第3章 戸惑う野菜生活

3.1 勇者にはなれない

 がっこん、がっこん。固い乗合馬車の座席に座り続けて、もうケツも背中も限界だ。はぁ、なんだってこんなことになっちまったんだか。俺の人生のツキもここまでかねぇ。さらばうるわしの共和国首都。こんにちは、ホコリ臭い田舎都市セレステ。

 大学を出るところまでは順風満帆じゅんぷうまんぱんだったんだけどなぁ。そのあと仕えた貴族がまずかった。汚職するにしてもさぁ、もう少し見つからないように、小賢こざかしくやってほしいものじゃない? 俺だけだったら絶対見つからない自信があったのに。とんだ巻き添えだ。

 結果、なけなしの手切れ金と共に共和国首都から追い出される羽目になりましたとさ、と。おいおい、知らない間にあの子爵さんの横流しまで、全部俺のせいにされちゃってるじゃんかよ。

 ああーあ。シフォー・アリフはもはや共和国首都においては居場所なしですよ。っていうか、逮捕されないだけありがたく思えっていう、トカゲの尻尾切りだ。別に贅沢なんて何にもしていない。ただ毎日飲むワインの銘柄をワンランク上げたかっただけなのに。ひどい話だよ、ホント。

 セレステまで来たのは、ほんの腰掛けのつもりだ。いやいや、流石に俺の人生こんなところで終わらせるつもりは全くないよ? ここは、色んなところからの情報が集まる街だからな。共和国だけじゃない。北にある帝国や、その更に先にあるアークライト王国、北方の小さな国々まで。大陸中の人間が行き来している。ここでなら、俺にとってのうまい話の一つや二つは引っかけられるんじゃないかと、そう睨んでいるってわけだ。

 とは言っても、先立つものが心許こころもとないんだよなぁ。ケチ臭い奴らだよ、これじゃあ一ヶ月も暮らせないじゃないか。乗合馬車だってタダじゃないし、今夜の宿だって探さなきゃいけない。あー、長期逗留ってことで、何処かで安く泊まれないかな。あと酒。俺はワインがないと眠れないんだ。

 贅沢を言っていられないのは確かだけどさ、だからって爪に火をともすような生活をしてたらなんとかなるって話でもない。俺には俺らしさってものがあるんだからさ、それを失くしちまったら元も子もないわけよ。

 なんてな。ま、ワインはワンランク落とすよ。こればっかりは仕方がない。

 街道の先に、大きな城壁が見えてきた。以前はこの辺りでは、蛮族どもがぶいぶいと言わせてた。その当時の名残だ。今の領主、えーっとなんだっけ、有力貴族であるフェブレ公爵家の連中が、随分と昔に蛮族どもを追っ払って、ここに城塞都市を建設した。それがセレステの街の成り立ちだ。

 当時はこの不毛の荒野のど真ん中にセレステがあるってだけで、数多くの隊商キャラバンたちが救われた。そして現在に至るまで、この街は流通の要衝ようしょうとして栄えているってわけだ。

 いいなぁ。俺も一旗あげたいなぁ。

 つっても腕力はからきしだからなぁ。蛮族追っ払って街作るとか、そんなことができるなら最初からやってるよ。はぁ、貴族様とは生まれからして違うワケだ。不公平不公平。

 持って生まれた天才的な頭脳も、木端貴族の汚職騒ぎですっかりお払い箱。さて、セレステの街よ、俺の人生の分岐点になってくれるかな。これからじゃんじゃんツキまくって、バラ色の人生を送っていきたい所存なんだからさ。



 何はともあれ、ねぐらを決めておかないといけない。宿屋のある通りに出てみたら、まあいっぱいある。宿場町なんだから、当然だな。

 しかし、ここに泊まる奴らは大体が隊商キャラバンで、一泊してすぐに出発って段取りだ。俺みたいに少々腰を据えて滞在するってやからは、この辺りの宿でも大丈夫なもんなのかね。とりあえずは適当に飛び込んで、話を聞いてみるしかない。

 数軒あたってみて、やっぱり短期が中心みたいだった。長い期間で泊まろうとすると、大規模な隊商キャラバンが貸切で抑えている日取りとぶつかってしまう。それに、突然やってきた一見いちげんに、いきなり長期間格安で部屋を貸し出すバカもいない。やれやれ、みなさん商売にこなれていらっしゃる。

 陽が暮れて、とりあえず腹が減ってきたので、飯が食えそうなところに転がり込むことにした。逗留先を探すのは後回しにして、まずは一泊だ。千里の道も一歩から。明日のことは明日考えよう。

 美味そうな匂いをぷんぷんさせていたので、『至高の蹄鉄』亭という店に入ることにした。ほう、古めかしい感じだが、悪くはない。部屋が空いているか確認してみると、問題なく宿泊できるのだそうだ。ほんじゃ、今夜はここがねぐらってことで。

 多くもない荷物を部屋に放り込んで、酒場兼食堂を覗き込む。他の客はみんな隊商キャラバンどもだ。あんまりガラが良くない感じがする。大方帝国人だろう。最近勢力を増してきて、そこかしこで横暴を働くこともあるらしい。セレステでまで問題を起こすとは思わないが、さわらぬ神にたたりなしだ。俺は端っこの方の席に陣取った。

 とりあえずワインと、飯だ。どうやら人手が足りないらしく、ちっこい女の子が給仕をしていた。栗色の、肩の所で切り揃えた髪が、店の灯りの下できらきらと光っている。うん、なんか幻想的でいいね。こういう雰囲気は久しぶりだ。昔読んだ冒険小説の主人公にでもなった気分になる。いいぞ、イベントとか起きそうな予感がしてこないか?

「はいお待たせー」

 テーブルの上に、ワインと肉料理が置かれる。ま、そんな面白おかしい話になんて、なるわけがないか。それよりさっさと現実の、堅実なお仕事の話をなんとかせにゃいかん。

 うん、このウサギ肉は美味いな。貴族の屋敷っていうのは味付けが薄くていかん。このくらいの方がパンチがあって良い。そもそも肉を食うのに上品という発想が判らない。肉食は野蛮。それで上等じゃないか。味付けも極端なくらいでよろしい。

 ワインの方もなかなか良い。色んな行商人が訪れるからか、セレステには上物もよく流通しているという話だった。うーむ、可能ならこの店に長期逗留できないだろうか。後で聞いてみるか。


「こら、何をするんだ!」


 何だ、と思ったら、さっきの子供だった。どうやらあの帝国の隊商キャラバンにちょっかいを出されたらしい。なんとも勇ましいことだ。水差しを振りかざしている。まあでも子供だからな。大人の、それも屈強な男相手じゃあ目も当てられない。

 やれやれ。起きちゃったじゃん、イベント。

 俺さあ、好きなんだよね、ナントカサーガとかさあ、ナントカ英雄伝とか。かっこいいよなぁ。子供の頃は夢中になって読んだよ。それの影響かな、ドラゴンとか本当にいるのかとか気になっちゃってさ。で、そのまま学者の道をこころざしたってワケ。

 何処で道を間違えたのかね。こんなヒネた大人になっちゃって。ワインばっかり飲んで、これのために金をちょろまかすとか。そこを突っ込まれてクビになって、首都を追い出されるとか。はは、ばっかでー。

 だからさ、なんだろう。ちょっといい恰好してみたくなっちゃったのよ。

「おい、おっさん。子供相手にいい加減にしておけや」

 その時の俺は、自分が勇者か何かになった気分だった。瞬間最大風速的に、伝説の勇者。

 当然、そんなもんは長続きはしなかった。だって、目の前にいるのは筋肉のダルマみたいな奴だもん。うわー、強そうだなこいつ。啖呵たんか切ってから後悔したわ。大体こんな文官崩れのヒョロガリにさぁ、毎日馬引いて歩いてるムキムキの隊商キャラバン野郎をどうにかできるわけがないじゃない。ホント、ばっかでー、俺。

 まあ俺の人生、ドン詰まりまで来ているみたいだからさ。ここで終わるならそれでもいいかなーって。ワインの回った頭で、そんなくだらないことを考えてた。最後に正義の味方ゴッコしてさ、可愛い女の子を助けて終わるの。

 ・・・可愛いよな? 思わず給仕の女の子の顔を確認した。おお、良かった。ちゃんと可愛い。でもちょっと勇ましすぎるかな。守られてる感がない。女の子はもう少しおしとやかにしている方がモテるぞ?


 とまあ、そこで俺の意識は吹っ飛んだ。



 目が覚めたら、ベッドの上だった。天国ってのはずいぶん安っぽいな。何処かの街道宿みたいだと思ったら、『至高の蹄鉄』亭の客室の中だった。ああそうか、俺、ここに泊まるんだった。天国の方も、こことは一緒にされたくないだろう。

「ああ、目が覚めた?」

 顔を横に向けると、美少女がいた。えーっと、若干言い過ぎな気もするが、俺がここまでして守った女の子が美少女でないとか許しがたいものがあるので、美少女としておく。うん、美少女。平気平気。いけるいける。

「ええっと、君は大丈夫?」

 とりあえず美少女の無事を確認しておこう。こっちはまだ頭がぐわんぐわんしている。とっとと収まってくれないかな。

「大丈夫だよ。全部メラニーさんが片付けた」

 すげぇなメラニーさん。何者だ。

 びっくりして頭痛が引いた。これもメラニーさんの効果だ。この手の宿っていうのは、荒事も日常茶飯事だろうからな。そう考えると、俺がやったことなんて余計なことだったのかもしれない。はぁ、かっこわる。

「あんた、なんで喧嘩弱いのにあんなこと言ったんだよ?」

「なんでって」

 なんでだろうな。もう破れかぶれというか。どうでもいいって気分だった。

 ・・・とは、言えないよな。

「君を助けたかった」

 こんなところかな。

 意外と当たらずとも遠からずな回答。出まかせにしては上等だ。美少女は、ものすごくいぶかしげな表情で俺のことを凝視した。まあ、気にしないでくれ。そういう趣味ってわけでもないからさ。

「じゃあ、お大事に。明日の朝食は七時だから」

 そう言い残して、美少女は部屋から出て行こうとした。おっと、流石に美少女って呼び続けるのは面倒臭いし、助けようとして、その後看病までしてくれた女の子の名前ぐらいは知っておきたい。

「なあ、君の名前は?」

 俺、そんなにマズいこと訊いたかね。美少女はおっそろしく苦い薬でも飲んだみたいな、嫌悪とも憎悪ともとれるような顔をした後で。

「フラ・・・じゃない、ハンナだ」

 うーん、偽名なのかな?

 まあいいや。別にそこまでこだわりがあったわけじゃないんだ。困らせてしまったのならごめんよ。

「ありがとう、ハンナちゃん」

 さて、ワインの酔いが残っているうちに眠ってしまおう。そうそう、明日朝イチで、長期逗留ができないかの確認もしておかないとな。




 フランシスの機嫌が悪い。この前の『お母様の野菜の日』が終わってから、ずっとこうだ。むすっとしていて、あんまり口をきいてくれない。やれやれ、困ったなぁ。

 原因は多分あれだろうな、サンドラとナディーンから聞いた、酒場での喧嘩騒ぎだろう。あまりガラのよろしくないお客様が、私と入れ替わっていたフランシスにちょっかいを出したのだそうだ。

 こういうこともあるので、夜の酒場では私はあまりフロアの勤務にはつかないようにしている。というか、メラニーさんとか親方が気を利かせて、フロアには出さないようにしてくれているのだ。この前は人手が足りなかったり、中身がフランシスだったりということで、たまたまそっちでの仕事になってしまっていた。

 男の人って、お酒が入るとどうしてもああなるよね。

 フランシスも相当ショックだったんだろう。私も最初はびっくりしたからなぁ。世の中には、子供にイタズラして喜ぶ変態までいるらしいから。恐ろしいことだ。

 騒ぎ自体は、メラニーさんがあっさりと制圧して沈静化した。お客様の一人が殴られてぶっ倒れたらしいけど、大事には至らなかったらしい。乱闘騒ぎも酒場の賑やかしの一つとはいえ、お客様同士でいざこざを起こすのは勘弁していただきたい。怪我人死人は悪い噂が立つからなおさらだ。

 物置でフランシスの服に着替えて出てくると、フランシスはやっぱり不機嫌なままだった。ねー、ちょっと、不愉快だったのは判るけどさ、私にまでとばっちりがくるのは勘弁だよ。

「ハンナ、君は普段酒場のフロアには立たないんだよな?」

「え? ええ」

 そうだけど。この前のあれは、フランシスは男の子だし、フランシスの方から手伝うって言い出したって聞いてる。後はまあ、運が悪かった。月並みだけど、野良犬にでも噛まれたと思ってあきらめてもらうしか。

「君は絶対に酒場のフロアには立つな。いいな?」

「はぁ? なんで?」

 そんなことを言われても、人手が足りなくてどうしようもないこともあるからなぁ。簡単には約束できないよ。メラニーさんなり親方なりに頼まれたら、私としてはやらざるを得ない。

「なんでって、君があんな目に遭うとか、そんなのダメだからに決まっているだろう」

 あー、フランシス、そんなに嫌だったのか。気持ちは判るよ。酔っ払いって、本当に迷惑だよね。まあでも仕事だし、向こうもそこまで悪気はなかったりするんだよ。いざとなったらほら、メラニーさんが何とかしてくれるしさ。大丈夫だって。

「そうじゃないよ!」

 おおっと、どうしたのよ、フランシス。いつになく真剣に怒ってる。

「僕は君が・・・」

 私が?

 もごもごって口の中で何かをつぶやいて。

 それから、フランシスはぷいっとそっぽを向いてしまった。ええー。

「なんでもない。とにかく君は酒場のフロアには出るなよ。いいな」

 ちょっと、言いかけたんだったら最後まで言いなさいよ。なんなんだよう。



「そういうわけで、フランシスが何を言いたいのかよく判らないんですよ」

 ぱたぱたと衣装棚の上にはたきをかけながら、私はオリビエさんに今朝の出来事を話していた。オリビエさんはドアの横で、直立不動の姿勢で固まっている。お年なんだから無理しなくてもいいのに。入れ替わっている間は、私のことはフランシス坊ちゃんとして扱うんだって。真面目なのか何なのか。

「なるほど。わたくしには坊ちゃんのお気持ちは理解できます」

「そうなんですか?」

 ふーん、同じ男の人だからかな。

 オリビエさんは、私とフランシスの入れ替わり生活のことを知っている。この前、私がフランシスの部屋の大掃除をした時に気が付いたのだそうだ。そういえば私に抱き着いて泣いてたよね。まさかあの時じゃあるまいな。

 まあとにかく、それ以降、オリビエさんは普通に私とフランシスが入れ替わっていることを認めてくれるようになった。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。せめてもの恩返しということで、私は『お母様の野菜の日』がくる度に、こうしてフランシスの部屋の掃除をしている。フランシスが、召使いたちには部屋の物を一切触らせないからだ。やれやれ、本当なら週一じゃなくて毎日掃除したいくらいだよ。

「坊ちゃまは、ハンナ様に同じような目に遭ってほしくないのでございましょう」

 そりゃ、私だってできることならそんな事態には関わりたくないよ。でもお仕事なんだから仕方ないでしょう。嫌なことがあるからって、常に避けて通ることなんてできないんだから。

「それはそうでしょうな」

 でしょう?

「だからこそ、坊ちゃまはいらついておられるのです。自らを不甲斐ないとお思いなのかもしれません」

 はぁー、そうは言われてもねぇ。フランシスになんとかできる話でもないじゃない。

 私は『至高の蹄鉄』亭の住み込みお手伝いなんだから。お仕事だって、割と好きでやっている。まあ、ちょっとは嫌なことだってあるけどさ。でも、それは何をやっていたって同じことなんじゃない?

 ほっほっ、とオリビエさんは楽しそうに笑った。

「それでも、でございますよ」

 何が?

 私は首をかしげた。サンドラとかナディーンとか、あとメラニーさんも似たようなことを言っていたんだよね。みんなちょっと楽しそうにしてるの。私だけ判ってないみたいで、なんだか面白くない。

「どういうことなんです?」

「さて、それをわたくしの口から申してしまってよろしいのか」

 だぁー! まだるっこしい!

「良いです。言ってください。フランシスには黙ってますから」

 オリビエさんは私の顔を見て、ふぅ、と溜め息をいた。

「では、お約束ください。わたくしからこの話を聞いた後も、どうかフランシス坊ちゃんと、今までと変わらずに接してさしあげてくださいますように」

 ・・・なんでそんなに脅すんだ。

「判りました」

 話を聞くだけなのに、いちいち大げさなんだから。別に、愛の告白ってわけでもあるまいに。

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