第11話

 仕事を終え、会食の予定もなかった修一は千秋を食事に誘った。表情には出ないものの、朝からどことなく元気がないような気がしていた。

 いつも二人で訪れる和食店の食べ慣れたメニューを修一は注文したが、千秋は箸もあまり進まないようだった。今日はドライバーもいるからと酒を進めても、やはり千秋は少ししか口にしない。

 食事を終え、家で飲もうと修一が千秋を誘った。断るかと思ったが、千秋はそうですねと修一の誘いを受け入れた。

 「千秋?」

 長いキスの後で、千秋は修一の肩に顔を埋めた。背中にまわされた腕が微かに震えているような気がした。

 「どうした?」

 珍しいなと、修一は千秋の髪を撫でた。

 申し訳ありません、かすれた声で囁いて、千秋はそっと身体を離した。何でもないのだと微かに笑う。

 「素直になれよ」

 修一の言葉に千秋が顔を上げる。

 「やりたい時なんてお前にだってあるだろ?」

 たまには誘って見せろと笑った修一に、千秋は微かに笑みを見せた。

 「よろしいんですか?」

 「どうせやりたくない時なんてないからな」

 ゆっくりと千秋の腰を抱き寄せた修一。千秋は眼鏡を外し、サイドボードの上に置いた。裸眼でじっと修一を見つめる。物言いたげな唇だと修一は感じた。その形のいい千秋の唇がそっと重なってきた。

 甘く重たげなキスの間に、千秋は修一のタイを解いて、シャツのボタンを全て外した。ひんやりとした千秋の指先が素肌を這う感覚を修一は心地よく感じる。その指が力強くも繊細でもあるのは、やはり楽器を弾くからだろうかと不意に思う。

 「あっ」

 その手を逆に捉えて、修一は千秋を壁際に追い詰めた。両手をまとめて頭の上で押さえつける。片手をシャツの裾から差し入れ滑らかな肌を撫で上げると千秋は掠れた悲鳴を上げた。

 「どうした?」

 「ん……」

 「どうして欲しい?」

 のけぞった白い首筋。半ば開かれた千秋の唇が、甘く苦しげに歪む。

 「ひどく、して下さい」

 掠れた声を漏らした唇を修一が微笑んで奪う。

 「ひどくか。お前は真正のMだな」

 首筋に歯を立てられ千秋は目を閉じた。修一の熱い身体。不器用に感じられるほど強い愛撫。抱き合っている、向き合っている、今という瞬間を二人だけで分かち合っている。その熱を、存在を求めるように千秋は修一の背に腕を回し、溺れる人間のように必死でしがみついた。

 気付いた時、千秋は修一の腕の中にいた。腕枕をされたまままどろんでいたようだった。

 「しゃちょう?」

 「おはよう」

 修一はいつになく穏やかな顔で笑った。わたしは、と言いかけた千秋の髪を修一が柔らかく撫でつけた。

 「途中で意識飛ばしたの、覚えてないだろ?初めてだったからさすがに驚いた」

 「申し訳ありません」

 上体を起こしながらそう詫びた千秋。

 「どうして謝る?」

 修一は自分の腕を支えに顔を上げると千秋を見つめた。

 「それは……」

 「別に責めても怒ってもないぞ。お前の寝顔、久しぶりに見たしな」

 こいよ、そう言いながら修一は片腕で千秋を抱き寄せた。

 「社長!」

 自分よりも高い体温。修一の腕の中に大人しくおさまると千秋は目を閉じた。

 「何かあったのか?」

 「え?」

 顔を上げようとした千秋を修一は許さなかった。その代わり優しく千秋の髪を撫でる。

 「お前には珍しいことばっかりだ」

 「……」

 修一に、打ち明けてもいいのだろうか。千秋は一瞬だけ迷って、そんな思いを断ち切った。勘違い、してはいけない。

 何も、と千秋はかすれた声を上げた。

 「何も、ないですよ……」

 「そうは思えないけどな」

 むき出しの肩にそっと唇を押し当てて、修一はゆっくりと千秋の首筋をなぞる。千秋は小さく震えた。

 「くすぐったいですよ」

 「もっと強くした方がいいのか?」

 言いながら修一は千秋に覆いかぶさった。

 「あ……」

 下腹部に固くなった修一の熱を千秋は感じた。そして記憶を手繰る。

 「社長」

 「ん?」

 「まだ、でしたよね?」

 「いったかってことか?」

 「ええ」

 「2回いっただろ?それも忘れたのか?」

 千秋の頬に手のひらを押し当てながら修一は意地悪く笑う。

 「私のことはいいんです」

 自分の手を押しのけて顔を背けた千秋に修一はまた笑った。

 「怒るなよ」

 子どもをなだめるような優しい声で囁いて、修一は千秋を抱きしめた。

 「社長?」

 「満足したか?」

 悪意の感じられない修一の声に、千秋はええと応じ、熱く感じられるほど温かい修一の背に腕を回した。

 そうか、と呟いた声はいつになく優しく千秋には聞こえた。

 「社長は?」

 「俺はもういい」

 「え?」

 「今日はもういい。お前疲れてるんだろ?少し寝ろよ」

 どうして、と言いかけ千秋はやめた。修一なりに気を遣ってくれているのだろう。

 「千秋、いいぞ、ほんとに」

 「させて下さい。気になりますから」

 今日はもういい、と言う言葉がやせ我慢にしか聞こえない程熱を帯びた修一自身を千秋は優しく掴んだ。

 修一は諦めたように身体の力を抜いて千秋のするに任せた。時折千秋の耳に押し殺したため息がかかる。

 「お前の手、気持ちいいな」

 そう言って修一は笑った。千秋の耳朶を優しく噛んでいかせてくれと囁く。

 千秋は修一の頬に軽くキスをして手の動きを速める。修一の息が荒くなるのを感じながらさらに追い詰めていく。

 「もういく」

 修一がそう言った直後、千秋の手のひらは温かく濡れた。修一は脱力したように千秋に体重を預けた。

 「あのまま我慢した方がカッコよくなかったか?」

 「あの状態でいいって言われても困りますよ」

 濡れた手を拭きながら千秋が笑うのを見て、修一も笑った。

 もう一度腕枕をしようかという修一の申し出を丁寧に固辞して、千秋は目を閉じた。触れ合った肩が温かい。しばらくそうしていると傍らから寝息が聞こえ始めた。

 目を開けて修一の横顔を見る。子どものように屈託のない寝顔に、思わず笑みがもれる。修一は、優しい人間だった。今さらのようにそう感じる。

 修一への感謝なのか、後ろめたさなのか、愛しさなのか。不思議な胸苦しさに千秋は目を閉じて修一に背を向けた。

 いつまでこうしていられるのだろう。わけもなくそんなことが不安に思えた。

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