大峠よ、バックトゥザフューチャーしてAV出演する彼女を救えっ!

地獄童貞バンド「ももこ」

第1話

 「ねえ、もしかしてサ。キミは私が幸せになれっこないと思ってるんじゃない?」


 大峠は言葉が出なかった。地面のコンクリートに亀裂が入っていて、グラグラしているところを固定するようにつま先で強く押さえた。


「まあ、いいけどサ。でもね、私の人生を決めるのは私の親でも周りの人間でもなく、キミでもなく、私なんだよ。私だってサ、別に好きでやってんじゃないよ。でもサ、これしかないんだよ。これしかないっていうのは、別にこれしかないって思ってないよ。でも、私って……みんなが思ってるほど上手くできないんだよ」


 大峠は何も言えない自分に腹が立っていた。普通なら「そんなことない!キミにはそんな仕事ふさわしくない。もっとできることがあるはずだ。芸能の仕事だってもっとがんばればいいじゃないか。そうじゃなければ、真っ当に一般的な仕事をすればいいじゃないか」と言うはずだ。

 でも言えなかった。大峠がいつもウンザリする言葉だからだ。「がんばれよ!」は地獄だ。大峠は思った。そうだ…、彼女は俺だ。


「…わかるよ。言ってる事わかるけど…、わかるけど………うあああ!!!!」


 後ろを振り向き走り出す。扉を蹴り、部屋を出て行く。

 通路を音を立てて走る。くそ、何も言えねえ…。言う資格がない!だって俺なんだぜ。杏里に何か言えるのかよ…。ちくしょおおおーー!!





 手すりのない階段を下まで降りて、入口まで来た。胸で荒く息をする。靴ヒモがほどけてシナシナとうなだれていた。くそ、くそ、くそ。

 大峠はセブンイレブンから出てきた青年が持つギターが目に入った。その瞬間、部屋で作っては人に見せることなく死んでいった楽曲を想い出した。そうか…、結局まともに完成させられなかったな…。

 

 まばたきをひとつする。入れ違いにカップルの男が汗だくの大峠に気づいたのか、自分のもとに彼女を引き寄せた。彼女は彼を見て嬉しそうだ。彼も誇らしい顔をしている。

 ――――いったいぜんたい、ほんとうに、俺は何をしているんだろう?

 体全体が温度計のなかの水銀になったように、スルスルと伸びてどこかに達さなければならないような、不思議な感覚に覆われていた。

 先ほどの黒いギターケースを背負った青年のもとに走った。強引にギターケースを彼から引き剥がそうとする。


「おい、何やってんだよ!おっさん!!」


 うるせえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ。よこせオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。


 目の焦点が合っていない汗だくの男に青年は驚いたのか、掴んでいた手を離した。

 耳元で脈打つ音を聞きながら、大峠はひたすら前へ前へと階段を上っていた。くだびれきったスニーカーの底を、ガツンガツンと地面が打つ。

 アパートのドアを開けた。そこにはまさに男優に今から服を脱がされそうな杏里がいた。撮影が始まる直前のようだった。

 「杏里ちゃん!!」

 撮影スタッフが一斉にドアの方を見る。杏里もだ。

 そこにはギターを肩にかけた1人の男が立っていた。

 



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 大峠が青年から奪い取った黒いギターケースから出てきたのは黄色のレスポールだった。黄色のレスポールとは、海外でいえばハードロックの帝王レッドツェッペリンの使用ギターだ。クロマニヨンズの真島昌利やサンボマスターの山口、バンプオブチキンの藤原がメインで使っているギターである。繊細にジャキジャキ弾くタイプではなく、腕をふり下ろせばダンプカーが突っ込んだような轟音が鳴るギターなのだ。

 大峠は心の中で笑った。ふふふ…俺にはやはりこれが似合ってる(どう似合っているのかよくわからない。)。

 

 そして、いま再び撮影スタジオに戻ってきた大峠。

 もうあの魔窟に劣等感と無力感の底に、これ以上居座ることはできない。

 ―――――叫ばなくては。


 ぞろぞろやってくるスタッフ。服を掴まれる。それに抵抗する手すら振り落とされる。

 大峠は手にしたギターでスタッフを突いていく。男にとって棒とは圧倒的な武器である。学校の帰り道に生えている草があれば引きちぎり、木の棒があればとりあえず拾って振り回す。ライオンには勝てないが、恐らく棒さえあればヒョウくらいになら勝てるだろう。

 パンクバンドであるシドヴィシャスのごとく大峠はギターをこん棒に変えて人を殴り倒していく。壁に鮮血。床に倒れるADたち。下っ端のスタッフをすべてなぎ倒した大峠は通路を抜け、大きな居間にたどり着いた。

 監督や男優など数名のスタッフは鼻血で服が血だらけになっている目の前の男に言葉を失くしていた。ついにたどり着いた。杏里は大峠をじっと見ている。

 

「杏里ちゃん…!俺さ、俺…!言えねえの。何も本当は杏里ちゃんに言えねえの!言いたいけどさ!分かるんだよ!でも言えねえの!!だから!」。

 

 杏里の目の前にきた大峠。左手をギターの3フレットにセット。右手を天高く上げた。


 あんちゃん!うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。

 振り上げた右手。一閃。

 イナズマのように高速で弦が上下にはじかれていく。大峠の右手はもはや高橋名人の魂の16連射を超えて、残像が質量を持っているようだった。空気がビリビリと震える。地球を貫いて裏側までいったその衝撃は、その瞬間に南米の大地で震度5を記録、遠くバルカン半島付近では海が割れたという。

 一方、こちら日本の現場ではあまりにも衝撃的な光景に周りの撮影スタッフは言葉を失っていた。

 それはそうだ。音量増幅のアンプがエレキギターに刺さっていない。大峠は右手の高速ギターストロークに合わせて自らの口でギターの音を再現していたのである。


「ジャッジャッジャーーン!!ギャギャギャギャギャギャ!バーン!ドーン!ギュンギュンギュンギュン!ジャカジャーーーーーン!!ジャジャジャッジャジャジャジャアアアッジャアアア!―――」

 杏里はまったく表情を動かさない。感情がまったく読めない。

 口ギターの再現に飽きたのか、大峠はベースまで少しづつ入れだした。

「ドゥードゥードゥーン!ドゥドゥドゥドゥ!!」


 大峠は今までないくらい高揚感を覚えていた。今まで好きなバンドがいたとしてもそれをいくらコピーしようとしてもギターソロを見るといつも断念していたのだ。彼にとっては劣等感だった。練習しようと思ってもしてるうちに飽きてしまう。こんなにロックバンドが好きなのに。しかし、今はそれがない。自分の好きなギターフレーズを好きなだけ再現できるのだ。


 大峠は考えていた。ロックは3分だ。いや、2分半だ!それは大峠が最近のロックバンドにいつも思っていることだった。みんな長すぎる!短ければ短いほどいい。

 この状況ならもっと短い方がいい。一瞬は永遠を残す。大峠は飛んだり跳ねたり、もはや1秒も大峠は静止していられないのだ。今までの怠惰な自分の人生全てつぎ込むような。その姿は…鬼だ。まさに鬼だ。


 そろそろスパートだ!と大峠は思った。杏里の顔はまだ動かない。これが良いのか悪いのかまったくわからない。でもやるしかない。信じるしかない。自分の表現をするしかない!


「ッドゥ!ドドドドドドドド!!ジャジャジャジャジャジャ!ドゥルドォルドゥドジャガーーーーン!!ドーーーン!バーーーン!ジャジャジャーー!ギュギュギュギュギューーーーン!キューン!ドゥドゥドゥーン!ギャーーン!ドーーーン!ドーーーーンドーーーン!ドッドッドッド!ドーーン!……ドゥドゥン!」


 沈黙。

 さっきまであまりの轟音でカーテンが大きく揺れていたが、すっかり息を止めてしまった。冷蔵庫の起動音だけが部屋に響いている。あまりの出来事にその場にいた誰も口を開けなかった。

 大峠の息が荒い。長年の運動不足と声帯の使ってなさで、大きく体力が減っていた。こんなに疲れたのは、AV女優の辻あづきを観て1日に6回オナニーした以来だった。

 大峠は天を仰ぐように上を向いていた。呼吸を整える。ゆっくりと視線を前に向ける。杏里の顔があった。

 

「ぷはっ!あっはっはっはっは。」


 張り詰めた空気がパチンと割れた。

 その場にいた監督や男優、マネジャーに一斉に掴みかかられる大峠。頭手足を押さえつけられ、そのまま床に叩きつけられる。耳の奥で鈍い音が聞こえた。鉄の味が口に広がる。

 目線を上げるとギターが折れていた。さっき倒された衝撃だろう。それに気を使うこともできずに入口までずるずる引きずられる大峠。彼はもう抵抗しない。

 しかし、玄関まで来たときなぜか急に右手を上げた。力を失っていた手をぎゅっと握り、親指を立てる。そう、ターミネーター2のアーノルドシュワルツネッガーである。彼はすべてをやり遂げた勇敢な戦士になったのだ。

 ボロボロになっていた彼は力が入らず手がくたってしまい親指が下向きになり、あの世へ行けの形になってしまった。それを見た男が大峠の腹にケンカキックを放つ。玄関からドアの外へ吹き飛ばされた。痛ってえええ、と言う顔は不思議とにこやかなである。ドアが閉められる。その瞬間、さっきまでいた部屋を見ると杏里が見えた。彼女はまだお腹を抱えて笑っていた。






 スタジオの外のマンション入口で大峠はヘタっていた。なんとかズルズルと這いつくばって入口に出たのである。当然、人も通るのでジロジロ見られているわけだが、ここまでボロボロにされるとむしろ「俺を見ろ」という高揚感に包まれていた。

 あれから3時間ほど経っただろうか。そろそろ撮影が終わる頃だ。

 コツコツと階段を叩く音が近づいてくる。大峠は口をぬぐう。背中を後ろの壁にこすりつけながらバランスを取り、ふらふらと立ち上がる。出てきたのはやっぱり杏里だった。

  

 「あははは。まさかあんな事するとは思わなかったよ。」


 大丈夫?の一言がないのは凄くありがたいと思った。そんな言葉が必要とされないくらい距離が縮まってることが嬉しかったからだ。たぶん、杏里のガードは溶けた。大峠にはそう思えた。


「大峠くん、最高だったよ。ホント。キミはキミだよ。いや、べつにSMAPじゃないよ。あ、SMAPか。まあ、いっか。そう、キミの表現をやるべきだよ。分からない人も多いと思うけどさ。でも最高だよ。私ならずっと見てたいな」

 

 やわらかい風が杏里の髪を揺らしている。その奥に落ちかけた太陽見えた。隙間から心地いい温度が大峠に当たる。


「私、自分が測れちゃうんだよね。それは…自分で自分の限界決めてるよ、って言われたらそれはそうだと思うんだけど」


「うん」


「私、ここまでなんだーって、わかっちゃうの。学校出て仕事ちょっとして将来が見えてきたところでそう思う人はたくさんいると思うけど……私は望みが高かったから、余計にこたえたんだよね、『限界』ってのが」


 すぐ近くにあるセブンイレブンの前でおばあちゃんが犬のリードを柵に巻きつけている。通りかかった若い母親とその子どもが犬を触っていた。気づいたおばあちゃんはその親子に話しかけている。入口付近なため自動ドアが開いたままだ。


「このまま終わりたくなかったの」


 口の中がひどく苦い鉄の味がしていたが大峠は気を取られてしまわないようにしていた。スタジオで叩きつけられた際に、歯が折れてそこから血が吹き出し続けているのが分かっていた。じんじんと痛みがあった。


「だってあんな事になって―――これが将来の代償じゃなくてなんなの?って思うの。普通の家じゃなかったしさ。そういうの、なんかのネタにしなきゃ辛すぎるよ。これを使って私は何かやらなきゃって思わないとやってられないでしょ」


 杏里の手が大峠のほっぺたに置かれていた。ちょうど歯が吹き飛んだ側だったのでズキンと痛みがあったが、大峠は何も言わなかった。なぜなら、ほほの血をそっと優しくぬぐってくれているだけなのだから。裏路地で誰も知られていない猫を撫でるみたいだった。


「自分はトクベツじゃないかって。でも全然そうじゃないってこと、本当は私はわかってるんだ。目立ちたがり屋なんだと思う。なんでこうなのかな。」


 喋りながら杏里の目からは涙が降りていた。ほほのところまでくると一気にすべり落ちた。大峠はぬぐおうと思ったが、自分の手が血だらけなことに気がついてやめた。


「大峠くん、わたしね、花束になりたかったの」


「うん」


 大峠は思った。きっと人は「花束にならなくてもいい、小さな幸せをみつけてそれをかみしめて生きていこう」ってそう言うだろう。そんなの今まで何百回も聞いてきた。正しい言葉は人を大きく傷つけることを知っている。

 大峠は考えた。俺は――。


「杏里ちゃん、ラーメン食べに行かない?」


「ええ!? あっはっは。」


 時間は刻々と流れていく。大峠はそろそろ自分が消えることに気づいていた。杏里は「いいねー!行こ行こ!」と答えた。大峠は彼女に何を残せるか考えた。話を聞いて励ますことも大きいだろうが、人を励ませるほど自分を棚上げできない。らーめんを一緒に食べてお互いに小さな話をして、今日は悪くなかったかもなって思ってもらうことくらいしか人は出来ないと考えた。

 

「ちょっと、大峠くん、血だらけじゃん!」


「今更かよ!おまえのせいだよ!!」


 2人は並んで歩き始めた。骨の浮き出た手の甲同士は、うまく当たらず、わずかに2、3点触れ合うくらいだった。


「俺血だらけだけど、いまちょうど夕日だし歩いてても赤さは隠れるよね」


「なんて陽だ!!」


「意味わかんないよ、杏里ちゃん」


「あっはっは」


 風も、視界じゅうを取り込む空も、道のアスファルトも、春に向かって手を伸ばしている。風で翼がふくらむ感触のようなものを大峠は感じていた。自分は無敵だ、何でもできるんだ、という感覚だ。曲を作ってバンドメンバー募集しようと思った。ずいぶんそんな気分はなかった。

 もとの時代に帰って自分の部屋に帰るとまた無力感にうちひしがれるかもしれない。それで何もかも投げ出したくなってしまうかもしれない。となりで笑っている彼女の笑い声を聞きながらそれを想像した大峠はぞっとしてしまった。

 でも、そんなあっけないものが、自分が信じなくてはいけないものの気がした。


 「ちょっと!!おじさん!」


 後ろから声がした。振り向くと青年が立っていた。


「あ!」


「あ、じゃねーよ!!」


 青年はつかつか大峠に近づいた。


「俺のギターは?」


 大峠は自分が右手に持っている木の棒に気づいた。「あ、ごめん」と言った。青年は大峠にギターを奪われたあと、バイトへ行っていままさに戻ってきたのだった。


「はああああ!!っざっけんなよおおおお」


「え、だれ?あのギターって大峠くんのじゃなかったんだ。まあ良いじゃないの」


「あああああ!これからメジャーデビューすんのに、東京こえええよ!なんやねんこれ!」


 大峠は青年の顔をよく見るとたしかになかなか悪くない顔だなと思った。とはいえ、金もないし元の時代に戻るからどうしようかと言い訳を考えていると杏里が口を開いた。


「あー私芸能界知ってるからさ。大丈夫大丈夫。メジャーになったら会社から好きなギター買ってもらえるから。ブランキージェットシティのベンジーは最初に『好きなギター選んでいいよ』って云われて70万だっけ?のギター買ってもらったから」


 それは20年以上前の話だろ!っと大峠は心のなかで思ったが、夢のある話だと思ったので何も言わないでおいた。


「え、まじっすか。ん?お姉さんなんか見たことあるような…ないような」


「ふっふっふ。まあーそのうち分かるかもね。ねえ、キミも一緒にらーめん屋行こうよ」


 こいつも来るんかい!と大峠は思った。しかし、自分は消えるが彼は残ることを考えれば、悪くないなと考えた。


「うん、いこうぜ。青年よ、って俺とあんまり年離れてなさそうだけどな。俺もバンドやってんだ(メンバーを募集して、やるんだから別にウソではないだろう)。ライバルだな。ぜってー勝つ」


「そうなんですか。ぼくらほんままだまだポッと出なんで」


 青年は頭を触って「恐縮です」といった感じにするので、大峠は好感をもった。「なんてバンド名なの?」と聞いてみた。


「ヤバイTシャツ屋さんです」


 実はメジャー行ってもギター買ってもらえないよ、とらーめん屋で言ってやろうと大峠は思った。

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大峠よ、バックトゥザフューチャーしてAV出演する彼女を救えっ! 地獄童貞バンド「ももこ」 @yuugata

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