1.3 美味しい喜び

 ふあぁ。もうお腹一杯。思い出しただけで幸せになってくる。


 お屋敷の中に入るのはもう慣れてきた。とりあえずはフランシスの部屋に。びくびくしているよりも、堂々と歩いている方が怪しまれない。フランシスが普段どんな感じにしているのかが判っていれば、もうちょっと頑張れる気もするな。

 夕食の時間になると、召使いの人が呼びに来た。白髪の年輩の召使いの人。

「フランシス坊ちゃん、夕食のお時間です」

「はい、判りました」

 普通に返事したら怪訝な顔されちゃった。おっとまずいまずい。フランシスが言ってたっけ。基本的に返事は「あ、うん」だって。何処かのダメな王様みたいだな。

 それに、気持ち声を高めに。なんで私の方が声が低いんだよ。ちょっと傷ついちゃう。メラニーさんとか親方が大声でしゃべってて、つられて私も怒鳴っちゃうからだ。これからは少し咽喉に気を使おう。蜂蜜とか、厨房から拝借できないかな。

 食堂の場所も事前に教えてもらっていたし、下見もしてあった。広い部屋。『至高の蹄鉄』亭の酒場より広いんじゃないかな。それに、燭台が沢山ともしてあって、お昼みたいに明るい。はぁー、すごい。

 酒場のバーカウンターよりも長いテーブルには、シルクの白いクロスがかかっていた。これ、何かこぼしちゃったら大変なことになるよね。見ただけでぞっとしてくる。ベッドシーツより高級なテーブルクロスなんて、意味が判らない。

 椅子に座る時には、召使いの人が引いてくれた。お礼を言いそうになって、慌てて言葉を飲み込む。うう、美味しく御飯を食べたいだけなのに、なんだか窮屈きゅうくつだ。貴族って大変だなぁ。

 広い食堂、大きなテーブル。でも、座っているのは私だけ。ぽつーん。周りに何人か召使いの人がいるけど、みんな目を閉じて控えている。物音ひとつ立てない。えええっと、待っていればいいんだよね?

 料理はすぐに運ばれてきた。最小限のテーブルマナーについては、フランシスに教わっていた。ずらり、と並んだフォークとナイフ。これを外側から順番に使っていく。でも、このお屋敷で一番偉いのはフェブレ公爵家の人間なので、面倒だったら好き勝手にしても良いらしい。いや、じゃあそんなマナーとか必要なくない?

 雰囲気とか、決まり事とか、フランシスのふりとか、やること、考えることがいっぱいでぐるぐるしてきちゃったけど。目の前にどん、と最初のお皿が置かれたら、何もかもが吹っ飛んでしまった。ふおおおお、前菜、っていうか野菜。

 山盛りの、お野菜!



 満足。至福の時間でした。もう周りとか良く覚えてない。記憶にあるのは、素晴らしい料理の数々と、その味わいのみ。

 夢見心地で、ふわふわしながら裏庭へ。フランシスをずっと物置で待たせているわけだし、早く元に戻らないと。あああ、でも美味しかったなぁー。

 物置の中に入ると、フランシスがごろんと床に横になっていた。ちょっと、私の服、汚さないでよ?

「ああ、その様子だと良かったみたいだな」

 判ります?

 ふふふ、最初はこんな入れ替わりとか意味判らないし、野菜泥棒を見逃してもらうために仕方なくって感じだったんだけど。

 今はもう、言葉にならないくらい幸せ。お野菜。あふれんばかりのお野菜。サイコー。

「うん、すごかった。特にメインディッシュのステーキ」

「ステーキ!?」

 フランシスが目の色を変えた。ステーキって言葉、素敵よね。いや、駄洒落じゃなくて。人の心をとりこにする魔力を持っているよ。

「そう、ナスとタマネギのステーキ」

 ぷしゅしゅしゅ。

 ああ、フランシスがすごい勢いでしぼんでいく。なんで?

「野菜かよ!」

「野菜だよ?」

 あのナス、特別な種類なんだね、物凄く大きかった。それを輪切りにして、その上に更に輪切りにしたタマネギが載っている。普通ならチーズをかけてまとめるんだろうけど、フェブレ公爵家のシェフはこれを器用に型崩れさせずに焼いてくれた。かかっているソースがまた野菜ベースの濃厚な味わい。ナスのスポンジみたいな身が、油とソースを程よく染み込ませていて。

 ううん、思い出すだけでたまらん。

 あれ? フランシスは真っ青な顔をしている。もう、あんなに美味しい野菜と、上等なシェフのコンビネーション、なかなかお目にかかれるものじゃないよ? 良かったの? 私なんかが食べちゃって?

「美味かったんだろう?」

「うん、とっても!」

 ああ、また口の中に味が蘇ってくるよ。頬が緩んで、ふにゃ、ってなっちゃう。うん、至福。

「じゃあ、それで良いよ」

 フランシス、なんで嬉しそうなんだろう。そんなに野菜が嫌いなのか。それはそれで困ったもんだ。まあ、私は大好きな野菜を美味しくいただけたんだから、それで満足なんだけどさ。

「そういえば、フランシスは晩御飯どうするの?」

 私が今食べてきちゃったのが、フランシスの夕食なんだよね。じゃあ、フランシス本人は何を食べるんだろう。

「僕はお菓子でも食べてるよ。部屋に沢山あっただろう?」

 ええ? そうなの?

 確かにフランシスの部屋、勉強机の上には、お菓子やら何やらが大量に積み上げてあった。野菜を食べないで、あれでお腹を膨らませるわけか。

 えー、それってどうなの?

 栄養バランスとか、いわゆる食事としてとか。うーん、どうにも納得しがたいな。

「フランシス、今から時間ある?」

「今日はもう寝るだけだから、ないこともないけど」

 やっぱりお菓子が御飯の代わりとか、私は認められない。とりあえず服を元に戻して、カンテラに灯りをともして。

 さあ、行くよ。一食の恩義は、一食で返す。それが下町の流儀ってヤツだ。




 真っ暗な森の中を、ハンナはひょいひょいと進んでいく。その辺で良く判らない鳥とか、動物とか、虫とかが鳴いているのに。全然なんとも、全くこれっぽっちも怖くなんかないみたいだ。

 いや、僕だって怖くなんかない。フェブレ公爵家の御曹司だ。夜の森ぐらいなんともない。女の子のハンナが平気なのに、男の子の僕が怯えるだなんて、そんな。そんな。

 ・・・ごめん、ちょっと怖い。

「ん」

 僕のそんな様子を見てか、ハンナが手を差し出してきた。小さくて、白い掌。僕と同じだけど、ハンナの方がちょっとだけガサガサしている。『あかぎれ』だとかなんだとか。

「この森ではぐれると面倒だから、手をつないで行こう」

「わ、わかった。はぐれると面倒だからな」

 ハンナが微笑んでうなずいた。くそ、怖くなんかないって、はっきり断言した方が良いのかな。でも、そうすると実は怖いって認めているみたいだよな。実際怖いけど、怖がってなんかないって思ってほしい。

 きゅって握ると、胸の奥がどきっとする。ハンナはずんずんと僕の前を歩いていく。不思議な子だ。僕を屋敷から連れ出して、何処に連れて行くのだろう。

 冷静に考えると、とんでもないことをしていると思う。このまま誘拐されてしまう可能性だってある。僕はハンナのことをほとんど何も知らない。

 まあいいか。ハンナには野菜料理を食べてもらった恩があるんだ。

 それに、あの笑顔。幸せそうなハンナの笑顔が見れたから、僕は満足した。いいよ、ハンナ。僕は、もう君に預けた。このまま何処にでも連れて行ってくれ。野菜の国以外なら、何処へでも。

 森を抜けると、街灯の少ない裏通りに出た。ハンナのカンテラが、夜の街で揺れる。二人の子供が、静かに歩いていく。初めて見る、暗闇に包まれた街の姿。ぼんやりと光の中に浮かぶハンナ。ああ、また胸の奥が痛む。僕はナルシストじゃない。あれは、僕と同じ顔をしている、女の子だ。

 笑顔がまぶしい、野菜が好きなハンナ。

「さ、着いた着いた」

 ハンナが得意げにそう言って立ち止まった。ここは何処だろう、夜だというのにそこかしこに灯りがあって、がやがやと騒々しい。目の前にあるのは、酒場だろうか。色々な匂いが混じって、頭がくらくらしてきそうだ。

 軒先に吊り下げられた大きな看板には、『至高の蹄鉄』と書かれている。ん? どこかで聞いたことがあるな。

「表からだと目立つから、裏からね」

 勝手知ったる様子で、ハンナは建物の隙間に入り込んでいった。さあ、いよいよ怪しい感じだが。

 僕はフェブレ公爵家の御曹司だ。怖いことなんて何一つない。

 少なくとも、野菜以外は。




「メラニーさーん、ただいまー」

 裏口からお店の中に入って、厨房に向かって声をかける。この時間ならここにいるでしょう。予想通り、ぬぅっとタル状の巨体が姿を現した。

「ハンナ、何処ほっつき歩いてたんだい」

「ごめーん、ちょっと外で御飯いただいてきちゃって」

「はぁーっ!?」

 お店の方がいつも通り大騒ぎなので、自然と会話が大声になる。これだよ。これのせいで咽喉が潰れるんだよ。

「じゃああんた晩御飯いらないのかい?」

「そのことなんだけどさ」

 ちらり、と後ろをうかがう。あ、フランシスが固まっている。私の手も握ったまま。大丈夫かな。

「おーい、フランシスー?」

 目の前で掌をひらひらされて、ようやくフランシスはこちらの世界に帰ってきた。やあやあ、ようこそ『至高の蹄鉄』亭へ。私の職場にしてねぐら、愛しの我が家ですよ。一泊二食付で、この辺りの宿の中では断トツの安さとサービスを誇ります。

「その子、何?」

「あー、えーっと」

 どうしようか。いくらなんでもここの領主の息子、って言うのはマズいよね。メラニーさん引っ繰り返っちゃいそう。答えに迷ってフランシスの方を見たら。

「こんばんは。ハンナの友達です」

 フランシスはぺこん、と頭を下げた。おおっと。

 友達。そうか。考えてみたら、私のフランシスの関係ってなんだか曖昧だった。私は野菜泥棒で、フランシスは温室のあるお家の子供でって。ずっとそれを引きずって来ちゃってたけど。

 友達、で良いんだよね。

「友達って・・・」

 メラニーさんは、私とフランシスの姿をまじまじと見比べた。

「生き別れの兄妹、とかじゃないよね?」

 思わず顔を見合わせて、私たちはくすくすと笑った。うん、そっくりだよね。困っちゃう。訂正、困るだけじゃなくて、良いこともある。少なくとも、私は良いことがあったかな。

 そうそう。

「メラニーさん、この子に私の晩御飯を出してほしいの」

 メラニーさんに、大雑把に事情を説明した。フランシスの晩御飯は、私が代わりに食べてしまった。このままだとフラシスが夕食抜きになってしまうので、私の分はフランシスに。オーケー?

「何やってんだか」

 あきれ顔で、メラニーさんは厨房に引っ込んでいった。よし。フランシスの手を引いて、奥の部屋に向かう。従業員用の休憩室だ。フランシスの家の物置よりも狭いけどね。私たちはここで、交代で晩御飯を食べることになっている。

 色々と物珍しいのか、フランシスはきょろきょろと周囲を見回していた。あー、ごめんね汚いところで。フェブレ公爵家のお屋敷に比べれば、『至高の蹄鉄』亭なんて確かにあばら家だよね。まがりなりにも宿泊施設なんだし、私ももっと綺麗にした方が良いって常々言っているんだけどね。

「ハンナ」

 ん? フランシスが神妙な顔をしている。どうしたんだろう。おしっこ?

「友達って言って、良かったのかな?」

 へ?

 ああ、うん、良いんじゃない?

 私とフランシスは、友達だよ。私たちは友達。野菜が好きな私と、野菜が嫌いなフランシスは、野菜つながりの友達です。




 なんかどさくさに紛れて友達とか言っちゃったけど、大丈夫だよな。ハンナはにこにこしている。うん、僕とハンナは友達になった。ちょっとばかり不思議な感じだ。

 ハンナにしてみれば、ウチに忍び込んで野菜を盗み食いしたっていう負い目があったんだろうけど。そんなことはかなり真面目にどうでもいい。だって別に野菜がどうなってしまおうが、僕には知ったことじゃないんだから。

 それより、僕の代わりに『お母様の野菜の日』の野菜料理を食べてくれたこと。いやいや、更にそれよりも。

 あの、幸せそうな笑顔を見せてくれること。僕にとっては、それが一番嬉しいのだ。

 友達。そうだよね。友達なら、またハンナに会えるよね。今日だけじゃない。次の『お母様の野菜の日』にも、ハンナには来てもらいたい。あのろくでもない山盛りの野菜料理を食べて。お腹いっぱいで幸せだって。

 素敵な笑顔を、見せてほしいんだ。

「はいよー、お待たせー」

 そう言って、メラニーとかいうおデブのおばさんがやって来た。ハンナがたまに名前を出していた人だ。ものすごい迫力。お母様なんてつまずいただけで手足がぽきぽき折れてしまいそうだけど、この人の場合は転んだら床に穴が開きそうだ。

 どすん、という音を立ててテーブルにお皿が置かれた。む、すごく良い匂い。なんだこれ。肉じゃないか。肉の塊。

「残り物で、すじばっかりだけどね」

 いやいや、十分です。っていうか、これ、僕が食べても良いんだよね? ハンナの方を向いて確認する。うん、うなずいてくれた。ハンナ、君、毎日こんなの食べてるの?

 ズルくない?

「いただきます」

 うわぁー、ナイフが通らない。固い。筋張すじばってる。がぶり、とかじり付くと、口の中に肉の味が広がる。おお、いいね。くっちゃくっちゃ噛むけど、全然ちぎれない。小さくならない。味はドンドン染み出してくる。うは、肉肉。

 たまらん。

「こんなのでゴメンね」

「何言ってるんだ。肉、この歯ごたえがたまらないんじゃないか」

 野菜なんてグジャッとしたりシャクッとしたり、実につまらない。この弾力、噛み切れないほどの存在感が肉ですよ。美味い。

「えー、変なのー。野菜の方が美味しいよー」

「変なのはそっちだ。肉の方が断然美味い」

 まったくけしからん。肉に失礼ってもんだ。

 もういい。ハンナ、次の『お母様の野菜の日』にはまた屋敷に来い。好きなだけ野菜料理食って良いから。

 その代わり、僕にはこの肉料理を食べさせてくれ。こんな美味しいものよりも野菜が好きだなんて、お前はやっぱりバカだ。お互いにいらないものを譲り合うなら、間違いなくウィンウィンの関係だろう。

「まぁ、いいけどさ」

「なんだ、嫌なのか?」

「嫌じゃないけど」

 ハンナはそう言って、自分の服をつまんだ。う、なんだよ。僕がハンナの服を着るの、そんなに嫌か?

「次の時は、服、洗ってからにする」

 ええっと、ごめん、気になってたのか。その、確かにちょっと臭いはしたけど、そんなに神経質にならなくても良いんじゃないのかな。僕は、ハンナの匂い、嫌いじゃないから。

 むぅ、ってハンナに睨まれて、僕は慌てて肉の塊を口の中に放り込んだ。

 こういう店の食事って初めてだけど、判りやすくてメリハリのある味付けで良いじゃないか。屋敷の料理人も悪くはないんだけど、僕はこういう方が断然好みだな。

 それに。

 食事の時、こうやって誰かと話しながらって、初めてだった。

 すぐ目の前にハンナがいて、僕の食べる姿を見ている。「美味しい?」って訊いてくれる。

 うん、美味しいよ。

 多分、僕は今、生きてきて一番に美味しいって思ってる。「良かったね」って応えて笑うハンナが、とても可愛い。


 僕は、次の『お母様の野菜の日』が、ほんの少し待ち遠しくなった。



 その後、カンテラだけ持たされた僕が山の中をさまよって、いかに苦労して屋敷に帰り着いたかについては、思い出したくもないので割愛させていただく。

 女の子に送ってもらうだなんて、そんな格好悪いことできるわけがないだろう。ちくしょう。


 そんなこんなで、僕はハンナに出会った。僕と同じ顔で、女の子で、野菜が好きで、笑顔が特別に可愛いハンナ。ハンナのお陰で、僕はこれから先の『お母様の野菜の日』を無難に過ごすことができそうだ。

 それに、ハンナに会うことで、あの素敵な笑顔を見られるのかと思うと、とても楽しみな気持ちになってくる。

 野菜の女神ハンナ。

「あなたが落としたパプリカは、この金のパプリカですか?」

「いや、ピーマンです」

「ピーマンとパプリカは違います! 罰としてパプリカをいっぱい食べなさい!」

 とりあえずこんな夢を見るくらいには、僕はハンナのことを意識し始めていた。


 へんなの。

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