第5話

「いってきます」

「お姉ちゃん、いってらっしゃい」

「ああ、結衣、おはよう。もう、起きてたんだ。それじゃあ、後でね」

 午前7時過ぎ、お姉ちゃんは、あわただしく出勤していった。

 今日は、日曜日。お姉ちゃんの勤めるカフェの、オープンの日だ。私も、日曜日に、こんなに早く起きるのは久しぶりだ。まだ、ちょっと眠たい。

「お母さん、お姉ちゃん、ずいぶん早く出るんだね」

「今日は初日だから、いろいろと準備があるみたいよ。結衣も早いわね、何時に出かけるの?」

「8時30分頃に陽菜が迎えに来る予定だから、バスで行ってくる」

「陽菜ちゃんと、二人で行くのね?」

「えっ? あ、ああ、そうよ――二人で、行ってくる」

「そう。気をつけてね」

 ちょっと、不自然だったかしら?

 結城君と五十嵐君のことは、お姉ちゃんにも、お母さんにも話していない。

 しかし、家から一緒に行くのは、陽菜と二人だけだから、嘘はついていない。結城君と五十嵐君は、私たちとは別のバスで来る。

 お姉ちゃんは、私と陽菜の二人だけで来るか、もしくは女の子四人で来ると思っているだろうな。結城君と五十嵐君を見たら、びっくりするかしら?

「結衣、朝ごはん食べちゃう?」

「うん。食べる」


 午前8時30分ちょうどに、玄関のチャイムが鳴った。陽菜が来たみたいだ。

「はーい」

 私は、玄関のドアを開けた。

「あっ、結衣、おはよう」

「陽菜、おはよう。それじゃあ、行こうか」

「うん」

「あら、陽菜ちゃん。お久しぶりね」

 そこへ、お母さんがやってきた。

「おばさん、おはようございます。ご無沙汰してます」

「結衣と変わらず仲良くしてくれて、ありがとうね」

 お母さんはそう言って、頭を下げた。

「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

 陽菜も同じく、頭を下げた。

「お母さん、陽菜の自転車、ここに置いて行くからね」

「分かったわ」

「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 私は陽菜と一緒に、バス停に向かった。

「今日は、ちょっと天気が悪いね」

 と、私は曇り空を見上げながら言った。

「天気予報では、お昼過ぎから下り坂って言ってたよ」

「傘を持ってくれば、よかったかなぁ」

 私は、傘を持ってこなかったことを、ちょっと後悔した。

「うーん――大丈夫でしょ。降ったら降ったよ」

 陽菜は、楽観的だ。


 私たちはバスに乗ると、整理券を取って、座席に腰を下ろした。バスは私たちの他には、五人くらいしか乗っていなかった。

 お父さんやお母さんが若い頃は、もっと乗客も多かったそうだけど、今はほとんどの人が自家用車を持っているため、わざわざバスを利用する人は少ないみたいだ。

 絶対に赤字だと思うんだけど、大丈夫なんだろうか? まあ、私が心配することじゃ、ないんだけれど。

「あっ、そうそう、陽菜、知ってる?」

 私は、あることを思い出した。

「何を?」

「東京のバスって、整理券がないんだよ」

「ふーん」

「前から乗ってね、先に運賃を払うの。どこまで乗っても、同じ運賃なのよ。すごくない?」

 これは、陽菜も驚くでしょう。

「うん。そうだね」

 あれっ? 思ったほどの、反応がないなぁ。

「それでね、後ろから降りるの」

「知ってるよ」

「えっ? そうなんだ」

 なんだ、知らないと思ったのにな。意外と、知ってるのね。

「そうなんだって、結衣が前に教えてくれたんじゃない」

「あれっ? そうだったっけ?」

「結衣が初めて渋谷に行ったときのことを、陽菜に話してくれたじゃない」

「そういえば、話したような気がするわ――だったら、最初に言ってよ。一度、聞いたって。同じ話を二度もして、バカみたい」

 忘れていた、私が悪いんだけどね……。

「だって、結衣が、とても楽しそうに話し出すから。言うタイミングを、見失ったのよ」

「私、そんなに楽しそうだった?」

「うん。なんだかんだ言っても、東京は楽しかったんじゃないの? 東京が楽しくないはずが、ないじゃない」

「まあ、遊ぶ分には楽しかったかな」

「結衣――東京の学校で、いったい何があったのよ? そんなに人生が嫌になることがあったの?」

「別に、何かがあったっていうわけじゃ、ないけど……」

 っていうか、人生がっていうのは、大げさだけど。

「ふーん。陽菜だったら、絶対にこっちには帰りたくないけどなぁ。東京かぁ――うらやましいなぁ」


 その後、私は、陽菜の東京へ対するあこがれを、これでもかというほど延々と聞かされた。

「陽菜、そんなにいいことばっかりじゃ、ないわよ」

「そう? そんなこと、ないでしょ」

 まあ、陽菜の夢を壊す必要もないか。

「あっ、次のバス停で降りるよ」

「もう着いたの? おしゃべりをしてたら、あっという間だったね」

 途中から、ほとんど陽菜が一人でしゃべっていたけどね。

 私は、バスの降車ボタンを押した。

 何故か陽菜が、悲しそうに私の顔を見ていた。どうしたんだろう?

 バスが停車すると、私たちはバスを降りた。


「カフェは、どこにあるの? 近いの?」

 と、陽菜はキョロキョロと、辺りを見回している。

「ちょっと、歩くわよ」

「あんまり、歩きたくないなぁ」

「すぐよ。5分もかからないわよ」

 私たちは、カフェに向かって、歩き出した。

「陽菜、さっきから言おう言おうと思っていたんだけどさ」

「何? お金なら、100円くらいしか貸せないわよ」

 と、陽菜は真顔で言った。

「どうして、私が陽菜に、借金を申し込むのよ――っていうか、100円って……。陽菜、意外とケチなのね」

 いやいや、そんなことは、どうでもいい。

「そうじゃなくってさ。朝から、ずっと気になっていたんだけど、陽菜のスカートなんだけど――」

「スカート? ちゃんと、履いてるわよ」

 そんなことは、見れば分かる。履いていなかったら、変態――いや、大変だ。

「ちょっと、短すぎるんじゃないの?」

「えっ? そうかな? 普通でしょ?」

 いや――普通って……。

「制服のスカートよりも、ちょっとだけ短いくらいよ」

 制服のスカートも、膝よりも上で短めだけど、陽菜が今日履いているスカートは、さらに丈が短くて、しかも生足なので太ももの辺りまで見えそうだ。

 まさか、五十嵐君に、色仕掛けで迫ろうとしているのだろうか? しばらく会わない間に、すごく積極的になったわね。

「別に、パンツが見えてるわけじゃないでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「結衣のスカートが、長すぎるのよ。結衣も、こういうの履いてみれば? 結城君、喜ぶかもよ」

 私のスカート丈は、ちょうど膝の辺りだ。

「東京じゃあ、こんなの普通でしょ?」

 確かに、もっと短い人もいたような気がするけど。

「ここは、東京じゃないわよ」

「あっ! 結衣、見て見て! あんなところに、ワンちゃんがいるよ。かわいいなぁ」

 陽菜の指差す先には、犬を連れたおばあさんが、散歩をしている。犬を見てはしゃぐところは、まだまだ子供っぽいなぁ。

 ――犬か。結城君は、あの男の子なんだろうか?


「陽菜、あそこよ」

 私たちがカフェに到着すると、すでにお客さんが並び始めていた。

「お客さんが、たくさん並んでるね」

 と、陽菜は行列を見て、驚いている。

「そんなに、たくさんっていうほどでも、ないでしょ。東京では、もっとすごい行列を見たことがあるよ」

 見たことがあるだけで、並んだことはないけれど。

「何? 東京の自慢?」

「違うってば。そんなんじゃないよ」

 そんなこと、なんの自慢にもならないだろう。

「冗談よ、冗談。でも、天気がよかったら、もっと多かったかもしれないね」

「そうかもね」

 天気が悪くて、よかったかもしれない。

「けっこう、年配の人も並んでるんだね」

 と、陽菜は驚いている。

「最初は、みんな珍しくて来るのよ」

「そっかぁ。あっ、同じ学校の人がいるわ」

 と、陽菜が指を差している。それは、いてもおかしくは、ないだろう。

「五十嵐君と結城君は、まだみたいだね」

 と、私は行列を見つめながら言った。

「うん。陽菜たちのバスの4分後に、着くからね」

「詳しいわね」

「インターネットで、調べたからね」

 わざわざインターネットで? 五十嵐君か結城君に、直接聞けばいいのに。

「それじゃあ、先に並んでおこうよ」

 と、陽菜は言って、列の最後尾に並んだ。


「おーい! 如月! 一之瀬!」

 例に並び始めて数分後、私たちを呼ぶ声が聞こえてきた。

 私たちが声のする方を振り向くと、リュックを肩に掛けた五十嵐君が、こちらに向かって手を振っている。

「おーい! 五十嵐君! 結城君! こっちこっち!」

 と、陽菜が手を振り返した。

「ちょっと、陽菜。あんまり、大きな声を出さないでよ。みんなが、見てるじゃない。恥ずかしいじゃないの」

「そう? 結衣、気にしすぎよ。そんなに、みんな他人のことなんて、気にしていないわよ。みんな――自分のことで、せいいっぱいよ」

 陽菜――

 何を言ってるんだろう?

 一瞬、かっこいいと思ってしまった。

 幸いにも私たちの後ろには、まだ誰も並んでいなかったので、五十嵐君と結城君は、そのまま私たちの後ろに並んだ。

 もしも、私たちの後ろに誰か並んでいたら、陽菜は、連れですとか言って間に割り込ませたのだろうか?

 私は、そういうのは、とても申し訳なく思ってしまう。だからといって、離れて並ぶのもおかしいし、本当に誰も来なくてよかった。

「五十嵐君、結城君、おはよう。今日は、ありがとう」

 と、私は言った。

「二人とも、おはよう。結衣が、無理に誘ってごめんね」

 と、陽菜が、笑顔で言った。

 私が、無理に誘った覚えはないけど……。まあ、いいか。

 私は、麗華の話を思い出した。陽菜が、五十嵐君と、いい感じになれるようにしなきゃね。

「おはよう。まあ、そんなに気にするなよ」

 と、結城君が言った。

「別に、俺は、一之瀬の姉さんに興味があるだけだからな。なあ、大翔」

 と、五十嵐君が言った。五十嵐君ったら、まだ言ってるのね。

「それは、大和だけだろう。俺は、別に、興味ないよ」

「なんだよ、大翔も気にしてただろう?」

「あれは、大和に話を合わせてただけだよ」

「そうか。つまんねえやつだな」

 私は、五十嵐君と結城君のやり取りを見ながら、横目でチラッと陽菜の方を見てみた。陽菜は、なんとも言えない表情で、五十嵐君を見つめている。

 うーん――これは、やっぱり、陽菜は五十嵐君のことが好きで確定ね。

 っていうことは、陽菜ったら、私のお姉ちゃんに、やきもちをやいたりしないわよね?

 もしも、そうなったら――あぁ、面倒なことに、ならなきゃいいけど。

「五十嵐君、前にも言ったけど、結衣のお姉ちゃんは大人だから、五十嵐君なんて相手にしないって――結衣、そうよね?」

「えっ? えっと――たぶん、そうだと思うけど」

 私は、急に話を振られたので驚いてしまった。私は、お姉ちゃんと五十嵐君が付き合っているところを想像してしまった。

 えっ? 五十嵐君が、私のお兄ちゃんになるの? 嫌だ嫌だ!

 まあでも、お姉ちゃんが高校生が趣味ということは、さすがにないだろう。

「まあ、それもそうだろうな」

 五十嵐君は、意外とあっさり納得したみたいだ。

「話は変わるけどさ――如月、お前のスカート短すぎるんじゃね?」

 と、五十嵐君は、陽菜のスカートを見ながら言った。

「えっ、そうかな? そんなに、ジロジロ見ないでよ。恥ずかしいじゃない――」

 と、陽菜は、ちょっと照れたようにはにかんだ。

 何が、恥ずかしいよ。その為に、はいてきたんでしょ。

「別に、ジロジロなんて見てねえよ」

「五十嵐君、どうかな? 似合ってると思う?」

「さあな」

「五十嵐君は、女の子の、こういうファッションは好き?」

「ふん。嫌いな男なんて、いないだろう」

 五十嵐君も、まんざらでもないのかしら? 五十嵐君の表情からは、窺い知ることはできなかった。

「一之瀬さん、ちょっといい?」

 結城君が、私の耳元で小声でささやいた。私は、ちょっと、ドキッとしてしまった。

「何?」

 私も、小声で聞き返した。

「もしかしてだけど――如月って、大和のことが好きなのか?」

「うん。やっぱり結城君も、そう思う?」

「思うも何も、ばればれだろう?」

 だよね。

「もしかして、今日のことって、如月と大和の為なのか?」

 と、結城君は、陽菜と五十嵐君の方を、チラッと見ながら言った。

「うーん――陽菜は、そんなことは一言も言ってなかったけれど、その為に利用されたような気がする」

「なるほどね。それで、如月は、あんなに誘ってきたのか」

「結城君、ごめんなさい。本当は、何か用事があったんじゃないの?」

「いや――俺は、別にかまわないけどな。こっちの方が、おもしろそうだしな」

 おもしろそうって……。

「それで、どうするんだ?」

「どうするって、言われても……。私の、東京の友達に相談をしたんだけど。二人を、隣の席に座らせてあげたらとか言ってた」

「なるほど、隣にか。それから?」

「それだけ」

「それだけ?」

「うん。後は、自分で考えろって」

「そうか――」

 結城君は、なにやら考え込んでしまった。

「おい! 大翔、一之瀬。お前ら、何をこそこそ言ってるんだ?」

 と、五十嵐君が言った。

「別に、たいしたことじゃないよ。今日は、天気が悪いなってな」

「天気? そのわりには、長く話してたな」

「ああ、今年の秋から冬にかけての、天気予報についてだな――」

 なんて下手くそな、ごまかし方なんだろうか。

「なんだ、二人とも天気マニアか?」

「へぇー。結衣って、そういう趣味があったんだ。陽菜、知らなかったよ」

 陽菜は、純粋に感心している。

 ごまかせた!?

「ふぅ。なんとか、ごまかせたな。二人が、単純で助かったな」

「そうだね……」

 私は、何故か少し悲しくなった。

「よし! 俺も、如月の為に協力してやるか」

「協力って?」

「如月と大和が、うまくいくようにだよ」

「五十嵐君は、陽菜のことを、どういうふうに思っているの?」

「さぁ、俺は、知らん。そんなこと、聞いたことがない」

 知らんって――

「五十嵐君の気持ちは、どうでもいいの?」

「まあ、大和が如月のことを、なんとも思ってないんだったら、大和が自分で断るだろう」

 それもそうか。

「それで、どうするの?」

「うーん――とりあえず二人を隣に座らせて、後は適当に、その場で考える」

 そんな無責任な――

「その方が、おもしろそうだからな」

 結城君はそう言って、笑顔を見せた。

 私は、その笑顔を、過去に見たことがあるような気がした。


 そうこうしているうちに、開店の10時を迎えた。お姉ちゃんの姿も、チラッと見えた。

 そして、私たちがお店に入る順番になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る