Ⅴ
「ほんと、あれじゃガキのごっこ遊びのほうがまだ遠慮がない気がするな……」
双眼鏡を片手に、ニーアは眼窩の様子を見下ろしながらそう一人呟いた。
武器を振る速度。相手の動きへの対処の短慮さ。そして響律式の詠唱速度――どれと取って見ても、彼らのそれは一流にはほど遠い。
「せめて逃げ脚だけは一流であってくれよ」
「ふーん……やっぱりそういう事態は想定されているんだね」
皮肉を込めて呟いたニーアの言葉に、返ってくるはずもない声が聞こえてギョッと目を剥いてニーアは振り返った。
「うんせ……っと」
そこには廃屋によりかかるように高く積まれた瓦礫を伝って、この廃屋の屋上に乗り移ってきたシエラの姿が、「よっ」とでもいう風に片手を上げながらこちらに歩いて来る姿が。
ニーアは絶句し、そして叫ぶ。
「あ、あんた一体何してやがんだ!」
その絶叫ともとれる問いかけに、シエラは真顔で、
「君のお弁当を奪いに来た」
そう真顔で返してきたので、今度こそニーアは言葉を失って口をパクパクと開閉させる。呆れてものも言えないとはこのことだろうか? ならば本当に言葉通りなんだな、と半ばあきらめたように納得する彼に、シエラは僅かに微笑んでかぶりを振って見せる。
「冗談だよ。じょーだん」
「アンタが言うと、冗談に聞こえないんだよ!」
肩を震わせて眼尻を吊り上げて本気で突っ込みを入れるニーアに対し、彼女は涼やかな表情で先ほどまでニーアの見ていた風景を見下ろした。
そこには熊ほどの大きさの体躯を持つ機獣を相手に、数人の戦律科の生徒たちが陣を組んで対峙している姿があった。
一人が片手持ちの剣と楯を手にして牽制し、それを後衛の二人が響律式で攻撃するという、戦闘技巧の初期に教わる戦術で戦っている。
それをじっと見つめ、次いでそれをいらだった表情で見下ろすニーアを見上げて、一言問う。
「あれに対してのご感想は?」
「本場の実戦に出たら五秒で死ぬ」
そうニーアは断じた。対しシエラはやれやれと言った様子で首を振る。
「そりゃあ、君と比べらたらねぇ」
「俺と比べるとかそういう問題じゃねーんだよ」
「じゃあ、どういう問題?」
すかさず尋ねるシエラに、ニーアは面倒臭いという様子を隠す気もなく、しかし溜息とついて渋々と応じた。
「どいつもこいつも、これが結局授業の一環だと安心しきってるんだよ。教師陣もすぐ傍で監督してる――つまり、本当に危なくなったら助けてもらえる……そういう気配が目に見えて分かる」
「どうして?」
「事あるごとにオッサンに視線が向かってる」
「あー……」
その答えに、シエラも納得した様子で頷き、再び視線を下ろしてよく観察して見れば――なるほど、とニーアの指摘に同意する。
生徒たちの動きをよく見れば、前に出て切り結んでいる生徒にしろ、後衛で響律式を展開している生徒にしろ、彼らは一撃一撃を叩き込むたびに監督教師であるゼリクへと、視線どころか顔すら向けているのがシエラにも見えた。
戦闘に、目の前の敵に全く集中できていない。あれでは素人目に見ても隙だらけなのが丸分かりだ。
「相手が俺だったなら、あの瞬間に迷わず切り倒すぞ」
「どうどう」
歯を剥き出しに今にも飛び出して行きそうなニーアをシエラは肩を叩いて諌める。すると、ニーアは視線の矛先を眼窩の生徒からシエラへと変える。
「それで……アンタ、本当は何しに来たんだ?」
「ん? 君のお弁当をだね」
「え? なに? 紐なしバンジーがしたい? じゃあ蹴り落としてやるよ」
「女性に対して何たる暴挙……」
「誰だよ、女性って?」
シエラの台詞に何気なく返されたニーアの言葉に、シエラは変化の乏しい表情に珍しく怒りをあらわに立ち上がり、ニーアに向かって噛み付かんばかりに叫ぶ。
「なにをー!? 身長がそんなに偉いのか! 胸あることがそんなに凄いのかー!」
「誰もそんなこと言ってないだろうに……」
ジタバタと暴れるシエラを横に、最早我関せずと言った様子で双眼鏡に目を通して周囲を見回す。
放置されたシエラは、むむむ……と唸り声を上げ、そんなニーアの邪魔をしないように注意を払いながら、
「質問するけど、いいかなー?」
「答えられることならな」
そのかわり、手短に頼むなとシエラを振り返りもせずに付け足すニーアに、シエラは僅かに深呼吸したあと、
「戦律科の先生の数が多いのと、昇降機前で『騎士団』が待機してた理由、知ってる?」
そう尋ねた瞬間、ニーアが息を呑んで、双眼鏡から目を離してゆっくりとシエラを振り返った。
そして僅かの逡巡の後、彼はゆっくりと口を開く。
「……よく、気づいたな」
「何となく、気になっただけだよ。でも、君の反応を見たところ、何かあるんだね?」
シエラの確信を得たというその言葉に、ニーアは僅かに思案顔で目を僅かに伏せた後、静かにかぶりを振った。
「微妙に違うな。何か『あったから』あの人数を用意したんじゃなく、何か『あれば』すぐに対応できるように万全を期した――だと思う……しかし、本当に『騎士団』まで動かしたのかよ。何者だ、あのオッサン……」
一人ごちり、そのままぶつぶつと何かを呟いて思考するニーアの様子にシエラは彼の話の中に上がった人物――おっさんことゼリクを見下ろした。
厳めしい面立ちで戦律科の教師と並んで生徒たちの戦いに目を向けているゼリクは、明らかに周囲を警戒しているのだろう。他の教師陣たちと同様、彼も同じように周囲に視線を巡らせて注意を払っているように見えた。
見えた――というのは、何処となくゼリクの様子は、辺りの様子に注意を払って警戒しているというよりも、
(……何かを、待ってる?)
そんな風に、シエラには見えたのだ。
(だとしたら……それはなに?)
僅か。ほんの僅かだが気になってしまい、シエラはそのことをニーアに告げようとした。だが、結局それを彼に伝えることはなくなってしまう。
シエラがニーアに声をかけようとしたのと同瞬、双眼鏡で遠方に視線を向けていたニーアが突如立ち上がり、物凄い形相で視線の先を睨み据えていた。
そして双眼鏡を握っていないほうの手を持ち上げ、指で輪を作るとそれを口に銜え、
――ピィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ………
口笛を鳴らした。
瞬間、下のほうで警戒していた教師たちが一斉に動き出し、他にも廃墟や瓦礫の山の中から武装した集団が姿を現す。皆一様に外套の背中や肩に塔と×字の意匠を宿している。
それは【ザプリュッド】を表す印。
その印を背負った者たちが、次々と手にした装柄に響素を込めて刃を生み出して走り出す。
「アシュリート! どっちだ!」
「正面! 距離五〇〇!」
眼窩からの声に、ニーアはただ簡潔に応えて自身も装柄を取り出し、
「――【
「ちょっ、一体どうしたのさ?」
「どうしたもこうしたもあるか! 現れたんだよ!」
その声に含まれていた焦燥の色に、シエラはぞわりと背中を撫でられたような気がした。
それと同時に、ニーアの口にした言葉の意味を漠然と理解する。
――現れた。その言葉が脳裏で木霊する。
彼は何が現れたのだと明確に口にしたわけではない。だが、それは確かな予感となってシエラの中で克明に形を以て脳裏に描かれた。
そんなことはありえない。常識的に、あの存在がTTBの内部にいるはずがない。
だが、シエラの中でそれはほとんど確信となっていた。
「――ねえ」
だからシエラは、僅かに自分の中に残った否定に従って、恐る恐ると言った様子でニーアを見上げて、
「なにが……現れたの?」
自分の、ニーアのコートを掴んでいる手が震えているのが、そう問いかける声が震えているのが、シエラには分かった。
そんなシエラの様子に、ニーアは一瞬だけ息をのんで後退ろうとした。が、それを必死に堪えて、ニーアは歯軋りしながら吐き出すように――否、絞り出すような必死な声で、
「――そんなの、決まってるだろう」
伝えることが正しいのか間違っているのか、それが分からぬが故の僅かな逡巡。だが、真摯なまなざしで見上げるシエラの眼力に気圧されたのか、ニーアは忌々しげにそれらが現れた方向を睨みながら、その名前を口にした。
「奴ら――【マモノ】だよ」
呟かれたその存在の名に、シエラは文字通りその顔を絶望の色に染めた。
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