Ⅱ
そこで、ニーアは目を覚ました。
TTB最下層――地下都市区画。常に蒸気で包まれたこの場所の一角。大量の廃材やらが積み重なった山の上が僅かに動く。
百年分の廃棄物が山となったその上に落ちてきた彼は、数時間の時を経てゆっくりと意識を取り戻し、自分に折り重なるように積もっている廃材や上層からの廃棄物を押しのけて起き上がる。
「ぐえふぇ! がーっ! 邪魔くせー!」
咳き込み、感情のままに自分の行動を邪魔するものを容赦なく投げ捨て、蹴り飛ばし、やっとの思いで廃棄の山から顔を出し、呼吸する。
湿気の帯びた空気を肺に流し込みながら、ニーアはげっそりとした様子でうなだれる。
そこに、
「――ニーア? 貴方、そこで何をしているんですカ?」
多次元的知覚で、脳に、あるいは聴覚に直接響いた声に、ニーアは声もなく顔を上げて、そこに立っている影法師を一瞥した。
影法師――ヴィルヘイム=チャンバーは、相変わらず全身黒ずくめの格好で、廃材の山に半ば埋まったニーアを見下ろして信じられないと言った様子で肩を竦める。
「随分ト、愉快な遊びをしていますネ?」
「……これが愉快な遊びに見えるんなら、ついにお前は眼も腐り始めてるぜ? ヴィル」
「ハハハ、そうかも知れませんネ。所詮は半死半生の身ですかラ」
ニーアの皮肉を受け取り、ヴィルヘイムはかんらかんらと笑った。正直な話、彼が半死半生の身であることは事実であるため、ニーアとしてはそう話を振った側であるのに笑えなかった。
冗句の返しとしてはこれ以上にない笑えないネタを返され、ニーアは道化のような笑みを浮かべ続けるヴィルヘイムを見上げて、ついに根負けした様子で眉をひそめ、
「――手……貸してくれ?」
「喜んデ♪」
ニーアの頼みに、ヴィルヘイムは満面の笑みで了承を唱えると、ヴィルヘイムはニーアの手を取って力いっぱい彼を引いた。引き上げながら、ヴィルヘイムは何かを思い出したように苦笑し、
「そう言えば、貴方と初めて会ったのも此処でしたネ?」
「あんなり思い出したい記憶じゃないな……それに、あのときとは何もかも状況が違い過ぎる……」
そのほんの寸前までの記憶を思い出してたとはあえて言うまい。
ニーアは立ち上がりながら、ふと自分の腹部を見下ろして表情を顰める。衣服は血まみれで、ざっくりと袈裟に切られているというのに、目新しい傷は見当たらなかった。
落下する最中、全身を包んだあの光に、ニーアは覚えがあった。
(あの馬鹿……無茶を――って、させたのは俺か……クソっ)
胸中で毒づきながら、ニーアはそこでガックリと膝をついた。
「見た目以上に、疲労しているようですネ。私の家へ――そこで休みましょウ」
うずくまったニーアに肩を貸しながら発せられたヴィルヘイムの提案を、ニーアはかぶりを振って断る。
「悪いが……そんな余裕はないんだよ――急いで、上に戻らねーと」
「何のために?」
「――轟の野郎と、あの英雄様をぶん殴りに行く」
ニーアは即応した。だらりと下げた右手の先で、強く握り拳を作りながら、ニーアは鬼の如き形相で頭上を仰ぎ見る。
あれからどれだけ時間が過ぎたかは分からないが、急ぐにこしたことはない。すべてが手遅れになってからでは遅いのだ。
だが――
「無理ですヨ」
ヴィルヘイムが、そう断じた。
どういう意味か、それを問うよりも早く、ヴィルヘイムが言う。
「休ませるようニ――そう、麗愛から厳命されていますのでネ」
ヴィルヘイムの腕が、ニーアの首筋へと伸ばされる。その手に握られている物を見た瞬間、ニーアは彼の腕から逃れようとした――が、それよりも早く、ヴィルヘイムがそれをニーアの首筋に当てて引き金を引く。
針が刺さり、供えられていたアンプルの中身が注がれる。
「ヴィル……テメェ……――」
文句を言うよりも早く、ニーアの意識は暗転し――がっくりと全身から力が抜け落ちる。そして本の数瞬の後には、安らかに寝息を立て始めたのを見て、ヴィルヘイムは失笑した。
「まったク……いくら睡眠促進のある鎮静剤とはいエ、ものの一瞬で眠りにつくほど疲弊していることに気づかないとハ。プロ失格ですヨ?」
眠るニーアの身体を担ぎあげながら、ヴィルヘイムははるか上空にあるTTBの上部へと視線を向けて、そして祈るように言葉を口にした。
「時間は稼ぎましたヨ、麗愛。そしテ、無理ないようニ」
そして歩きながら、ヴィルヘイムはぼそりと小さく言葉を発した。このような場所で、誰が聞き耳立てているわけでもないが、それはヴィルヘイム個人の勝手な想い故――
「私もこれ以上――友を失うのは嫌ですからネ」
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