Ⅳ
「これはまた、奇妙な所で巡り合うものだな。何かの縁でもあるのだろうか?」
「縁ね――」
男たちを部下たちに任せ、グレイアースはニーアを振り返ってそう言うと、彼は酷く億劫そうに鼻を鳴らした。
「合縁、奇縁、腐れ縁。色々存在するし、アンタとはどんな縁で結ばれてるかは知らないが――どうせ碌でもない縁なんだろうな」
そう言葉を返しながら、ニーアは肩に乗せた猫の腹を撫でる。
「ぬー、羨ましい……」
そんなニーアを見て、シエラはその無表情を僅かに歪めて猫を愛でるニーアを見上げ、猫を見上げ、それを交互に繰り返しており、そんなシエラに向けて、ニーアは僅かに口角を吊り上げて嗤う。
「それ以上近づくなよ、猫が逃げ出すから」
「うぐぐぐぐ……ねこー……」
唸るシエラに向けて、ニーアはしっしっと手を振っている。そんなニーアのそぶりにシエラは顔を顰めて遠目に彼の肩に乗る猫を見上げていた。
そんな二人のやり取りを見て、グレイアースはうっすらと笑みを浮かべて楽しげに様子を眺めていたのだが、はたと我に返って咳払いを一つ。
「……それにしても、喫茶店の
グレイアースの問いに、何処となく柔らかい笑みを浮かべて猫をなでていたニーアが僅かに視線をグレイアースに向けた。その視線にはまるでグレイアースを探るような、それでいって何かを確かめるような気配を宿していた。そして、僅かな億劫も。
そんな二人の間に生じた沈黙に何を思ったのか、青髪の女性がニーアの前に進んで彼を見上げ、詰問する。
「グレイアース様が問うているんですよ? 早々に問いに答えなさい」
「ヘルマ。よすんだ」
グレイアースが青髪の女性――ヘルマ=ティオレウスに向けて僅かに語気を強めてそう静止した。するとヘルマは僅かばかり不満気に表情を顰めるが、彼の言葉に異を唱えようとはせず、一度だけニーアを睨みつけてグレイアースの傍らに佇む。
対するニーアはというと、ヘルマの眼光など何処吹く風という様子。冷めた視線でグレイアースとヘルマを一瞥し――そして嘆息した。
「……別に。この近くに塔の外にある
猫の喉を撫でながら、ニーアは億劫そうにそう告げた。グレイアースはそんな彼の様子を逐一観察し、その言葉に嘘がないかを探る。
しかし、彼はグレイアースの視線すらどうでもいいと様子で、自分たちに向ける冷ややかな視線とは全く異なる優しさすら垣間見える眼で猫を撫でていた。
そして同時に、彼の口から告げられた言葉に内心首を傾げる。
「まさかとは思うが……君は、外に行っていたのか。このTTBの、外へ……」
「? それがどうかしたのか?」
ニーアはさも当然という様子で答えを返すが、それはグレイアースにとって驚愕するには十分すぎる事柄だった。
TTBの外部に赴く。言葉にして見ればそれはあまりにあっけなく、手段はいくらでも存在する。TTBに住む者がその外部に赴くのは許可証さえあれば誰でも出来ることだ。
だが、出来るからと言って、自ら望んでこのTTBから外に赴く者などそうはいない。むしろ極少数と言っていいだろう。TTBの統括議会――十二賢者ですらこの塔から自らの意志で外に赴き何かをしようとする者は僅か――それこそ【武の賢者】。このTTBにおいて機獣や【マモノ】に対しての有効な兵器の開発。並びに全盛期の対【マモノ】用兵器、アーティファクトの探索を一任されるデルミナ=ゲイツ=ミルディオンの一派くらいなものである。
そんな自ら好んでこのTTBの外に赴く彼を、グレイアースは変わり者だと思っていたが、まさかそんな変わり者があのでルミナ以外に存在するとは露とも考えていなかったフレイアースにとって、目の前に立つニーアの発言は驚愕するに十分な効力を持っていた。
だからだろう。グレイアースは思わず胸中の思いを口にした。
「……君は変わっているな。態々あのような危険な地に、自ら好んで赴くなんて」
「……変わってる――ね。そりゃこっちの台詞だよ」
「何?」
ニーアの口から発せられた言葉にグレイアースは思わず訊き返すと、彼は何処かつまらないものを眺めるような視線でグレイアースを見据えており、彼はその視線に思わず息を呑む。
ニーアの纏う独特の雰囲気に言葉を失う中、彼はにたりと笑ってこう言った。
「あんたは、
「!?」
ニーアの言葉に、グレイアースは思わず両目を見開き絶句する。グレイアースは、彼の言わんとすることを正しく理解した。理解してしまった。
だからこそ、グレイアースは絶句せざるを得なかった。ニーアの言わんとしていることは、現状では絶対的に不可能な事象。誰もがそのことを夢絵空事と切り捨てるである考え。
それを、この少年はさも当たり前のように考えているのだということを理解し、グレイアースは言葉を失ってしまったのだ。
「……」
「――なるほど」
言葉なくニーアを見つめ続けているグレイアースの様子に、シエラとヘルマがいぶかしむように彼を見据える中、ニーアはだけはグレイアースと同じように、彼の考えていることを理解したのだろう。
だからこそ、彼はそんなグレイアースに向けてにやりと笑んで見せる。
「あんたは、まだマシな部類の人間っつーわけだ」
先ほどまでとは全く異なる、何処となく満足したという様子でニーアが笑った。そしてその視線を今度はグレイアースからシエラへと移し、ニーアとグレイアースの間で交わされた会話の意味を全く理解していないのであろう少女の頭を軽く叩く。
「うにゃ」
「何ボケっとしてんだよ、あんたは」
奇妙な声を発したシエラに向けて、ニーアははぁ……と呆れた様子で溜息一つ漏らし、猫を撫でていないほうの手でグレイアースたちを指差し、
「曲がりなりにも、こいつらに助けてもらったんだろーが。ちゃんと礼くらい言えよ」
「ぬ、むぅ……だけどね、それが彼らのお仕事じゃないかい?」
「あんたバカか。こいつらが仕事であんた助けたのだとしても、それで礼を欠かすのは人として間違ってんだろ」
「君に人道を問われると、なんか複雑だよ」
「んなこたどうでもいい。今アンタがするべきことは、こいつらに礼を言うことだろ。さっさとしろよ、先輩殿」
どこか不満げな様子のシエラに、ニーアは延々と説教垂れて彼女に例の言葉を促した。とてもその外見には似合わない道徳的な言葉に、彼の不遜な態度や先ほど男たちを昏倒させた際の言動によって粗暴な若造というイメージをニーアに抱いていた『騎士団』の面々は思わずあんぐりと口を開いて絶句していた。
そんな彼らに向けて、シエラはしどろもどろに言葉を濁しつつ、それでも背後から感じる物理的な圧力を持った眼光に耐えきれず、ぺこりと頭を下げた。
「えっと……助けてくれて、ありがとう……ございました?」
謝礼の言葉は、何故か疑問形だったのは突っ込むまい。
「この迷子が迷惑掛けた。俺からも礼を言わせてもらうわ……そうだな、そのうち店に顔出せ。茶ぐらい出してやるよ、【剣の賢者】様」
そして何故かニーアのほうは無駄に態度が大きかったことにも、誰一人として突っ込まなかった。先程ニーアに強気で挑んでいたヘルマですら、ニーアのシエラに対する説教で絶句している。
そしてこの場で唯一突っ込みをいれられるであろうグレイアースはというと、何処か心此処に非ずと言った様子でニーアを見据えていた。
その当人はというと、何処かしたり顔でグレイアースを一瞥した後、まるで何事もなかったかのような態度で颯爽と歩き出す。すでにその歩みは周囲で忘我する『騎士団』など完全に無視し、悠然とした態度でその場を去って行った。
「あ、こら。ボクを置いていくなー」
その背をシエラが肩に引っさげたカバンを握りながら追いかけていく。
そして残されたグレイアースを筆頭とした『騎士団』の面々は、しばらくの間その背を黙って見送った後、捕らえた男たちの護送や周辺の巡回に向かい出す。
そんな中で、グレイアースは一人だけニーアの去って行った街路の果てに視線を向け続けていた。最早そこにあの不遜な少年の姿は見えていないだろうに、彼は見えなくなったニーアの背中を凝視し続けていた。
「……あの、如何したのですか? グレイアース様」
「……ん、ああ。ヘルマ……彼は、面白いな」
ヘルマの呼びかけで我に返ったグレイアースは、僅かな逡巡の後そう言葉を口にした。その言葉の意味が分からず、ヘルマは承服しかねると言った様子で眉尻を吊り上げる。
「そうでしょうか? 私にはただの無礼な子供に見えましたが」
「……ふむ。君にはそう見えたか?」
「はい」
ヘルマは迷いなく断じた。その彼女の迷いのなさに、グレイアースはくすりと笑う。それが彼女の彼に対する評価なのならば、それもまた彼の一面なのだろうと納得の意を示し、
「分かった。この話はここまでにして、仕事に戻るとしよう」
「はい、グレイアース様」
その言葉を最後に、二人は無言のまま歩き出す。ニーアたちの去って行った方向とは真逆のほうへ。
歩足を止めることなく、グレイアースはヘルマを伴いながらその思考の片隅で僅かに思案し、この場を去った彼へ向けて問う。
(……君は、本当にできると思っているのか?)
――大地へと帰るなどという、最早誰もが忘れ去った帰郷を。
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