第1話
「さあ、着いたぞ」
と、お父さんが言った。
「これが、新しいお家――」
想像していたよりは、いいお家だ。
あくまでも、私の想像していたよりも、いいというだけであって、凄い豪邸というわけではない。
当たり前だけど。
「お父さん、ちゃんとしたお家じゃない」
お母さんの想像よりも、よかったみたいだ。
「うん。私のアパートよりも、こっちの方がいいわね」
お姉ちゃんの想像よりも、よかったみたいだ。
「みんな、何を言ってるんだよ。ちゃんと、写真で見ただろう?」
「お父さん、写真で見るのと実際に見るのとでは、全然違うのよ」
と、お母さんが言った。
「そんなもんか?」
「そうそう。これだから、男の人はね」
と、お姉ちゃんが言った。
「まあ少し古くて小さいが、一応、一戸建てだ」
「よく東京で、一戸建てなんて見つかったね」
と、私は言った。
「ああ、会社側の急な都合ということで、会社の人が以前住んでいたところを、格安で貸してくれたんだ。一家四人住むには、問題ない広さだろう。ちゃんと、結衣の部屋も結菜の部屋もあるぞ。スーパーや、小学校も近いしな」
お父さんったら、自分で建てたわけでもないのに、嬉しそうね。
「でも、東京って、もっと高いビルばっかりで、人がたくさんいるのかと思ってた」
と、私は言った。
「一口に東京と言っても、広いからな。都心から離れれば、こういう場所もあるさ。結衣だって、こういう静かなところの方がいいだろう」
「そうね」
「まあ、お父さんは、通勤がちょっとだけ大変だけどな」
と、言って、お父さんは笑った。
「結衣、今度お姉ちゃんが、連れていってあげるわよ。高いビルや、人がたくさんいるところに」
「うん」
まあ、せっかく東京に来たんだから、楽しまないとね……。
「ちょっと、三人とも何をやってるのよ。お父さん、早くカギを開けてよ。引っ越し屋さんのトラックが来ちゃうわよ」
と、お母さんが言った。
「ああ、今、開ける」
こうして、今日から東京での生活が始まったのだった。
これから、どうなるんだろう。あの男の子とワンちゃん、元気かな?
東京に着いた初日は、ご近所さんへのあいさつや、寝るスペースの確保くらいで終わってしまった。
夕食も、外食で済ませた。田舎にはない、有名なラーメン屋さんに感動したのは、みんなには内緒だ。きっと、陽菜ちゃんは食べたことがないんだろうな。
車の窓から見る、景色にもびっくりした。夜とは思えないくらい、明るかった。それでも、お家の辺りは暗いけど(前のお家の辺りよりは明るいが)。
お姉ちゃんは、今、住んでいるアパートに帰っていった。来週には、お姉ちゃんも、このお家に引っ越してくる。
私は、陽菜ちゃんのお家に電話を掛けてみた。陽菜ちゃんの、お父さんが出たので、陽菜ちゃんに代わってもらった。
「もしもし、結衣ちゃん?」
「陽菜ちゃん? 結衣だよ」
「結衣ちゃーん!」
「陽菜ちゃん、相変わらず、元気いっぱいだね」
「相変わらずって、それほど時間経ってないでしょ」
それもそうだ。今日の午前中に会ったばかりなのに、もう何年も――と言ったら大げさかもしれないけれど、それくらいは経っているんじゃないかという気がした。
「ねえねえ、結衣ちゃん。
陽菜ちゃんも、東京はやっぱり、そういうイメージがあるんだ。
「私のお家の辺りは、そうでもないよ」
「ふーん。そうなんだ」
陽菜ちゃんは、少しがっかりしているみたいだ。陽菜ちゃんの期待を、裏切ってしまったかな?
「でも、お姉ちゃんが、今度そういうところに連れていってくれるって」
「いいなぁ。陽菜も行きたいなぁ」
と、陽菜ちゃんは、うらやましそうに言った。
「陽菜ちゃんも、いつか遊びにおいでよ。冬休みにでも。
「うん。お父さんが、いいって言ったらね」
「あっ、そうだ。さっきラーメン屋さんに、ラーメンを食べに行ってきたんだけどね。なんとね、お店に芸能人のサインが何枚も飾ってあったの!」
「えっ! えっ! 嘘! 嘘! 誰の? 誰のサイン? 私も、知ってる人? アイドル? それとも、俳優さん?」
急に、陽菜ちゃんのテンションが上がっていった。
「えっとね、なんて言ってたかなぁ――名前を忘れちゃったんだけど、太っててね、よく食べて、おもしろい感想を言う人。誰だっけ?」
「――何それ? 陽菜、そんな人知らない……」
急に、陽菜ちゃんのテンションが下がっていった。
「そう? じゃあ、あんまり有名じゃないのかな? ――あっ、それと、お笑い芸人さんのサインもあったよ」
「ふーん……」
どうやら陽菜ちゃんは、一瞬で、もうこの話題に興味がなくなってしまったみたいだ。最初に、お笑い芸人さんの方を言えばよかったかしら? まあ、いいや。この話題は、もう終わりにしよう。
「陽菜ちゃんは、今日は何をしてたの?」
私は話題を変えた。
「陽菜はあの後、一度おじいちゃんの家に戻って、それから陽菜の家に帰って、暇だったから小学校の裏の川まで散歩してたよ」
「えっ? それって何時頃?」
「時間? うーんとね――たぶん3時過ぎか、4時過ぎだったかな? 結衣ちゃん、それが、どうかしたの?」
と、陽菜ちゃんは不思議そうに聞き返した。
「陽菜ちゃんの他に、誰かいなかった?」
「陽菜の他に? 別に、誰もいなかったと思うけど――」
「じゃあ、白い子犬はいなかった?」
「白い子犬? うーん――いなかったと思うけど。それが、どうかしたの?」
素直に、話すべきだろうか?
「えっとね――私も、昨日の夕方に川に行ったんだけどね。そのときに、白い子犬が捨てられていたの。それで、もしかしたらね、まだいたんじゃないかなって思って」
とりあえず、男の子のことは黙っておいた。
「そうなんだ。陽菜は、全然気づかなかったけど、誰か優しい人に拾われたのかもね」
「そうだといいな。私も引っ越しがなかったら、連れて帰れたんだけどね」
「きっと今頃は、新しい飼い主さんのところで、幸せに暮らしてるよ」
「うん。シロちゃん、元気だといいなぁ」
「シロちゃん?」
「えっ?」
しまった!
ついつい、あの男の子がつけた名前を言ってしまった。
「あ、あの――白いから、シロちゃんっていう名前をつけるのかな――って」
「今時、そんな単純な名前をつける人って、いないでしょう」
陽菜ちゃん、それがいるんだよ。
「あっ、でも、おじいちゃんのお友達の飼ってる犬は、黒い犬で、名前はクロだったよ」
「へ、へぇ――そうなんだ」
シロってつけたのは、私たちと同じ小学生だけどね……。
なんとか、ごまかせたみたいだ。相手が、小学生でよかった(私も、小学生だけどね)。
でも――ごまかす必要が、あったのかな? なんとなく、男の子のことを話すのが恥ずかしくて、ごまかしてしまった。それに、あんな浅い川で溺れそうになったことを話すのも、なんとなく恥ずかしい。
「でも陽菜だったら、白いから――ユキちゃんとかかなぁ」
それも、単純な発想だと思うけど。
「でも、オスだったよ。ユキちゃんだと、女の子みたいだね」
私はそう言ってから、またよけいなことを言ってしまったと思ったけれど、陽菜ちゃんは、
「そっかぁ」
と、一言つぶやいただけで、どうしてオスだって知ってるの? とか、聞いてくることはなかった。
「結衣、もうそろそろ切りなさい。時間も遅いし、如月さんにもご迷惑よ」
「はーい!」
お母さんに、怒られてしまった。
「陽菜ちゃん、ごめんね。お母さんが、もうそろそろ切りなさいって言ってるから切るね」
「うん。陽菜も、お母さんが、睨んでるから切るね」
おそらく、睨んでるというのは嘘だろう。私に、話を合わせてくれたんだろう。
「それじゃあ、また電話するね」
「結衣ちゃん、東京に行ったら、携帯電話を買ってもらえるんじゃない? そうしたら、ゆっくり話せるよね」
「うーん――たぶん、無理だと思う。っていうか、陽菜ちゃんが携帯電話を持ってないじゃない」
「あっ、そうか」
もうっ、陽菜ちゃんったら。
「結衣っ!」
と、お母さんに、また怒られた。
「陽菜ちゃん、本当に切るね。またね」
私は、陽菜ちゃんの返事を聞く前に、切ってしまった。
こうして、東京での初めての夜は更けていった――
翌日からしばらくは、お姉ちゃんの引っ越しや荷物の整理で、あっという間に過ぎていった。
お父さんは、引っ越しだけでお盆休みが終わってしまい、疲れたと言いながら、会社へ出勤していった。
お母さんは、東京のスーパーは高いと、ぶつぶつと文句を言っている。そんなことを私に言われても、困るんだけど。そういうことは、総理大臣にでも言ってほしい――違うかな?
まあ、そんなこと、どうでもいいや。昨日で片付けも、ほとんど終わったし、今日は近所を、ちょっと探検してみようかな。私は、お昼から一人で近所をぐるっと回ってみることにした。
「お母さん、ちょっと近所を歩いてくるから」
「あんまり、遠くに行っちゃだめよ」
「うん、分かってるよ。いってきます」
東京にしては、人が少ないとは思うけど、それでも家がたくさんあるから、それなりに人とすれ違う。しかし、田舎と違って、あいさつをしてくれる人は、あんまりいない。まあ、誰も私のことを知らないからというのも、あるのかな?
それにしても、みんな歩くスピードが速いような気がする。東京では、みんなこれが普通なのかしら?
しばらく歩くと、小さな公園が見えてきた。こんなところに、公園があったんだ。こちら側には来たことがなかったから、知らなかった。
私は、誰もいない公園に入ると、ブランコに座った。
私は、この街で、ちゃんと暮らしていけるのだろうか?
――帰りたいなぁ。
私は、東京に来てたった一週間で、そんなことを考えていた。
陽菜ちゃん、元気かなぁ? まあ、昨日も電話で話したから、元気なのは知っているけど。
――あの男の子と、ワンちゃんは元気だろうか?
――お母さんが心配するから、そろそろ帰ろうか。
私は、公園を後にした。
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい、早かったわね」
「うん。近くに公園があったから、そこに行ってた」
「へぇ、公園があるのね」
お母さんも、知らなかったみたいだ。
「お母さん、今からスーパーに買い物に行くけど、結衣も行く?」
「――私は、いいや」
「そう。それじゃあ、行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
お母さんは、買い物に出掛けていった。
「結衣、おかえり」
「あっ、お姉ちゃん。帰ってたんだ」
お姉ちゃんは、朝から友達と出掛けていたはずだ。
「うん。友達が、急にバイトが入っちゃってね。さっき、帰ってきた」
「――そうなんだ」
「結衣――どうかした? 何かあった?」
「えっ?」
「元気が、なさそうね」
「そんなこと、ないよ」
「ふーん――ねえ、結衣」
「なあに?」
「明日、お姉ちゃんと一緒に出掛けない?」
「お姉ちゃんと?」
「うん。東京に来た最初の日に、高いビルや、人がたくさんいるところに連れていってあげるって言ったでしょう」
そういえば、お姉ちゃんが、そんなことを言っていたような気がする。
「明日、連れていってあげるわ。結衣の夏休みが終わるまでに」
「…………」
「楽しく遊べば、結衣も元気が出るわよ」
「――うん。分かった」
「結衣、どこか行きたいところある?」
「うーん……」
急に、そんなことを言われても、そもそも東京のことを全然分からないから、どこに行きたいのか自分でもよく分からない。
「それじゃあ特に行き先は決めずに、行き当たりばったりで行きましょうか。とはいっても、私も東京に来てまだ1年ちょっとだから、そんなに詳しいわけじゃないけどね」
お姉ちゃんは、そう言って笑った。つられて私も、笑顔になった。
「お姉ちゃん――」
「何?」
「――ううん。なんでもない」
私は恥ずかしくて、ありがとうとは、素直に言えなかった。
翌日――
「お母さん、いってきます」
「いってらっしゃい。今日は暑いから、熱中症とか気をつけてね」
今日は、気温が32度くらいになると、天気予報で言っていた。私は、日焼け止めを塗って、帽子をかぶって出掛けた。
まずはバスに乗って、駅に向かうことにした。
「結衣、何をしてるの? 前から乗るのよ」
「えっ? 後ろからじゃないの?」
「こっちでは、前から乗るのよ。早くおいで」
「ま、待ってよ、お姉ちゃん」
私は、あわててバスに乗り込んだ。
「お姉ちゃん」
「なによ?」
「整理券は?」
「そんな物、ないわよ」
「な、ないの?」
ど、どういうこと?
「じゃ、じゃあ、運賃は?」
「どこで降りても、運賃は同じよ。結衣の分も、払っておいたからいいわよ」
どこで降りても――同じ? そんなことって……。
運賃表の整理券の番号の金額を、払うんじゃないの?
ここは本当に、日本なの? 東京って、すごい街ね……。
「結衣、何やってるのよ。邪魔になるし危ないから、ここに座りなさい」
「うん」
私は、お姉ちゃんの隣に腰を下ろした。
「お姉ちゃん――」
「――な、なによ、怖い顔をして」
「東京って――すごいね」
「は?」
この後、私は前から降りようとして、お姉ちゃんに怒られるのである。
「お姉ちゃん! 電車が出ちゃうよ! 急がないと!」
私は、ホームに向かって走り出した。
「結衣! そんなに急がなくても、電車は逃げないわよ」
お姉ちゃんは、落ち着き払っている。
「で、でも――」
私の目の前で、電車のドアが閉まった。
「あっ! あぁ……」
無情にも、電車は行ってしまった。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんがのんびりしてるから、電車が出ちゃったじゃない」
「結衣、うるさいわね。今のが、終電じゃないんだから」
「でも――次の電車まで、待たなきゃいけないじゃないの。次の電車まで、どのくらい待つの?」
「3分もすれば、次が来るわよ」
「えっ?」
さ、さ、さ、3分?
そんな……。嘘でしょう?
たった3分で、次の電車が来るなんて――
30分の、間違いじゃなくて? 3分っていうと、カップ麺ができるくらいか――
ううん。お湯を沸かす時間が足りないわ――
って、私ったら、何を考えているんだろう……。
「結衣? 結衣? どうしたの?」
「なんでもないよ。あっ、次の電車が来たよ。行こう、お姉ちゃん」
私たちは電車に乗ると、空いている座席に座った。
「結衣、どうしようか? 渋谷にでも、行ってみる? それとも、原宿?」
「うーん――どっちでもいいよ。私、分からないし、お姉ちゃんに任せる」
正直、渋谷と原宿の違いも、よく分からない。
「そう――それじゃあ、渋谷にでも行ってみようか?」
「うん――ねえ、お姉ちゃん」
「今度は何よ?」
お姉ちゃんは、ちょっと面倒くさそうに言った。
「東京の電車って、意外に空いてるんだね。もっと座れないくらい、超満員なのかと思ってた」
「朝乗ったら、こんなものじゃないわよ。結衣なんて、潰されちゃうわよ」
そんな、大げさな。
「お姉ちゃん、乗ったことあるの?」
「あるわよ」
「どうだった?」
私は、ちょっと興味があったので、聞いてみた。
「それはそれは大変だったわよ。身動きは、できないし。足は踏まれるし。髪の毛は、ボサボサになるし。それに、おっぱいは触られるし。もう、大変だったわよ」
おっぱいを触られるのは、痴漢じゃないのかしら?
っていうか、お姉ちゃんの話は、どこまで本当なんだろう?
私には、分からなかった。
「結衣、次で降りるわよ」
「うん」
私たちは、渋谷駅で電車を降りた。
「うわぁ……ここが渋谷なんだ」
「ええ、そうよ」
「お姉ちゃん、お祭りでもあるの?」
「えっ? そんなもの、ないわよ」
「そうなの? すごい人だから、お祭りかと思った」
「こんなの普通よ。むしろ、少ない方よ」
これで、少ない方なの?
信じられない!
「お姉ちゃんお姉ちゃん、外国人がいるよ!」
「そんなの、珍しくないわよ」
「話しかけられたら、どうしよう? ハローって、言えばいいかな?」
「少なくとも、結衣には、話しかけてこないわよ」
「お姉ちゃんお姉ちゃん、建物だらけだよ。すごいねぇ」
私は、自分でもよく分からないくらい、興奮しまくっている。あぁ、陽菜ちゃんにも、見せてあげたい!
携帯電話があれば、写真を撮って送れるのに。お姉ちゃんの携帯電話で写真は撮れるけど、陽菜ちゃんが持ってないからなぁ。
「ちょっと結衣! あんまり、キョロキョロしないでよ。あと、声が大きいわよ。近くの人たちが、こっちを見てるじゃない。ただでさえ、大学生と小学生という変わった組み合わせで目立つのに。お姉ちゃんが、恥ずかしいじゃないの」
「平気平気、お姉ちゃんが思うほど、みんな気にしてないって」
「もうっ! 昨日までは、あんなに元気がなかったのに……」
「お姉ちゃん、あそこにいる女の子たち、すごくかわいいね」
「どこよ?」
「あそこ」
私は、信号待ちをしている、四人組の女の子たちを指差した。
「中学生くらいかなぁ?」
それにしては、小柄な気がするけど――
「たぶん、小学生よ」
「えっ? 小学生?」
「結衣と、同じくらいでしょう」
「だ、だって、お化粧してるように見えるんだけど――服装も、派手だし」
「東京では、そういう子もいるわよ」
私は、ビルのガラスに写る自分の顔を見ていた。私もした方が、いいのかしら?
「結衣は、そのままでいいわよ」
「えっ? 私、何も言ってないでしょ」
「結衣の考えていることぐらい、分かるわよ。結衣は、そんなことしなくても、充分かわいいわよ」
「――急に、なによ。気持ち悪いじゃない」
「お姉ちゃんに向かって、気持ち悪いとはなによ。せっかく、人が褒めてあげてるんだから、素直に、お姉ちゃん、ありがとうって、言いなさいよ」
「はいはい。お姉ちゃん、ありがとうございます」
「なによ、その言い方。心がこもってないわね――まあ、いいわ。行きましょう」
「お姉ちゃん、ここがあの有名なスクランブル交差点?」
「ええ、そうよ」
テレビなどでは見たことがあるけれど、実際に目にすると、すごい迫力だ。大げさな言い方かもしれないけれど、そう感じた。
「結衣、初めてだから、手を繋いで渡ろうか」
「えっ? お姉ちゃんと?」
急に、何を言い出すんだろう?
「他に誰がいるのよ」
それはそうだけど。
「いやよ。恥ずかしいじゃない」
「そう? それじゃあ、ちゃんと、お姉ちゃんの後をついてくるのよ。迷子にならないでね」
お姉ちゃんは、何を言ってるんだろう? こんなところで、どうやったら迷子になるんだろう?
「結衣、渡るわよ」
信号が青に変わると、すべての方向から、一斉に人が渡り始めた。
私も、とりあえず言われた通りに、お姉ちゃんの後について渡り始めた。
そして、交差点を渡り始めてしばらくすると、
「あっ、ごめんなさい」
反対側から来る人と、ぶつかりそうになった。
「ちょっと、お姉ちゃん、待ってよ」
またぶつかる。避けなきゃ。
あれ? さっき右に避けて、また右に避けたら、あれれ?
ちょっ、ちょっと、待って――
行きたい方と、違う方向に行ってるんじゃ――
「お、お姉ちゃん――」
助けて! 迷子になる!
「結衣、だから言ったじゃない。お姉ちゃん、あっちに行きたかったのに」
けっきょく私のせいで、お姉ちゃんの行きたかった方と違う方に来てしまった。
「ごめんなさい――すごい人で……」
大勢の人たちが、私に向かって歩いてくる様は(実際は、私に向かっているわけでは、ないだろうけど)、恐怖心すら感じた。
「まあ、初めてなら、こんなものかしら。お姉ちゃんも初めてのときは、苦労したわ。今度は、手を繋いで渡るわよ」
「うん」
私は、素直にうなずいた。
再び信号が青に変わると、今度はしっかりと、お姉ちゃんの手を握って渡り始めた。お姉ちゃんは、前から来る人にぶつからないように、人と人との間を器用にすり抜けていった。
どうして、みんなぶつからないんだろう? 体に、センサーでも付いているのかしら? それとも、東京の人には、そういう特殊な能力が備わっているのだろうか?
でも、よく考えたら、東京以外から来ている人も多いわけだから――
「結衣、何をぶつぶつ言ってるのよ。もう、手を離しなさいよ」
「あっ、うん」
私は、あわてて手を離した。なんだ、お姉ちゃんの方が、恥ずかしがってるんじゃないの?
それにしても、周囲の人たちから、私たちはどう見えているんだろうか? きっと、姉妹には見えないんだろうな。どちらかというと、親子かしら?
お姉ちゃんにそんなことを言ったら、怒られちゃうだろうけど。まあ、女児誘拐犯に見えなければ、いいや。
「結衣、プリクラでも撮ろうか?」
「うん」
私たちは、ゲームセンターでプリクラを撮った。東京には、今まで見たことがないような、プリクラの機械があって驚いた。これも、陽菜ちゃんに教えてあげよう。
ゲームセンターを出ようとしたとき、クレーンゲームの景品が目に入った。
「お姉ちゃん、あれ欲しい」
「どれ?」
「あの、白いワンちゃんのぬいぐるみ」
そのぬいぐるみは、あの日助けた白い子犬に、とてもよく似ているような気がした。
「結衣は、犬が好きだったわね」
「お姉ちゃん、取れる?」
「ふふっ。結衣、私を誰だと思ってるの? クレーンゲームの天才と言われた一之瀬結菜とは、私のことよ」
天才? そんなこと、初めて聞いたけど……。
本当に、大丈夫かな?
「はい。取れたわよ」
「お姉ちゃん、ありがとう」
私は、お姉ちゃんから、ぬいぐるみを受け取った。
けっきょく、取るのに800円かかった。天才かどうかは微妙かもしれないけど、上手い方だろうか?
その後、私たちは、クレープを食べたり、ウィンドウショッピングを楽しんだりした。
「結衣、そろそろ帰りましょうか?」
「うん。お姉ちゃん、今日は楽しかったね」
私たちは、電車で家路についた。私は電車の中で、疲れて眠ってしまった。
「まだまだ子供ね」
お姉ちゃんに、もたれかかって眠る私を見て、お姉ちゃんは笑顔でつぶやいた。
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