第14話
「結衣、ちょっといいかしら?」
「あっ、お姉ちゃん、おかえりなさい。何?」
その日の夜9時30分。お姉ちゃんが、帰ってきた。お姉ちゃんは、着替えをせずに、まっすぐ私の部屋にきたみたいだ。
私は、子犬のぬいぐるみを抱いて、ベッドにうつぶせになっていた。
「ちょっと、話があるんだけど」
「――私も、ちょうど、お姉ちゃんに話したいことがあったの」
私は、お姉ちゃんにも、今日のことを相談するつもりだった。
「結衣も? それじゃあ、結衣の話を先に聞こうかしら」
「お姉ちゃんからでいいよ」
五十嵐君のことを相談したあとに、お姉ちゃんの話を冷静な気持ちで聞ける、自信がなかった。
「お姉ちゃんは、大事な話だから、結衣の話を先に聞かせて」
「――分かった」
私も、大事な話なんだけどと思いつつも、今日、カフェを出てからのことを、お姉ちゃんにも説明した。
「そう。五十嵐君に、告白をされたの」
「うん」
「それで、結衣の気持ちは、どうなの?」
「私の気持ちは――」
私は、麗華に話したのと同じ話を、お姉ちゃんにも話した。
「だから、五十嵐君が、本当はどういう人なのか分からなくなったの」
「そうなの――実は、お姉ちゃんの話も、五十嵐君のことなの」
「えっ? お姉ちゃんも?」
どういうことだろう? ま、まさか、お姉ちゃんも、五十嵐君のことが好きになったとか――
私は、またまた、お姉ちゃんが五十嵐君と付き合っているところを想像してしまった。
「結衣、あなた、6年前の男の子が五十嵐君だったって分かったって、お姉ちゃんに話してくれたときに。五十嵐君に、結衣が例の女の子だったのかって言われたって、話してくれたよね?」
なんだ、そんな話か。私は、少しホッとした。
「そんな話したっけ?」
「してくれたじゃない。忘れたの? それが、重要なのよ」
急に、そんなこと言われても――
「ちょっと待ってね――」
――ああ、あのときか。
五十嵐君が、藤本さんたちから、私を助けてくれたときのことだ。確かに、五十嵐君に、そういうふうに言われたような気がする。
「うん。確かに、五十嵐君に、そう言われたけど――でも、それがどうかしたの?」
「やっぱり、そうよね。おかしいわよ」
おかしい? 何が、おかしいんだろう? どこか、笑えるところが、あったのかしら?
「お姉ちゃん、どういうこと? おかしいって、何が?」
「うん。お姉ちゃんの、考えすぎかもしれないんだけど――お姉ちゃんね、例のっていう表現が、ずっと気になっていたの」
「えっ? それって、どういうこと?」
お姉ちゃんは、急に何を言い出すんだろう? 何か、おかしいところがあるんだろうか?
「五十嵐君の言う、例のって、6年前の、男の子が結衣と犬を助けてくれたときのことよね?」
「そうだと思うけど。それのどこが、おかしいの?」
っていうか、あのときの話の流れからいっても、それしか考えられない。
「お姉ちゃんも、国語の先生じゃないから、偉そうなことは言えないけれど。6年前の男の子が、五十嵐君だったとしたら、例のなんていう表現をするかしら?」
「えっ? どういう意味?」
私は、お姉ちゃんの言っていることが複雑すぎて、頭の中が、パニックになってきた。
「何か、自分のことを話しているんじゃなくて、誰か、他の人から聞いたことがあることを、『お前が、あいつの話していた、例の女の子なのか』って、言っているように、お姉ちゃんには聞こえたんだよね」
「…………」
私は、お姉ちゃんの言葉に、頭が真っ白になってしまった。
「例えば、結衣だったら、どう?」
「――私だったら?」
「逆の立場だったとして、五十嵐君に、『五十嵐君が、例の男の子だったのね』とは、言わないんじゃない?」
「…………」
お姉ちゃんは、じっと私を見つめている。
「確かに私だったら、例のじゃなくて、『あのときの』って言うよ」
「そうでしょう。お姉ちゃん、そこがずっと気になっていたの」
「でも、お姉ちゃんの言う通りだとしたら、五十嵐君は、6年前の男の子じゃないっていうことに、なるけど?」
「そうなるわね。もちろん、お姉ちゃんの考えすぎで、五十嵐君は、そういうふうに表現をする人なのかもしれないけれどね」
いや、お姉ちゃんの言うことは、説得力がある。私は、お姉ちゃんが、謎解きを披露する、探偵のように見えた。
「でも、6年前の男の子が、五十嵐君じゃないとしたら――いったい、誰が?」
「――お姉ちゃんね。一人だけ、心当たりがあるの」
「――誰?」
「結衣だって、心当たりがあるんじゃないの?」
「…………」
そうか……。それで、お姉ちゃんは、五十嵐君に、しつこく聞いていたんだ――結城君の飼っている犬のことを。
「結城君……。お姉ちゃんは、結城君が、あのときの男の子だって――」
「お姉ちゃんの個人的な印象だけど、五十嵐君は、嘘をついてると思うわ。ハンバーガーショップで、何か不自然なことはなかった?」
不自然なこと? お姉ちゃんに言われるまでもなく、不自然なことだらけだ。犬の名前を、頑なに言わなかったこととか。
でも、そうだとしたら、どうしてそんな嘘をついたんだろうか?
「あったのね?」
「うん――でも、五十嵐君は、どうして嘘を?」
「それは、五十嵐君本人に聞いてみないと、お姉ちゃんには分からないわ。それに、嘘だって決まったわけじゃないけれど」
翌日――
今日は、日曜日。時刻は、午前6時40分。予定もないので、ゆっくりと眠っていたかったけれど、昨日の、お姉ちゃんの話が気になって、あまり眠れなかった。
五十嵐君は、いったいどういうつもりなんだろうか?
一つ考えられるのは、嘘をついてまで、私と付き合いたかった――まさかね。自分で言ってて、恥ずかしくなってきたわ……。
やっぱり、本人に、直接聞くしかないのだろうか?
「…………。うーん……」
何? メール?
私は、携帯電話のメールの着信音で、目を覚ましたみたいだ。
今、何時? 携帯電話を開くと、午前9時を過ぎていた。どうやら、二度寝をしてしまったみたいだ。
外は、すっかり明るくなっている。
誰からだろう? 陽菜かな? と、思いつつメールを開くと――これは、五十嵐君だ。
『結衣へ。今日の12時に、例の川で会わないか。そこで、返事を聞かせてほしい。犬も、連れていくよ。それから、大翔と如月には、絶対に内緒でな』
12時に、例の川で――また、例のか……。
これは、行くしかないだろう。本当に五十嵐君が、6年前の男の子なのか、それとも嘘をついているのか、直接聞いてみるしかない。
11時45分――
私は、あの川に来ていた。少し、早く着いてしまった。
川には、誰もいなかった。当然、五十嵐君も、まだ来ていなかった。
不思議と、落ち着いている。五十嵐君が来れば、もっとドキドキしてくると思うけど。
私は、メールには、返信はしなかった。すべては、直接会ってからだ。
そのとき、携帯電話が鳴った。
誰だろう? 五十嵐君かしら?
――陽菜からだ。私は、少しためらいつつも、電話に出た。
「――もしもし、陽菜? どうしたの?」
「あっ、結衣。もう、起きてた?」
陽菜は、とても元気そうだった。私は、少しホッとした。
「起きてるから、出たんじゃない」
っていうか、もう11時45分なんだから、さすがに起きているだろう。川にいることは、とりあえず黙っておこう。
「あっ、そうか」
と、陽菜は笑った。
「結衣、ごめん」
と、陽菜は、いきなり謝りだした。
「――えっ?」
どうして、陽菜が謝るんだろう? 謝らなければいけないのは、むしろ私の方なのに。陽菜は、おかしくなってしまったんだろうか?
「昨日、五十嵐君に、結城君には黙っておいてくれって言われたのに。陽菜、結城君に話しちゃった」
「えっ? どういうこと?」
「さっき、結城君から、陽菜に電話があったんだよね。それで、結城君が、すごい勢いで昨日のことを聞いてくるから、話しちゃったの」
と、陽菜は、申し訳なさそうな感じで言った。
「それで、結城君にどこまで話したの?」
「どこまでって――えっと……。ねぇ……」
「まさか、全部話したの?」
「十段階で言ったら、9.8くらいかな?」
と、陽菜は、再び申し訳なさそうに言った。
「ほとんど、全部じゃない」
逆に、言わなかった0.2が、何なのか知りたいくらいだ。
「ごめん。だって結城君が、どうしても教えてほしいって言うから……」
「言ってしまったものは、仕方がないわね。それで、結城君は何だって?」
「結衣と五十嵐君の6年前のことを話したら、すごく驚いていたけど。やっぱり、一之瀬さんだったのかって」
「やっぱり?」
「うん。結城君も、6年前のことを知ってるみたいな感じだったんだけど。五十嵐君が、話していたのかな?」
「…………」
結城君……。
「結衣は、どうして6年前の男の子が、五十嵐君だったって分かったんだっけ?」
「言ってなかったっけ? 最初に四人でカフェに行ったときに、五十嵐君がリュックを持っていたでしょう?」
「リュック? ああ、あれか」
「そのリュックの中に、私が6年前にあげた、キーホルダーが入っていたの」
「ふーん――あれ? でも、あのリュックって、結城君も同じようなリュックを持っていたような――」
「えっ?」
「おい! 結衣! 誰と、電話をしてるんだ?」
振り返ると、すぐ近くに、五十嵐君が白い犬を連れて立っていた。電話に夢中で、気づかなかった。
「あっ、五十嵐君――陽菜、ごめん。切るね」
「えっ? 五十嵐君? 結衣、あなた、どこに――」
私は、電話を切った。
「今の電話、もしかして、大翔か?」
「違うよ。陽菜だよ」
「――そうか。大翔には、黙ってろよ。如月にも、改めて言っておいてくれよ」
どうやら五十嵐君は、陽菜が結城君に話してしまったことを、まだ知らないみたいだ。
「うん。分かった(もう、手遅れだけど)」
「結衣。お前と、こうしてここで会うのも、6年ぶりになるな」
と、五十嵐君が、川を見ながら言った。
「――うん。そうだね」
と、私はうなずいた。
「そのワンちゃんが、あのときの?」
「ああ、そうだよ」
「名前は、なんていうの?」
「シロだよ」
「そう。シロのまま、変えなかったんだ」
「まあな」
「シロちゃん、こっちにおいで」
私は、しゃがみこんで、シロちゃんに右手を差し出した。
「ワン! ワン!」
突然、シロちゃんが吠え出した。
「キャッ!」
私は、とっさに、右手をひっこめた。
「ガルル――」
シロちゃんは、私に対して、とても攻撃的だ。
「シロ! やめろ!」
五十嵐君が、シロちゃんの首輪を、後ろから強くひっぱった。
「こうすると、おとなしくなるんだ」
シロちゃんは、吠えるのをやめた。
「どうやら、こいつは、お前のことを覚えていないみたいだな」
と、五十嵐君は笑った。笑い事ではない。噛まれるかと思った。
「五十嵐君――この子、本当にシロちゃん?」
「――ああ。どう見ても、黒くは見えないだろう?」
確かに、白い犬だけど――
「うん。でも、こんなに狂暴だったんだ。もっと、おとなしかったのに……」
「野生を、取り戻したんだろう」
と、五十嵐君は言った。
いったい、どういう環境で育てているんだろう? 五十嵐君の家は、ジャングルか何かなのだろうか?
「それじゃあ、結衣。さっそくだけど、返事を聞かせてくれ」
と、五十嵐君は、私の目を見つめながら言った。
「――うん」
私は、小さくうなずいた。
「…………」
河原は、とても静かだった。
「五十嵐君……。本当に、五十嵐君が、あのときの男の子――なんだよね?」
と、私は、おそるおそる聞いた。
「――そう言っただろう? 信じていないのか?」
と、五十嵐君は微笑んだ。やっぱり、お姉ちゃんの考えすぎかもしれない。五十嵐君が、そんな嘘をつく必要があるわけがない。
「あっ、五十嵐君、指から血が出てるんじゃない?」
私は、五十嵐君の右手を指差した。
「えっ? 血?」
五十嵐君が、自分の右手を見ると、人差し指から血が出ていた。
「さっき、首輪をひっぱったときに、切れたのかもな」
「手当てをしないと」
「いいよ。こんなもん、なめときゃ治るさ」
そんな、不潔な。
「ちょっと、待ってね」
とは、言ったものの。絆創膏など、持ち合わせてはいない。
そのとき、私は、あるものを持ってきていたことを思い出した。私は、ポケットから、それを取り出すと、五十嵐君に渡した。
「五十嵐君、これを」
「なんだこれ?」
五十嵐君は、それをひろげると、
「なんだ? ずいぶん、古いハンカチだな。少し、黄ばんでるんじゃないか?」
と、笑った。
「…………」
「うん? どうした?」
「――五十嵐君……。そのハンカチに、見覚えがないの?」
「見覚え?」
五十嵐君は、そのハンカチを、まじまじと見つめていたけど、
「こんなハンカチ、知らねえよ。俺が、新しいのをプレゼントしてやるよ」
と、私に、ハンカチを返した。
「――五十嵐君……。あなた、やっぱり違う!」
「何がだよ?」
やっぱり、お姉ちゃんの言う通りだった。
「このハンカチのことを知らないなんて、五十嵐君は、6年前の男の子じゃないわ!」
私は、五十嵐君に向かって叫んだ。他に人がいたら、何事かと、みんな見てきただろうけど、幸いにも依然として私と五十嵐君の二人しかいなかった。
「――そういうことか……」
と、五十嵐君はつぶやいた。
「結衣……。そんな昔のこと、どうでもいいだろう? 俺と、付き合えよ」
と、五十嵐君が、私に迫ってくる。あの、優しかった五十嵐君の面影は見当たらない。
「五十嵐君……。だめよ。私、五十嵐君とは付き合えない」
「どうしてだよ? 俺が、お前を藤本たちから助けてやったんじゃないか。お前も、俺のことが好きなんだろう?」
「それは、感謝してるけど……。でも、だめだよ。嘘をつく人とは、付き合えない」
「結衣――」
五十嵐君が、私に右手を伸ばした。
そのときだった――
「大和! お前、何やってるんだ?」
誰かが、五十嵐君の腕をつかんだ。
「なんだよ! ――大翔か。じゃまするなよ」
「結城君……」
「大和――お前、どういうつもりだよ」
「うるせえな。大翔には、関係ないだろう」
「関係あるよ。俺も、好きなんだからな――お前、一之瀬さんを騙して、自分が付き合おうとしたのか?」
結城君は、五十嵐君を睨みつけている。
「――分かったよ。もう、いいよ。もう、興味なくなった。確かに、嘘だよ。俺じゃないさ。あるやつから、聞いた話だ。じゃあな。俺は帰るから、あとは二人で好きにしな」
五十嵐君はそう言うと、帰ろうとした。
「五十嵐君、待って!」
私は、帰ろうとする五十嵐君の腕をつかんだ。
「――なんだよ、一之瀬。離せよ」
「五十嵐君……。どうして、こんな嘘をついたの? それだけ教えて」
「…………」
「ねえ、五十嵐君」
「言っただろう――お前のことが、好きだからだよ」
五十嵐君はそう言うと、私の手を振りほどいて、帰っていった。最後に言った言葉が、本当なのか嘘なのか、私には分からなかった。
「結城君、どうして私たちが、ここにいるって分かったの?」
「ああ、今朝、大和に電話をしたら、大和の様子がおかしかったから、如月に電話で聞いたんだよ。そうしたら、さっき如月の方から電話があって、それで、たぶんここかなって」
それだけで、ここが分かるっていうことは――
「あれっ? 結城君、そのリュックって、五十嵐君が持っていた――」
「これ? これは、俺のだよ。この前は、大和に貸していたんだよ。『俺の方が似合うから、貸せよ』って」
「そうだったんだ」
っていうことは――
あのキーホルダーは、やっぱり――
「――ねえ、結城君」
「何?」
「――結城君が、6年前の男の子なんだよね?」
「――さあ、どうかな?」
と、結城君は笑った。
そして、こう言った。
「名乗るほどの者じゃねぇよ」
「やっぱり、結城君じゃない。ねえ、さっきの『俺も、好きなんだからな』っていうのは、告白って受け取っていいの?」
「えっ? そんなこと、言ったっけ?」
「言ったよ」
「それじゃあ、言った」
「それじゃあって、なによ。もっと、ちゃんと告白してよ。6年間も、待ったんだから」
「6年待ったんだから、あと6年くらい待てるんじゃない?」
「えっ?」
「そんなことより。犬に会いたくない?」
「会いたい!(そんなことよりっていうのが、引っかかるけど) 名前は?」
「シロだよ」
「シロ? 変えなかったの?」
「うん。思いつかなかったから。大和も、同じようなことを言ってた。」
五十嵐君の犬の名前は、嘘じゃなかったんだ。
「シロちゃん、元気?」
「昨日、動物病院に行ったばかりだから、まだ元気がないけど。すぐに、元気になるだろうって」
「よかった」
「それじゃあ、行こうか」
「結城君の家って、近いの?」
「自転車で、7分くらいだよ」
「お家には、誰かいるの?」
「うん。両親と、妹がいる」
結城君、妹さんがいたんだ――っていうか、いきなり両親に会うのは緊張する。
私は、もうすでに恋人のような気分だった――のかな?
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