Ⅶ
次々と草木が芽吹くかのような勢いで地面から湧き出て来る【マモノ】を見据え、ニーアは舌打ちしながら長剣を肩に担いだ。
そして傍で呆然とあれらの現出を眺めているシエラの頭を軽く叩く。我に返ったシエラが、両眼を瞬かせて言葉なくニーアを見上げた。
そのシエラに、ニーアは安心させるように僅かに微笑みを浮かべて見せた。昔、唐突に不安に襲われて震えそうになった時、いつもあの人がしてくれたように――そう意識してニーアは僅かに微笑んだ。
しかし、対するシエラは僅かに眉を顰めて、
「ボクは犬猫と同じ扱いかい?」
そう口を曲げて言った。どうやら先日の猫に向けていた笑みと同じように見てとられたらしく、ニーアは僅かに呆れた様子でシエラを見下ろして溜息をつく。
「……ああいいか。アンタ、絶対此処動くなよ。今更あの波に乗るのなんて不可能だろ?」
言われ、シエラはニーアの言う波を見下ろした。そして「あー……」と曖昧な声を発したあと、
「うん、無理」
素直に肯定した。見下ろした先にあったのは、数百人の学生によって生じている人の波だ。誰も彼もが目の前に現れた機獣などよりもはるかに恐ろしく、相対ずるのも絶望的な存在を前に恐れをなし、昇降機目掛けて殺到する様は、正に波と呼ぶに相応しい。
シエラの言葉に、ニーアは微苦笑しながらコートのポケットに手を突っ込み、そこから小さな機械を取り出してシエラに投げ渡した。
「通信機だ。俺の持ってるのに直接繋がる。問題が起きたらすぐに報せろ」
「うん、分かった」
ニーアの言葉に、シエラは素直に従った。流石に状況を理解しているのだろう。文句も言わず、黙ってその場にしゃがみこむ。
「出来るだけ早く戻ってきてやるから、それまで大人しくしてろよ」
「に、ニーア君!」
飛びだそうとしたニーアを、シエラは慌てた様子で呼び止めた。飛びだす寸前だったニーアは、跳躍する寸前の姿勢のまま振り返って、視線だけで何だ? と尋ねる。
「け、怪我しないように……」
「はっ、俺があの程度の雑魚に傷負わされっかよ」
鼻で笑いながら、ニーアはそう返して笑って見せた。それを見て、シエラは無表情――ではなく、僅かだが心配そうに目を伏せながらも頷く。
瞬間、ニーアが飛び出す。圧倒的な脚力と、体内に宿る響素を意識化の〈指揮〉で操り肉体を強化。撃ち出される砲弾さながらに、ニーアはぞろぞろと群を成して向かってくる【マモノ】目掛けて飛び込む。
――着弾。
そう思わせるような衝撃を伴ってニーアが地面に降り立つ。着地によって生じた衝撃に乗じてニーアが長剣を振り抜き、降り立った場所に存在していた【マモノ】の一体を頭頂から一刀両断。
「うらぁぁぁぁ!」
咆哮と共に、身体を捻って長剣を振り回す。それは剣術とはかけ離れた力まかせの一刀。しかし響素によって形成された刀身は、ニーアの〈指揮〉が支持する力を具現する。
剣身を形成する響素に込められたニーアの『斬断』の意志がそのまま具現したかのように、振り払われた長剣の刃に触れた【マモノ】たちがなんの抵抗もなく横一文字に両断された。
円を描くように振り払われた剣によって斬断された【マモノ】が、まるで霧散するかのように塵となって消えていくのを鋭い視線で僅かに一瞥したニーアは、剣を天高く掲げ上げて声高らに叫ぶ。
「続け【ザプリュッド】! 敵が【マモノ】だからって臆するんじゃねーぞ!」
『応!』
各所からニーアの鼓舞に応える咆哮が轟くと共に、響素結晶武具の剣や槍、斧などを手にした男女が【マモノ】の群れに殺到する。
斬撃に穿突が乱舞し、幾つもの攻撃型響律式が各所で炸裂する。
さらに、
「――ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
巨大な獅子が吠えたかのように、ゼリクが身の丈もあるような大剣を振り上げて【マモノ】の群れへ飛び込んだ。
「行くぞ! 【戦鬼】ゼリクの〈
大音声で叫ぶと同時に、ゼリクの周囲で大量の響素が渦を巻き――次の瞬間閃光を伴った爆発となって響素が荒れ狂う。
ニーアを始め、【ザプリュッド】の面々も、ゼイクに通髄してきた教師陣も突然発生した爆発の衝撃波に顔を覆う。
衝撃が去ると、皆が一斉にゼリクへと視線を向け、そこに顕現した巨大な五つの剣を見て息を呑む中、ニーアだけが微苦笑を浮かべた。
「あれが……ゼリク=アーミーレンドの
――唯一響律式。
それは響律式の一つの奥義と捉える者もいれば、選ばれた者のみが使える大いなる力と説く者もいる、普段人々が行使する響律式とは似て非なる存在。
響律式には大きく分けて二つある。
一つは先に挙げられた、遺伝子内に響律譜を刻み込み、指揮を得ることで行使できるようにある響律式――これを世に
この公式響律式を一般的に響律式という大きなくくりで捉えており、響律式という言葉は、通常この公式響律式のことを意味する。
それとはまた異なり、響律譜を刻み込んだだけでは決して得ることも操る出来ない特殊な響律式が存在する。
響素が世に出で、響律式というモノが確立したのと同時期――ある一定の確率で遺伝子内に既に響律式の刻印が存在する者が現れるようになった。
本来ならば、〈響律譜〉を刻む者――
そのどれもがそれぞれ独自の性質と効果を宿し、一つとして同じ力の物が存在しないことから、当時の科学者たちはその響律式を――唯一響律式と名付けることにしたのである。
そして唯一響律式はその種類にもよるが、たった一人その唯一響律式を使える者がいれば戦況を一気に逆転できるほど強力なものがいくつも存在する。
かつてTTB建設案が生じる以前、【マモノ】を退けながら行われた資源戦争で導入された唯一響律式使いが、たった一人で一国を滅ぼしたという事例だって存在する。
それほどまでに、唯一響律式という力の恩恵は凄まじさと苛烈さを誇る。
そして今、ゼリクが発動させた響律式――〈五大の英雄〉もまた、そんな唯一響律式と呼ばれるモノの一つであり――戦況を覆すほどの力を持つモノだった。
効果は武装の幻実操作。
自身の武器の幻を複数――最大数は五――生み出し、それを自在に操るという力を持つ。
だが、生み出される幻は幻ではなく、実体を持った幻――幻を生み出すというよりも、同じ武器を複数作り出す能力と言ってもいい。
そしてその生み出した武器を、己の意のままに操作することができるのが、ゼリクの持つ〈五大の英雄〉の力だ。
五つの巨大な剣が宙空を舞い、ゼリクの前に立ちはだかる多数の【マモノ】をジューサーにかけた果物のように恐ろしい勢いで粉微塵に切り刻んでいく。
それは最早掃討というよりも一方的な暴力の権化のようにも見える。
周囲が一気に歓声に包まれ、ニーアも彼の暴れ具合には舌を巻く思いだった。
(……これが鬼……ね)
ゼリクの猛々しい戦いの勇猛さを垣間見ながら、ニーアは背筋がざわめくような感覚に晒される。
その時、ニーアの耳に入れていた受信機に僅かな雑音の後、シエラの声が飛び込んできた。
『ニーア君、大変だ!』
鼓膜を突き破るほどの大声を直に受け、ニーアは声にならない悲鳴を発した。そしてその場にうずくまりたくなる衝動を必死に堪え、我鳴るようにシエラの声に応答する。
「だー! うるせー! なんだよいきなり大声で!」
『後ろ! 昇降機の近くを見るんだ!』
叫び返した文句に返ってきたシエラの声に宿った尋常でない気配に、ニーアは早急に振り返り――シエラの言葉の意味を理解し絶句した。
「――なんだ……ありゃ……」
シエラに言われて振り返ったニーアの視線の先――そこに君臨したそれを見て、絶句し、忘我し、言葉を失って呆然とすることを、一体誰が咎めることができようか。
それは巨大だった。
全長として、その大きさは目算四十メートルほど。全身は夜闇のような黒一色。その体内で走る、骨格を現すような雷光。
ニーアの様子に何かを感じたのだろう。幾人もの教師や【ザプリュッド】の面々も振り返ってそれを見――皆が言葉をなくす中、ニーアが絞り出すように口を開いた。
「――【マモノ】……なのか」
ニーアの言葉に、誰もが言葉を失った。
もしニーアの言葉が事実だとすれば、それは途方もない事態を意味する。ただでさえ、TTB内部に【マモノ】が現出しているという、あってはならない事態が生じているというのに、あれほどの大型【マモノ】が現れた――これがどれほどの大事か、その場にいる誰もが意味を純然と感じ取っていた。
教師陣や、ニーアを含めた【ザプリュッド】の面々はまだいい。彼らは自分を通じて、その事実を以前から知っていた。
だが、コルプース・アカデミーの生徒たちはそうもいかない。
人の口に戸は立てられない。というように、この事情を知った〈大樹の葉〉が言明し緘口令をしいたところで、情報の漏洩はほぼ免れないだろう。
【マモノ】がTTB内部に現れた――この事実が世に知れ渡れば、これまでの不安定なバランスで保たれていたTTBの治安は一瞬にして崩壊を告げる。
だがしかし、今気にするべきことはそんなことではない。少なくとも、ニーアにとってこのTTBの治安がどうなろうと、そんなことはどうでもよかった。
ニーアが問題視しているのはたったひとつ。
「……あれ、どうやって倒しゃーいいんだよ?」
忘我から戻ってきたニーアは、まず最初にそう言った。その言葉に【ザプリュッド】の面々が「こいつは正気か……?」という視線で彼を見る。
「何だ、アシュリート。あれとやる気か?」
ニーアの背に向けて声をかけたのはゼリクだった。見れば先ほどまで埋め尽くすほど存在していた【マモノ】はいつの間にかその数を激減させ、残ってる数はそう多くない。どうやらこの男一人で一掃してしまったらしい。
「この化け物め」
「だが、そんな私でもあれには少々骨が折れそうだ」
五本の大剣を伴い、ゼリクはその厳めしい面に微苦笑しながら巨大な【マモノ】を一瞥した。
ニーアも同じように剣を肩に担ぎ、頬を掻きながら一言。
「まあ、まずは近づくことから始めるとするか」
「なるほど全くその通りだ」
ニーアの言に頷きながら、ゼリクは一足先に走り出す。ニーアと同じように、対内の響素を操作して肉体強化を施しているのだろう。強すぎる踏み込みのせいで地面に幾つもの大きな足跡を残し、そこに存在していたという残滓も残さぬほどの速さで疾走していった。
それを見送りながら、ニーアは呆れた様子で肩を竦めて振り返る。
「お前ら、ここの残りは任せた。終わり次第追って来い。たぶんあっちにも溢れてやがるぞ」
そう一方的に告げると、ニーアもゼリクを追って地面を蹴った。そして空に舞い上がりながら、ふとシエラのことを思い出し、
「……ついでに回収してくか」
そう思って向かうべき先を変えるために地面に着地し、方向を変えようとした時――ニーアは視界の片隅で何かが沸き上がるのを見て、そちらに視線を向けて唖然とする。
「嘘だろ……おい」
流石のニーアも、これには今度こそ我を忘れて一人呟く。
一、ニ、三、四……どんどん――そう、どんどん増えていく。あの大型の【マモノ】が十も二十も、次々とその数を増やして偽りの機械で出来た大地からのそり……と、まるで昼寝から目を覚ましたように身体を起こして姿を現すのを見て、ニーアはどうしたもんかと頭を傾げ――そして結論。
「――っくそ! ようはブッ倒せばいいんだろ!」
苛立ちを吐きだすように叫びながら、ニーアは長剣を片手に新たに出現した大型の【マモノ】たちの元へ向かうべく、全身の響素を操り地面を蹴った。
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