第8話 閑話

 母親がタナトと名付けた少年は13歳のときに父親を流行病で失い天涯孤独となった。隣に住んでいた幼馴染みの女の子はタナトの告白を受けたとき、彼の容姿を理由に手酷く振った。


 以来、タナトは自分が醜い容姿であることを自覚すると同時に村人たちに憎悪を抱くようになる。

 他の人間が自分よりほんの少しでも優れているところがあると許せない。

 特に告白した少女が幸せに近づくにつれてタナトの心は荒んでいった。

 村にいることが辛くなったタナトは当てもなく村を出て魔術師アーロンに拾われる。

 以後、タナトは名をモースと改め、魔術を学んだ。


 生まれた時から母親の愛情を知らなかったモースはいつも愛情というものを夢想していた。


 母親が魔法で蘇ればきっと自分を愛してくれる。

 そんな根拠のない望みにモースは徐々に取り憑かれ始めていった。


 ある日、禁忌の魔法により死者を蘇らせる魔法を行使してしまったモース。

 召喚は失敗だったが、霊魂となった母親の姿を見ることが出来た。


 アーロンから破門されたモースは以降、孤独を紛らわすかのように死者蘇生魔術の虜となる。


 あのときの失敗は贄が足りなかったせいだ――。


 モースは取り憑かれたように召喚の贄を求め、殺し、殺し、殺し続けること十数年。

 気付けばモースは黒翼こくよくの風という組織に属していた。


「モースよ。お前に新たな贄を紹介しよう」

 同志は皆、心に黒い感情を持つ人間たちだった。

 しかしそんなことはモースにとって関係が無い。


 贄が手に入る。それだけで充分なのだ。

 死者を呼び覚ますことは神にも等しい力。

 自分よりも優れた人間などいない。

 だからこそ、他人がどうなろうと自分には関係がない。

 猫のように丸まった背からは色のない不気味な声が漏れる。


「ありがたき幸せ」


 贄は魔力が高い者ほどより優れている。

 後1人で贄は充分に満たされる予定だった。


 そして、モースは言われた場所と時間に現れた人間を殺す。

 いつも通り淀みのない手さばきでモースに相対した人間には反撃する暇さえ与えず殺す。

 殺してみてからそれが若い女だったことが分かる。


 これも誰かの母親になる女だったのだろうか。

 そう思うとモースは不思議と笑みが浮かんでくるのだった。

 

 モースの力はそうして母親の復活のみに使われるはずだった。

 

「なんだお前は!?」


 作りかけの召喚陣から現れた影は黒髪黒目の少年。

 全く憤りも甚だしい。


 モースは母親の復活のために長い歳月を掛けて召喚の義を準備してきたというのにそれを勝手に台無しにされて出てきたのが男などとは。

「なんだ……一体俺は何を間違えた……!?」

 少年は従僕のようにじっとこちらの様子をうかがっている。


 試しに命令してみると驚くほどすんなり聞き入れたので、ひとまず一番危惧していた召喚時の暴走は免れたらしい。


「しかし、これは……」


 体温、呼吸、生者のそれである。

 作りかけだった魔方陣から出てきたこともおかしい。

「モースよ、もう良いじゃろう」

 どこからか、声がしてその魔力の残滓を手繰れば野ねずみが一匹迷い込んでいた。

 洞窟の中とはいえ、周囲はモースの作った岩盤。こんなところに忍び込むのは自然には無理だ。


 とすればこれは使い魔である。

 案の定、ねずみはモースを見ていた。

 モースはその声の主に丹田から憎悪を込めて低い声を漏らした。


「アーロン……」


 未だに生きていたことに驚きを隠せないとモースは杖を構える。

「久しいな、モースよ」

 ねずみは飄々と喋りだした。

「お前に死者蘇生の魔法と嘘を吐いた儂は忸怩たる思いを抱いておる。

 あのとき、偶然母親が現れなければお前はここまで道を踏み外さなかったじゃろて。

 あの魔法はな……自分が望んだものの姿を映し出す法なんじゃ」


「そんなことは……そんなことはとうの昔に知っていましたよ、アーロン。

 嘘だったことも魔法の限界も。それでも私はその魔法と召喚を1つにしたかった。魔法は――人の願いを叶えるモノだ」


 モースは恍惚の表情だった。

 まるで穢れを知らぬ子供のようにあどけない顔で、いつか見たアーロンの記憶にも懐かしきあの純粋な瞳――。

 アーロンはモースの邪悪なる部分に気づけなかった。

 狂気と好奇心の狭間で苦しむ弟子に掛ける言葉が見つからない。


「モース……」


 その言葉を最期にねずみは不意の炎に包まれた。

 それをじっと見つめるモースの瞳はもはや何も映していないかのように暗く色づいている。

 ジタバタともがきながらねずみはやがて動かなくなった。


「さて、お前がなぜ私の下に召喚されたのかその神の御心を覗かせて貰おう」




 ◇◇◇


 モースは歓喜していた。

 やはり神は自分を見捨ててなどいなかった。

 例えば女が召喚され、母親と似ているなどという理由であればモースはこれを蠱毒に漬けた上で八つ裂きにし火に焼べただろう。


 だが、現れたのは男。

 まったく母親とは関係がないのになぜモースの呼びかけに応じるのかはその力を見てすぐに分かった。


「この創造の力……なんと恐ろしい力だ……私は神をも越えてしまった……世界の魔法など稚戯にも等しいではないか――」

 万物を対価なしに無償で作り出す力。

 見た物をそのまま写し出す力。


 残念ながらいくらかの制限が存在し、本人が考えつかないものは創造できないようだがそれも些末な問題。


 モースは鳥肌を立てて打ち震えていた。

「母さんに会える……母さん……」

 その事実ばかりか、母親は完全な|生前の(・・・)かたちで蘇る。


 それだけじゃない、モースは無限の魔力源を手に入れたと思った。

 召喚した男には魔力の底がなかったのだ。


 当然だろう。生み出しているのは神秘そのもの。魔力など存在していたらあっという間に枯渇どころか存在の全てを代償に失うだろう。


 他者から魔力を奪うルーンをまだ若い男の体に刻みつけ、モースは完全な存在となったことを確信した。

 


 ◇


「モース、なんだその小僧は」


 定例集会で黒翼の風のリーダーである男に不遜な視線を向けてモースはにやりと口端を上げた。


 メンバーがそれぞれ魔術を用いて集まっている。

 普段であれば下っ端の実力しかないモースがこのような態度を取れば直ぐさま殺されるだろう。

 しかし、この時ばかりは尊大な態度で佇んでいたため、それを訝しみそのようなことにはならなかった。


 薄暗い洞窟の闇に浮かぶ13の影はモースを含めて全てが虚像であることも幸いした。

 

 異様な空気が立ち籠めていた。


「俺の使い魔だ。俺はあんたのおかげで全てを手に入れた」


 一番奥にいた男の他にも数人が若干の反応を示した。

 それはモースにしかわからない微々たるものだったが、モースはそれだけでこの上ない優越感を得ていた。


 自分は今やこの中の誰よりも強い。その自信がモースを大胆にさせる。


「何を根拠にそのような世迷い言を垂れているのかしらんが、今日の贄は――「必要ない」

「何……?」

「必要ないと言ったんだ。俺の悲願は成された。後はここまで俺を導いてくれた黒翼への義理立てしかない」


 そこで一番奥の男がふと気を緩めた。


「そうか、では贄はやめて今回は義理立てをして貰おうか」

「だが1つ条件がある……それは俺がこの組織のトップということを全員が認めることだ」


 ざわつく男たち。

 モースは組織のリーダーに喧嘩を売っていた。

 実際、モース自身も早計かと思ったものの無限の魔力に神の創造力とくればこの程度の組織に頭を下げる気になど到底なれないと考えを改めた。

 組織の|長(リーダー)は神にも等しき自分がなるべき。皆が頭を垂れるのなら助けてやってもいいとモースは思ったのだ。


「よかろう、今日からはモース。お前がこの組織のリーダーだ。

 誰もお前には逆らわない、私はお前をサポートするだけの駒だと思えばいい」

「っ、話が分かる。戦う気だったら殺せたが、聞き分けがいいお前らに俺の力を少し見せてやろう」


 周囲は息を呑んでいるのが分かる。

 モースは若い男の能力を使い以前この組織が狙っていたティルフィングという妖剣を顕現してみせていた。

 惜しくも帝国の魔剣士が自らの命と引き換えに破壊した一品の完全な複製品である。


「見たか? 別に俺が本物をかっさらったわけじゃ無い。

 こいつはただの模造品でもあり本物だ。

 だが俺の命を狙おうなんて考えは止せよ?

 ただ俺はこの世界で手に入らない物はなくなったと言いたかっただけだ。

 お前らのリーダーにふさわしいだろう」


 モースはくつくつと笑いを堪えるのに必死だった。

 目の前の奴らの唖然とした顔、そしてかつてリーダーだった者の絶望と嫉妬に満ちた瞳の色が溜まらなく心地よい。


「そこまでの力を手にしたのか、モース。いや、モース様と言った方がいいのかな」「やめろ、いきなり敬語も気持ち悪い。

 だが、俺に従順な者に対してはいくらでも褒美をくれてやるぞ?」

「ふん、ならば今まで通り話させて貰うとする。

 我々は誰もお前に逆らわないし逆らえない。

 だからこそ、お前には秘密にしていた情報も貰ってほしい。

 後で恨まれては堪らんからな」


 そう言って話したのは銀鳥(ぎんちょう)の娘、名をエリシアという冒険者の1人だった。


 ほうとモースは息を吐いた。


「知っての通り、銀鳥は失われし龍の血脈を持った亜人の隠語。

 先日トゥレラがそいつの育ての親から吐かせた情報だから信憑性は高い。

 そいつの心臓を手に入れれば……後は分かるな?」


 ドラゴンには万能の力がある。

 すなわち不死の妙薬に使われる材料だ。

 逸話はいくらでもあるが、結末は恐ろしくモースもその手の話はいくらか知っていた。しかしそれは手に入れた者が無能が故にと皆考える。

「不老不死になろうという腹だったのか?」


「心臓はお前に譲る。私からの忠誠の証と思って好きに使ってくれ」

「別にその娘の体を俺に献上してくれてもいいんだぞ、龍人ならいい働き手になる」


「皆で追っていた情報だ。心臓も体も独り占めされてはこの中の誰かが離反してしまうだろう。

 お前もそれは困るのではないか?

 情報料くらいにはトゥレラに譲ったほうが良いと思うが」


 モースはトゥレラを盗み見たがその深淵のフードの下に隠された眼は窺い知れず、姿は微動だにしない。

 その様子は細波のようにモースの心に不安を煽った。

「……仕方ないな」


「話がまとまったな。殺した後は我々が回収する手はずだったが、今ではその立場は逆転してしまったな」


 くかかかとモースは笑う。

 今まで何の興味もなかった黒翼の風という組織はレアアイテムのためなら手段を選ばない。

 モースは唇を舐めて今後得られるであろう力に思いを馳せた。


「ではな」


 モースの虚像が消えるともう1人も姿を消す。

 残った11人に安堵の息がそれぞれ漏れた。


「あの剣、本物だった……」

「モースの奴、一体なにを召喚したんだ?」

「リーダーが暗に動くなと言ってくれなかったら俺は奴に殺されていた気がする」


「虚像ごしにか?」


 失笑が起こった。

 それぞれ思い思いに口を開く中、リーダーの男が口を開いた。


「私の考えを話してもいいだろうか」

「ああ、頼む」


 11人は静聴する。


「まず、モースは私が直々に手を下す。念のためにフレアは私に同行しろ」

「はい、アステル様」

 一息吐いてからアステルは全員を見渡した。


「突然強大な力を手に入れた者は誰でもかように忠誠心を忘れ、己の欲望に飲み込まれる。

 この組織にとってそれが仇なすものであるからこそ私はそれを排除しなくてはならない。お前達は私にモースのような失望を抱かせてくれるな」

 

 返事を返す者、無言で立ち去る者、言葉の真偽を伺うように見つめる者、様々だったがアステルは全員の虚像が消えるまでその場に佇んでいた……。

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