Act:1『平穏の崩れる日』Ⅰ
機械の軸が動く音が、あちらこちらから鈍く響く。
そこはTTBの中枢塔――人々が幹と称するこの塔の主柱の中。この中は前世時代の技術の結晶ともいえる、現代の技術では作り上げることのできない不明瞭な機械部品の塊だった。
かつてこの塔を創成する際に用いられた、建設用技術者たちのために設けられた作業用の足場――現在では非常事態の際に用いる非常階段として残されている場所。その非常階段を、一人の男が身を隠すように息を切らせながら下りていた。
白衣に身を包んだ初老の男。やたら頭上を気にしながら、男は肩で息をしながら階段を下りて行く。
「……知らせなければ」
それは無意識のうちに男の口から零れた言葉。汗を拭いながら、男は白衣のポケットに入れてある物の存在を手さぐりに確かめ、それがあることを確認すると、改めて何かを決心するかのように強く頷いて歩き出す。
と同時に、はるか頭上から響いてきた金網の足場を揺らす複数の足跡に、その表情を強張らせながら男は走り出す。
(何としても、このことを誰かに知らせねば――)
彼の胸中に生じたのは、そんな使命感にも似た罪滅ぼし。
発砲音が響く。同時にすぐ傍で火花が散った。
「追え!」「逃がすな!」「場合によっては射殺もやむを得ん!」「許可は得ている!」
追手の声が機械仕掛けの回廊に響き渡り、男の耳にも届く。
自然と男の足は早まり、飛び降りるような勢いで階下を目指して疾走する。
逃走は続く。しかし元々学者であり、現在は科学者として何年も働いていた男と、訓練を積んだ追手では身体能力に差があり過ぎる。
先を走る男と、彼を追う一団の距離は徐々に詰まり始める。男たちが手にする機関銃の銃創を引くと、無数の銃弾が銃口から吐き出され、男の傍で火花を散らして兆弾する。
「ひっ!?」
小さな悲鳴が口から零れるが、それでも男は走ることを止めない。それどころか、男は迫りくる追手に向けて手を翳し、何かを念じるように眼を細める。
そして――
「ブレム……ウェイム……イムリフォス――〈
彼が叫ぶのと同時に、彼の周囲に赤光の粒子が躍り――刹那、彼が今駆け下りて来た階段が、炎に飲み込まれた。
それは追撃者を拒む壁のように轟々と燃え上がり、追っての進行を阻む。
「うわぁぁ!」「炎――くそっ!
追手の声が猛火の向こうから聞こえるのを耳にしながら、男は振り向くこともせずに階段を駆け降りる。
「外に……ハァ……外に出なければ……」
響律式による炎の障壁など、結局は一時凌ぎにすぎない。いずれは鎮火され、彼らは自分を追ってくる。こんな螺旋状になっているだけの一本道では、いずれ捕まるのは明明白白。この中枢塔から外に出なければ、捕まる時間が少し伸びる程度でしかない。
何よりも、男には外に出て自分の知る事実を彼女に――あの魔女に知らせねばならないという使命感があった。それに突き動かされ、男は乱れた呼吸も気にせず階段を駆け降りる。
はたして此処が何階層辺りなのかも分からない。だが、何処かに出口と成る扉があるはず――そう思った矢先、外部に通じる扉が目に留まる。
「あそこから……っ!」
自然と足が速まる。あそこから出れば、少なくともしばらくの間彼らを振り切れるはず。この葉を隠すなら森と先人が言うように、人の中に紛れれば今より時間を稼ぐことはできる。
(何としても、あの魔女に知らせねば――)
外部に通じる扉に差し掛かり、男は扉の傍にある端末にアクセスコードを打ち込んで
その時、肩に焼けるような痛みが走った。痛みに顔を顰め、狙撃されたのだと気付く。だが、止まるわけにはいかない。男は痛みを堪え、扉の外へ転がるように飛び込み、扉を閉じて即座に端末を操作――扉を閉鍵する。
そして振り返り、そこに広がる景色を見て安堵の息を漏らす。
この途方もなく巨大な中枢塔に寄り添うように建設された、大樹から生える大葉を思わせるほど巨大な人口の大地。
大地を捨て、機械仕掛けの足場に住むことを余儀なくされた人間の今住む居住区が、男の眼前には広がっていた。
そっと頭上を見上げれば、そこには15という、現在の改装を示す巨大な塗装があった。
「――十五階層か……」
肩を抑えながら、男は立ち上がりそう呟いた。
そこは人々がいつの頃からかこの巨大な塔をユグドラシルと呼ばれるようになった、TTBの第十五階層だった。
平穏に包まれた、最早資料でしか知りえない、かつての大地を彷彿させる人口の緑と建造物に覆われた一つの都市。
男は暫しその景色を眺め――頭を振って歩き出す。
まだ追手を完全に振り切ったわけではない。今は逃げ、隠れ、落ち着いたのちに、人を探さねばならない。
そのためにはまず、逃げることが先決だった。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた金網の扉をくぐり、男はこの第十五階層という名の都市の中へと走って行き、群衆の中に紛れていった。
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