第4話

 翌日――


「あっ、陽菜、おはよう。今来たところ?」

 学校の下駄箱のところで、陽菜に出会った。

「あ、結衣、おはよう。途中で忘れ物に気づいて取りに帰ったから、少し遅くなっちゃって。結衣も、今日はちょっと遅いんじゃないの?」

「昨日の夜、ちょっと考え事をしていたら、寝るのが遅くなっちゃって。それで、少し寝坊したの。」

「ふーん。考え事って? 結城君のことを考えると、夜も眠れないっていうやつ?」

 と、陽菜がからかってくる。

「別に、そういうわけじゃ――」

「そうだ。結衣、結城君、もう来てるよ」

「えっ?」

「結城君よ。ほら」

 陽菜は、下駄箱の結城君のところを指差した。そこには、結城君の白いスニーカーが入っていた。つまり、結城君は学校内にいるということだ。

「それが、どうかしたの? 結城君、真面目だから、遅刻なんかしないでしょう?」

「そういうことじゃなくて、聞いてみればいいじゃない」

 やっぱり、そのことか。

「だから――そのことは、もういいから」

「どうして? 別に、結城君、一目見たときから好きでした。どうか結衣と付き合ってください――って、告白するわけじゃないでしょう?」

「あ、当たり前でしょ!」

 もうっ、陽菜ったら、本人の前じゃないとはいえ、よく照れもせずにそんなことが言えるわね。だいたい、私は自分のことを、結衣って言わないし――いや、そんなことは、今はどうでもいい。

「だったら、直接、結城君に聞いてみればいいじゃないの。どうして、それくらいのことが聞けないの?」

「どうしてって、言われても……」

「結衣って、もしかして、男の子のと話すの苦手なの? 東京の学校で、彼氏とかできなかったの? クラスにイケメンが、たくさんいたんじゃないの?」

 イケメンだらけのクラスなんて、そんなのドラマや映画の世界だけの話だ。現実には、あんな美男美女だらけのクラスなんて、絶対に存在するわけがないのだ。そんなクラスがあるんなら、一度見てみたいものだ。

「彼氏なんて、そんなのいないわよ」

「そっかぁ。結城君のことが忘れられなくて、それで彼氏を作らなかったのね」

 陽菜は、うんうんとうなずきながら、一人で勝手に納得しているようだ。

「陽菜っ! もうっ!」

「ようっ! お前ら、何やってんだ?」

 そのとき突然、私の後ろから男子の声が聞こえた。

「あっ、結城君、おはよう」

 と、陽菜が言った。

「えっ!」

 結城君? 聞かれた?

「あっ、あの、別に今のは、なんでもないの。結城君――」

 私は、焦って振り返った。

 結城君――じゃない!

「結城? なんだよ。大翔が、どうかしたのか?」

「あっ、ごめんなさい。結城君じゃなくて、五十嵐君だったわ。なんか、結城君と五十嵐君って、ちょっと似てるから間違えちゃったわ」

 と、言って、陽菜は笑った。

「えっ? 俺と大翔が似てるって? どこがだよ?」

「ちょっと、横顔とか似てない?」

「そうか? まあ、名前は同じ漢字が入ってるけどな」

 大翔の大と、大和の大か――だから何なの?

「ねえ、結衣も、そう思わない?」

「えっ? そ、そうかな?」

 私にそんなことを聞かれても、五十嵐君のことは、よく分からないし――結城君のこともだけど。

「如月って、一之瀬と仲がいいんだな」

「うん。陽菜と結衣は、小学生の頃からの親友だからね」

「そうか。俺も、大翔とは、小学校の頃から一緒だけどな」

「へぇ、そうなんだ。それじゃあ、中学校も結城君と一緒なの?」

「ああ、そうだな。まあ、腐れ縁みたいなもんだな」

 そのとき、朝礼の始まりを告げるチャイムの音が響き渡った。

「やべぇ、遅刻だ! せっかく間に合ったと思ったのに、お前たちのせいだからな」

 五十嵐君はそう言うと、教室に向かって走り出した。

「ちょっ、ちょっと、五十嵐君! 待ってよ! 結衣! 陽菜たちも急ごう! 新垣先生に怒られるよ!」

「う、うん」

 私も、五十嵐君と陽菜を追って、走り出した。

『廊下を走るな!』

 という張り紙が見えたけど、ごめんなさいと心の中で謝っておいた。


「ねえ結衣、一緒にお弁当食べよう」

「うん」

 これから、お昼の時間だ。私は、転校してきてから毎日、陽菜と一緒にお弁当を食べている。陽菜が、椅子ごと私の方を向いて、私の机でお弁当を食べていた。

 ちなみに結城君は、いつも五十嵐君と一緒に学食で食べたり、売店でパンを買って、校内のどこかで食べているみたいだ。

「ねえねえ。その結衣の玉子焼き、すごく美味しそうだね」

 陽菜が、私のお弁当箱を覗き込みながら言った。陽菜は、何かを訴えかけるように、私の目を見つめている。

 ――まあ、これは毎日の恒例行事みたいなものだ。なので、陽菜も、私がなんと答えるのかも分かっているのだ。

「玉子焼き食べたいの? 一つ、あげようか?」

「えっ、いいの?」

「うん。いいよ」

「えへへ、ありがとう」

 陽菜はそう言うと、嬉しそうに玉子焼きを一つ口に入れた。

 私も一度くらいは、だめと断ってみようかと思ったこともあったけど、

「んー――美味しぃ!」

 と、子供のような笑顔で、幸せそうに食べる陽菜を見ていると、そんなことは口が裂けても言えないと思ってしまうのだ。

「本当に陽菜は、いつも美味しそうに食べるよね」

 私は、感心したように言った。

「うん。だって、結衣の玉子焼きとかハンバーグとか、メッチャ美味しいよ。結衣のお母さんって、お料理上手だよね」

「そうかな? 私は毎日食べてるから、特になんとも思わないわ」

「うらやましいなぁ――あっ、だからといって、陽菜のお母さんが下手っていうわけじゃないけれど」

 私にとっては、幼い頃からの当たり前の味なので、今さら感動するようなことはなかった。

「あっ、だけどその玉子焼きはね、お母さんが作ったんじゃなくて、お姉ちゃんが作ったんだけどね」

「へぇ、そうなんだぁ!」

「時々作ってくれるんだけど、お姉ちゃんの作る玉子焼きって、甘くて私も大好きなんだよね」

「へぇー。お姉ちゃんも、お料理上手なんだね。それじゃあ当然、結衣も上手なんだよね?」

「…………」

 その問いかけに、私は言葉が出なかった。その理由は、まあ――察してください。

「今度の、家庭科の調理実習が楽しみだわ」

 私は、あんまり楽しみではないけれど……。


 私たちは、お弁当を食べ終わると、そのままおしゃべりをしていた。

「あっ! そうそう、忘れるところだったわ。陽菜、カフェに行きたいって言ってたよね?」

「うん。行きたい」

「今度の日曜日にオープンするって、お姉ちゃんが言ってたわ」

「今度の日曜日? それじゃあ、もうすぐだね」

「うん。それでね、お姉ちゃんにサービス券をもらったから、一緒に行こうよ」

「サービス券? うんうん。もちろん行く行く。どんなサービス? 従業員の家族は無料とか?」

「そんなわけないでしょう」

 それでは、サービスの度合いを越えているだろう。従業員割引くらいならあるかもしれないけれど、無料はあり得ないだろう。そもそも、対象が従業員の家族だけでは、サービス券の意味がないだろう。

「ケーキセットを頼んだら、クッキーが無料でもらえるんだって」

「無料には、違いないじゃない」

「まあ――言われてみれば、そうね」

 ――そうかなぁ?

 結局は、お金を払うんだし――

 まあ、いいや。

「一人一枚?」

「一枚で、四人まで使えるんだって」

「四人までかぁ。それじゃあ、後二人、誘えるんだね」

「まあ、そうだけど。他に、誰か誘うの?」

 正直、私は、陽菜以外とは、まだそんなに親しいわけではないから、陽菜と二人だけでいいんだけど。まあ、昔から知っている子も、いることはいるけど。

「うふふ」

 急に、陽菜が笑い出した。

「陽菜、なによ、その笑いわ。気持ち悪いわね」

 カフェに行けることが、そんなに嬉しいのかしら?

「気持ち悪い? 結衣、失礼ね。そんなことより、後二人、陽菜が決めていい?」

「えっ?」

 どうやら陽菜の中では、四人で行くことは決定事項のようだ。

「陽菜、無理に、四人で行かなくてもいいんだよ」

「もったいないじゃない」

「別に、そんなことないでしょう」

 サービスとはいっても、少ない人数で来てくれた方が、お店側も助かるだろう。

「それで、誰を誘うのよ?」

「もうすぐ休憩時間が終わるから、そろそろ戻ってくると思うけど――」

 私は、教室の時計に目をやった。後10分で、休憩時間が終了する。

 教室を出ていたクラスメイトたちが、一人また一人と、教室に戻ってきていた。

「あっ、戻ってきた」

 陽菜の声に、私は、教室の後ろの入口の方を振り向いた。

 えぇっ!

 ま、まさか――

「ちょっ、ちょっと待ってよ、陽菜。誘うのって、まさか――」

「ねえ、ねえ、結城君!」

 陽菜は、結城君を手招きしている。

「うん? なんだよ、如月」

「結城君さぁ、今度の日曜日って、何か予定があったりする?」

「今度の日曜日? うーん、日曜日かぁ――」

 この様子は、予定がありそうね。私は、少しホッとした。

 結城君は、私の方をチラッと見ると、

「日曜日に、何かあるのか?」

 と、陽菜に聞いた。

「結城君、今度カフェがオープンするの知ってるでしょう?」

「カフェ? ああ、そういえば、そんなことをテレビのニュースでやってたな。それが何?」

「そのカフェがね、なんと、結衣のお姉ちゃんが働いているのよ」

「一之瀬さんの?」

「うん」

 結城君は、陽菜のことは、如月って呼び捨てで呼ぶけど、私のことは、初対面のときは、お前って言われたけど、今は一之瀬さんと、さん付けで呼んでいる。やっぱり、まだ親しいわけではないからだろう。

「それでね、四人で使えるサービス券があるから、よかったら結城君も一緒に行かない?」

「カフェにか? なんで俺が?」

「結衣がね、まだ転校してきたばっかりで友達が少ないから、みんなと仲良くなりたいんだって。それでね、まずは席が近い、結城君からっていうわけよ」

 陽菜ったら、よくもまあ、そんなでたらめをすらすらと言えるわね。陽菜って、こんな子だったっけ?

「ちょっと、陽菜。私、そんなこと一言も言ってないんだけど」

 私は、陽菜の耳元で、そっとささやいた。

「いいからいいから、ここは陽菜に任せといて。ちゃんと、結衣と結城君が上手くいくように、してあげるから」

 この陽菜の根拠のない自信は、いったいどこからくるんだろうか?

 その前に、陽菜は、私が結城君のことを好きなんだと、勘違いしたままのようだ。

「二人で、何をこそこそ言ってるんだよ?」

 結城君は、私たちのやり取りを、不思議そうに見ている。

「なんでもないよ、気にしないで、こっちの話だから。そういうわけで、結城君も行こうよ」

「だいたい、一之瀬さんは、小学校はこっちだったんだろう? だったら、俺を誘わなくても、小学校の頃の友達を誘えばいいだろう?」

 そうそう、その通り。

「結衣は、こう見えて、ものすごく人見知りなの。だからね、小学校でも、親友と呼べるのは陽菜しかいなくてね、寂しい人生を送ってきたのよ」

 どんな人生よ? まあ確かに、陽菜くらいしか親しい子はいないけど……。

「東京に行っても、親友は――一人も出来なくてね。辛い思いをしてきたのよ」

 陽菜ったら、さらっと麗華の存在を消したわね。

「だからね。陽菜はもう二度と、結衣にこんな辛い思いをさせたくないのよ」

 陽菜は、私のなんなのよ?

「――ふーん。そうか――分かったよ。如月がそこまで言うんだったら。それじゃあ、行くよ」

 えっ? 行くの?

「結城君、ありがとう。結衣、よかったね」

「えっ? あ、ああ――そう、よかったわ――」

「えっと――それじゃあ、後一人どうしようか?」

 と、陽菜が言った。

「まだ誰か誘うの? もういいじゃない三人で。無理に四人にしなくても――」

「でも、男の子が一人だけだと、結城君もいろいろ気を使うでしょう?」

「いや、俺は別に――」

「なあに? 結城君、両手に花っていうやつ? ダメダメ! 残念だけど、結城君って、陽菜のタイプじゃないから」

「――あ、ああ、そうか……」

 なんか、勝手に結城君が振られたみたいになってるわね。

「よう、お前ら、何を楽しそうに話してるんだ?」

「おう、大和か。楽しそうなのは、如月だけだけどな」

 そこへ、五十嵐君が、教室に戻ってきた。

「それじゃあ、五十嵐君でもいいや」

 と、陽菜が言った。

 えっ? 五十嵐君も誘うの?

 私は、どちらかというと、五十嵐君のような、あんまり真面目ではないタイプの男の子は苦手な方だ。

「俺が? 何の話だ?」

 と、五十嵐君は、不思議そうに聞いた。

「結衣のお姉ちゃんが働いているカフェがね、今度の日曜日にオープンするんだけど、四人で使えるサービス券があるから、結城君を誘っていたの。それで、もう一人どうしようかっていう話でね――それで、五十嵐君でもいいかなって」

「なんか、五十嵐君っていうのが、引っ掛かるな」

「あはは――気づいちゃった? そこは、あんまり気にしないで」

「ふーん――カフェかぁ。別に、俺はそんなに興味がないけどな――」

「えー。いいじゃない。行こうよぉ」

 と、陽菜は食い下がる。

「それで、大翔は行くのか?」

「結城君は、行ってくれるって」

 と、陽菜が言った。

「大翔、行くのか? ふーん。珍しいな」

「ああ、どうせ暇だしな」

 と、結城君は言ったけど、さっきの様子では、何か予定がありそうに見えたけれど、私の思い過ごしかな?

「そうか――」

 五十嵐君は、私の方をチラッと見た。結城君も五十嵐君も、私の方を見てくるわね。

「それじゃあ、俺も行ってやるか」

 ああ、行くんだ。

「本当!? 五十嵐君、ありがとう!」

 と、陽菜は、とても嬉しそうだ。

「結衣、よかったね! 五十嵐君が行ってくれるって」

「えっ? あ、ああ、そうね」

「これで、サービス券も無駄にならずにすむね」

 別に、二人でも四人でも変わらないと思うけど……。

「そうね。四人で行けば、お姉ちゃんもきっと喜ぶわ……」

 お姉ちゃんには、ボーイフレンドなんていないって言ったのに、男の子が二人も来たら、きっと驚くだろうな……。

「なあなあ、一之瀬の姉さんって、美人?」

 と、五十嵐君が、私に聞いた。

「えっ? お姉ちゃん?」

 どうして、そんなことを聞くんだろう?

「うーん――どうだろう? ……。まあ、綺麗といえば、綺麗な方かな?」

「なんだよ。はっきりしないな」

 確かにお姉ちゃんは、とてもかわいいけど、そんなことを聞かれても、身内のことを、はい美人ですとは、なかなか言いにくいだろう。

「五十嵐君、結衣のお姉ちゃんはね、とってもかわいいし身長も高くてね、本当に素敵なんだよ」

 と、陽菜が嬉しそうに言った。

「へぇー。それは楽しみだな」

「でもね、五十嵐君。結衣のお姉ちゃんは――もう、30歳近いんだっけ?」

「26歳よ」

 と、私は言った。30歳なんて言ったら、お姉ちゃんがショックを受けるわ。

「そうそう、26歳の大人だから、五十嵐君みたいな高校生なんて、子供すぎて相手にしてくれないからね」

「26歳? ずいぶん離れてるんだな」

 確かに、私も離れてるとは思うけれど、そんなことを言われても、それは私のせいではないし。私の両親に、言って――いや、そんなことは、どうでもいい。

「まあ、いいか。それで、日曜日の何時だよ?」

「あっ、時間は聞いてなかったわ。今日、お姉ちゃんが帰ってきたら、聞いてみるわ」

「五十嵐君と結城君も、ありがとうね。結衣、日曜日が楽しみだね」

 陽菜は、本当に楽しそうだ。カフェに行くのが楽しみなのか、それとも、五十嵐君と結城君が一緒なのが楽しみなのかしら?

 陽菜って、もしかしたら――

 どちらかが、好きなのかしら?

 そうだとすれば、陽菜は、私が結城君のことを好きだと勘違いしているから、五十嵐君のことが好きなのかしら?

「ちょっと結衣? 聞いてる?」

「えっ? ああ、ごめん。聞いてるよ」

 後で、相談をしてみようかしら?


「ふーん――それは、たぶん間違いないわね。結衣と、その結城君だっけ? 二人を出しにして、五十嵐君を誘ったのよ」

「麗華、やっぱり、そうかな?」

 その日の夜。私は、麗華と電話で話していた。

「ええ。それしか、考えられないでしょう。結城君を誘えば、五十嵐君も付いてくるんじゃないかって、確信があったんだわ」

「そっかぁ。さすが麗華ね」

「まあ、でもいいんじゃない。結衣は別に、その五十嵐君っていう人が好きなわけじゃあ、ないんでしょ?」

「私? 私は、どっちかっていったら、苦手なタイプかな。でも、陽菜が五十嵐君って、ちょっと意外だわ」

「だったら、いいじゃない。逆に、結衣が応援してあげたら?」

「応援って?」

「うーん、そうねぇ――例えば、陽菜ちゃんと五十嵐君を、隣に座らせてあげるとか。途中で、二人きりにしてあげるとか」

「うんうん、なるほど。それから?」

「それから? そうね――って、結衣もちょっとは自分で考えてよね」

「そんなこと言われても、私、こういうこと分からないのよね」

 こういう経験を、したことがないんだから。

「私だって、そんなに分からないわよ。男の子とデートなんて、ほとんどしたことないし」

「そうなんだ。麗華なら、あるかと思ってた」

「結衣、何を言ってるのよ。あなた、私とずっと一緒にいたじゃないの。そのとき、男の子とデートなんて、全然してなかったじゃない」

「それもそうね」

 言われてみれば、あの頃はずっと二人で一緒にいたなぁ。

「しっかりしてよね」

「うん」

 でも、私に応援なんてできるかしら?

 なんか、違った意味で緊張してきたわ。

「それはそうとして、結衣、お姉さんは元気?」

「えっ? お姉ちゃん? うん。もちろん、元気だよ」

 麗華は、私の相談よりも、お姉ちゃんのことが気になって仕方がないみたいだ。

「そう、よかったわ――ねえねえ、結衣」

 急に、麗華の声のトーンが変わった。

「なによ、どこから声を出してるのよ。気持ち悪いわね」

「ちょっとだけでいいから、お姉さんに代わってよ」

「えっ?」

「だから、お姉さんと電話を代わってって、言ったのよ」

「なんで、そうなるのよ」

「えぇー、いいじゃない。代わってよ」

 しつこいわね。

「残念だけど、そんなの無理よ」

「なんでよ?」

「だって、お姉ちゃん、まだ仕事から帰ってきてないもん」

「えっ? そうなんだ。もう、9時近いんじゃない?」

 私は、時計に目をやった。時計の針は、8時55分を指していた。

「カフェのオープンが近いから、忙しいんだって」

「そうなんだ。大変だね――体、大丈夫?」

「私? 私は、全然元気だよ」

「バカね、違うわよ。お姉さんのことよ。結衣が元気なのは、声で分かるわよ」

 分かってるわよ。ちょっと、ボケてみただけよ。

「お姉ちゃんも、元気だよ」

「そう。ならいいけど。お姉さんに、よろしくね」

「うん――あっ、麗華ごめん、ちょっとだけ待ってて」

「何? どうしたの?」

 このまま、電話を切ってしまってもよかったんだけど、誰かが、階段を上がってくる足音が聞こえた。

 私はドアを開けると、廊下に出た。

「お姉ちゃん、お帰りなさい」

「あら、結衣、ただいま。お出迎えとは、嬉しいわね」

「お姉ちゃん、カフェのオープン時間って、何時からだっけ?」

「そういえば、言ってなかったわね。10時からよ」

「10時ね。分かった。それと、お姉ちゃんに電話」

 私は、自分の携帯電話を、お姉ちゃんに渡した。

「私に?」

「うん」

「どうして、結衣のケータイに? 誰からよ?」

「お姉ちゃんのことを、大好きな人からだよ」

「私のことを? ――なるほどね」

 この説明だけで、お姉ちゃんは、誰からの電話なのか理解したみたいだ。

「もしもし? 麗華ちゃん? お久しぶり、元気?」


「麗華ちゃん、元気そうね」

 お姉ちゃんは、私に携帯電話を返しながら言った。

「うん、そうみたい。麗華、なんだって?」

「麗華ちゃんも、こっちのお店に、来たがっていたわ」

「ふーん。まあ、麗華らしいわね」

「ふふっ。本当に、来たりしてね」

「まさか――本当には、来ないでしょう」

「麗華ちゃんなら、分からないわよ」

 麗華まで来たら、いろいろとめんどくさいことに、なりそうだわ。

「結衣、日曜日は、陽菜ちゃんと二人で来るのね?」

「うん。でも、もしかしたら、四人になるかも」

 もしかしなくても、四人だけど。でも、男の子が二人来るということは、まだ言えなかった。

「そうなの? まあ、二人にしろ四人にしろ、ある程度早く来ないと、お客さんでいっぱいになるわよ」

「うん。分かってる」

「いくら私の妹だからといって、特別扱いはできないからね」

「はーい」

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