Ⅲ
TTB第七階層には三つの区画があり、その一つは防衛技術局が有する研究区画として利用されている。
轟とベオルフは、その中でも最奥に研究ブロックに設けられた轟が個人研究のために用意した建物の最上階にいた。
そこはほとんど足の踏み場もないと言えるくらいに様々な機材が乱立し、あるいはそれらを作るために集めた資材や道具が至る所に散乱しており、もしこの場に轟が案内しなければ、ベオルフは此処をただの機関部か何かと思ったことだろう。
その部屋は、ある種の轟の妄執と狂気の産物でもあった。
どれだけの偉業を成し遂げようと、それを決して自らの成果と顧みられない彼が求め続けた栄華のために生み出された異物。
その部屋の真ん中に佇立している巨大な機械は、そういう轟の想いから生み出されたものだった。
――《
それがその群集機構の名だ。
この巨大な人口居住塔TTBを、永遠に廃れることのない楽園へと昇華させる力を生み出すことを可能とするこの機構は、《天使》の力を増幅させ、それを流用しTTB全体を覆う巨大な絶対不可侵の障壁を生み出すことを可能とする。
故に、この《天上の御力》は轟の妄執の産物であるのと同時に、ベオルフの長年求め続けてきた、誰もが安寧の中でくらせる場所を作り出すという願いを体現するための物でもある。
そのために、長い準備を続けてきた。
すべては三年前の『グレンデル』討伐作戦から始まったのだ。
当時のベオルフは腐敗しきったTTBの治安や塔の外延部障壁の不完全さを知り、それを改善しようと躍起になっていた。そのために外延部防衛局という前線で戦い続け、数々の功績を得て【剣の賢者】の席に座し、不当な徴収や暴力によって人々に恐れられていた『騎士団』を改正し、彼らを【マモノ】とも渡り合える戦士たちへと昇華させることに尽力を尽くしていた。
しかし、それもいずれ限界が来る。如何に『騎士団』を強くし、TTBの防衛の要としようとも、結局それはただの付け焼刃による時間稼ぎにしかならない。
どれだけ外から押し寄せる【マモノ】を退けようと、現実的にTTBにはすでに多数の【マモノ】が侵入し、下層から徐々に上層へと侵食しているという現実があった。
すべてはもっと根本的部分からの改善が必要だ――そう考え至ったベオルフの下に、ある日本当に唐突に、轟は姿を見せ、こう提案した。
『このTTBに絶対の秩序を齎さないか?』
普通ならば世迷言と斬って捨てるが、轟の提示してきた《天上の御力》とそれによってなされるTTBの改革事情に耳を傾けてみれば、決して不可能とは言い難いものだった。
そして何より、それによってTTBの【マモノ】に対する被害が完全に駆逐される――それは常に最前線で【マモノ】と戦ってきたベオルフにとって魅力的な話だったのである。
そうして遂にベオルフは轟の《天上の御力》の計画への加担を承諾し、『グレンデル』討伐を利用して自らを死亡したことにし、計画の要となる《天使》の候補となる響律式使いを探し出すために、姿と名前を変えてコルプース・アカデミーの教師となって潜入した。
それから三年。言葉にすれば短いが、ベオルフには酷く長い時間に感じられたものだ。それだけの時間を有して、ついに自分の願いが成就する日が訪れた。
顔には出さないが、ベオルフは実に感慨深いものを感じていた。
同時に、いくばくかの申し訳なさも感じないわけではなかった。
たとえばグレイアース。
まだベオルフが『騎士団』を束ねていた頃、自分を慕い、自分の理想を共に夢見てくれたあの若者。気づけば自分と同じ【剣の賢者】となり、更には自分よりも遥かに上手く『騎士団』を束ね、日々このTTBの安寧のために尽力を尽くして来てくれた愛弟子を、こんな形で裏切ってしまったことに。
彼の大切な人を、自分の願いのためとはいえ傷つけてしまったことに。
たとえばシエラ。
今この場に君臨する《天上の御力》の核として利用されることとなる少女の、この先にあったであろう無数の可能性を、自分の勝手な理想のために奪い取り、その生涯を奪うことになってしまったことに。
たとえば、ニーア。
慇懃無礼なあの若造は、世を疎み他者を毛嫌うような態度を見せながら、その実誰よりも誠実に見えた。口を開けば悪態ばかりだが、その眼に宿っていた光はある種自分の理想よりもはるかに大きなものを捉え、そこに向かって邁進し続けていたように見えた。そんな彼の命を、この計画を阻む可能性故、奪ってしまったことに。
そこまで考えて、ベオルフは苦笑した。
自分は酷くらしくないことを考えるようになったと、ベオルフ自身自嘲する。
「……教師を長く勤め過ぎたか……」
そう言いながら、あの日々もまた悪いものではなかったと思っている自分がいる。計画が終わりを迎えるからこそ、感慨深い感傷に浸ってしまうのだろうと結論付けて、ベオルフは肩を竦めた――その時だった。
室内に警報が鳴り響く。
「何があった?」
「どうにも、侵入者のようですね。誰かが警戒ラインを突破したみたいです」
ベオルフの問いに、轟は《天上の御力》の制御端末とは別の端末を操作しながらモニターを見――そして舌打ちした。
「まったく……あの人形といい、貴女といい……どうしてこう父に関係する連中はことごとく私の邪魔をしたがるのか」
それはベオルフにというよりは、モニターの向こうに映った人物に向けて言った言葉とベオルフは判断し、轟と同じモニターを覗きこむ。
そこに映っていたのは、とても長い――尺寸三メートルはありそうな長尺刀を肩に担いで悠然と廊下を歩く、我そうに身を包んだ金髪の童女の姿があった。
「この娘――何者だ?」
ベオルフは無意識にそう呟いた。
モニター越しだが、そこに映った童女が相当の手練であることだけは見て取れた。何よりこの童女は、自らが侵入者という立場を理解したその上で、その身を隠そうともせず悠々と通路の真ん中を歩いている。
その威風堂々たる行進に、ベオルフは好感めいたものを抱く。
ベオルフの呟きに、轟が答えた。
「麗愛=マルスタイン――剣の魔女と呼ばれる、このTTBでも最強と目される刀使いですよ。そして我が父、斑目=恭一郎の旧知の友人にして、あのニーア(人形)の剣の師のようです」
「ほう……」
轟の言葉に、ベオルフは一層興味が惹かれた。そして、なるほど――と納得する。
彼女の堂々たる歩みは、確かにあのニーア=ゲイル=アシュリートのそれによく似ている。師弟揃ってその不敵な笑みに宿った尊大さはそっくりだった。
興味がわいた。そして同時に、戦士として対峙してみたくなった――それがこの時のベオルフの真意だった。
「私が下で迎え撃とう。お前はその間に《天上の御力》の統制を終えろ」
「いいのですか? わざわざ貴方が出向く必要はないと思いますが」
轟が意外そうにベオルフを見た。それに対して、ベオルフは横目に彼を一瞥したあと、不敵に笑んで見せた。
「――武人の血が、騒ぐのだよ」
その言葉に、轟は理解ができないという様子で肩を竦め、
「では、お任せしますね」
そう言って、再び《天上の御力》の制御端末に移動して操作を再開する。
ベオルフはそれ以上何も言わず、昇降機(エレベータ)に乗ってその部屋を後にした。
そしてベオルフの乗った昇降機が下に辿り着き、そこからベオルフが出たのを見計らったように、侵入者は反対の扉を開けて姿を現した。
そしてこちらの姿を見つけるや否や、何とも不敵な――そして不遜な笑顔を浮かべ、
「――おや? お出迎えかね?」
そう、何処か嘲りを孕んだ口調で言った。その態度と言動に、ベオルフは何とも言い難い既視感を覚えて失笑する。
師弟というよりは、丸で親子のような仕草のそっくり具合だった。
「なんじゃ? いきなり人を見て笑いおって。最近の若造はなっておらんな」
童女は僅かに眉を顰めて言った。が、その表情は何処か楽しそうな笑みを浮かべたままだ。
ベオルフはかぶりを振った。
「非礼を詫びよう。そして、その上で問おう。貴女が、アシュリートの師とお見受けして間違いないか?」
「んー? 私はあれの師になった覚えはないぞ。育てはしたがな。剣はあれが勝手に覚えたんじゃ。私は関係ないわい」
その返答で、ベオルフは納得した。確かに、この人は弟子を取るような人ではないだろう。だが、あの若者の人生に多大な影響を与えているのは間違いなさそうだった。
――何せ、言動の端々に彼と共通する部分が多々見受けられるのだ。剣の師でないのならば、おそらく人生の師、と言ったところか。本人に自覚はないにしろ、ニーアはこの童女の背を見て、気づかぬうちに彼女の真似をして育ったのだろう。それならば似ていても仕方がない、とベオルフは胸中で納得する。
そんなベオルフの心情など知らぬ麗愛は、勝手にしたり顔をしているベオルフに向けてにたりと笑って言った。
「さっきから一人で笑いおって。訳の分からぬ奴だな。私はこの上にいる、友の不肖の息子に用があるのだ。出来ればさっさと行かせてほしいのだが?」
その麗愛の申し出に、ベオルフは首を振った。
「それは了承しかねぬ。是が非でも通りたいというのならば、私を倒してからにして頂こう――剣の魔女、麗愛=マルスタイン殿。我が名はベオルフ。ベオルフ=クロウ!」
そう声高らかに名乗り上げ、ベオルフはその手に真紅の長剣――〈
「ほう……」
ベオルフの名乗りに、麗愛は酷く楽しそうに口元に笑みを浮かべた。
「なるほど――士道を弁えた、その上でクソ生意気な若造だな……よかろう」
うんうんと首を何度も縦に振り、麗愛はその長い金色の髪を靡かせて長刀の切っ先をベオルフへと突きつけて声を上げた。
「【ザプリュッド】が長、麗愛=マルスタインじゃ! 相手をしてやろう、若人よ!」
刹那、麗愛の全身からベオルフをも圧倒する闘気が溢れ出す。丸で物理的圧力を持ったような身を凍わすほどの気迫に、ベオルフは気圧されそうになるのを辛うじて防いだ。
まだ一合も交えていないのに、頬を冷や汗が伝った。
一瞬で悟る。この人は強い。
今までであった誰よりも。如何なる存在よりも、この人は圧倒的に強いということを、ベオルフは理解した。
それこそ、今まで百も千も剣を交えて屠ってきた、機獣や【マモノ】などよりも遥かにだ。
ベオルフは刀を構えて不敵に笑う麗愛を見て、剣を握る手を直して一言、
「礼を言う――麗愛=マルスタイン」
その言葉に万感の思いを込めて、ベオルフは剣を握り切りかかった。
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