第3話 恋なんてさ風邪を引くようなもの 3
両手の荷物を車に積み、額の汗を拭うみなとは、冷たい視線が、背中に突き刺さった気がして、あたりを見回す。
この感触は何度も経験している。
そもそも一人の男性に満足できない性分は親譲りで、浮気性である父が自分のもとへ帰ってくるように、母がこんな名前を付けたのだ。
高級と正札がぶら下がっていそうな装いをした男が、みなとを一瞥してすれ違っていく。
一夜限り、契りを交わした相手である。
お互い酔っぱらっていて、目覚めたベッドの上で、やらかしてしまったことに気がついた男。
当然、何課で誰なのか何も知らない。
男の癒し、城ヶ関みなとここにあり。誰にでも股を広げてくれる優しい女。とんでもないレッテルだと、初音は怒ってみせるが、その通りなのだから仕方がない。村上との関係を続けながらも、バーで知り合った男や、昔の男やその他諸々、みなとは欲望のまま、躰をゆだねた。
初音が悲しい顔で、みなとに訊くのだ。
「どうして、そんなことばかり繰り返すの? もっと自分を大事にしなよ」
おっとりしているくせに、そういう勘は鋭い。
真剣な眼差しで真っ直ぐに、初音は見てくる。
こんなに本気で怒ってくれる人が、今までいただろうか……。と、遠くでもう一人の自分がぼんやりと考え込む。
「みなとは、男を満たすための港なんかじゃないんだからね。私、みなとがそういう子じゃないって知っているし、信じている」
涙ぐんでいる初音を、やはり遠くで眺めながら、買い被りだよ。と冷ややかな笑みを浮かべる。
父が、女を代える度、母は私の頭を撫でては、何度も言うのだ。
「大丈夫大丈夫。私にはみなとがいる。あの人が帰れる場所、それがあなた、みなとなのよ」
もうそれは洗脳に近い回数の、呪文だった。
男を繋ぎとめるための港。
しかし、父は別の女の上で心筋梗塞を起こし、この世を去ってしまった。
何とも情けない話である。
母は、半狂乱で泣きじゃくり、激しい嵐になり、みなとを攻め立てた。
「お前がもっと可愛げがあれば、あの人はお前恋しさに帰って来られたんだ。お前さえお前さえ」
みなとは、母親の気持ちがまるで分らなかった。
ここまで裏切られていたのに、どうしてあんな、くそ男を愛し続けたのかだ。
頬を打たれ、恨めしく見上げるみなとに、母は馬乗りになって怒りのままその手を止めようとはしなかった。
中学生になり、女になったみなとは、少しだけ、母親が理解できる気がした。
きっと躰の相性が良かったんだ。
寂しさを埋めてくれる男はいくらでもいる。多額な保険金を受け取った母なら、そんなもの簡単に手に入る。現に数度、その類の男性と交際をしていたようだが、結局満たされることがないようで、お酒に溺れていった。
今では、ベッドに縛りつけの日々を送っている。
かわいそうな人。私はあんなふうにはならない。みなとは固くそう心に決めていた。ここまで自由気ままにセックスを楽しんでいるみなとでさえ、恋愛は面倒くさいと思っている。
初音が目を輝かせ、延々とあこがれを話したところで、何も響いてこない。
一人、テーブルから離れカウンターに座ったみなとは、バーボンのダブルを頼む。
「お強いんですね」
酒を差し出すバーテンダーの手を、みなとはじっと見ていた。
長くてきれいな指。
声の質も悪くない。
そう思いながらゆっくりと顔を上げ、髪をかき上げる。
「それほどでもないんです。でも今日は、むしゃくしゃしてて」
初音の笑い声が響き、バーテンが少し顔をしかめる。
おいおい。商売人、そんな顔、したらダメだろう。
胸の内で舌打ちをしながら、ゆっくりと立ち上がったみなとはよろめいてしまう。
「お客様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫……じゃないかも……」
口を押え、必死の形相でバーテンを見る。
「トイレはあちらでございます」
慌ててトイレに駆け込んでいくみなとに気が付いた義三が腰を浮かす。
「みなと、大丈夫?」
トイレの前で待っていた初音に聞かれ、ケロッとした顔で、何がと聞き返す。
「だって気分が……」
「ええ悪いわよ。馬鹿笑いしているのが連れだと思うと、折角のおいしいお酒が台無しよ」
「もう、またそんな言い方して。はいはい私が悪かったです。義三さんが、もうそろそろ次の場所へ行きませんかだって」
鏡越しに初音を見たみなとが、フーンと気のない返事を返す。
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