第12話
「いってきます」
と、お姉ちゃんは、今日も出勤していった。今日は土曜日で学校は休みだけど、お姉ちゃんには土日は関係ない。オープン初日は10時オープンだったけど、普段は8時30分オープンだ。
私たちが、今日、カフェに行くことは、お姉ちゃんには伝えていなかった。陽菜が、内緒にしておいて、お姉ちゃんをびっくりさせようと言い出したからだ。
いったい、なんの為に? と、思ったけれど。陽菜が、とても楽しそうに言うから、お姉ちゃんには黙っておいた。陽菜は完全に、デート気分みたいだ。
「お母さん、おはよう」
「あら、おはよう。早いわね。どこか行くの?」
と、お母さんが聞いた。
私は、学校が休みの日には、基本的には、もう少し遅くまで寝ている。休みの日に早く起きるのは、どこかへ出かけるときだけだ。
「うん。また、陽菜とカフェに行ってくる」
お母さんは、まだ、結城君と五十嵐君のことは知らない。
「そうなの? お姉ちゃんは、知ってるの?」
「言ってないから、知らないと思うけど」
「何時に出るの?」
「10時頃に、陽菜が来るから」
「結衣、おはよう」
「陽菜、おはよう」
陽菜は、今日も時間ぴったりにやって来た。
「いってきます」
私は、お母さんに声をかけ、カフェに向かった。
私たちは、バスに乗り込んだ。相変わらず、乗客はほとんど乗っていない。
「結衣、今日は、陽菜にボタンを押させてね」
「うん。陽菜が、好きなだけ押していいよ」
「そんなに、何回も押さないわよ」
と、陽菜は笑った。
「結衣、今日は天気がよくて、よかったね」
「そうね」
今日は、この前、行ったときと比べると、天気もよく、この時期にしては暖かい日だった。
「今日は、テラス席にも行けそうじゃない? 楽しみだなぁ」
と、陽菜が言った。
「ねえ、陽菜。ちゃんと、今日の目的を覚えてる?」
と、私は心配になって聞いてみた。
「えっ?」
陽菜は、なんのこと? とでも、言いたそうな顔をしている。
「お姉ちゃんに、カフェのことを聞きに行くんでしょ? 陽菜が、言い出したんじゃない」
「ああ、もちろん覚えてるわよ」
「本当に? デート気分なんじゃないの?」
「うーん――まあ、一割くらいは、そういう思いもあるかな」
と、陽菜は微笑んだ。
一割? 九割の、間違いなんじゃないのかしら?
「まあ、いいじゃないの。それはそれで。結衣も、結城君とデートだと思って、楽しくいこうよ」
それは、つまり、陽菜は、五十嵐君とデートだと思っているということである。分かっていたことではあるけれど、私は胸が痛むような気がした。
やっぱり、私も五十嵐君に、恋しているのだろうか?
「結衣、どうかした?」
「――ううん。なんでもないよ」
「――結衣、まさか……」
陽菜が真剣な目で、私を見つめている。
「本当は、結衣も五十嵐君のことを狙ってるんじゃないの?」
「…………」
私は、陽菜のその言葉に、顔がひきつり何も言えなかった。
「なーんてね。冗談よ冗談」
と、陽菜は笑った。
「結衣、なんて顔をしているのよ。冗談に決まっているでしょう。結衣が、五十嵐君のことがタイプじゃないのは、ちゃんと分かってるから。結衣まで五十嵐君のことを好きだったら、陽菜は勝てないよ」
「う、うん――そうだね……」
「そうだねって――結衣は自分の方が、もてると思っているのね」
「そんなこと……」
「まあ、結衣は、かわいいからね。それはそれとして、今日は楽しみだなぁ――心配しなくても、ちゃんとカフェのことも聞くからね」
「――うん」
私は、もう、陽菜の声はほとんど耳に入っていなかった。
「あっ! 降りなきゃ」
私は、あわててバスの降車ボタンを押した。
「結衣……」
「えっ? どうかしたの?」
陽菜が、悲しそうな顔をしている。さっきまで、あんなに楽しそうな顔をしていたのに。
「結衣……。どうして、押すのよ」
「あっ」
しまった! また、私がボタンを押してしまった。
「陽菜、ごめんなさい。忘れてた」
「もうっ! 好きなだけ押していいよって言ってたくせに。結衣、何か、おかしいよ。熱でも、あるんじゃないの?」
「そんなことないよ。ちょっと、考え事をしていたから……、ごめんなさい。帰りは絶対に、陽菜が押していいから。また私が押そうとしたら、叩いてもいいから!」
と、私は、自分でも何を言っているのか、よく分かっていなかった。
「えっ? ちょっ、ちょっと結衣。運転手さんに、変に思われるじゃない。陽菜も、そこまでして押さないわよ――あっ、着いたわよ。降りよう」
私は、陽菜に手を引かれながら運賃を払い、バスから降りた。
「結衣、本当に、今日はおかしいよ――もしかして、陽菜が、お姉さんに話しちゃったことを怒ってるの?」
「ううん。そんなことないよ。本当に、なんでもないから。ちょっと、疲れてるのかも」
「そう? それならいいけど――」
陽菜は、あんまり納得していないみたいだった。
「もう、行こうよ」
と、私は、陽菜を促した。
「ねえ、結衣。このまま、ここで五十嵐君たちを待たない?」
「ここで? どうして?」
「この前は、早く並ばないといけなかったけど、今は、そんなに混んでないでしょう?」
「確かに、もうオープンした頃ほど混んでいないって、お姉ちゃんも言ってたけど」
「それじゃあ、待って一緒に行こうよ。その方が楽しいでしょ」
陽菜は、もはや完全にデート気分のようだ――っていうか、デートだとしか思っていないだろう。
今日一日、いったいどうなるんだろうか? 私は、不安な気持ちでいっぱいだった。
「分かったわよ。陽菜が、そこまで言うんだったら――」
それに、こうやって、ああだこうだ言っているうちに、もうすぐ五十嵐君と結城君の乗っているバスが来る時間だ。
「ちょっと、五十嵐君にメールをしてみようかな」
と、陽菜は、嬉しそうに携帯電話を取り出した。
「陽菜、もうすぐバスが着くんだから、わざわざメールなんかしなくてもいいじゃないの」
「結衣も、結城君にメールしてみれば?」
「私は、いいわよ」
私は、陽菜の背後から、こっそりと携帯電話の画面を覗き込もうとしたけれど、なんて書いてあるのか分からなかった。
「――送信っと」
「なんて送ったの?」
「えっとねぇ……、ヒ・ミ・ツ」
と、陽菜は満面の笑みを見せた。本当に、陽菜は楽しそうだな。
私も、話してしまえば、楽になれるのだろうか?
しかし、このことを陽菜に話すわけにはいかない――いかないんだ。
「あっ! あれかな? バスが来たよ」
陽菜の指差す方から、一台のバスがやって来た。
「五十嵐君、おはようっ」
と、五十嵐君がバスから降りてくるなり、陽菜は笑顔で声をかけた。
「おはよう。なんだよ如月、こんなところで待っていたのかよ」
五十嵐君は、今日はリュックを持っていなかった。
「うん。結衣と、ここで待っていようって話していたの」
「ふーん。そうか。一之瀬、おはよう」
「あっ、うん。おはよう――あれっ? 結城君は、どうしたの?」
バスから降りてきたのは、五十嵐君を含めて三人だけだったけれど、そこに結城君の姿はなかった。
「あれっ? 結城君、居眠りでもして、降りるの忘れてるんじゃないの?」
と、陽菜が言った。いくらなんでも、そんなことはないだろう。もしも結城君が眠っていて、起こさなかったとしたら、五十嵐君の人間性を疑ってしまう。
「ああ、出かける前に大翔から連絡があってな。ちょっと用事ができたから、先に行っててくれってさ」
「なあに、用事って?」
と、陽菜が聞いた。
「なんか、飼ってる犬の体調が悪いんだってさ」
「へぇー。結城君も、犬を飼ってるんだね。陽菜、知らなかったよ」
「だから、後から来れたら来るってさ」
「それじゃあ、仕方がないね。結衣、三人で行こうよ」
「うん。そうね」
私たちは、三人でカフェに向かって歩き出した。
「なんだよ、如月。あんまり、くっつくなよ。もっと離れて歩けよ」
「えー、いいじゃない」
「お前は、俺の彼女か何かか? それから、意味もなくメールを送ってくるなって言っただろう?」
「そうだっけ? でも、ちゃんと読んでくれてるんだ。嬉しいな」
私は、楽しそうに歩く陽菜と五十嵐君を、複雑な気持ちで見つめていた。
「おい、一之瀬。逆にお前は、どうしてそんなに離れて歩いているんだ?」
と、五十嵐君が、私の方を振り返って言った。
「えっ? あっ、別に、どうしてって言われても……」
確かに言われてみれば、私は二人から、10メートルも20メートルも離れて歩いていた(さすがに、そこまでは離れていないけれど、気持ち的には、それくらい離れているような気持ちだ)。
「五十嵐君。結衣は、結城君が来てないから寂しいのよ」
と、陽菜がよけいなことを言い出した。
「なんだ、一之瀬。この前にカフェに来たときにも思っていたんだけど。お前――大翔に、気があるのか?」
と、五十嵐君が聞いた。
「えっ? ううん。そんなことないよ――嫌だなぁ。二人とも、変なこと言わないでよ」
「そうか――俺の勘違いか」
そうだよ。勘違いだよ……。
「結城君が、手伝ってやるって言いながら来てないから、どうしようって心配になったのよ」
「ふーん――そうか」
五十嵐君は、私の説明に納得したみたいだった。我ながら、うまくごまかせたみたいだ。
「結衣、大丈夫だって。結城君がいなくても、陽菜と五十嵐君が付いているんだから、全然心配いらないわよ――ねえ、五十嵐君?」
「うん? ああ、そうだな」
と、陽菜と五十嵐君は、顔を見合わせて笑った。
「…………」
正直、陽菜と五十嵐君が、結城君よりも頼りになるとは思えないんだけど……。
まあ、でも、そうね。今日は、あんまりよけいなことは考えないようにして、本来の目的に集中をしよう。しかし、楽しそうにしている二人を見ていると、何か複雑な気持ちだ。
――それにしても、今日の五十嵐君は、いつもと違うような雰囲気がする。陽菜が積極的なところは、いつもとそんなに変わらないけれど(もしかしたら、いつも以上かもしれない)。
五十嵐君も、言葉ではくっつくなよって言っているけれど、そんなに嫌そうにはしていないように見える。
私の、思い込みかもしれないけれど……。もしかしたら――五十嵐君も、陽菜のことが? ……。そんなことを考えながら歩いていると、カフェに到着した。
さすがに、もうお店の外まで行列ができているということはなく、まったく並ぶこともなく、すんなりと入ることができた。
「いらっしゃいませ――あら? 一之瀬さんの妹さんでしたね?」
と、話しかけてきたのは、広瀬さんだった。
「広瀬さん、こんにちは。また、来ちゃいました」
と、私は言った。
「今日は、三名様ですか?」
「はい。後から、もう一人遅れて来るかもしれないんですけど」
「分かりました。それでは、どこでもお好きなお席へどうぞ」
今日は、だいたいの席が空いているみたいだ。
「結衣、今日こそは、テラス席に行こうよ――ねえ、五十嵐君もいいよね?」
と、陽菜が言った。
「俺は、別に、どこでもいいぜ」
「それじゃあ、テラス席で、お願いします」
「それでは、ご案内いたします」
私たちは、広瀬さんに案内されて、テラス席に向かった。テラス席には、私たちの他に、女子高生らしき二人組と、恋人同士らしい男女のカップルが一組いた。
女子高生が、一瞬、藤本さんたちかと思って焦ったけれど、違う人だった。
さて、誰がどこに座るかだけれど――
今日も、五十嵐君が最初に座って、陽菜がごく自然に五十嵐君の隣に座った。
「結衣、何をボーッとしているのよ。早く座ったら?」
「あ、うん……」
私は、陽菜に促されて、五十嵐君の前に座った。五十嵐君の前に座りたかったというよりも、なんとなく、陽菜の前に座りたくなかったのだ。
「今日は、一之瀬さんは、皆さんが来られることは、ご存じなんですか?」
と、広瀬さんが聞いた。
「言ってないから、知らないと思います」
「それじゃあ、お呼びしましょうか?」
「いえ、別に――」
と、私が断ろうとすると、
「ちょっと、結衣。お姉さんを呼んでもらわないと、意味がないでしょう? 本来の目的を忘れたの?」
と、陽菜が言った。
「結衣、デート気分で、浮かれているんじゃないの?」
まさか、陽菜にそんなことを言われるとは――
「分かってるわよ――広瀬さん、それじゃあ、お願いします」
お姉ちゃんが、よけいなことを言わないかという不安もあったけれど、お姉ちゃんに限って、そんなことは心配しなくても大丈夫だろう。
「分かりました。すぐに、お呼びいたします」
と、広瀬さんは行ってしまった。
広瀬さんが行ってしまってすぐに、お姉ちゃんがやってきた。
「みんな、こんにちは。よく来てくれたわね」
「お姉さん、こんにちは」
「どうも」
と、陽菜と五十嵐君が、あいさつをした。
「結衣、昨日、そんなこと一言も言ってなかったじゃないの。言ってくれたら、よかったのに」
と、お姉ちゃんが、私に文句を言った。
「ごめんなさい。陽菜が、内緒にしておいて、お姉ちゃんをびっくりさせようって言うから――」
「そう? でも、私をびっくりさせても、何もないわよ」
と、お姉ちゃんが冷静に言った。それは、そうだ。だから、私も言ったのに。
「あら? 今日は、陽菜ちゃんと五十嵐君だけなの? 結城君は、一緒じゃないのね」
と、お姉ちゃんは、結城君がいないことに、今、気づいたみたいだ。
「結城君は、飼っている犬の体調がよくないそうです」
と、陽菜が言った。
「あら? 結城君、犬を飼っているのね」
「ええ。小学生の頃から、飼っていますよ」
と、五十嵐君が言った。
「――小学生の頃から? ちなみに、何年生の頃からなの?」
と、お姉ちゃんは、五十嵐君に聞いた。どうして、そんなにしつこく聞くんだろう?
「…………。えっと、いつ頃だったかなぁ――すみません。いつの間にかいたんで、はっきりとは覚えていないですね」
「――そう。なら、いいわ。それじゃあ今日は、結城君は来ないのね?」
「来れたら来るとは、言っていましたけどね」
「結城君が来てくれないと、結衣が寂しがっちゃって大変なんですよ」
と、陽菜が言った。
「あら? そうなの?」
「そうなんですよぉ」
「もしかして結衣は、結城君のことが好きなのかな?」
と、お姉ちゃんが言い出した。
「陽菜も、そう思っているんですけど、結衣は違うって言い張るんです」
「それは、逆に怪しいわね。本当は、好きなんじゃないの?」
と、お姉ちゃんは、違うって分かっているのに、言い出した。
「ですよねぇ」
と、陽菜がうなずいた。
「ちょっ、ちょっと、お姉ちゃん、やめてよ。そんなんじゃないから」
お姉ちゃんったら、五十嵐君もいるのに、どうしてそんなことを言うのよ――
五十嵐君の方をチラッと見ると、五十嵐君と目が合ってしまった。私は、あわてて目をそらした。
「ごめんごめん」
と、お姉ちゃんは笑った。
急に目をそらしたりして、五十嵐君、変に思ったかしら?
私は、もう一度、五十嵐君の方をチラッと見た。また、五十嵐君と目が合ってしまった。私は、また、あわてて目をそらした。私は、何をやっているんだろう……。
「ちょっと、結衣。何を顔を真っ赤にしてるのよ? やっぱり、結城君に、気があるんじゃないの?」
と、陽菜が言った。
「――そんなんじゃ……」
本当は、五十嵐君と目が合ったからだなんて、陽菜や五十嵐君の前で言えるわけがない。
「如月、そんな話は、どうでもいいだろう? 早く、本題に入れよ」
と、五十嵐君が割って入った。五十嵐君の方を、また見ると、私に微笑みかけているように見えた。いったい、五十嵐君は、どういうつもりなんだろうか?
「そうだった。忘れていたわ」
と、陽菜が笑った。やっぱり、忘れていたんだ……。
「なあに? みんな、お茶を飲みに来てくれたんじゃないの?」
と、お姉ちゃんが陽菜に聞いた。
「はい。実は、陽菜たち。今度の学園祭で、クラスでカフェをやることになったんです」
「そうなの? それで?」
「だけど、陽菜たちは、やっぱり全員素人なので、何をどうしたらいいのか分からなくて。それで、結衣のお姉さんに、いろいろと話を聞いてみようということになったんです」
「私に? いきなりそんなことを言われても――仕事中だし、困ったなぁ……」
お姉ちゃんは、陽菜の急な申し出に困っているみたいだ。だから、私は反対だったのに。もっと、強く反対しておくべきだった。
「そこを、なんとかお願いします」
と、陽菜も粘る。
「うーん――仕方がないわね。せっかく、私を頼ってくれたんだからね。それに、結衣のお友達からの頼みだしね。分かったわ」
「お姉さん、ありがとうございます」
「お姉ちゃん、お仕事中でしょ? 大丈夫なの? 怒られない?」
私は、心配になって聞いてみた。
「大丈夫よ。今日は、店長お休みだから。実質、今日一番偉いのは、お姉ちゃんよ」
と、お姉ちゃんは冗談っぽく笑った。
「みんな、ちょっと待ってね――広瀬さん!」
と、お姉ちゃんは、ちょうど他のお客さんのカップを片付けに来ていた広瀬さんに、声をかけた。
「はい。なんでしょうか?」
と、広瀬さんがやって来た。
「広瀬さん、今日の休憩時間は、11時からだったわね?」
「はい。そうですけど」
「私、12時からなんだけど、私と休憩時間代わってくれない?」
「休憩時間ですか? はい、別にかまいませんけど」
「それじゃあ、よろしく。私は、この子たちと、大切な話があるから」
大切な話って、そんな大げさな。
「広瀬さん、すみません」
と、私は謝った。
「気にしないでください。私も、お昼は11時に食べるよりも、12時に食べる方が好きですから」
と、広瀬さんが言った。
時計を見ると、10時52分だ。もうすぐ11時だ。
しかし、どうでもいいことかもしれないけれど、学校の先輩である広瀬さんから、丁寧な言葉で返されるのは不思議な気分だ。まあ、私たちが、カフェのお客であるからだけど。
「それじゃあ11時まで、ちょっと待っててね。みんな、一応、何か注文をしてくれる? ここは、一応カフェだから」
私たちは、ケーキと飲み物を注文すると、11時まで待つことにした。
「みんな、お待たせ」
11時を5分ほど過ぎた頃、お姉ちゃんがやって来た。
「あれ? お姉ちゃん、着替えてきたの?」
お姉ちゃんは、私服に着替えていた。
「一応、他のお客さんの目もあるからね。さぼってるって思われると、困るしね」
ふーん、そんなものなのか。
五十嵐君が、『お姉さん、私服姿も、お綺麗ですね』とか、言い出すんじゃないかと思ったけれど、五十嵐君は、何も言わなかった。
「なるほど。休憩をするときは、私服と――」
陽菜が、ぶつぶつ言いながら、ノートに書いている。
「ちょっと、陽菜ちゃん。そんなことは、メモしなくてもいいから。学園祭なんだから、セーラー服のままでいいわよ」
「陽菜、メイド服を着たいなぁ」
「まあ……、それは、ご自由に」
陽菜ったら、真面目に聞くつもりがあるのかしら?
「あれ? お姉さん、弁当ですか?」
と、五十嵐君が言った。
「ああ、これ? 休憩時間のうちに食べないといけないから。みんなには悪いけど、食べながら話させてもらうわ」
お姉ちゃんは、お弁当箱を開けた。ここでお弁当を食べている方が、他のお客さんの目に付くような気がするけど……。
まあ、いいか。あっ、玉子焼きがある――っていうことは――
私は、チラッと陽菜の方を見た。
「――お姉さん」
「陽菜ちゃん、どうかしたの?」
「その玉子焼き――美味しそうですね」
あぁ、やっぱり――
「これ? ――よかったら、一つ食べる?」
「えっ? いいんですかぁ? なんだか、催促したみたいで悪いですね」
と、陽菜は言った。よく言うわよ。物欲しそうな目をしておいて。だんだん、私が恥ずかしくなってきた。
「それじゃあ、いただきます」
と、陽菜は、箸がないので、ケーキのフォークで玉子焼きを刺すと、一口食べた。
「うーん――? あれ?」
「陽菜どうしたの?」
陽菜の様子が、何か変だ。何か、変なものでも入っていたのだろうか?
「この玉子焼き――甘くない」
「ああ、それはね。私が作ったんじゃなくて、お母さんが作ったやつだから」
そういえば、私も朝食で食べたっけ。
「五十嵐君も食べる?」
「いや、俺は、いいですよ。甘いケーキには、合わないでしょう?」
確かに。
まあ、甘い玉子焼きでも、ケーキに合うかと聞かれれば、甚だ疑問ではあるけれど――
「陽菜、玉子焼きのことは、どうでもいいから、お姉ちゃんに聞きたいことを聞いちゃってよ。時間がなくなるわよ」
「分かってるわよ」
本当かしら?
「それじゃあ――お姉さん。カフェをやるには、どうしたらいいんですか?」
陽菜は、しばらく考え込んだ末に、そう聞いた。
「どうしたらいいか? うーん……。そうねぇ――」
陽菜の、あまりにも漠然とした質問に、お姉ちゃんも答えに困っているみたいだ。
「とりあえず、メニューを決めて、それから値段を決めてみたら?」
と、お姉ちゃんの答えも、なんとなく適当になってきた――ような気がする。
「なるほど」
と、陽菜は、メモを取っている。
「…………」
しばらく、沈黙が続いた。
「ちょっと、陽菜。他には、何か聞きたいことはないの?」
と、私はたまらず口を挟んだ。
「うーんとね――陽菜も、何を聞いたらいいのか、自分でもよく分からないんだよね」
何よ、それ。
「陽菜、昨日のうちに、聞きたいことをまとめていなかったの?」
「うん」
うんって……。そんな、どこで買ってきたの? というような分厚いノートを広げておいて、何も考えていないとは――
まあ、陽菜らしいといえば陽菜らしいけど。やっぱり、デートのつもりだったんだな。
「陽菜にばっかり言わせないで、結衣も何か聞いてよ」
「えっ? 私が聞くの?」
「せっかくの機会なんだから」
いや、私は家でいくらでも、お姉ちゃんに会えるんだけど。
そこへ、
「お姉さんは、お客さんと接するときに、何を一番大事にしているんですか?」
と、五十嵐君が質問をした。私は、あの五十嵐君から(あのなんて言ったら、失礼か)、真面目な質問が飛び出したので、びっくりしてしまった。
「そうねぇ――私も特別に、誰かに教わったわけじゃなくて、自己流だから正しいかは分からないんだけど。私は、お客さんが楽しんで帰ってもらえるように、気をつけているつもりではいるけどね」
「具体的には?」
「まずはね――」
私は、五十嵐君が質問をして、それをメモする陽菜を、ずっと見ていた。五十嵐君は、本当は真面目な人かもしれない。
私は、そんな五十嵐君に、ますます惹かれていくような気がした。
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