金星食とうさぎりんごの話
息を切らしながら、既に廃墟となった建物へと滑り込む。
そのまま息を整えつつ後ろを確認する。……追っ手はない。
「……ふぅ」
「成功だね」
「危なかった」
まだ全力疾走を続ける心臓をいなしつつ、僕らはどちらともなく片手を挙げて、ハイタッチをかわす。がらんどうのホール内に、小さな音が鈍く響いた。
「移動しよう」
「そうだね」
どうにか心臓も落ち着いてきたので、僕らは再び、極力音を殺しながら移動を始める。目的地は地下二階にある僕らの秘密基地。に行く前に、天井が抜けているせいで豪快な吹き抜けになっている階段の踊り場で壁にもたれながら、ポケットのリンゴを引っ張り出す。
今日の戦利品だ。
反対側のポケットから小さなナイフを取り出して自分の手にあるリンゴを適当に切り出してから、ナイフを隣へ手渡す。
同じようにゴソゴソしている気配を感じながら、切り出したリンゴを一切れ、薄暗い空間に放り投げてやると、金色の瞳をした黒猫が音もなく滑り出てきて器用に空中でキャッチした。
彼女――性別が分からなかったので取り敢えずメスということにしている――がリンゴを食べ切ったのを見計らって、隣からもリンゴが一切れ飛ぶ。
心得たように彼女は再度軽く跳躍して受け取ると、リンゴを咥えたまま夜へ融けるように去って行った。
彼女は僕らの気まぐれな相棒だ。彼女がいるといないとでは、あらゆる作戦の成功率が全然違う。その割に、僕らが支払う報酬をあまり多く受け取ろうとしない。変なところで謙虚な黒猫だった。
彼女が去って行くのを見届けてから、手元のリンゴに齧り付く。甘い蜜のたっぷり詰まった、いいリンゴだった。やはりあの果物屋はアタリだ。
しばし無言で、シャクシャクとリンゴを齧る音だけが響く。
それぞれほとんど食べ終わった頃、ざぁと強い風の音がして、天井から冷たい光が差し込んでくる。
月が、小さなイヤリングをしていた。
僕らはそれをぼんやりと見上げながら、知らず知らず片耳に手をやっていた。
僕は左、隣は右。夜の冒険には必ず付けている其れは、空にある星と同じく瞬く。
「……ねぇ」
「うん?」
芯だけになってしまったリンゴを放り投げながら、隣を見ずに声をかける。
「昔、ウサギリンゴ作ってもらったことあったよねぇ」
「あぁ、あったあった。不慣れなことするせいで真っ赤に染まってたけどな」
思い出すだけで、恐ろしくて可笑しい。
もう二度と、あのウサギリンゴを口にすることはないのだけれど。
「……行くか」
「そうだね」
小さなイヤリングは僕らを諌めるようにちかちかを光るけど、僕らはそれを見ないふりする。
夜が明けるまで、僕らの冒険に終わりは来ない。
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