天地一指

@shigesan43

天地一指

 弟はどことなく浮世離れしていました。

 小学校に居た頃でしょうか。弟はほとんど外に出て遊ぶということをしませんでした。私がカブトムシを取りに山に出掛けたときも、それを見て微笑むばかりでした。

「気を付けてね。足挫いたりしないでね」

 たどたどしいながらも確かな知性を感じさせるそのしゃべり方が、ひどく嫌いだったことを覚えています。

 その頃から、弟は大人びている。と私の中では勝手に思っていました。

 大人びているから構うことはあるまい。私はそう思い、事実構う必要は全くありませんでした。

 彼はどんな時でも泰然自若として、何が起ころうと一向に構わぬといった体で笑っていました。そんな彼は学校の中でも若干孤立した存在だったそうですが、そういった存在の常として、彼に構う人間も存在しました。

 その人の名を、Kとしておきます。頭文字を取った訳でもなく。ただKと。

 彼とKは仲良しでした。彼自身はいつもと変わりませんでしたが、Kは彼と遊ぶとき、いつも花咲く様な笑顔で笑っていました。

 Kはお人好しでした。困っている人が居れば助け、悲しんでいる人が居れば慰め、いじめられている人間が居れば共に戦う。そのような正義感溢れる少年と彼は、一体どこで共鳴したのか私には分かりません。わかるのは、彼とKの関係性はまさしく親友と呼ぶに相応しいものだったということだけです。

 程なく私は中学校へと上がり、部活は陸上部へと入りました。

 毎日六時過ぎまで練習があり、私はKと弟が一緒にいる姿を見ることがなくなっていきました。その為、その間に何があったのか私には分かりません。

 とある日、弟は言いました。

「Kのお葬式、一緒に行かない?」

 私は驚きました。もちろんKの死去にも驚きましたが、それ以上に、弟のなんてことないとでも言いたげな顔に驚いたのです。

 今だからこそ言えますが、彼は事実、なんてことなかったのでしょう。その頃の私は中学生の青臭さが臭い立つころで、相手の考えていることが何となくわかるような気になって居たのです。弟が、強がっているように見えたのです。

 私はさしてKと親交があった訳ではありませんが、弟の親友だったのだから行かないのも不義理になるだろうと思い、葬式に参列しました。

 葬式は厳かに行われました。彼の両親は粛々と式を執り行い、彼の同級生の中には見覚えのある顔が幾つかありました。Kの死因は交通事故だったそうです。誰もが泣きはらしていました。私も家に遊びに来ていたKの姿を思い、また彼の好人物ぶりを思い出し、泣きました。

 しかし、弟は泣きませんでした。

 厳かな場で、彼は常と変わらず、ただ微笑みを浮かべ、Kに別れを告げました。

 誰もが彼を立派だと言いました。幼いのにしっかりとしていると。

 その通りだったでしょう。

 彼は、達観していたのです。

 私が弟の異常さに気付いたのは、恥ずかしながら、大学生まで時を進めなければなりません。

 その頃、私は実家から離れ東京の大学に通っていました。名門と呼ばれる大学ではありましたが、あまり学問に真面目に取り組んでいた訳でもありません。世に言う腐れ大学生という奴でした。

 その頃弟は高校生。地元の高校に通い、順調に成績を取り、極めて優秀な生徒として名を馳せていました。家族として鼻が高く、何の根拠もないのに彼は私が育てたと吹聴して周った記憶があります。

 ところが、彼は大学には行きませんでした。

 行けなかったのです。その時、ちょうど両親が一挙になくなりました。

 原因はまたしても交通事故。我が家は貧乏とは言えませんでしたが、裕福とも言えません。祖父母もなくなっており、身寄りもない私たちには二人を大学に行かせる余裕はありませんでした。

「お前が大学に入れ。俺は働く」

 幸いにも、先輩に起業した人がおり、その人は大層信頼がおける人でした。さらに人情にも厚く。事情を説明すれば是非来いと誘ってくれるような懐の深さもあったのです。

 なので、私は最後の家族として、彼に出来る限りのことをしようとしました。

「やめておく」

 しかし、彼は断ったのです。

「何故だ」

「私は大学に行ったとして勉強するようなことがない。実は、働き口に関しては考えがある。大学に行かずとも食っていける為、大学には行かない」

「しかし、今のご時世、大学に行かぬというのは余りにも冒険が過ぎるのではないか」

「問題ない。その時はその時だ。野垂れ死にをするというのならそれもまた一興だ」

 私は弟を見つめました。

 またも、強がっているのではないか。私はそう思ったのです。

 弟は昔から良い弟でした。自己主張は薄かったですが、母を良く援け、父を労い、私を立てました。その固定観念が強すぎたのでしょう。

 しかし、私はその時、やっとのことで気づきました。

「私は父にも母にもこのことは言っていた。もちろん反対されていたが、こういう事態になっては仕方がない。私は自分の意思を貫くとしよう」

「反対されていたのなら尚のこと、その遺志を尊重すべきではないのか」

「馬鹿なことを言わないでくれ。死んだとてそれはそれ、これはこれよ。生きているか死んでいるかなど些事に過ぎぬ」

 その時初めて、弟に寒気を感じました。

 恐ろしい。と初めて感じたのです。不思議と憤りはありませんでした。それほどに、彼に悪気がないことがありありとわかってしまったのです。

「生きているのと死んでいるのが同じなどと戯言を抜かすな。その舌引っこ抜いて二度とその口利けないようにしてくれようか」

「それでも良い。私はね。そういったことには拘らないことにしている」

「そういったこと、とはどういったことだ。生き死にに拘らず、それは生きていると言えるのか」

「それさ。生き死にに拘るということが既に間違っている。生き死には同じだ。ただ傍に居て語らうことが出来るか、思い出の中で語らうかの違いでしかない」

 私は弟が違う存在のように感じられました。

 今までとは隔絶した場所にいる。そんな風に感じられたのです。決定的にすれ違う。それが確かにわかりました。

 私はそれ以来、弟とは連絡を取っていません。

 もしかすると、彼はそのまま野垂れ死にしたのやもしれません。もしくは、どこぞで家庭を持ち、人並みの幸せを享受しているのかもしれません。

 しかし、私にはあの神の視点とも呼ぶべき究極の価値観は決して真似できるようには思えず、また、真似したいとは思えませんでした。

 彼にとっては生死に貴賤はなく、ひたすらにすべてが平等だったのです。

 私は家族を失いました。その後、同回生の女性と入籍し、子を成しましたが、やはりその楔は消える様子を見せず、子に対して口酸っぱく言うようになりました。

「人間らしく生きなさい」

 この意味が正しく伝わることを、私は切に願います。

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