第4話 勇者、逃げ道を断たれる
その日の朝は盛大なパーティだった。
お別れのパーティである。
結局ろくな案も浮かばなかった俺たちに残された道は1つしかないとみんなその心の準備をしたに過ぎない。
まあ、名目はただの朝食会でも俺にとってはお別れパーティだ。
もちろん、勇者(おれたち)が指名する少女は来てくれる。
俺も例外なくシフォンには誰か呼ぶように言われた。
「希望者でいいよ」
「なりません」
「どうしてさ」
明朝からのパーティなので席が限られる上に俺の元に来たいというやんごとなき女性たちは初日のスキルのこともあり万という数に届こうとしているらしい。
どこのハリウッドスターだ?
「じゃあ、メイアと一昨日一緒に遊んだ子の誰かでいいよ」
「誰か……ですか」
「シフォンさんに任せる」
「承知いたしました」
この先に起こることを考えれば本当に結婚なんて事態になるとは思えないし、万が一あったとしても当分先の話だ。
ただ、今の俺たちに必要なのは明日に生きているという当然のことだけだ。
そのために国を侵略しようというのだから……躊躇いも生まれる。
「元の世界に戻れさえすればな……」
侵略なんていつの時代もろくなものじゃないと思う。
少なくとも元の世界じゃそうだった。
この世界じゃどうなのだろう。ひょっとしたら血を流さなくても戦う方法なんかがあったりするのかもしれない。
「お召し物でございます」
白い腕がすっと伸ばされたとき、シフォンの胸元に自然と目が泳いだ。
綺麗な白色の谷間の上に見えるペンダントはメイドとしては意外、というか目立ちすぎなアクセサリーに思う。
「そのペンダントは」
胸を手で押さえ身を捩って退くシフォンに俺はしまったと感じた。
「ごめん」
それきりシフォンとはあまり会話のないまま一昨日とは違う部屋に案内される。
「こちらでございます」
来る途中、何人かの男と出会った。
みんなごわごわした派手な威容を持った姿で立ち止まって俺たちに頭を垂れるものだから気が重たい。
「良かった、桜木君は残ってたんだ」
岩部や他のみんながデタラメに長いテーブルの脇で固まっていた。
壁際には専属のメイドが等間隔で並んでいるがその数は昨日よりもわずかに減っている。
「俺で最後か?」
「ああ、メイドは10人。消えたところをはっきり見たと報告してきたメイドは2人」「誰?」「前原と松下」「このまま1日2人消える計算だとしたら俺たち残り3日で全員消える計算だ」
「4日じゃないのか?」
「4日目の朝には全員消えてるだろ」
「あ、ああそうか」
坂本のとぼけぶりを横に大臣が奥の方から媚びた声を上げた。
「皆様、どうかまずは席にお着き下さい。お食事にしましょう」
しぶしぶ、というか嫌々な感じで俺たちは自然と自分のメイドの前に座っていった。
大臣が軽く手を叩く仕草をすると端の方から絢爛な衣装に身を包んだ少女らが歩いてくる。
雛壇さながらの様子に息を呑む俺だが、手放しで喜べない状況だけに気持ちはどこか落ち着いていた。
「では、ごゆっくりと」
いつの間にか大臣の側にも演奏者のような楽器を手にした集団が居座っていて、音楽が流れ始める。
なるほど、パーティのときに流れていたのはこの人たちの演奏かと思うと同時甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「ユウト様、お加減はいかがでしょうか」
こちらの事情を既に知っているのか、メイアはさらりと述べた上で俺の横に立ってそれとなく二の腕を摩ってくる。
その姿は一昨日と同じ、夕陽のように凜とした姿だった。
高級な香りに甘い仕草で不思議な雰囲気のする女の子だ。
「まあ、悪くは無いけど……良い気分ではないよ。クラスメイトが4人も消えたんだ」
実はこの国のドッキリで1日2人ずつ減っていくホラーのような遊びだったとしたらまだ許せるかもしれない。
「そうですか……さぞお辛いでしょう。今日は私がユウト様を元気づけるためにマホウグをお持ちいたしました」
「……え?」
今。何と言ったんだ? 魔法具?
「魔族の宝と呼ばれているものです」
扇子で口元を隠しながら小声で話すメイア。大声で口に出来ないほど価値のあるものなのだろうか。
「魔宝具には様々な効果がありまして――」
くいっと袖を引かれたので俺は引かれた側を見た。
目に涙を浮かべている少女がいる。
「ごめん、どうしたの?」
「座りたいの」
重そうな衣装に身を包まれた少女はやっとの思いで歩いて来たのだろう。
俺は立ち上がって右隣の椅子に少女を座らせると肩の辺りにテーブルの高さが来てしまっていた。
「シフォン」
後ろで控えているシフォンが露骨に嫌そうな顔をしていた。
俺は一瞬戸惑ったものの背の高い椅子を探して欲しいと言うと何処かに歩いて行く。
「ありがとお兄ちゃん」
「下々を使う者がおかしな真似をするからいらぬ苦労を買うのです」
なぜかメイアの言葉がはっきりと聞こえた俺は聞こえない振りをして良い香りの元を探した。
他のメイドたちが料理を配膳するところらしい。
「ほら、もうすぐ食事が来るよ」
「はい」
切り替えの早い子で満面の笑みをこちらに向けてくれる。
精一杯のその様子がどこか微笑ましくて荒み掛けていた心がわずかに洗われた。
「メイアも座って」
「ありがとうございます」
周りの女の子が座っているのにメイアを座らせるのが遅れたことにメイアは礼を欠かれたと少し腹を立てているのか、声色にそう感じた。
「それでは、食事が運ばれて来ましたら先ほどのお話の続きをするとして略式ではありますがこの国の作法で改めてご挨拶を」
うーん、そういうのいらないんだけどなあ。せっかく座って貰ったのにわざわざ席を立ってまたこっちに向き直ったし。
俺が日本人だからなのか、一応雰囲気を読んでメイアと対面してしまう。
「この度は私メイアをお招きに預かり誠、感謝を申し上げます。
この出逢いに先祖の神なる導きに慶びまわしますと共にパナーン王の臣下に連なる
何か凄い日本語だな……。あ、日本語じゃ無いのか。
「ルイラ神の名の下に」
よく見たら他の子たちもなんかやってるな。
クラスメイトのみんなは相当どん引きしてる感じか……あ他の子も胸に手を置いてから人差し指を折って頭を下げた。
「終わりました」
メイアは終わったらしい。
「それ必要なの?」
失言と感じたのは怒りに歪むメイアの表情からすぐだった。
顔を真っ赤にしてテーブルの正面に向かって俯きながら座った。
「ごめん、俺の世界じゃあんまりそういう習慣はなかったから……」
「今の……今のは儀礼的なものですのでユウト様のように異世界から来られた方には無用のものかもしれません……しかし、私たちは自らの身に起こった事よりも先祖の神々たちにまず全ての礼を尽くすのが習わしですので……」
ああ、これ相当軽蔑されたかも。
「分かるよ、俺の世界でもご先祖様に感謝する習慣があるから」
仏様としてだけど。
「そうですか……それを聞いて安心致しました。ただ、それが必要かどうかと言えば無用ではないと思うのですが」
ようやく我を取り戻してくれたが、にこやかに微笑むメイアが怖い。
目が笑ってない。
「そうだね」
危ねえ。どこに地雷があるかわからない。
難しいな。
「お待たせ致しました。こちら、パパライ鳥のアリュエルでございます」
なんか、ムニエルみたいにさらりと謎の調理法を言われたんだけど出てきた料理はなぜか紫色に染まった2つの物体。腹から野菜が飛び出し、足の表面にはこれまた紫色のひょろ長いものをうぶ毛のように生やしている。
どういうセンスしてんだ?
コックはそのまま次の席へ移った。
隣の奴との間隔が広すぎて声は聞こえないけど、八幡もそのグロい見た目に相当びびっているらしい。
「この料理は昔、婚約者に裏切られた乙女がその恨みのあまりに他の男と情事を結ぼうとしてさらに失敗して世の男に復讐するために創作した料理という逸話が起源とされています」
意味がわからん。
「つまり、その女の人は料理人になったということか」
「まあ、差し当たってはそうなのでしょう」
考えるのは止そう。
カチャカチャとフォークとナイフとハサミっぽいものを使って俺の横で格闘を始めた少女がいる。ってかハサミ使うのこれ!?
「はい、お兄ちゃん」
「あ、え。ありがとう」
ぐちゃぐちゃになった紫の肉と野菜の紫パラダイスが俺の皿に載せられる。
が、それをしばし見つめた後思い付いたようにそれをフォークで刺してから俺の顔の前に持ってくる。
「あーん」
有無を言わせないおままごとのようだ。
俺は躊躇いつつもそれを口にしてから咀嚼してみると仄かに甘い肉と野菜のうま味が口に広がる。
あぶない、吐き出しそうな味だったらこの子に未来永劫のトラウマを与えてしまっていたところだった。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
体に馴染んでいくような味だ。
色と見た目は酷いものだけれど、シチューをブドウ漬けにしてワイン風味にしてから煮込んだ野菜のうま味を持ってきた感じか。
よくわからんが、舌の奥で鳥っぽい味が逃げ惑っている。
「みゅうはこの尻尾が好き!」
躊躇いなく両足の股から伸びた尻尾をハサミで切り落とすとそれをフォークで刺して俺の口元に持ってきた。
「あーっん」
うう……見た目が紫色っていうのがなあ。
目を瞑って口を開けると上顎にフォークが軽く刺さり掛けた。
「んん、コラーゲンみたい」
「こらーげん」
「イカの怪物ですか?」
それはクラーケンって違うわ。
何とも表現に苦しむ絶妙な味だ。後味にバターしょうゆのようなお菓子っぽい味がするところが多分この女の子には美味なのだろう。
「おいしい?」
「おいしいよ。もうお腹いっぱいだから……後は食べて。ありがとう……」
昨日までは日本で食べたことのあるような生野菜っぽいものとかパンを中心に選り好みしていたから今日の食事はかなりハードル高い。紫色を思い出すと胃液がせり上がってきそうだし。
「この世界の食べ物はユウト様のところとは随分違うようですね」
「全然違うね」
パンも黄色かったりするし、まあ着色料入ってるメロンパンと思えばいけたけど。
慣れるのには時間がかかりそうだ。
「良ければ私がお手伝いしましょうか?」
「え、どうやって?」
「ユウト様はただ目を瞑って口を開けてください。そこに私が運びますので」
「悪いよそれは」
そこまで甘えるつもりなんかない。
ぐいと寄せられた席に妙な緊張感を覚える。
「どうか致しましたか?」
顔が熱い。
メイアの髪から覗く白い肩が全身を協調しているように映えていて、自然と心音が高くなってしまう。
「いや、いい」
「そんな弱い否定のされ方では押し込んでしまいます。軽く押されると強く押し返したくなりません?」
確かにそうかも。
なんて思ってたらもうメイアの持つフォークの先にはあの紫色の肉があった。
◇◇◇
「申し訳ありません。つい楽しくなって渡しそびれてしまうところでした」
そんな言葉が出たのは料理のフルコースが終わって雑談する時間になってからだった。散々いじり倒された記憶しか無い。
「こちらが……見るのは必ずお一人のときにしてください」
何やらただならぬ様子で俺に手渡したそれは硬質な手触りのものだった。
とりあえず、その場で見ることはせずにポケットにしまい込む。
「それで今のは?」
「先もお話しました通り、魔宝具ですわ。本来ならユウト様が私をお選びになりました際にお渡しするものでしたが……こうなってしまった以上はそう遠くないうちに私たちが窮地に陥ることもあると思いますの」
ですからとメイアは続けようとしたところで何やら慌ただしく駆けてくるメイドがいた。長椅子を持って。
「シフォン」
「遅れまして申し訳ありません……」
「俺の方こそ無理言ってごめん……時間が掛かるなら言ってくれればクッションとかでも良かったのに」
「は……」
シフォンが目を点にしている。
「主が求める物ではなく、結果を達成するという機転も利かなくては本当のメイドとは言えませんわね」
ぼそりとメイアが呟いたのだが、シフォンはメイアにメイドとは思えない表情を見せた。
「ご忠告感謝致します」
どんと椅子を置きそれきり黙ってシフォンは後ろへ下がる。
自分のことをミュウとか言った少女は椅子の上で退屈そうにうつらうつらと船を漕いでいた。
心地よさそうなところに刺激を与えるのも可哀想なので長椅子の出番はもう無い。
「それで、話の続きは」
「今お渡ししたもので出来ることはレジスト。つまり魔法効果の遮断です」
「魔法……」
魔法ってあの何もないところからばーんって火を出したり水を出したりするあの魔法か?
「召喚魔法までは防げないでしょう。しかし、帰ってくるまでに魅了の魔法や服従の魔法を重ねて掛けられてしまえば例え無傷でも二度と私とは出会えません」
どうかこの魔宝具を使って下さい。
そうは言われても俺だけがそんなものを貰っていいのだろうか?
使い方は開いて覗き込むだけでいいらしい。
不安に思って視線を周囲へ回して見ると、どうやら色々貰っているのは俺だけではないらしい。
何か嫌な予感がした。
「ありがとう、必ず使わせて貰うよ」
「はい、必ず」
ぱんと手を叩く音がして大臣の声が響く。
「皆様、これにて勇者様へのご挨拶は終わりになります」
がたがたと皆が席を立つ。
俺も釣られるようにして席から立ち上がった。
「それでは、ユウト様。お帰りをお待ちしております」
「ありがとう」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
袖が引かれて下を見ると夢から覚めたミュウ(?)が口元を汚したまま俺を見上げていた。
テーブルの上に残ったナプキンでミュウの口元を拭いてやる。
「あのね、お兄ちゃんどこか遠くに行くんでしょ?」
「そうだよ」
「じゃあこれ」
首に掛かった何かを引っ張るようにして取ろうとして……取れない。
俺は奮闘するミュウを手伝って見窄らしい革紐のアクセサリーを受け取った。
ペンダントにも思えるそれは何やら不思議な色合いの緑石がはまったお守りのようだ。
「これね、お母さんから貰った大事なお守りなの。
未来の旦那様にあげないと駄目なんだって」
「貰っていいの? 俺は君の旦那様にはなれないかもしれないよ」
「いいの、だってお兄ちゃんにはこの世界にお父さんもお母さんもいないんでしょ? だから寂しくないように貸してあげる」
両手を差し出すミュウに俺はしゃがんで頭を下げた。
見た目も貧相だし、そう警戒することもないだろう。
「大事にするよ」
「ミュウのお母さんが付いてるからね。大丈夫だよ」
「え、うん……ありがとう」
こんな大事なものをと言い掛けたが、なぜかメイアから貰った物よりも温かみを感じた。
「ユウト様、そろそろ」
シフォンに促されるようにして俺は2人に別れを告げる。
「またいずれ」
今度があればいいのだが……。
廊下に来て俺たちだけになると不意に声を上げた奴が居た。
「みんな何もらった?」
廊下でいきなり女子みたいなことを言い出す奴が居た。
姉貴がいたから分かる。これはクリスマスを終えた後の彼氏持ち女子会の雰囲気だ。
「言うと思うか?」
かなりキレ気味なのは島脇。
こいつ遊んでそうで一途っぽいんだよなあ。
「尾野君も貰ってたよね」
「俺は坂本が貰うのを見たが」
「お、俺だって島脇が貰ってるの見たぞ」
うん、やっぱり全員もらってるみたいだ。
そして全員女子臭い。みんなどんだけ警戒してたんだ。
「ロリコンの桜木は?」
「は?」
ロリコンて。なんで俺はロリコンに?
「お前だけだろ、あんな小さい子呼んでるの。ここが日本なら犯罪だぜまったく」
「お前逃げられたから羨ましいだけだろ、俺も一応声掛けてみたけど怖がられたしな」
「坂本ぉ。お前ロリコンだったのかあぁ」
「やあめぇろおよぉ」
なんで嬉しそうなんだよ坂本。怖ぇよ。
それで? と俺に問い詰める島脇と坂本。
「別に……みんなと同じじゃないかな」
あれはただのお守りだし。
「はあ、俺たちはこれから全員で人殺しに出かけるんだぞ。何で浮かれていられるんだよ」
尾野がまたキレた。
いや、キレたっていうよりイライラしてる感じだった。
「尾野君も何か貰ったんだろ?」
「……」
さすがイケメンは口が堅いのか?
そう思っていたらいきなりポケットからブツを取り出した。
「お前らのもこれか?」
「……」
恐る恐る俺たちは自分のポケットをまさぐる。
8人全員同じ……だった……。
「使うなよ」
「いや使うって約束したし」
「効果は?」
「……」
言えない。言えば妬まれる可能性がある。
俺の嫌な予感はある意味的中していた。
「ろくなことにならないと思う」
気づけば俺はそう口にしていた。
「はあ!? おま――「皆様、旅支度の準備がございますので、どうぞこちらへ」
「マルモスさん」
「おや、どうか致しましたか?」
「こんなものを頂いたのですが、何かわかりますか」
柊だった。
さすが柊、女の貢ぎ物はどうでもいいらしい。
「これは……もしや皆様これをお持ちでは?」
「え、はい」
大臣マルモスは心底安堵したように声を低くした。
「これは魔道具の一種です。主に使役した魔族の脳から取り出す結晶石を自身の魔力に浸すことで相手の心を自身の魔力で取り込もうとする魔道具です」
「なっ」「ええっ?」「マジかよ」
「形こそそれぞれ微妙に異なってはいますが、魔石を魔力に浸すという行為そのものは一般的なのでそのような小さな入れ物に入っているのです。
決して開けないで下さい。
開けたら最後、その者の心は魅了されてしまうのです」
「わからない。どうしてそんなものを?」
柊の声は冷静だった。
「……」
マルモスも少し躊躇いがちに大きく息を着く。
「先手のつもりでしょう。
この国は大国とはいっても近年ようやくここまで統治できたのです。
あそこにいた多くの者ももとは諸外国の出身。
一夜限りであなた方の血をその身に宿そうとしただけかもしれません。
召喚されればどのような力を持ってしても自我の崩壊は免れませんから……」
はっとマルモスは目を見開いた。
それにいち早く反応したのは尾野だ。
「自我の崩壊だって? それはつまり、俺たちは廃人になるってことか?」
「ど、どういうことだよ!」
「自我の崩壊!? 服従で操られるだけだと聞いていたぞ!」
尾野は大臣を睨んだままなのか、動かない。
「は、はい。隠していても仕方がないので正直に言いますと、今回の再召喚における服従とは単に命令に従うだけの服従とは少し違います。自我崩壊……精神操作の類のものではないのです」「話が違うじゃないか!」「高橋は? 高橋は治っただろ」
「は、はい。高橋様には不憫に思っておりますが、あそこで用いたのは皆様のお手元にあるものと同じ、魅了の魔法でございます。ので、実際におこる自我崩壊や服従の魔法というものは存在しません。従って解除方法はわからないのです」
「はあ!?」
「ふざけるな!」
「騙したのか!?」
「再召喚は肉体に大きな負荷を掛けます。
世界で禁止された魔法の一種で脳が破壊され本来は死ぬのですが、あなた方は異世界からの来訪者。
私共が掛けた治癒の魔法により脳の損傷は軽微になりますが、代わりに思考機能が完全に停止し、人格が崩壊するということは生殖機能も同様に停止致します。
子を残せないばかりか、死ぬまで誰かの命令を聞く状態になってしまうのです。
故に服従とご説明したのです」
「あ、あありえない……」
「じゃあ、もう4人も……?」
「彼女たちは皆で相談した結果、魅了魔法をあなたたちに手渡したのだと思います。才智に富んだ方ばかりですので、私に看破されないとは思っておられないはず。
つまり、暗に子を残して関係を断ち切りたいという証でも――」
尾野は無言でそれを地面に叩きつけていた。
久保田は手を振り上げたまま振り下ろしていない。
「あいつらは俺たちを何だと思ってやがったんだ!」
「やめろよ、どうせ会ってたった2日だろ」
「島脇は平気なのか!? あいつらあんなに都合の良いことばかり言って最後には利用しようとしてるんだぞ」
「別に……地球の女と大差ないじゃん。あいつらにとって俺たちはその程度ってことだろ……」
最初から虫が良すぎる話とは思ったが何のことは無い。
全て計算づくだったのだろう。
「俺は彼女の操り人形でもなんでもいい。人殺しに行く? 侵略だって? 馬鹿みたいな話だ……俺は――「やめろ!」
久保田は躊躇いなくその箱を開けていた。一見すると丸いコンパクトミラーが付いている化粧道具のようだ。
しかし、それで自分を見た久保田はいきなり荒々しく叫びだした。
「うっぐぐうがガガ、ガガアア゛ア゛ァァァ――――――」
尾野が慌てて魔宝具を叩き落とす。
「久保田! しっかりしろ!」
久保田の瞳に黄色い光が宿っていた。明らかに俺たちの知らない何かの影響を受けている。
「久保田の目を潰せ! 久保田だけは俺たちに絶対必要だ! こいつのスキルがなきゃ国を混乱させるなんてとても無――「ドケロォオオ」
吹き飛ばされた尾野が宙で止まったままスローモーションで見える。
ゆっくりと久保田が立ち上がる中、俺だけが普通に動けた。
どうやら尾野を起点にスキルが俺を通して発動しているようだ。
「桜木、お前が久保田を止めろ」
「何でだよ」
「お前が適任だからだ、銃を出せ。お前のスキルなら出せるだろ」
「まさか久保田を殺すのか!?」
「まさかじゃなくても久保田はやばい! 久保田が殺そうと思ったらどんな奴でも一瞬で死ぬんだぞ!」
俺は途端に背筋が冷たくなった。
「だめだ……俺には……」
クラスメイトを殺すなんてできっこない。
「馬鹿野郎ォ!」
ひゅんと空間の歪みが消えてスローが終わる。
尾野が吹っ飛んで壁際に転がった。
久保田がみんなの中心に立って荒い息をしながら肩を揺らしている。
尾野のスキルが解除されたんだと分かる。
あいつのスキルはこんな使い方まで出来るのか……。
鼻息を荒くしている久保田に大臣が恐る恐る声を掛ける。
「クボタミツル殿……?」
「お、おい……久保田の奴、なんかやべーぞ!」
ぶるぶると震えて久保田の目が出血し始める。
頭が膨れあがって明らかに異様な姿だった。
「あ……ああ゛――ぁ゛?」
耳からも鼻からも出血している。
とうとう口から泡を吹き出した久保田は正面に倒れ込んだ。
俺たちはそれをただ遠巻きに見ていることしか出来なかった。
――ボフッ。
何か一際大きく鈍い音が久保田からした後に久保田の痙攣は止まり、糸を切らしたように動かなくなる。
「そんな……」
唖然とする俺たちの中に大臣の声が響く。
「皆様、怪我はございませんか? お下がり下さい」
「待ってくれ、これの効果はなんなんだよ」
島脇は丸く平たい箱をマルモスに突きつける。
「恐らく魅了には違いありません。しかし、魅了は自身の魔力を相手に分け与えることで初めて成立する魔法です。彼女たちは皆様の保有魔力量について知らないので勇者という肩書きからおよそあなた方の許容量を遥かに上回る魔力を注ぎ込んだのでしょう」
「ミツル様ぁ――」
息を切らして遠くから走ってきたのは食事の時に久保田の横にいた水色の衣装を着た女の子だった。
「この者を捕らえよ」
「ミツル様!? どうして――「何をしておる、早く捕らえぬか」
「は、はっ」
周囲にいた兵士は戸惑いながらもその少女を担ぎ上げた。一方では倒れた久保田の横に担架が運ばれてくる。
「は、離しなさい! ミツル様に何があったというのです!
私の差し上げたものを使って下さったのではないのですか!?」
マルモスは憐れみに満ちた瞳で少女を見た。
「魔力の保有限界を起こしたのです。あなたの差し出した魔力量が多すぎたために」
「そ、そんな……私はごく一般的な魔力しか注いでおりません! 信じて下さいっ」
「あなたには一般的でも勇者様は違う世界から来られた身なのですぞ!」
恫喝するような声に少女は泣き崩れた。
誰も彼女を責めたりなんかできない。殺そうとしたわけじゃない。
俺たちは言いようのないやるせなさに顔を背けるだけだった。
「では、失礼致します」
担架で運ばれていく
「私も迂闊でした。魔力限界については我々は多分にありますので勇者様方はもちろんのこと、異世界とはいえ限界値は相当なものだと思い込んでおりました」
「結局何が起きたんですか……?」
坂本は俯いたまま尋ねている。
「魔力を注ぎ込むこの道具は俺たちには毒ってことだ」
「左様、恐らくですが我々と皆様の姿形は同じですが本質的にはかなり異なる生命体のようです。魔力にて強くなるという概念があるのかどうかすらも怪しい」
「その魔力というのは上昇するとどうなるんですか?」
「魔力はプールされる力です。
例えば、その魔力を脳に割り振るだけで思考力や暗算力が飛躍的に高まったり、他にも体に使えば老人でも熱い寒いなどの許容範囲が拡大したり健康体になったりすることができます。
視覚や聴覚から拾える情報も違うものに――「つまり、肉体が変質するって事だな」
尾野はマルモスの先に自慢げな声を乗せた。
「その通りでございます。魔力とはつまるところ我々の武器なのです。
ですが、異世界から訪れる人々にはスキルという概念があるようで、人智を越えた能力を扱えることが古文書より明らかになり、皆様をお呼びするに至ったわけでございます」
筋は通っている。
だがしかし、それだけのために俺たちを呼んだのだとしたら数万の犠牲を支払ってまでこの国がしたかったことは一体なんだったのだろう?
俺は地球では嗅いだことのない死の気配に何か底知れない恐怖を感じ始めていた。
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