Ⅱ
「……ちっ」
舌打ちが通路に木霊した。全面が金属板で固められた、人がギリギリすれちがえる程度の広さしかないその空間に満ちる呻き声と、鉄錆と硝煙の臭い。黒衣の少年はその表情を不快気に歪め、壁にもたれかかって悶絶している男の顔を蹴り飛ばした。
「ぴぎゃ!?」
「喚くな。耳触りだ」
手にする長剣の柄頭でその側頭部を殴打して意識を奪う。鈍重な音を背に、少年は通路を我が物顔で突き進んでゆく。
背後には、少年の手によって強制的に地へと伏した、厳つい体躯の男たちが山のように転がっている。
誰も彼も例外なく少年の手により手傷を負わされている。どの傷も致命傷とまではいかないが、客観的に見てもしばらく動くことはできないくらいには重傷だというのが見て取れる。
中には両腕の骨を砕かれた者。腕の一本を切り落とされている者までいる。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
そんな情景を背にし、少年はその金か茶か判断のつきかない色の髪を掻き上げながら一人ごちる。
「たく……こんなそうデカくもない
この移送艦に侵入してからモノの十分足らずで少年が相手にした数は、すでに三十人を超えていた。その三十人がそれなりに腕利きならばもう少し楽しめたのだが、湧いて出てくる連中はどれもゴロツキと呼ぶに相応しい――少年から見れば、彼らの実力は子供の喧嘩程度の技量でしかなかった。
「この程度で俺に挑んで来んな。弱い者いじめなんざ、やってて楽しくねーんだよ」
そう吐き捨てると同時に、少年が床を蹴って前方へと飛ぶように駆け出す。同時に、通路の奥のドアがスライドし、ドアの向こう側から五人の武装した男たちが姿を現す。
先ほどまで少年が相手をしていたゴロツキ連中とは打って変わった銃器や剣を装備した面々――おそらくは彼らが雇われの傭兵部隊かなにかだろうと直感し、少年の口元が僅かに笑みを浮かべる。
ただの微笑。だが、見た者からすれば飛んでもなく不気味で恐ろしい餓えた獣を彷彿される笑みを浮かべ迫りくる少年に、傭兵部隊の面々が僅かに委縮する。だがそれも一瞬ことで、彼らは即座に迎撃体制を取り、その場にしゃがみ込んで機銃を構え、銃爪を引いた。
複数の発砲音と、それに合わせたマズルフラッシュが連続する。五つの機銃からとめどなく撃ち出される弾丸の雨の中、少年は臆することなく――むしろ喜々して弾雨へ向かって突撃した。
手にする長剣を眼前に構えて、剣身を盾のように翳す。
そうするだけで幅広の剣身が少年の痩身をカバーし、翳された剣に身体が完全に隠れてしまった。
明らかに戦い慣れした少年の判断に、傭兵たちの面々が目を剥き、銃撃が一瞬止まる。
「馬鹿者! 撃ち続けろ! 奴を近づけさせるんじゃない!」
彼らの指揮官らしき男が、撃つのを止めた部下たちを叱責する。だが、それよりも少年の動きのほうが早い。
まるでその瞬間を待っていたかのように、銃撃が止んだ一瞬の隙をついて少年は飛ぶようにして通路を走り、距離を詰め――
「おらっ!」
――裂帛の気迫と共に長剣を横一文字に振り抜く。
同時に剣風が唸り声をあげ、鋭い斬撃が並列した男たちの銃身を真ん中から上下に両断する。
誰もが絶句する。それも当然だ。銃に対して剣で挑むというだけでも常識外の所業だというのに、その上剣で銃を破壊するなど、そう簡単にやってのけられることではないし、なまじそれが可能だとしても実行しようとする人間などまずいない。
そういう常識に捉われている傭兵たちからすれば、眼前の少年の所業は非現実の領域そのものだ。
一体どのような死線を超えれば、これだけの芸当を成せる技術と度胸を得られるのか。分かるのは、一介の戦闘屋ではどうこう出来る相手ではないという、その一点に限る。
「退きな」
まさしく獣の如き獰猛な――それでいて何処か静かな恫喝が反響する。
その声が耳朶を叩いた時、男たちは反射的に銃を投げ捨て腰に納めている小剣を抜刀。それぞれタイミングをずらし、少年目掛けて切りかかる。
だが、
「たくっ……手間かけさせんじゃ――ねーよ!」
長剣が一瞬で大きく、そして鋭く薙ぎ払われる。
男たちの小剣がそのただの一太刀で粉砕された。残像を伴うほどの速さで振り抜かれた長剣が生み出す剣風は、まるで少年の長剣が旋風を纏ったように室内の大気を唸らせ、少年に挑んだ屈強な男たちを吹き飛ばし、金属壁へと叩きつけた。
悲鳴を上げる間もなく、男たちはそのまま気を失って床に落ちたまま動かなくなる。
それを一瞥した少年は、つまらないものを見るような表情で舌打ちをし、スライド式のドアを潜る。
先ほどまでいた狭い通路とは打って変わった広い部屋に出た。部屋の彼処に巨大なコンテナが幾つも積み重ねられているところを見ると、此処が貨物室なのだということは容易に想像がつき、少年は鼻を鳴らす。
「たく、ロクでもない仕事を回されちまったなー。あのババア、帰ったら覚えてろよ」
たまたま乗り合わせたTTB上層階に向かう移送艦が、TTB統括組織――〈大樹の葉〉に異を唱える組織によって
そしてその多くは、TTB外部周辺に点在する
当然、脱落者たちはそれをよしとするわけがない。
彼らは日々TTBへ――〈大樹の葉〉へと講義を申し立てる。だが、彼らがその声に耳を傾けることは一度たりともなかった。〈大樹の葉〉はTTBの活動や機能の安寧を第一とし、それ以外のことには一切の関与を寄せず、興味を向けることもない。
彼らは行政政府ではなく、いうなれば運営機関である。
TTBという巨大な機械――それを制御し、活動の維持と保守を目的とし、それを目標とする一つの――大きな力を持った機関、それが〈大樹の葉〉だ。
無論、十二賢者の中にはTTBの治安維持や外延部における魔物討伐を任される【剣の賢者】率いる『
だが、それは結局のところTTBに住む人たちのために存在するものであり、当然のようにTTB外部――即ち外周都市の人々には何一つとして意味を成さない法でもある。
彼ら脱落者に対しての法は基本的に存在しない。彼らはTTBの住人ではないからだ。TTBに住まう人間でない者たちに対して、〈大樹の葉〉も、この塔の住人も、皆彼らを外の人間としか認識しない。
たとえ同じ姿をしていても、
同じ言葉を口にしようと、
彼らは皆等しく、TTBという一つの「国」という枠組みから見ての外の人間――「外国人」という認識されている。
この世界に置いて人種は二種類。
すなわちTTBに住む人間か、TTBに住めない人間か。
前者には最上の庇護を。後者には慈悲なき淘汰が与えられるのである。
だから彼らは異議を唱え、行動を起こす。
少年の乗っていたTTBと外延部を繋ぐ空輸送船は、そういったTTBとその外との間に生じる様々な理由から占拠されたのだ。
そしてその結果――
「たまたま乗り合わせてた俺にお鉢が回ってきた――やってられねーな」
この事態に巻き込まれてしまった少年は、げんなりとした表情で忌々しげに言葉を漏らした。
少年――ニーアが乗り合わせたのは、端的にいえば偶々である。
請負屋と呼ばれる、様々な人たちからの依頼を受けてそれを完遂する請負屋と呼ばれる、ようはなんでも屋のような仕事を生業としているニーアは、所属する請負屋【ザブリュッド】から斡旋された物資運搬の依頼を受けていたのだ。
数日前から外周都市に赴いてやっと仕事を終えていざTTBに帰ろうとした矢先、たまたま乗り合わせたその船が占拠され――それをどういうわけか【ザブリュット】の長が聞きつけたらしく、ニーアが乗っていることをこれ幸いと空輸送船の運航機関に話をつけて、占拠した犯人たちの捕縛及び船の奪還をニーアに押し付けたのだ。
「つーわけだ。とっとと終わらせようぜ、猿山の大将よー」
肩に担いでいた剣を、ニーアはつきつけるように水平に構える。その切っ先のはるか先――十メートル弱先にある貨物の上で、渋面をより険しいものに変えた男は酷く不愉快気に嘶いた。
「……貴様のような小僧に、我々の崇高な聖戦に水を差されるとはな」
「何が聖戦だこのタコ助が。やってることはただのテロ行為じゃねーか。それを小奇麗な言葉に置き換えてキャンキャン喚いてんじゃねーよ」
「――
ニーアの嘲笑に、壮年の男は一喝すると共に立ち上がり左手を突き出す。その両腕を覆うように展開される黒輝の円陣が、周囲の空気を震わせ響振させた。
男の行動に、ニーアは一瞬目を丸くして瞬かせ――そしてその口元の両端をニタリ……と吊り上げる。
「へぇ……
響律式――それは男の行使しようとしている、塔歴に至って以降世に蔓延する神秘の術の名だった。
――響律式。
大災禍以降世界に充満した、世のあらゆる存在に宿る新たな元素物質――
大気にも物質にも人体にも宿るその響素は、特有の固定振動数を与えることにより、古い伝承にある魔法にも似た力を発揮させることができた。
響素の発見後、前世紀時代の遺伝子技術者たちによって開発された響素を認識することを可能とする文様、〈
その〈指揮〉は自身に宿る響素を用いて大気中の響素に影響を及ぼす固定振動数を発生させ、大気中の響素を操り特定の現象を引き起こす。
時に炎を、時には氷を生み出し、自然現象を疑似的に操り扱うことを可能にした。
それが響律式。
響律式により従来の兵器では対抗できなかった、響素による影響を受け凶暴化した獣たち――響獣や、星の泣く夜以降世界の各地に跋扈する黒き異形――【マモノ】に対抗することができ、それによりTTB建設までの時間を稼いだと云われている。
そして今、目の前の男はそれを行使しようと言の葉を紡ぐ。
歌うように。
あるいは、音を奏でるかのように。
時に流麗に、時に剛胆に。
力強く。そして囁くように。
誰かに、あるいは何かに語りかけるかのように、男は言葉を口ずさむ。
「……ダムス・ヴェノム・ニゲル・プレート……マスワド・ヘイド・シュヴァルツ・ランケア・ルーク――〈
詠唱――そして起動鍵語が紡がれ、その言葉に導かれるように力が響素を通じてこの世界に具現する。
放たれたる響律式は攻撃型響律式八の型。
「死ね、小僧!」
大気に溢れる響素が凝縮し、物質化――それは人の腕ほどある大きさの無数の針――否、槍と化して虚空を漂い、一瞬の停滞ののち、ニーア目掛けて一斉に飛来する。
「……」
それに対するニーアの反応は、酷くおざなりなものだった。長剣を右の肩に担ぎ――半身の状態で、柄を握らない左腕を徐に持ち上げ翳した。そして僅かに手の先に意識を集中――刹那、ニーアの前方の空間が僅かに揺れ、歪む。
同瞬、ニーア目掛けて襲いかかる無数の槍が彼の身体を貫こうとし――その無数の槍がニーアの前方、僅かに波紋を鳴らすように揺れる空間に阻まれて、そこに衝突――次の瞬間、連続してぶつかってくる槍が次々とその形を瓦解させ、塵となって霧散する様を見た男の顔に驚愕の色が生じる。
「ば、馬鹿な!?」
「この程度で一々騒いでんじゃねーよ、器が知れるぜ」
必殺を信じて放った響律式を防がれ――あまつさえ無効化されてしまった男はその場で頭を抱えて混乱するが、対峙するニーアの反応は極冷ややかなものだった。
そんな酷く冷静なニーアの様子に腹を立てたのか、男は先ほどまでの余裕は何処に行ったのかというくらい狼狽し、血走った眼をニーアに向けて我鳴り散らす。
「き、貴様一体何をした!? 何故貴様のような小僧に、私の響律式が阻まれる!」
「んなもんテメェが一番よく分かってんだろうが。俺に説明求めんな、このド三流」
男の言及など端から相手にする気のないニーアは、そう蔑みながら男を突き離す。
そんなニーアの態度に言葉を詰まらせるが、実際何が起こったのかなど、男自身にも分かり切っていることだった。
響律式とは、どれだけ響素を上手く統御できるかで術の練度が左右される術だ。
響律譜と〈指揮〉は、術を行使できるようになるための道具であり、それを如何に上手く扱い、響素を集め、練り上げ、術に変異させられるかは、術者の技量と統御しこなす『意志』の強さよって大きく左右される。
つまるところ、響律式とは物理法則に対し、響素を用いることで己の『意志』を割り込ませ、新たな法則を便宜的に作り出すことで事象を操る術だ。
現実を否定し、己の望む世界を『意志』を以て現出させる――〈響律譜〉も、〈指揮〉も、響素も、そのための足掛かりに過ぎない。響律式への適応能力によって生じる召喚速度さえも、『意志』を以てすれば覆すことは不可能ではない。
〈串刺すもの〉――これは単純に言い表すならば、響素に対して『凝縮』し『鋭利と成れ』そしてニーアを『貫け』という三つの意志を具現化したものである。
対してニーアが自身で召喚した響素に対し行った操作は、『壁となれ』と、男の響律式を『阻め』という二点。
それによってニーアの前方に現出した空間の波紋こそが、ニーアの召喚した響素が顕現させた『壁』であり、そこに練り込まれたニーアの『阻め』という指令が、男の〈串刺すもの〉に込められた『貫け』という意志を完全に上回った。
そのニーアの生み出した障壁を貫くには、ニーアの『阻め』と念じた意志を超える強さで『貫け』と念じなければ、その壁を貫くことはできないのだ。
つまりは究極的な精神論の勝負である。
ニーアも男も、響律式を使う者としてそのことは百も承知――故に、男は今目の前で起きた現象を認められずにいた。
自分の『意志』が、目の前の、自分の半分も生きていないような若造の『意志』に負けた。男の持つ
しかし、現実にニーアは男の響律式のすべてを悉く防いで見せたばかりか、男の統御した響素に干渉し、その制御を完全に奪い取るという芸当までして見せている。これほどまでに開きのある実力差を否定するには、それこそ今この場でニーアの響律式を上回る響律式を放つ以外に他はない。
だが、そんなことは出来ない。出来るはずがない。
男には見えていた。ニーアの周囲に集められた、大量の響素の膨大さ。肉眼で見れば、其処にはただニーアが立っているだけだ。
しかし響素を視認する〈霊視〉を行った場合、男の視界にはニーアの姿は何処にもなかった。
正確にいえば、ニーアを取り巻く響素の量があまりにも多すぎるために視界を阻まれて目視が出来ない状況にあった。
それほどまでに、ニーアと男の間には文字通り桁違いの実力差があった。
「……ソ……クソ……クソクソクソォォォォォォォォ!」
男が絶叫しながら新たな響素を召喚する。量だけならばニーアには到底及ぶことのない微々たる量だが、そこに込められた怒りと焦燥が、響律式の勢いを僅かに強める。
しかし――
「ウゼーんだよ、おっさん」
静かに、さしたる感慨もなくニーアがそう呟いた時には、すでに彼は男に肉薄し、その長剣を握る右腕を高らかに持ち上げていた。
――轟!
剣閃が唸る。
振り下ろされた大上段からの切り下ろしは、男の放とうとしてた響律式を一刀の下に両断――その術式そのものを無効化。更にその掲げていた男の右腕を肩から容赦なく切り落とす。
「ひぎゃぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!?」
男の絶叫が広い貨物室を支配した。切り落とされた腕が床に落ちると、それを待っていたかのように男の切られた肩から大量の血が吹き出し血煙と化して周囲を赤く染める。
しかしニーアはそんなことには興味を見せず、コートのポケットから小型の端末を取り出して耳に当てる。
『――終わったかい?』
数度の
「ああ。
『まあ、上々というところだね。ご苦労さん』
ニーアの適当な報告に、相手の方はさして気にとめた様子もなく労いの言葉を口にした。
『あと十分もすれば船がターミナルに到着するから、後はそいつらを引き渡せば終わり。事後処理は治安局に任せればいいよ』
「りょーかいした、ババァ」
『相変わらずクソ生意気な坊やだ。まあ――報酬はいつも通りの口座に振り込んでおくよ。特別手当付きでね』
「当たり前だろ。そうじゃなかったらテメェもこいつらと同じ目に合わせてやる」
『やれるものならやってみな――という非現実的な夢物語は置いておいて、また何かあったら連絡するから、お前さんはそれまで大人しく一般人らしい生活を送ってろい。じゃあな』
そう一方的な言葉を言い残して、通話は一方的に切られてしまった。文句を言う間もなく、ニーアは通信の切れた端末をしばし見据えた後、忌々しげに舌打ち一つしてそれをポケットにしまった。
「くそ、あのババァ……いつか目に物見せてやる」
捨て台詞の如くそうぼやくニーア。そしてふと視線を眼窩に向け、僅かにその鋭い相貌を細め、
「往生際のワリぃ……」
そう呟いて、ニーアは無造作に長剣を横に薙ぎ払った。同時に響素を操り剣に纏わせ、向かってきた響律式を剣戟だけで霧散させる。
そのまま腕を後ろに回し、剣を背負う形で支えながらニーアは貨物の上から男を見下ろす。
「これ以上面倒起こすんじゃねーよ、オッサン」
「黙れ!」
ニーアの煩わしいと言いたげな言葉に、男は金切り声を上げて荒々しく頭をふって、むやみやたらに左腕を振るっては響素を操作。最早響律式とも成り得ていない不安定な術を行使してニーア目掛けて撃ち出すが、
「……ウゼェ」
ニーアはその一言を以て、自分に向かい来る攻撃はおろか、あらぬ方向に飛んで行った響素すらも〈指揮〉と『意志』を以てその制御を男から奪い取り、自らの操る響素へと変える。
男の表情が、一層絶望に染まるのを冷めた様子で見やり、ニーアは剣を振り上げ、そこに響素を乗せた。
意識下に存在する〈指揮〉の操作は、長年の経験により無意識の領域で扱うことができる。それはつまり、響素と術を行使しようとする『意志』さえあれば、いつだって響律式を扱えることを意味する。
ニーアはただ頭の片隅で漠然と意識した。響素に『意志』を通じて形を与える――その
刹那――烈風が男を切り裂いた。文字通り、男の身体を襲った強風が刃となってその身に裂傷を生じさせる。血煙が再び吹き、男が痛みに悶絶してのたうちまわる。ニーアが剣に乗せて放った響律式は、強烈な風の刃となって男を襲ったのだ。
男の口から洩れるのは、最早悲鳴ともならない絶叫。
ニーアの行動には、一切の容赦とか遠慮というものが存在しなかった。殺していないのは、そういう命令を受けている故の配慮に過ぎない。もし【ザプリュッド】の長から捕縛の指令を受けていなければ、通路にいた男の仲間も含めて皆殺しにしていたとしてもおかしくない――その程度に、ニーアは敵に対しての容赦がない。
痛みに悶絶する男目掛け、ニーアは貨物を蹴って跳躍すると、手にする長剣を両手で握り、床でのたうつ男目掛けて突き下ろした。
鈍い金属音が空気を僅かに揺らし、同時に男の悲鳴が一瞬にして静止する。
ニーアの振り下ろした剣の切先が、男の顔のすぐ横に突き立てられ、男は顔のすぐ横に突き立てられた剣を凝視して、その剣が孕む物理的な死の恐怖に全ての動きを止めた――否、止めざるを得なかった。
そして、そんな男に向かってニーアは何処までも冷ややかな目で見下ろし――薄く嗤う。
「――よくできました」
「……!」
ニーアの放った最大級の侮蔑に、男は腕に痛みも忘れて顔を怒りと羞恥で赤く染め、何かを叫ぼうとして――しかしこの少年の前では何も言っても意味がないことを悟り、言葉を呑み込んだ。
男の様子に、もう抵抗はしないだろうと判断したニーアは男への興味を失ったように、まるで何事もなかったかのように立ち上がって剣を床から引き抜き、
「――【
ニーアがそう呟いた刹那、彼の手にする長剣の剣身が、光の粒子となって霧散する。残されたのは、握っていた剣の柄と鍔の部分のみとなる。響素粒子の響晶武装であるニーアの剣は、その柄の部分――
「……くそ……《天使》を……《天使》を見つけないと――」
「は?」
男が唐突に訳の分からないことを呟いたのを耳にし、ニーアは思わず呆けた表情で男を振りむく。
見れば、男は何処か焦点の合っていない目で虚空を見上げ、まるでそこに何かがいるかのようにぶつぶつと言葉を連ねた。
「塔に住む《天使》さ……それを見つけ出せば、我々はこの塔を――世界を救えるのだ。そう、あいつは教えてくれたんだ。だから我々は動いた。この塔に囚われている、《天使》を救うために――それなのに、お前のような若造が……なにも知らないような……無能者に……」
ぶつぶつと意味不明な言葉を連ねる男の言動に、ニーアは結論を下す。ただの薬物中毒者が末期になって
「――ったく、阿呆らしい」
酷く不快なものを見たとでもいう風に、ニーアはそう言葉を吐き捨てて今度こそ歩き出した。背後から、何処か狂気じみた笑い声が響くが、最早聞くだけ無駄と切り捨てる。ただ――
「《天使》――ね……」
ただ一つ。その言葉だけが、酷く脳裏に焼きついたような気がした。
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