第7話

 修一は、篠森潤という神父に執心だった。他の誰に向けるのとも違う微笑みで、いつも彼を見つめ、無神論者であるにも関わらず、時間があれば礼拝にも参加していた。一方の潤にその気はまったくないらしい。美少年というより、美少女と言った方がしっくりくるような容姿だが、穏やかに微笑みながら修一を軽くあしらう様子は傍から見ていて面白かった。

 「懺悔は済みましたか?」

 礼拝を終え、車の後部座席に乗り込んできた修一にそう声をかけると、ああという返事が聞こえた。

 「だが、またこれから懺悔が必要になることをするつもりだ」

 鏡越しに目が合う。

 「腹減ってるか?」

 「いえ。何故です?」

 「なら、先に部屋に寄ってくれ。飯はそれからだ」

 かしこまりました、前を向いたまま千秋はそう応じた。

 部屋に着くとすぐ、修一は千秋の腕を引いてリビングに向った。そんな必要もないのに荒々しくキスをして、半ば強引に眼鏡を奪う。潤と会った後はいつもこうだった。

 「次は、祭服でも着ましょうか?」

 その微かな呟きを修一は聞き咎めた。

 何か言ったかと顔を上げる。

 「いえ」

 「妬いてるのか?」

 「そうですと答えれば、満足ですか?」

 「ああ。悪くない。言ってみろよ」

 「可愛らしい方ですからね」

 不意に目を背ける千秋。投げ出すような言い方は拗ねているようにも聞こえる。

 「もっと妬けよ」

 楽しげに千秋の瞳を覗き込みながら修一は囁く。

 千秋は目を細めゆっくりと修一の頬に手をかけた。

 「他の男のことを考えながら、私を抱くつもりですか?」

 「そうだと答えれば、満足か?」

 「ひどい人ですね。だから神父様に相手にされないんですよ」

 「いいな。悪態ついてるお前を抱くのが好きなんだ」

 続けろよ、修一は千秋を壁と向き合わせるように立たせるとベルトを外した。

 社長、微かに首を巡らせ千秋が呼んだ。

 「どうした?」

 首筋に唇を寄せた時、微かな香りを修一は感じた。触れ合うほどの距離でようやく感じ取れるほど微かな、官能的な千秋の香り。香水なのか、千秋自身の放つ香りなのか、修一にはわからなかった。しかし、それが好ましいものであることは変わりない。

 「いつから、お好きなんですか?」

 千秋は片手で修一の頭を抱きながら囁くように問いかけた。

 「潤の話か?」

 「ええ」

 「気になるのか?」

 ゆっくりと快楽に締め付けられていく。千秋は微かに首を突き上げて、修一の肩に頭をもたせかけた。

 「そうですね……。そう、答えておきますよ」

 「素直なのも可愛いな」

 唇を重ねながら修一は、千秋のシャツのボタンを片手で外し、その隙間から直接肌に触れる。

 「潤には、一目惚れだった」

 千秋の微かな喘ぎ声を聞きながら、修一は張りつめた腿を掌で撫で上げる。

 「ああいう顔が好きなんだ」

 本当は、千秋が修一の手に手を重ねた。

 「本当は、女性の方がお好きなのでは?」

 「否定はしない。気に入ったならどっちでも欲しいよ、俺は」

 「社長」

 苦しげな千秋の声。

 どうした、と修一が耳元に囁く。

 「楽しいですか?」

 「楽しい?」

 「わたし、と……こんな」

 あ、っと悲鳴を上げた唇を千秋は噛んだ。

 「楽しくない」

 驚いたような千秋の目に修一は笑う。

 「楽しいなんて、もんじゃない」

 「しゃ」

 唇を重ねながら修一は千秋の身体を強く抱いた。

 「このまま突っ込んでもいいか?」

 「いや……」

 後ろに指を這わせながら囁いた修一に千秋は首を激しく振った。

 「痛いの好きだろ?」

 「いや」

 「だったらどうして欲しい?」

 「あ……」

 修一は楽しげに千秋の目を覗き込む。片手でベルトを外し、ファスナーを下ろすのが千秋にもわかった。

 やだ、繰り返す千秋の耳に修一は口を押し当てた。

 「ちゃんと言えよ。言わないならこのままやるぞ」

 「や……して」

 「何?」

 「指で」

 「指で?」

 「ならして、下さい」

 修一は笑いながら右手を千秋の目の高さに持ち上げた。

 「どの指がいい?入れられたいの、舐めて濡らせよ」

 口元に触れた修一の指。千秋はゆっくりと唇を開いて中指に舌先で触れた。躊躇いがちなその仕草。羞恥心を捨てきれない千秋の潤んだ眼差しに修一はいつも嗜虐心を煽られた。

 「それだけじゃ足りないだろ?」

 「んっ……」

 真ん中の三本の指を修一は千秋の口内に押し込んだ。千秋は苦しげに呼吸しながらも修一の指に舌を絡ませる。従順なのとも何かが違う。千秋が肩越しに修一を見た。赤みを帯びた目元が艶めかしい。

 「もういい、放せ」

 「あ、しゃ」

 その唇に噛みつくようなキスをしながら、修一は千秋の後ろに濡れた指を押し当て、ゆっくりと中へ滑らせる。声を出せない千秋は身体を震わせ、苦しげに眉根を寄せた。

 「どうした?」

 首を左右に振る千秋に気付いて、修一はゆっくりと顔を離した。千秋は息を切らしながら、修一を見上げた。

 「明後日、オケの公演なんです」

 そうか、と修一は壁に指を突き立てたまま白くなっていた千秋の手を取った。

 「そういうことは早く言えよ」

 指の長い手。左手の親指にはチェリストらしいタコができている。その厚くなった皮膚に修一はそっとキスをした。

 「改めて見ると、綺麗な手だな」

 修一は千秋の両手を手のひらに包み込むと、汗ばんだ首筋に唇を寄せた。

 「ベッド行くか?」

 それとも、と囁いた修一に千秋が顔を上げる。

 「今日は、やめとくか?」

 「意地悪ですね……」

 長い睫毛が千秋の目元に陰影をつける。その角度から千秋の顔を見るのが修一は好きだった。

 「だったら、ベッドだな」

 微かに頷いた千秋の指先に指先を絡ませて修一は寝室に向った。



 覆いかぶさるように自分を抱きしめる修一の首筋に千秋は顔を埋めた。いつもより優しく、丁寧な愛撫に慣らされ、焦らされたのは千秋の方だった。後で練習に行くと告げた千秋を修一は早々に解放した。

 それでも、疲れたかときいた修一に千秋は笑った。優しい男だった。だから勘違いしそうになる。

 ベッドを下りてバスローブを着ると修一は煙草に火をつけた。

 「ほんとに、篠森さんが、お好きなんですね」

 千秋の言葉に照れる様子もなく、まぁなと修一は応じた。

 「あいつは面白い。聖職者のくせに、必要悪の存在を認めてる。影で付き合いのある人間や組織を知ったら、お前でも驚く」

 「そう、なんですか?」

 ベッドに上体を起こした千秋に修一はああと笑った。

 「ただ可愛いツラしてるだけじゃない。昔から潤は変わってた」

 篠森神父の美しく愛らしい顔を、小柄な佇まいを千秋は思い出す。とてもそんな風には見えないが、修一が十五年以上も執心している相手だ。その方が不思議はないかも知れない。

 「一度もないんですか?篠森さんとは」

 「ないな」

 立ったままタバコを吸いながら修一はベッドに目をやった。

 「キスも?」

 「ない」

 強がるわけでもなく、修一はあっさりと認めた。

 「何だ?」

 微かに笑っているようにも見える千秋を修一は見つめた。

 「いえ……社長ほど強引な方でも手に入らないものがあるんですね」

 「強引?俺が?こんなに紳士的なのにか?」

 「社長が紳士なら……」

 言いかけ千秋は口をつぐんだ。タバコを消した修一が何だよと言いながらベッドに戻ってきた。

 「いえ……紳士、なのかも知れないですね」

 「どういう意味だ?」

 視線を落とし、千秋は微かに微笑んだ。その儚げにも見える表情に修一はたまらず、千秋のあごに手をかけた。

 「しゃ……」

 突然のキスを受け止めながら千秋は目を細めて修一の頭を抱いた。

 「千秋?」

 キスの後も自分を抱きしめて離さない千秋に修一はどうしたと声をかけた。

 「社長はセックスが優しいと申し上げましたが、キスも優しいですね……」

 「でも下手なんだろ?」

 どこか拗ねたような修一の声に千秋は声を上げて笑った。

 「そんなこと言ってないですよ。上手い方だと思いますよ。たくさんは、知りませんが」

 そうか、と言いながら修一は千秋を押し倒した。

 「それなら……前の男が、特別だったってことか?」

 千秋の表情が一瞬で曇る。修一は潤の言葉を思い出した。

 「もう、忘れました」

 千秋はそっと修一の頬を指先で撫でた。疲れているようにも傷ついているようにも見えるその表情。

 どんな時もほとんど表情を変えることのない千秋が唯一感情を露わにするのはいつもこの話題だった。それほど深い印象を、かつての男は千秋の心に刻んだのだろうか。

 そういえば、潤がそんなことを言っていた。修一の知る限り、千秋の挫折らしい経験はそれ以外思い当らない。

 千秋は決して弱い人間ではない。自分の能力に対して、奢ることはなくても自信は持っているはずだった。そんな人間の心を折るほど、千秋にとってかつての恋人の存在は大きなものだったのだろうか。

 「社長?」

 無意識に千秋の髪を撫でていた手を止めて、修一はゆっくり身体を起こした。今日は早めに千秋を解放すると決めていた。

 「腹減ったな。飯食いに行こうぜ?ついでに送ってやるよ」

 「よろしいんですか?」

 「ああ」

 修一がベッドから下りると、ありがとうございますと何に対してか千秋が言った。振り向きたい衝動を抑え修一はバスルームに向った。

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