第5話

 修一と別れ自宅に戻った後、潤は遠藤隆生の名刺を探した。クレバースグループと書いてある。配下にはいろいろな関連企業もあるのだろう。寄付の額を聞いただけで、彼が只者ではないことがわかったくらいだ。

 出会ったのは偶然だった。施設での勉強会を終えて帰ろうとしていた時

 「篠森しのもり、さんですか?」

 背後から不意に声をかけられ、潤は驚いた。いつからそこにいたのか、声の主は何の気配も感じさせなかった。

 「ええ」

 目前の男は、やはりそうでしたか、と微笑みに似た表情で頷いた。この男は、と穏やかな表情を崩さず潤は相手を見つめていた。

 「申し遅れました。遠藤と申します」

 「貴方が、足長おじさんですか」

 施設に多額の寄付をしている遠藤隆生という人物がいると聞いてはいたが、実際に顔を合わせるのはそれが初めてだった。どんな人間なのかと思っていたが、穏やかで優しそうな雰囲気は、慈善家にさもありなんという印象だった。

 「そんな風に言われたのは初めてですよ」

 名刺を差し出され、潤は視線を男の手に落とす。綺麗な指は、腐れ縁とも思われる友人を不意に思い出させた。

 「こうして直接お目にかかるのは初めてですね」

 「ええ。お会いできて光栄です」

 こちらこそ、と遠藤隆生は優雅に微笑んだ。

 「お噂はかねがね伺っておりましたよ。天使のような神父様が皆の勉強を見て下さっているって」

 「天使のようなは余計です」

 それこそ天使のような微笑みで潤は隆生を見つめた。

 「いえいえ。子どもたちだけじゃなくて、職員の方もそう言っていたから、ずっとお会いしてみたいと思ってたんですよ」

 隆生は下がり気味の目元をさらに下げるように微笑む。紳士的な話し方や表情、見るからにいい人そうだと感じるが、どことなく作り物のような違和感を潤は覚えた。

 しばらく立ったまま雑談した後、

 「篠森さんは、悪い人間でしょう」

 隆生は笑みにも見える不思議な表情で不意にそう言った。

 「僕がそんな風に見えますか?」

 修一をもってキラースマイルと呼ばしめた極上の微笑みで潤は隆生の言葉を受け止めた。   

 隆生は、いや、と首を振る。

 「僕と、同じ臭いがするだけです」

 「そうは、思えないんですが」

 よく言う、隆生はようやく声を上げて笑った。その男のそんな表情を潤は初めて目にした。遠藤隆生の、人間らしい顔。

 「遠藤さんは、悪い人間なんですか?」

 「そう見えます?」

 楽しげな隆生に潤は黙って首を横に振った。

 「まぁ、見えるか見えないかは問題じゃないから……要は、悪いことをしてるかどうかです」

 「なさってるんですか?」

 微かな胸騒ぎを潤は覚えた。隆生との会話がただの言葉遊びには思えなくなっていた。

 「どうかな……。僕は何でもすぐに忘れちゃうのでね。それでも、後悔くらいならありますよ」

 「後悔、ですか?」

 「ええ。過去になんて興味はなかったし、後になって悔いたり、そんな意味のない行為に時間を費やしたり、以前なら考えられなかったんだけど、最近は、少しね。年を取ったのかも知れないな」

 「懺悔をなさりたいなら、きちんと伺いますよ」

 「懺悔……一般的には、そう言うのかな。僕にはよく理解できない行為だけど」

 「人間は誰しも許されたいものです。それに、そんな自分を肯定されたい」

 潤の言葉に隆生は、確かにねと頷いた。

 「いつか必要ができたら、その時は篠森さんのところに行きますよ」

 「いつでもどうぞ。お待ちしてます」

 「ありがとう」

 隆生は笑って施設の方へ歩いて行った。

 迷いなく真っ直ぐと進んでいく後ろ姿に、彼の後悔はどんな類のものなのだろうと潤は不意に思った。

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