公園ってすっごく眺めがいいんだね。驚いちゃった」

「そうなんだよ! その割にはあんまり人もいないし、のんびりするにはチョー穴場でさ」


俺がこの公園を利用する一番の理由がこれだ。


「ちょうど時間だし、いいかな。あのね、もうちょっとそっち行ってみて。……そう、もうちょい」

「……わぁ!」


不思議そうな顔をしつつ座る位置を移動した彼女は、顔を上げた瞬間に頬を綻ばせる。

この東屋からは、町に沈む太陽が綺麗に見えるのだ。


「たぶん、この町のどこから見るよりも一番綺麗だと思ってる」

「きっと、そうだわ……」


沈んでいく太陽に照らされた横顔は、きらきらと美しい。

沈んでいく太陽の色に瞳が染められて、染められて、


彼女の瞳に、そのまま色が残る。


「……え、」


瞬きしても、その色は消えない。

黄昏に沈む瞬間の太陽色の瞳。

ヒトを貪る吸血鬼の証。


俺が咄嗟に立ち上がるのに合わせるように、彼女もするりと立ち上がる。

ドタバタとした俺に対して音もなく、しなやかな猫のような洗練された美しい所作。あぁ、美少女はこんなところまで美しい!


「この瞳になったのは、最近なの」


夕暮れになお、沈まない白い肌。


「みんな怖がって離れていったの。何が変わるわけでもないのに」


夕暮れよりもなお、深い色をした長い髪。


「ヒトを貪るなんてこと、そんなことしないんだって、この瞳になって初めて知ったんだけど、ね」


緩く歪められた赤い唇。

やっぱり、どう足掻いても美少女は美少女だった。

これはずるいだろう。逃げ出せないじゃないか。


「でも私、初めて心の底から思ったかもしれない」


そもそも、そもそもだ。


「……君に、噛みつきたい」


泣いてる女の子を放って逃げ出すほど、たぶん腐ってない。

愚かではあるけど。


「いいよ、」


半ば反射的に漏れた俺のセリフに、一番驚いた顔をしたのは、やはり彼女だった。


「いいよ。君になら、殺されてもいいと思う」

「そこまでは欲しくないから!」


泣き笑いのような表情を浮かべたまま、俺の首筋に近付く赤い唇。

瞼の裏で、黄昏に沈む瞬間の太陽の色がバチバチとスパークする。

目眩がする。自分の思う通りに自分が動かない。

魅了されるって、こういうことなのか。


きち、と牙が首筋に沈みこむ瞬間に目が覚めた。


「う、ぉわ、それはダメだろ自分!!」

「きゃあ!」


勢い良く上げた頭に驚いて、彼女は尻餅をつく。

やばい。やばすぎる魅了の威力!

周りを見渡せば、ちょうど夕暮れから夜空へ変わる頃合いだった。


「ご、めん。でも流石に無理だよ心の準備ができてなさすぎる」

「……問題って、そこなの?」


少し苦笑いを浮かべると、彼女はそのまま後ろを向いた。


「ごめんね、驚かせて。逃げるなら今のうちにお願い」

「え……」

「もう、目覚めちゃったから。たぶん、次は逃がせないと思うの」


優しい彼女の気持ちを汲んで、俺も素直に背を向けて、階段へ向かう。


「ごめんね、もう逃せない」


清々しいまでに独りよがりな宣言を聞いて、俺の脳裏にさっきの色が鮮やかに蘇る。蠱惑的な彼女の瞳。


全部を振り切るようにして、俺は階段を駆け下りた。

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