Act:2『災厄の者』Ⅰ
――請負屋【ザプリュッド】。
報酬次第で荷物の配達から機獣や魔物の討伐すらも請け負う猛者の集団として、その業界では名を知らぬ者はいないとまで謳われるなんでも屋。
第十二階層の一角にその本拠地を構える【ザプリュッド】の最奥――『魔女の間』と呼ばれる純和風な意匠の凝らされた部屋に住まう金髪の和装の童女――麗愛=マルスタインが煙管を銜えて紫煙を吐き出しながら、むすーっと不満げに表情を顰めるニーアを見据えていた。
「というわけで、その仕事はお前に任せる。文句はないな? ニーア」
「あるに決まってんだろうが、クソババァ」
自らの長に対して彼が不機嫌を隠さず不遜な態度を取る理由は、ほんの小一時間前に遡る。
◆ ◆ ◆
その日の朝早く、ニーアはある人物に呼び出しを受けてそこに来ていた。
コルブース・アカデミー。TTB第十五階層の一角、第ニ学園区画に存在する教育機関の一つで、一般教育を施す一般科。響律式や響晶武装を用いた戦闘技術教育を主とする戦律科や、技術発展を目的とした技巧科、響律式の研究・開発を主とする響律科、過去の技術知識や幅広い知識の探求を行う研究科といった複数の学科を有する第十五階層最大の教育機関。
ニーアも一応此処の戦律科に席を置いてはいるのだが、元々戦闘技術は【ザプリュッド】でも屈指の実力を持つ彼にしてみれば、このアカデミーの生徒たちの戦いというのは正しく児戯であり、相手にする価値もないと切って捨てほとんどの授業をサボっていた。
その彼が呼び出しを受けたのは、戦律科担当教師たちの集められている――まあ世にいう職員室である。
「――失礼します」
そう一言告げてからニーアは職員室へと入った。粗暴な態度は最早彼の地であるが故に仕方がないが、その根っこで昔施された教育のため、こういう時の例をニーアは決して欠かさない。
ただし、その風貌と態度と目付きが彼のその律儀さを一瞬にして台なしにするのだが、
「ん? 律儀にちゃんと来たか、アシュリート」
「……おう」
「相変わらずふてぶてしいガキだな」
「余計な御世話だ」
「こーらアシュリート。お前ちゃんと俺様のありがたい授業に顔出しやがれ!」
「うっせ、俺の勝手だ」
「アシュリートくーん。来週実技試験あるから顔出してねー。出ないと単位やらないわよー」
「忘れなきゃな」
この職員室では、ニーアの風貌も態度も目つきも気に留める者など誰もいなかった。
どの講師たちも皆一様に職員室に現れたニーアに向けて気さくに、あるいは愉快気に声をかけ、ニーアもまたそれぞれに不遜ながらもしっかりと答えを返す。
これが一般の教育機関や一般科の職員室ならば教師陣から叱咤の声が嵐の如くニーアを苛むだろう。
しかし、此処はそういった普通の教師という者がほとんどいない。というのも、この戦律
科を任されている教員の大半が、元戦闘専門の請負屋であったり、『騎士団』に所属していたものであったり、最も機獣や魔物との戦闘が激しい外延部防衛局の前線で戦っていた者などがほとんどだからである。
かつての職を辞してなお、戦いの場に身を置かずにはいられない――そんな人間たちを集めた場所――それが戦律科の教師陣だった。
故に、彼らのニーアに向けるそれは、生徒と教師というよりは同じ立場にいる同業者というのが近い。
そんな中を闊歩し、ニーアは自分を呼び出した男の前に不遜に立つ。
「――で、朝っぱらから何の用だよ、オッサン」
「お前は礼儀があるのかないのか本当に分からんな、ニーア=ゲイル=アシュリート」
そう返したのは、白髪の混じった金髪をオールバックにした壮年の男だった。
ゼリク=アーミーレンド。かつてはTTB外延部防衛局の最前線で戦い、その荒く猛々しい勇猛さと圧倒的な強さから【戦鬼】という二つ名で恐れられていた屈指の戦士。
そんな男を前にしても、ニーアの態度はやはり変わらない不遜さを孕んでいた。
「いいからさっさと用件を言えよ、これでも暇じゃないんだ」
「ふむ……」
ニーアの言葉に、ゼリクはしげしげと顎を撫で回しながらニーアを見据え、仕方がないという様子で嘆息一つ。
「お前、二日後に上級学年による野外講義を知っているな」
「いや、知らねー。なんだそれ?」
あっけらかんと切り返されたニーアの言葉に、ゼリクは僅かに目を細めて再びため息を漏らし、やれやれと言った様子で頭を振ってから口を開いた。
「まったく。学生とは思えないな、貴様は。まあいい。説明してやる――と言ってもそう難しいことではない。単に一般科を除いた学科の四期生から六期生が下の階層で実践・実地講義を行うというだけのことだ」
「あー……あれか。なんか他の連中が騒いでるなとは思ってたが――なるほどな」
ゼリクの説明に、ニーアはやっと合点がいったというように首を縦に振ったが、ゼリクからしてみればニーアがすでに興味をなくしているのは明白だった。
その理由は単純。ニーアにとって、その行事は実につまらないものだからだ。
下の階層に行っての実践・実地訓練とは言っているが、要は体の良い遠足程度のものである。無論、生徒たちは自分の学科に対応したカリキュラムが組まれてはいるが、それはそれぞれの学科生が初期の頃に教わる内容の再確認程度のことでしかない。
戦律科の生徒にはその階層にて機獣を相手にするという実戦もあるが、本当に生徒を危険な機獣と戦わせる訳もない。本場を知っている者からすれば雑魚中の雑魚と言えるような小型のものや、戦闘能力の低い機獣と戦うのが関の山だ。
強さへの探求と強い存在との戦いを渇望するニーアにして見れば、なんとも生ぬるい御飯事――とまあそんな感じである。
しかし、ゼリクにとってそんなニーアの感慨は関係なかった。心情的にいえば、ゼリクもまたニーアに近い、こんなことやっても力はつかないからやるだけ意味がないという考えを持ってはいるが、この野外講義の実施が決定している以上この場に個人の感情など意味を成さない。
ゼリクは組んでいた腕を解き、デスクの上に置いてあった封筒をニーアに投げ渡す。
「何だよ、これ?」
酷くぞんざいに封筒を受け取りながらニーアが尋ねると、ゼリクは僅かに鼻を鳴らしてから答えた。
「お前の主に――剣の魔女に渡してくれ。今回の野外講義での助力要請……そんなところだ」
「はあ?」
ゼリクの言葉に、ニーアは素っ頓狂な声を上げたのは無理もない。ただのアカデミーの講義で請負屋に依頼する講義など聞いたこともないのだ。
しかしゼリクは至極真面目な表情でニーアを見上げ、何処か躊躇った様子で静かに重い口を開いた。
「最近、下層の方で機獣の活動が活発になっていると聞く。それにだ、お前は知っているだろう。たとえTTBの中であっても、最早下層は絶対の安全圏でないことを」
「……」
ゼリクの言葉に、ニーアは無言で彼の視線を真っ向から受け止め――そして静かに首肯した。
「つまり、保険は掛けておきたいってわけか?」
わずかに口角を上げたニーアの表情に、ゼリクはいかめしい表情を僅かに柔和なものに変えて肯定する。
「そういうことだ。一応、『騎士団』のほうにも問題が発生すればすぐに連絡をつけられるように手配はしているが、やはり欲しいのは後々の増援よりもその場での確実な戦力となる頭数なのだ。だからそれを請負屋――お前を通せばすぐにコンタクトを取れる【ザプリュッド】に、それを頼みたい」
「ふーん……」
ゼリクの言に、ニーアは封筒を掌で弄びながら気のない返事を返した。ある種予想できたニーアの態度に対してゼリクは何も言わず、ただ簡潔に告げる。
「今日の講義はすべて免除となる――だから、早々にそれを剣の魔女へ届けて欲しい」
「りょーかい。まあ、元々今日はババァに会いに行く予定だったしな。ついでに渡してやるよ。どの道、この件は俺には関係ないだろうし」
不敵にして不遜な笑みと共に、ニーアは手にした封筒をひらひらと弄びながらそう言って踵を返す。
だから、その背に向けてゼリクが微かな笑みを浮かべていることに、ニーアは気付けなかった。自分がこの行事に置いて無関係を決め込んでいたが故の失策。
「では、よろしく頼むぞ」
「おう」
気のない返事を返したニーアは、ゼリクのその言葉を、封筒をちゃんと届けてくれと言う意味と勘違いしていた。
その言葉の本当の意味を正しく理解し後悔の念に駆られるのは、ニーアが【ザプリュッド】に到着してその封筒の中に入っていた依頼書に目を通してからとなる。
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