第8話
「ねえねえ、結衣」
「何、お姉ちゃん。どうしたの?」
「あなたは、五十嵐君と結城君と、どっちが本命なの?」
と、お姉ちゃんはニヤニヤしながら、私に聞いた。時刻は、夜の10時30分。ついさっき、仕事から帰ってきたお姉ちゃんが、私の部屋にきていた。
「べ、別に、どっちが本命とか、そんなんじゃないから」
「あら、それじゃあ、もしかして二人とも狙ってるの? 結衣も意外と、欲張りなのねぇ」
「――そんなんじゃ、ないから」
「ふーん――陽菜ちゃんは、五十嵐君のことが好きなんだよね? 見てたら、すぐに分かったわ」
まあ、私ですら分かったんだから、お姉ちゃんにも分かるのは当然だろう。
「そう――みたいだね……」
「結衣、長い人生、いろいろあるわよ」
「えっ? なによ、突然」
「親友と同じ人を好きになることだって、普通にあるわよ」
普通に? 私の周りでは、あんまり聞いたことがないけど。
「だから、そんなことないってば」
「あら、そうなの? じゃあ、やっぱり、結城君の方か」
と、お姉ちゃんは、一人で納得している。
「なんで、そうなるのよ?」
「結衣、お店で、結城君と、こそこそ話してたりしたでしょう?」
お姉ちゃん、見てたんだ。
「だから、結城君が本命なのかな? って思っていたけど。今、話した感じだと、もしかしたら五十嵐君? かとも思ったんだけど。そうじゃないなら、やっぱり結城君かなって。でも、結衣が男の子を連れてくるなんてねぇ。結衣も、もうそんな年頃なのね」
「――だから、そんなんじゃないから……」
「そう、分かったわ」
「私、もう寝るから」
「もう寝るの? 今日は早いわね。おやすみ」
「おやすみなさい」
お姉ちゃんは、部屋を出ていこうとして足を止めた。
「結衣。お姉ちゃんでよかったら、いつでも相談にのるからね」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
「さて、私も、お風呂に入って寝なきゃね。疲れたわ。明日は平日だから、多少は忙しくないといいけど」
お姉ちゃんは、部屋から出ていった。本当に、お姉ちゃんも麗華も優しい。私は、二人の気持ちが、とても嬉しかった。
さて、まだ早いけれど、本当にもう寝てしまおうかと思ったとき、携帯電話が鳴った。こんな時間に、いったい誰だろう? 陽菜からだ。私は、急いで電話に出た。
「もしもし、陽菜?」
「もしもし、結衣? 夜遅くにごめんね。まだ起きてた?」
「うん。寝ようかどうしようか、迷ってたところ」
「そう――陽菜は、今、病院から、おじいちゃんの家に帰ってきたところ」
陽菜は、とても疲れたような声をしている。
「陽菜、おじいちゃんの具合は、どうなの?」
「…………」
陽菜は、黙り込んでしまった。聞かない方が、よかったかしら?
「陽菜――」
「あっ、ごめん。おじいちゃんは、意識がなくてね……。なんとか、明日の朝まではもちそうだから、陽菜は家で休めって言われてね。本当は、陽菜も病院にいたかったんだけど、親戚のおばさんと帰ってきたところなの」
「そうなんだ……」
気安く、『元気を出してね』などと言っていいものかどうか――
私は、それ以上、なんと言ったらいいのか分からなかった。
「そうだ、結衣。あのあと、陽菜が帰ってから、どうしたの?」
と、陽菜は、明るく言った。きっと、無理に明るく振る舞っているのだろう。
陽菜が、そういうふうに振る舞うのであれば、私もそうしよう。
「陽菜が帰ったあとは、ケーキを食べたわよ」
「それくらい、陽菜にも想像がつくわよ。そのあと、どうしたのか聞いているのよ」
「そのまま、バスで帰ったわよ」
「えっ!? それだけで帰ったの?」
と、陽菜は驚いている。私、何かおかしなことでも言ったのかしら?
「うん。途中で、雨が降ってきて大変だったわよ。傘が、五十嵐君の持っていた一本しかなくてね。やっぱり、私も持っていけばよかったわ」
「雨なら、こっちも降ったわよ――っていうか、そうじゃなくてね。どこか他のところに、遊びに行かなかったの?」
「うん。行かなかったけど――どうして?」
「どうしてって――結衣、結城君と遊びに行く、絶好のチャンスだったじゃない」
「ああ……そういうこと――」
「結衣、結城君と楽しそうに話してたじゃない。普通に、男の子と話せるんだって、陽菜びっくりしたもの」
「まあ、確かに話しては、いたけど――」
しかし、楽しそうに話していたわけではなくて、成り行き上、相談しなければいけなくなっただけだ。
「もしかして、あのことも聞かなかったの?」
「――うん」
「どうして、聞かないのよ? あっ、もしかして、五十嵐君がじゃまだった? ごめんね」
なぜ、そこで陽菜が謝るのだろうか?
「ねえ、陽菜。その話は、もういいの」
と、私は、陽菜を遮った。
「もういいって、どういう意味?」
「えっとね――」
どうしよう?
「もしかして、相手の顔でも思い出したの?」
「そ、そうなの!」
私は、これ幸いと、陽菜の話に乗っかった。
「突然、ふっと思い出したの。あっ、こんな顔じゃなかったって。五十嵐君には、似ても似つかないって!」
「ふーん――ん? 結衣、今、五十嵐君って言わなかった?」
「えっ?」
しまった! ついつい、五十嵐君って言ってしまった。
「あっ、あっ、あの――言い間違いよ! 言い間違い。 結城君って言おうと思って、言い間違っただけだから――」
私は、不自然なくらいあわてて弁解した。
「結衣、何をそんなにあわてているの?」
「なんでもないよ。気にしないで」
まさか、結城君ではなくて、五十嵐君が、あの男の子だったかもしれないなんて、口が裂けても言えない。
「ふーん? なんか、怪しいわね」
「何も怪しいことなんて、ないわよ。陽菜に対して、やましいことなんて、一つもないから」
言えば言うほど、怪しくなっているような気もするけど。
「そう? まあ、いいや。それよりも、結城君と、電話番号やメールアドレスの交換くらいはしたの?」
「してないけど」
「そうなの? それくらいのこと、すればよかったのに。陽菜も、五十嵐君たちと、したかったんだけどね――あっ、ごめん、結衣。おばさんが呼んでるから、もう切るね――そうだ! 陽菜、明日から、何日か休むことになると思うから」
「うん。分かった」
「それじゃあ、結衣、おやすみ」
「うん。おやすみ」
私は電話を切ると、そのまま眠りについた。
翌日――
「いってきます」
「いってらっしゃい」
昨日の夜まで降り続いていた雨も上がり、今日はとてもいい天気だ。
「あっ! 傘」
いけない、忘れるところだった。私は、五十嵐君から借りた傘をカバンに入れると、学校へ向かった。
学校に到着して下駄箱を確認したけど、五十嵐君は、まだ登校していないみたいだ。まあ、そんなの、いつものことか。五十嵐君が、私よりも先に来ていることなんて、めったにない――というか、一回もないんじゃないだろうか。下駄箱に、傘を入れておこうかなとも思ったけれど、やっぱり直接、手渡しで、お礼を言うべきだろう。
ちなみに、結城君の下駄箱も、なんとなく見てみたけれど、結城君はいつものように、もう来ているみたいだ。
「おはよう」
「おはよう」
私は、クラスメイトと、あいさつを交わしながら教室に入った。結城君は、いつものように、もう席に着いている。
「結城君、おはよう」
「ああ、一之瀬さん、おはよう。昨日は、楽しかったね」
と、結城君は、笑顔で言った。
「うん。そうだね」
「あっ、でも、楽しかったなんて言ったら、如月に悪いか。あのあと、如月から連絡はあった?」
「うん。昨日の夜に、電話があったよ」
「そうか、なんだって?」
私は、どこまで話してもいいものかと考えたが、結城君も一緒にいて知ってるんだから、まあいいか。
「今日の朝までは、なんとかもちそうって言ってたけど……」
「朝までか――」
と、結城君は言って、時計を見た。もう、8時30分になる。陽菜は、どうしているだろうか? 今朝は、何も連絡はなかった。
「そうだ、結城君は、体調はもういいの?」
「俺? 俺は見ての通り、大丈夫だよ」
確かに、結城君は、見るからに元気そうだ。
「私が傘を借りちゃったから、結城君も五十嵐君も、びしょ濡れになったんじゃないの?」
「ああ、まあ、多少はね。でも、気にしないで。バカは風邪をひかないって、言うでしょう?」
と、結城君は笑った。私も、つられて笑った。でも、結城君は、バカじゃないじゃない。
「――えっ?」
そのとき、私は誰かの視線を感じたような気がして、振り向いた。
「一之瀬さん、どうかしたの?」
結城君も、私の後ろを見ている。
「…………」
「一之瀬さん? 後ろに、何かあった?」
「えっ? あっ、ごめんなさい――なんでもないの」
「そう? なら、いいけど」
そのとき、朝礼の開始を告げるチャイムが鳴った。私は、急いで自分の席に着いた。
私は席に着くと、もう一度、視線を感じた方向を振り返った。さっきの視線は、廊下の方からだったような気がしたけど――
気のせいだったのかな?
ううん。確かに、誰かの視線を感じた。振り向いた瞬間に、視界の端に、チラッと、制服のスカートが見えたような気がする。ということは、女子生徒の誰かということになるけれど――
すぐに、見えなくなってしまったけど。誰だったんだろう? このクラスの生徒では、なさそうだけれど。
あれっ? そういえば、五十嵐君、まだ来ていないわね。私の隣の席に、五十嵐君の姿はなかった。遅刻かしら? 私は、結城君に聞いてみた。
「結城君、五十嵐君は、今日は遅刻かしら?」
「さあ? 分からないなぁ。いつもなら、ギリギリには来てるんだけどね」
確かに、ああ見えても五十嵐君は、なんだかんだで、朝礼の時間には間に合っている。
どうしたんだろう?
「そういえば、新垣先生も遅いね」
と、結城君が、廊下の方を見ながら言った。そういえば、もう朝礼の時間を3分ほど過ぎている。新垣先生まで、遅刻かしら? と、思っていると、
「みんな、遅くなってごめんなさい」
と、新垣先生がやってきた。
「先生、遅いよ。寝坊でもしたの?」
と、渡部君が言った。
「渡部君じゃあるまいし、寝坊なんかしないわよ」
このやり取りに、クラスのみんなが笑った。
「立て続けに、欠席の電話が二本あったのよ」
欠席が二人? 一人は、陽菜として。
もう一人は――五十嵐君か。
「みんな。今日は、如月さんと五十嵐君は、お休みだから。如月さんは、おじいさんが亡くなられたそうで、何日かお休みするそうです。それから、五十嵐君は、風邪をひいてお休みするそうです」
やっぱり五十嵐君、風邪をひいたんだ――
私のせいだ……。私が、傘を借りちゃったからだ……。
「結城君、五十嵐君が風邪をひいたのは、きっと私のせいだよね……」
お昼休憩の終了前に、私は結城君に話しかけた。
「そんなことないよ。気にしないでいいって」
「でも……」
「大和のことだから、学校を休めてラッキーくらいに思ってるって」
と、結城君は笑った。
いくら五十嵐君でも、そんなことまでは――いや、五十嵐君ならあり得るかもしれない。だけど、私のせいで、五十嵐君が風邪をひいたことは事実だ。
「でも、どうして、体調の悪かった結城君じゃなくて、元気だった五十嵐君が風邪をひいたの?」
「さあ? そんなこと俺に聞かれても、分からないよ」
それもそうか。
「ねえ、結城君。五十嵐君の家に、お見舞いに行った方がいいかな?」
「そんなに、気にしなくてもいいって」
「うん……。そうだ、傘を持ってきたんだけど――」
私は、カバンの中から、五十嵐君に借りていた、白い折り畳み傘を取り出した。
「あっ、持ってきてくれたんだ。いつでも、よかったのに」
と、結城君は傘を手に取って、自分のカバンにしまった。
「あっ、それ、五十嵐君に――」
「大丈夫大丈夫。お見舞いに行って、一之瀬さんに風邪がうつったら大変だしね。それに、突然、一之瀬さんみたいな、かわいい女の子がお見舞いに来たら、大和の家族がびっくりするよ」
いや、そうじゃなくて、五十嵐君に直接、傘を返すって言おうと思ったんだけど――まあ、いいか。結城君が、渡しておいてくれるだろう。
うん? それよりも、さっき結城君、かわいい女の子って言わなかった? 私は、なんだか、顔が赤くなってきた。
そのときだった。私は、また廊下の方から、視線を感じたような気がした。教室のドアは、開けたままになっているのだけど、隣のクラスの生徒たちが歩いている。確か隣のクラスは、五時間目が美術だったはずだから、美術室に向かっているのだろうけど――
やっぱり、気のせい――だよね?
「一之瀬さん? さっきから、どうかしたの?」
「えっ? ううん。なんでもないの。ただ、誰かに見られていたような気がして――」
「見られて?」
「うん」
「隣のクラスの誰かが、たまたま見ていただけじゃないの?」
「うん……。そうだね」
しかし、たまたま見ていたというような感じでは、なかった気がする。何か、強い憎しみというか――
そんなわけないか。アニメやドラマの見すぎか。
「もしも――たまたまじゃあ、ないとしたら……」
「えっ?」
結城君、どうしたの? 怖い顔をして。
「幽霊――かもね」
と、結城君は、廊下の方を見つめながら言った。えっ? 今、なんて言ったの?
「幽……霊?」
確かに、そう聞こえたような気がしたけど。
「あれっ? 一之瀬さん、知らなかったの? 如月に、聞かなかった?」
「陽菜に?」
な、何を?
「この学校に伝わる、七不思議を――ね」
と、結城君は真顔で話し始めた。
「七不思議……」
「ああ、確か、今から30年くらい前だったかな? 一人の男子生徒が、酷い失恋をしてね。この教室で、首を吊って自殺をしたんだ――それ以来、かわいい女子生徒がいると、廊下から、ジーっと見つめているんだ」
と、結城君は静かに語った。
「30年前……」
と、私はつぶやいた。
「うん。だから、その視線もきっと――」
「結城君――それって、嘘でしょう?」
「その男子生徒が――えっ? 嘘? なんで?」
「だって、この学校って、30年前は、まだなかったでしょう?」
まだ、創立10年くらいのはずだ。
「――ハハッ! ばれたか」
と、結城君は笑った。
「もうっ! 信じられない。私が、怖がるとでも思ったの?」
「うん。思った」
と、結城君はうなずいた。確かに、少し怖かったけど。
「まあ、気のせいだよ。それか、大和が休んだふりして、覗いてたりしてね」
五十嵐君が? どうして?
「ねえねえ、二人とも、仲がいいよね」
と、クラスメイトの女子が話しかけてきた。
「ねえねえ、もしかして。結城君と結衣ちゃんって、付き合ってるの?」
「――えっ!? えっ!? 違う! 違う! 付き合ってなんかないよっ!」
私は、全力で否定をした。クラスメイトは、私が大声で否定をしたので、びっくりしている。
「そこまで、嫌がらなくてもいいじゃん」
と、結城君は、少し寂しそうに言った。
「そうなんだぁ。結城君が、女の子と楽しそうに話してるところって、初めて見たから。だから、もしかしたら付き合ってるのかな? って思ってた」
「別に、今まで話してなかっただけで、普通にしゃべるよ。今度から、話しかけてよ」
「うーん――私は、いいや」
と、クラスメイトは、行ってしまった。
「ねえ、一之瀬さん。私はいいやって、どういう意味かな?」
「さあ?」
私は、結城君には興味がないっていうことじゃないの? とは、思ったけれど、それは黙っておいた。
その日の放課後――
「一之瀬さん、じゃあね。また明日」
「うん。結城君、さようなら」
結城君は、足早に帰っていった。
それじゃあ、私も帰ろうかしら。
私はカバンを持って、教室を出た。帰る前に、トイレに行ってから帰ろうと思って、トイレに向かった。そして、トイレから出て、廊下を曲がって、階段を下りようとしたそのとき、
「ちょっと、待ちなさいよ」
と、いきなり、誰かに後ろから、肩をつかまれた。
「えっ?」
私は、驚いて、振り返った。知らない女の子が、私を睨みつけている。とても美人だけれど、何か怖い感じがする。
「あ、あの……。なんですか?」
「あなたが、転校生の一之瀬結衣っていう子ね」
何か悪い予感がしたので、違いますと言って逃げようかと思ったけれど、フルネームで知っているみたいだし、逃げるのは無理だろう。
「は、はい。そうですけど――あなたは?」
いったい、誰だろう? 同じクラスの人でないことだけは確かだ。
「私は、あんたの隣のクラスの、
と、その女の子は名乗った。そういえば、見たことがあるような、ないような。
「な、何か私に、ご用ですか?」
と、恐る恐る聞いてみた。
「用があるから、呼び止めたに決まっているでしょう。用がなければ、あんたなんか呼び止めないわよ」
それは、その通りだろう。しかし、呼び止めているというよりは、強引に肩をつかんで、引き止めている感じだけれど。
「ちょっと、今から屋上まで付き合ってよ」
と、藤本さんは、階段の上の方を指差しながら笑顔で言った。
私は、その笑顔に、何か冷たいものを感じた。
「えっ? で、でも……」
「何? どうせ、暇でしょう?」
「でも――私、帰らないと……」
「帰るんだったら、暇っていうことでしょう?」
それは、そうだけど――
藤本さんは、私の腕をしっかりとつかんで、離してくれそうにない。
誰か、助けて! と、思ったけれど。トイレ側の階段には、他の生徒の姿は見えなかった。トイレになんか、行くんじゃなかった。
「ちょっと付き合ってくれたら、帰してあげるからさ」
「絵里香、まだいたの?」
と、そこへ、もう一人の女子生徒がやってきた。
「ああ、
「早くしてよ。このあと、用事があるんだからさ」
「うん、わかった。すぐに行く」
藤本さんは、私の腕を離した。
た、助かったぁ。一時は、どうなることかと思ったわ。
「そ、それじゃあ、私はこれで――」
と、私は、その場を立ち去ろうとした。
「ちょっと、待ちなさいよ。まだ、話は終わってないわよ」
と、藤本さんは、再び私の腕をつかんだ。
「えっ?」
「玲奈も、ちょっと付き合って」
私は、二人に前後を挟まれる形で、屋上へと連れていかれた。
「さっさと歩きなよ」
と、藤本さんは、私を睨みつけた。
「は、はい……」
私は、初めて屋上へやってきた。他に、人気はなく、静かなものだ。時折、部活動中の生徒のかけ声や、野球部の打球音などが聞こえてくる。
「どうして、ここに連れてこられたか、当然分かっているよな?」
と、藤本さんは、笑顔で私に聞いた。
「…………」
当然って言われても――そんなこと、分かるわけがない。っていうか、この人たちはいったい?
私は、チラッと後ろを振り返ってみたが、ドアの前には、もう一人の玲奈という女の子が、腕を組んで立っている。
「分からないなら、教えてやるよ」
それはご丁寧にどうも――とは、もちろん言わなかった。
「私はね。小学校の頃から、大翔君と、ずっと同じ学校なんだよ。あんた、大翔君のなんなのさ?」
「えっ?」
なんなのさって言われても、正直、困るんだけど――
「耳が悪いのか? あんたと大翔君の関係を聞いているんだよ!」
藤本さんは、私の耳元で叫んだ。
「きゃっ!」
私は、思わず叫び声をあげてしまった。
「絵里香、ケガはさせないでよ。後々、面倒なことになるから」
「玲奈、分かってるって」
怖い……。この学校に、こんな人たちがいたんだ。
「早く、答えなよ! 大翔君と、どういう関係なんだよ?」
そうか――
藤本さんは、結城君のことが好きなんだ。でも、どうして、こんなことを聞いてくるんだろう?
「ど、どんな関係って言われても……。ただの、クラスメイトです」
それ以上でも、それ以下でもない。
「嘘をつくんじゃないよ。あんたたちが、カフェでデートをしていたのを、玲奈が見ていたんだよ!」
「ああ、見たよ。二人が仲よさそうに、楽しく話していたのをね」
陽菜が、同じ学校の人がいたと言っていたのは、玲奈っていう人のことだったんだ。
「確かに、カフェには行きましたけど、二人きりで行ったわけじゃなくて、四人で行ったんです」
「確かに、四人でいたけど、ダブルデートだろう? もう一人の女は、大和君とイチャイチャしていたからな」
そんなところまで見ていたんだ。
「別に、デートっていうほどのものでは――」
あれをデートだと思っていたのは、たぶん陽菜だけだろう。
「それに、帰るときには、一本の傘でイチャイチャしていただろう?」
「そんな――別に、イチャイチャしていたわけじゃなくて。傘が一本しかなかったんで、仕方なくみんなで一緒に入っただけなんです」
「どうだか。私も、そこまでしか見ていないから分からないけど。どうせその後、二人でどこかに行ったんだろう?」
「違います! 私は、一人でバスで帰りました」
どうせ見ているなら、そこまで見ていてほしかった。
「そういえば、あんた、結城君の傘を自分のカバンから出したよな」
と、藤本さんが言った。
もしかして――
あのとき感じた視線は、この人だったのか?
「いえ、あれは、五十嵐君に借りた傘で――」
「嘘をつくんじゃないよ。あれは、大翔君の傘だろう!」
「違います! 本当に、五十嵐君に借りたんです」
「転校生の分際で、私の大翔君に、手を出してんじゃねえよ!!」
藤本さんは、私の制服のボタンの部分に手をかけた。藤本さんの怒りは、マックスのようだ。まさか、このまま引きちぎろうとでもいうのだろうか?
なんで、私が、こんな目にあわなきゃいけないのよ……。完全な誤解なのに――
誰か、助けてよ!
きっと、ドラマやマンガだったら、帰ったと思っていた結城君が颯爽とやってきて、
『その汚い手を離せ! 俺の彼女に、何をするんだ!』
って、助けにきてくれるんだろうけど(彼女ではないけど)。
しかし、現実の世界では、そんな都合のいいことは、もちろん起こるはずもなく。結城君は本当に帰ったみたいで、やってくることはなかった。
しかし、そのとき、意外なところから、救いの手が入った。
「ちょっと、絵里香、落ち着きなよ。ケガはさせちゃだめだって言ったでしょう。先生にばれたら、私までとばっちりだよ」
と、玲奈さんが、藤本さんを止めた。
「あ、ああ、そうね」
藤本さんは、手を離した。藤本さんは、玲奈さんの言うことは、素直に聞くみたいだ。
しかし、そもそも、私がこんな目にあっているのは、玲奈さんのせいじゃないのか? きっと、玲奈さんが、ちょっと大げさに言ったんだろう。こっちは、いい迷惑だ。
「とにかく、今度、大翔君に手を出したりしたら、許さないからね。覚えておきなさい。それから、今日のことは、大翔君にも先生にも、他の人たちにも言うんじゃないよ。もしも言ったらどうなるか、覚悟しておきなよ――玲奈、行こう」
「うん」
藤本さんと玲奈さんは、こっちを振り返ることなく、ドアを開けて階段を下りていった。
私は、その場に座り込むと、しばらく動くことができなかった。
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