この男は奇妙にして奇怪な男だと、グレイアースは思う。

突然の訪問にも驚いたが、グレイアースにとって、その男の来訪は正直快く受け入れられるようなものではなかった。


「お初にお目にかかります。【剣の賢者】殿」


 男――斑目=轟はゆるりとした動作でこうべを垂れてそう挨拶をした。しかし、どういうわけかグレイアースには彼の言動が酷く不快に感じられているのだ。

 仕草。口調。言動。態度。

 何故だろうか、そのすべてに対して、グレイアースはおぞましさを感じていた。まるで人の形をした得体のしれない何かと相対じているような錯覚。

 グレイアースは思う。

 この男は、何だ?

 しかし彼はそのような感情をおくびにも出さず、僅かに口元を綻ばせて見せた。

「いえ、こちらこそお待たせして申し訳ない。轟博士」

 そう言って会釈すると、轟は弱々しい笑みを浮かべて恐縮するようにかぶりをふって見せた。

 斑目=轟。

 グレイアースの記憶が正しければ、確かこの男は彼の高名な人工生命研究の第一人者である斑目=恭一郎の子息であり、現在では響律式を用いた防衛技術研究の第一人者として活躍している男だったはず。

 そのような男が、一体どのような用件で『騎士団』の本部へと訪れたのか。それがグレイアースのただひとつの疑問だった。

 無駄な腹の探り合いをするのも面倒だ――そう判断したグレイアースは、即座に本題へと入る。


「それでも、轟博士は我ら『騎士団』にどのような御用向きでお越しになられたのですか?」

「おや、ずばりお聞きしますね。ブレードエッジ卿は」


 卿――それはグレイアースにある幾つもの通り名の一つだ。上層出身の彼は、いうなればこのTTBに長年影響力を及ぼす貴族的立ち位置にあり、その長子であり父亡きあとその家を継いだ彼に与えられた呼称である。

 ちなみに、グレイアースはあまりその名が好きではない。そもそもブレードエッジの姓を名乗ることすら、彼は好ましくないとすら思っている。

 地位に固執する父と、名声にばかり執着する母の下で育ったグレイアースにとって、あの家は両親の妄執の塊のような場所だった。

 家名を、名誉を、地位を――そればかりに固執し、息子にまでそれらを得るよう強要していた二人は、グレイアースにとって忌むべき物以外の何物でもなかった。

 押し付けられる業と、それを強制する周囲の目にいつも苦しみ続けていた。もしヘルマという理解者が存在しなければ、グレイアースは今この場にはいなかったかも知れない。

 わずかに、胸の内が痛むのを辛うじて無視した。


「ええ。貴方も私も、腹の探り合いなどをするには時間が惜しい立場でしょう。私は騎士としての仕事を、貴方は研究者としてそう長く現場を離れている暇などないと、私は考えますので。出来れば用件を早々に教えていただけるとありがたい」

「……なるほど」


 グレイアースの言に、轟は僅かに表を下げて眼鏡を指で押し上げる。



「――流石は、その若さで【剣の賢者】にのし上がっただけのことはあるようですね?」



 その妙に力強い声を聞いた瞬間、グレイアースは思わず愛剣の柄に手を伸ばしていた。いつでも抜剣――剣身を具現させられるように、そっと指先で腰の剣帯へと添える。

 そして……なるほど――と、グレイアースは納得する。


(こちらのほうが本性……というわけか)


 先ほどまでの何処か気弱で押しの低い、若い研究者然とした態度は一変し、うっすらと浮かべた笑みとは裏腹に相手を値踏みするような視線と、隙のない立ち姿。言動の端々に感じる相手を小馬鹿にするような高圧感。

 グレイアースは直感する。この男は危険だと、本能的に理解してしまう。

 だが、理解できたからと言ってどうこうするわけではない。だが、警戒を怠ることはできなくなったのは確かだった。轟から発せられる禍々しい狂気に、グレイアースの本能はずっと警鐘を鳴らしっぱなしなのだ。

 しかし同時に安堵もする。


(この場に……ヘルマがいなくて本当に良かった)


 もし彼女がこの場に同伴していたら、おそらく彼女は〈グングニル〉を手に取り轟に斬りかかっていたかもしれない。そう思うと、背筋に嫌なものが走る。

 その原因は、轟がヘルマに切り殺されるということではなく、ヘルマが轟に殺される情景が脳裏にありありと浮かんでしまったからだ。

 もし二人が切り結べば、十中八九ヘルマが敗北するだろう。

 轟の腰に隠す気もなく吊るされた二つの装柄。おそらくは双剣だろうと予想する。その腕の程は分からないが、相当の手練なのはその隙のなさから想像に難くない。

 そんな彼の胸中を知ってか知らずか、轟はうっすらと笑いを浮かべたままくつくつと声を漏らし、手に持っていた封筒をグレイアースへと手渡した。


「用向きというのはいたって簡単。その中に入っている資料と一緒に添えてある写真の人物を探し出して欲しいのです」

「人探し――ですか?」


 本当にそれだけなのか? という言葉は辛うじて呑み込めたのはきっと奇跡に近い。グレイアースは黙したまま手渡された封筒の中を取り出し、そしてそこに添えられていた写真を見て息を呑む。


(この少女は――!?)


 添えられた写真に写っていた人物は、桜色の髪に濃い紫の色をした瞳を持つ少女だった。その少女の姿に、グレイアースは当然だが見覚えがあった。

 いや、見覚えがないわけがない。この少女は何の因果か最近になって何度か顔を合わせている。

 それと同時に、脳裏に浮かぶのはあの少年。

だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 問題は、この男が何故この少女を探そうとしているその理由だ。グレイアースは写真を見据えながら、それをデスクの上に置き、同封されていた資料に目を通す。

 そこに書かれているのは、どうやって調べたのかまでは不明だが、少女の詳細な情報がくまなく知りされているように見えた。

 彼女の出生。家族構成という法的に調べれば分かることから、アカデミーでの成績や友好関係。彼女個人でしか知り得るはずのない趣味や趣向といったあらゆるすべて。


(どうやって調べた? いや、そもそも何故、防衛技術研究のトップがこんな一介の学生を探している?)

「私がこの少女を求める理由が、気になるようですね? グレイアース=ヴェル=ブレードエッジ」


 いつの間にかデスクに手を乗せ、身を乗り出すようにしてグレイアースを見下ろす轟がいた。接近されていたことに気づかなかったどころか、気配すらなかった接近に、轟は僅かに驚愕の色でその表情を染めると、轟は満足げに笑って見せた。


「ふはは……冷静沈着そうに見えて、よくよく顔に感情が出ますね、貴方は。なるほど――彼の言う通りだ」

「彼……だと?」


 轟が名を上げずに呼ぶ存在――その彼と呼ばれた存在は自分のことを知っている? グレイアースの中に、自分という存在を「知っている」と言えるほどの該当人物を検索する。


「考えているようですね? ですが、貴方の考えている中にはおそらく該当する人間はいないと思いますよ?」


 轟の言葉に、グレイアースは僅かに目を細める。逆に、轟の笑みは深まる。正に下卑た笑みというに相応しい三日月を浮かべ、轟は言った。



「貴方の脳裏に上げた人物の中に、死人が含まれていれば別ですがね」



 その言葉を紡がれた時、轟が何を言っているのか分からず、グレイアースにしては珍しいキョトンとした表情を浮かべていた。

 だが、その言葉の意味を知った刹那――グレイアースの表情に戦慄が走る。


「馬鹿を言うな! そのような世迷言を、この私が信じるとでも思ったか!」


 グレイアースが絶叫した。が、轟は僅かに肩を竦めて応じるだけだった。代わりに答えたのは轟ではなく――



「――世迷言ではないぞ」



 低い、巌のような声音。

 グレイアースが動きを止めて、声のした方に視線を向けた。そして、その両目を大きく見開き、信じられないという様子でたたらを踏む。

 有り得ない。

 こんなこと、有り得ない。

 グレイアースの心境は、まさにそんな状態だった。

 そこに立っていたのは、グレイアースの記憶の中の姿と何一つ変わっていない師の姿。

 自分が憧れ、追いかけ続けた背中。そしてついに追いつくことが叶わぬまま、この世を去ったはずの男。


 ベオルフ=クロウ。


 その男は、そこに立っていた。

 それだけなら、それだけならばグレイアースにとって喜ばしいことだった。感動の再会―そう呼ぶに相応しい再会だっただろう。

だが、現実はそうではなかった。

 グレイアースの目に映ったその情景は、それこそグレイアースの知るベオルフならば決してありえぬ暴挙。

 無表情のまま入室してきた、彼の右手に握られる真紅の長剣。何故それを構えているのかなど一瞬生じた疑問は、扉が完全に開かれて彼の姿全体があらわになった瞬間、口にする必要すら失せた。

 彼の左手に摑まれているそれを見た刹那――グレイアースは声の限りでその名を叫んだ。


「――ヘルマっ!?」


 白銀の外套も、雪のように白かった肌も、空のように眩かった蒼髪も、彼女の流したのであろう血の色によって、赤く染め上がられているヘルマの髪を、ベオルフは無造作に摑んで引き摺っているその姿を見たグレイアースの動きは迅速だった。

 いや、それは思考して対応したのではないだろう。ただ感情に任せた本能的挙動。

 故にそれは考えて動くよりもはるかに早い。

 この状況で、彼が何をしたのかは明白だった。

 たとえ彼が自身の恩師であろうと、尊敬していた相手であっても――それでも譲れぬ者があるとすれば、それは間違いなく常に自分の傍らで助力してくれていたヘルマに他ならない。

 その彼女を傷つけられた。

 それも、尊敬していた男の手によって。

 だからこそ、グレイアースは、



「ベオルフ=クロォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォウ!」



 かつての師の名を怒りと共に叫びながら〈魔狼〉を抜剣した。瞬間的に構成された響素結晶の剣を手に、グレイアースは感情の爆発に乗せて肉体内の響素を操り一歩で間合いを詰めてベオルフへと迫る。

 だが、それよりも早くベオルフが動いた。

 手にしていた剣を手放し、懐に手を突っ込みながら左手で引き摺っていたヘルマを持ち上げて楯のように翳し、同時に右手を抜いてその手に納めていたそれを彼女へ突きつける。


「なっ!?」


 剣を振り下ろそうとしたのと同時に、グレイアースは声を発して動きを止めた。

 そんなグレイアースに向けて、ベオルフは表情を変えずに告げる。


「一人の男として、よくぞ止めた。だが、一人の騎士として、それは失敗だ」


 その言葉に、グレイアースは悔しげに表情を顰めた。次の瞬間、グレイアースの身体が大きく傾ぎ、床に顔から叩きつけられる。


「この状況、この期に及んで説教とは、貴方も随分と教育熱心になったものですねー」


 振り向けば、そこには地震を踏みつけて呆れたような笑みを浮かべる轟がベオルフにそう問うていた。


「教師を三年もやっていると、説教臭くもなるものだ」


 大した感慨はないがな、と付け足しながら、ベオルフはグレイアースを見下ろした。すかさず問い正そうとするグレイアースに対し


「何故? などという陳腐な問いは止してもらおうか」


 そう先手を打たれ、グレイアースは鋭い視線でベオルフを見上げるも、彼はそんな視線を気にも留めずに、ただ無感動に告げた。


「轟の話は聞いたな。ならば即座に騎士たちを動かし、あの娘を探し出せ。さもなくば、この娘を殺す」

「なっ!?」


 ベオルフの言に、グレイアースは絶句する。そして同時に、ベオルフならば必ずやるだろうと理解し歯ぎしりした。


(一体……何がどうなっている!?)


 死んだと思っていた前任の【剣の賢者】が生きており、今自分を踏みつけている男と結託をして何かをしようとしている。

 ならば一体、なにをしようとしてるのか?

「知りたいか?」

 まるでグレイアースの考えが読めているかのように、ベオルフがそう問いかけた。グレイアースはベオルフを見上げ、忌々しげに表情を歪めながらも視線で肯定する。


「――すべては、このTTBの安寧を守るためだ」

「なん……だと?」


 ベオルフの言葉に、グレイアースはそう疑問を口にした。それに答えたのは、ベオルフではなく轟だった。

「つまりはですね――」

 もったいぶった様子で轟はそこで言葉を区切り、睨み上げるグレイアースの様子に満足げな表情で頷いて見せた後、彼は大仰な動きで両手を広げていった。


「ちょっと大がかりな装置を使って、このTTB全体を防衛するための、響律式を応用した障壁を形成するんですよ。そのためには、《天使》と呼ばれる特殊な存在の力が必要不可欠でして、我々は長年それを探し続けていたんです。そして、それを先日ついに突きとめることに成功したんですよ」

「そのお前たちの計画と、あの写真の少女が何の関係がある?」


 すかさず、グレイアースは問うた。彼らの返答は何となく予想できるが、それでも尋ねずにはいられなかった。

 下手をすればあの少年――ニーアや、その後ろにいる【ザプリュッド】とことを構えることになりかねない。あの猛者ぞろいの連中との交戦は出来るだけ避けたいというグレイアースの願いは、いとも容易く裏切られることになるが。

 そんなグレイアースに向けて、轟は満面の笑顔で答えた。


「彼女がこの計画の要――即ち《天使》と呼ばれる存在なのですよ」


 そう告げた轟の言葉を引き継ぐように、ベオルフは言った。


「我らが大願――《天上の御力ガブリエル》の完成のために、その娘――シエラ=F=レッヒェルを一刻も早く見つけ出すのだ」


 さもなくば……その言葉の先は言わずとも分かった。

 グレイアースはただ悔しげにうめき声を漏らし、頷くことしか出来ずにいた。



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