緑葉のループ

Jack-indoorwolf

第1話罪の意識

「寒くないか?」

「大丈夫だよ」

 おいっ子二人が横浜ナンバーの車でこの街に来て数日になる。兄の光樹みつきは先ほど近所へ散歩に出かけ、北海道の大自然と涼しい夏を満喫まんきつしている。一方、カビ臭い六畳半の部屋では弟の圭太けいたがスマホをいじりながら寝そべってくつろいでいた。

叔父おじさん、この前の冬、北海道が吹雪ふぶきになった時、北見きたみのこの辺、テレビニュースに出なかった?」

「いやいや、ここはテレビには映らんよ、どっか他所よそだべ、北海道は雪が降ったらどこも同じような景色けしきになるからな」

 圭太のそばで俺もパソコンの前にすわりネットをしながら微笑ほほえんだ。

 

 俺の姉の息子である光樹と圭太は、すでに立派な社会人だ。現在、彼らは神奈川県に住んでいて、毎年夏になるとお盆休みを利用して、俺が住む北海道のここ北見という街に避暑ひしょに来る。


 北見という街は北海道の東にある人口10万規模の地方都市だ。特に観光地というわけではなく、自慢するものは自然しかない。


 俺はパソコンをつけたまま頭をかたむけ、全開になっている窓から外を見た。自宅前の小さな駐車場をはさんですぐ手つかずの山がある。この辺りの住宅街は大自然を切り開いて作られたのだ。

 山の木々が風に揺れる光景が俺の目に映っている。そのループするような枝葉えだはの動きを見て、急に俺は両親の所在しょざいわからなくなってしまった。

 今現在、俺の父と母は生きているのか、死んでいるのか。


 昼過ぎ、近所のスーパーマーケットで買った魚の切り身を持って、光樹が散歩から帰ってきた。


 俺、光樹そして圭太は刺身とサラダをおかずに夕食をとった。

「なぁ、オマエらにおじいちゃん、おばあちゃんっていたっけ?」

 光樹と圭太の祖父母そふぼとは、つまり、俺の両親である。

「叔父さん、なに言ってんだよ、じいちゃんばあちゃんは3年前に亡くなったじゃないか」

 光樹がマグロの刺身を頬張ほおばりながらおれに突っ込む。

「僕、じいちゃんにもらったマンガの古本、まだ持ってるよ」

 圭太がやさしく過去を振り返る。

「ばあちゃんの作るメンチカツ美味かったな」

 光樹は、北見の大自然がいかに都会人をいやすかという話を熱く語り始めた。

 

 その夜、涼しい夏の夜が甥っ子たちを熟睡させたようだ。俺が寝る隣の部屋からいびきが聞こえてきた。


 次の日、兄の光樹が運転する横浜ナンバーの車は北見の街を走った。俺は助手席の圭太から最新アニメのレクチャーを受けていた。車が交差点の赤信号につかまる。少しさびれている繁華街はんかがい。俺は後部座席にすわって昔を思い出していた。

 俺が小学生の頃、夏休みを利用して車で家族旅行をした。父のミスだった。後ろからクラクションが鳴る。車の運転をしていた父は赤信号で停車する直前、交差点を右折するために隣の車線に割り込みをしてしまったのだ。後ろの車を降りて若い男がやって来た。ワゴンカーに乗ったの父、母、姉、そして小学生の俺が息を飲む。

 結局、ハンドルを握る父は、外からヤンキー風の男に怒鳴りつけられたのである。父は小さな声で「すみません」とあやまった。

 あの時の家族の気まずさったらなかった。初めて父がスーパーマンではないと悟った。おれは幼心おさなごころにとても寂しさを感じた。


 そうだ、父はいた。昨日は父がいたのかいなかったのか解らなかった。しかしこうして記憶をたどってみると確かに俺の父はいた。俺の父は確かにこの世にいたのだ。


 野生のエゾリスが木を登る。

 俺、光樹、圭太は北見で一番大きな公園を散策さんさくしていた。俺のナビゲートで野付牛公園のつけうしこうえんに来たのだ。

 野付牛公園とは北見に昔からある市民のいこいの場だ。自然が織りなす悠久ゆうきゅうのたたずまいは、井の頭公園にも負けない。

 公園内は圧倒的に緑でかこまれている。さびた鉄製ドアを開けるようなエゾゼミの鳴き声がうるさい。太陽は枝葉えだはでさえぎられ、汗ばんだ体がひんやりする。俺たちが丸太づくりの階段を下っていくと急に視界が開け、大きな池が姿をあらわした。

 俺は昔を思い出した。幼い俺は、母と、小学校の親子遠足で野付牛公園に来たのだ。母手作りのいなり寿司を食べたあと、自由時間で俺は母と池の足こぎボートに乗った。池のほとりに出て、売店で買ったポップコーンを周囲に投げると、水面に浮かぶたくさんのカモが寄って来たものだ。カモたちはそうとう腹をかせていたらしく、俺と母のもと殺到さっとうした。我われは必死にボートのペダルをこいでカモたちの襲撃しゅうげきから逃れた。ひと段落して、俺と母は爆笑した。


 そうだ、母はいた。昨日は母がいたのかいなかったのか解らなかった。しかしこうして記憶をたどってみると確かに俺の母はいた。俺の母は確かにこの世にいたのだ。


 甥っ子二人が横浜に帰る日が来た。

 隣の部屋から、帰り支度じたくをする光樹と圭太の話し声が聞こえる。

「叔父さんは不思議な人だよ」

 うむ、そのくらいのもの言いは許してやろう。彼らは俺の私生活について一切触れなかった。その辺は二人とも大人だ。まぁ、そもそも俺が生活保護を受けていることは光樹も圭太も知らなくていいことだが。


 横浜ナンバーの車は光樹と圭太を乗せ北見から去っていった。再び始まる関東圏での生活をなげきながら。


 今朝まで甥っ子たちが寝ていた部屋に入ると彼らの体臭がまだ残っている。

 そうだ、確かに俺は不思議な叔父さんだ。光樹と圭太の言っていることは正しい。

 窓際に立ち外の山を見た。木々の枝葉が風にうねる。それを見て、もしかすると俺は両親を殺してあの森に死体を埋めたのかもしれない、という思いにとらわれ始めた。エンドレスでれ動く森の深い緑は、俺を内向ないこうする迷路へといざなった。この街の大自然は世界全体が夢なのか現実なのかを問わない。それほどなのだ。

 本当に俺は殺人を犯したのだろうか。あの森が「俺たちは共犯者じゃないか」としたり顔でつぶやく。


 森が突きつける両親殺害の疑念は俺をそうとう悩ませるに違いない。それでも俺はこの大自然とともに生きていく覚悟はできていた。

 山の木々はあいかわらず風で揺れている。

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緑葉のループ Jack-indoorwolf @jun-diabolo-13

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