プロローグ



 天高くそびえ立つ機械の巨大な塔。


 TTB。正式名称――The Tower of Babelと呼ばれる、機械仕掛けの巨大な塔が世界に生み出されて約百年。


 約百年前の皆既日食の日、空から突如降り注いだ無数の閃光。

 轟音を引き連れ、破壊を伴って降り注いだその光の雨により、世界の均衡は瓦解した。

 それは衛星兵器の暴走に次ぐ暴走により、世界の大国が無差別に攻撃を受け、国それぞれの機能が停止した後は、実に早かった。

 小国が大国を攻め入り、あるいはそれを未然に防ぐために大国が小国を潰しにかかり、それにより世界中で情報が混乱し、国々の治安は一瞬にして乱れ、平穏などというものはいとも容易く崩壊した。

 繰り広げられた資源戦争の果て、大地は枯れ果て、権力者たちが世界の状況に気づいた時には、何もかもが手遅れの状態にまで陥っていた。


 その大事変は後に、大災禍ラスト・デイと呼ばれた。


 そして大災禍の後、多くの人は住むべき場所を大地から機械の足場へと変えることとなった。

 塔歴百十八年。

 ――現在に至ってなお、人はこの巨大な機械仕掛けの塔の庇護の下、惰性にも似た生を送っている。


      ◇◇◇



 カラン……っという、店の入り口に備え付けているベルの音が鳴り、ニーアは頭に載せていた雑誌を手に取って、酷く不快気な表情で来店者に視線を向けた。

 その視線は鋭く、正直接客の仕事をしている人間がする目つきではない。この喫茶店は基本的に一見さんお断りという雰囲気はあるが、その要因の一つは、間違いなくこの若き店主の接客態度にあると言っても過言ではなかった。

無論それを注意されたところで、この店主にそれを直すつもりは微塵もないのだが……。

 無造作に伸ばされた――知人には鳥頭と揶揄される――金か茶か、判断に困る色の髪の間から覗く、刃のように鋭い真紅の瞳に睨み据えられれば、そりゃあ彼の人となりを知らずに訪れた人間ならば裸足で逃げ出すだろう。

 今回もそうなって、妨げられた午後の惰眠を再び貪れるだろう――そう思っていたのだが、今回の客はそうではなかった。


 間違いなく知らぬ顔だ。


 ニーアの記憶違いでなければ、この来客は初めて訪れた客のはずだ。だというのに、その客はニーアの視線に恐れることなく、平然とした様子で入口に立ったままだ。

 この店の第一の関門をくぐり抜けたのは、一組の男女だった。

 一人は長身の身なりのいい男。ニーア自身も背の高いほうだが、その男はそれ以上に高い――おそらく一八〇センチはあるだろうと、ニーアは目算した。

 もう一人は、その対比のせいで一瞬小柄に見えたが、こちらも女性としてはそれなりに背の高いほうの、同じく身なりのいい青い短髪の女性だった。

 そちらの方は男と違い、ニーアの態度に苛立ちにも似た不満を抱いているようだが、連れの男が何も言わないのを見て、小さくため息を漏らすに留まる。


「……らっしゃい。好きな席に座りな……」


 仕方なく、ニーアはお決まりの台詞をその来訪者に告げた。何処までも煩わしいという態度を払拭するつもりがないらしいこの店主の態度にも、男の方は薄い笑みを浮かべてカウンター席に座った。女の方もそれに倣って隣の席に座る。


「この店は何を専門にしてるのかな?」

「……表の看板見てねぇのか? 紅茶だ、紅茶」


 苛立ちを露とも隠す気がないらしいニーアの態度は、とても客に向ける態度ではないのだが、この店『ハーディ』ではこれが当たり前。文句のある者は今すぐ回れ右して別のお店へどうぞ、がモットーのニーアにとって、これで文句を言ってくれればいい。そう考えたのだが、女の方はともかく男の客はどうも勝手が違った。


「では、君のおすすめを二人分で」

「……〈茨姫の待人〉二つ、な」


 ニーアはそう言って、視線を二人から背後の棚に向けた。数段に分けられた大きな棚に並ぶ、茶葉の入った密封性の缶を手に取りながら、湯と茶器の準備にかかる。


「茶の入れ方は?」

「というと?」

「紅茶の入れ方だ。出来るのなら自由にやらせる。できねぇならこっちで勝手にやらせてもらう。ウチはそういうやり方なんだよ。で、どっちだ?」

「私はできないな。ヘルマ、君は?」


 ヘルマ――そう呼ばれた女性は、静かに頭を振った。


「私も、グレイアース様と同じく、ですね」

「と、いうことだら……君に任せるよ」


 にこりとそう言った男――恐らくグレイアースというのだろう――の言葉に、ニーアは小さく舌打ちをして無言で頷いた。

 すると、ついに女のほうがキレた。


「貴方! さっきから黙っていれば、なんですかその態度は!? それが接客をする態度ですか!?」


 立ち上がり、カウンターのテーブルを叩きながらヘルマという名の女性が吼える。が、ニーアは無視して着々と紅茶の用意をする。隣に座る男は宥めるように彼女の肩を叩いた。

 が、女性は止まらない。


「店主を呼びなさい! 文句を言いいます!」

「なら言えよ」


 カップに湯を入れて暖め、茶葉を蒸す準備にかかりながらニーアは言うと、女性はきっとニーアを睨みながら叫ぶ。


「貴方ではない! 店主です、この店の責任者を!」

「だから――俺だ。ほら文句を言えよ」

「なっ!? あ……貴方が、ですか?」

「……この店は、俺一人で切り盛りしてんだよ。つーか、おれの接客態度に文句言う前に、テメェ自身が態度改めやがれ。放り出すぞ」


 砂時計が落ちるのを確認し、ニーアはカップの湯を捨てて、代わりに紅茶をカップに注ぎ、それを受け皿に乗せて二人の前に静かに差し出し――別の皿に乗せた、苺の乗ったショートケーキをその横に置いた。

 それを見た男は目を瞬かせ、女性の方は目を瞬かせた。


「このケーキは? 頼んだ覚えはないが……」

「……こんな店にやって来た変人極まりない客に対してのサービス」


 そう言って、ニーアは彼らが訪れた時と同じように椅子に腰を落とし、ムスッとした表情で溜息一つ吐き、雑誌をパラパラと捲る。

 それ以上の会話を拒むような彼の態度に、二人はしばらくの間顔を合わせ――男は笑い、女は咳払いをして席につき直し、


「では、頂くとしようか」

「はい」


 二人はそう言って紅茶を飲み、ケーキを口にする。


「……ほう! これは」

「美味しい……ですね」


 二人の口から零れた自然な称賛に、ニーアは「ふん……」と鼻を鳴らした。その彼の態度に女性の方がまた険悪な表情を浮かべ、男の方がそれを宥めていた。

 そんな中、再び入口のベルがカラン……と鳴る。


「やっほー。ニーア君いるー?」


 店内に木霊したのは、どうにも抑揚のないそんな声。薄い桜色の髪を持った、伏せがちな濃紫の瞳を持った小柄な――そう、一四〇センチくらいの少女。

 そんな新たな来訪者に、ニーアは表情を顰めながら雑誌を閉じた。


「見りゃ分かんだろーが。何の用だ、シエラ先輩よー」


 そう声をかけると、少女はひょっこりと空いたカウンター席に座り、服から指先が見え隠れする手でテーブルをポスポスと叩きながら、


「んー? 丁度近く通りかかったらお腹空いてねー。なんか食べさせてくれないかい」

「ざけんな。物乞いの真似事なら、外延部近くにある薄汚れた裏通りにでも行け。逆にお持ち帰りされて行方不明になっても俺は知らねーけどな」

「そうならないために、お腹を空かせた先輩に何か食べ物を恵んでくれないかな? できれば甘いもの希望」

「そーだよな。アンタみたいなお子様体型の人間なんて誰もお持ち帰りしたがらないよな」


 文句を言いながら適当に何か出そうと椅子から立ち上がるニーアに、


「長身がそんな偉いかッ! 巨乳がそんな偉いかッ! 君もその口なのかッ!」


 シエラは激怒し、椅子の上に立ち上がって抗議した。隣に座っていた二人がぎょっと目を剥くが、シエラもニーアもそんなことは気にもしない。

 二人に出したのと同じ、自家製のショートケーキを皿に取って彼女の席の前に置きながら、呆れた様にニーアは肩を竦める。


「んなもんどーでもいいし。つーか、俺の好みなんてそれこそアンタにゃ関係ないだろうが」


 ニーアのそんな投げ遣りな言葉に、シエラは表情変化の乏しい顔にわずかに不満そうに口をへの字に結んで、椅子に座り直してフォークを手に取りながら、「ふん」と吐息をのらしながら言う。


「ああ関係ないとも。だけどね、これはボクの譲れない矜持なんだ。っと、パク……にしても、いいな君は。動物には好かれるし、料理はできるし、お菓子は美味いし」


 そう言いながら彼女はぱくぱくとケーキを口に運ぶのを見て、ニーアは今度こそ呆れて肩を落とした。


「アンタ僻みに来たのか、褒めに来たのか……どっちだよ?」

「どっちでもない。強いて言うなら、その辺の可愛い動物を紹介してもらおうと思ったんだ」


 酷く真顔で言う少女に対し、ニーアは鼻で笑いながら包丁を右手に、冷蔵庫から出した林檎を左手に取り、シャリシャリと剥き始める。


「諦めろ。アンタ生来に相性悪いから」

「そんなことはないぞー」

「棒読みで言うなよ。こっちが泣けてくる……今日はこれで我慢しろ」


 そう言ってニーアはほんのわずかの間に剥いて切り終わった、うさぎ型の林檎をケーキの乗った皿の脇に置いた。


「おお、ウサギだ」

「そうだな。それなら逃げられやしねーだろ。ほれ、テメェらも」


 続けて成り行きを見守っていた二人の皿にも、同じ物を乗せる。


「おや、これは済まない」

「……どうも」


 男の方は可笑しげに笑い、女の方は何処か釈然としない様子で礼を言った。すると、


「うわ!? ウサギが逃げた!?」

「何でだよ? それ林檎だぞ」


 見ればシエラの手から林檎が零れ落ち、再び皿の上に戻って行くところだった。


「ボクはしょんぼりするよ。ウサリンゴにすら逃げられて、気分はしょっぼーんだよ」

「フォークあるだろうが。刺して食え」

「それは可哀想じゃないかなー?」

「頭からシャリシャリ食うのは可哀想じゃねぇのかよ?」

「それとこれとは話は別かなー」


 と言いつつ、彼女はフォークで林檎をぐさりと一突きし、そのまま口に運んでシャリシャリと咀嚼する。


「舌の根が渇かねぇ内に、言動が不一致してんじゃねーよ」

「だって食べないともったいないじゃないか」

「分かった。もうアンタ黙れ」

「なんだとー」


「……ふははは」


 突如湧いた笑い声に、ニーアは訝しげに、シエラはきょとんとした様子でその声の主を見た。

 視線の先には、口元を抑えながらそれでも笑いを隠せていない男がいた。隣に座る女性も驚いた様子で男を見ていた。


「はは……済まない。どうにも、君たち二人を見ていると楽しくなってしまって……込み上げてくるものを抑えられなかった」

「……けっ」

「別にいいよ。気にしなくて」


 ニーアは毒づき、シエラの方はぽけーっとした表情のまま頭を振る。


「ありがとう。此処はいつもこんな風なのかい?」

「……さーな。来る人によりけりだろ」


 ニーアはどうでもよさげにそう答えた。が、向かいに座るシエラが一言。


「大体こんな感じじゃないかな? 此処、来る客なんて固定客だし。いつもニーア君はお客と漫才しているよ」

「してねーよっ! 勝手に決めつけんじゃねぇ!」


 流石に見逃すことができず、ニーアは声を荒げて文句を言うが、シエラは気にも留めずに手でニーアを示し、


「こんな感じの華麗な突っ込みが売り」

「ケーキの代金請求すんぞ」


 ニーアが反撃に出る。すると今度はシエラが服の袖で隠れた手で、テーブルをぽすぽすと叩く。


「横暴だぞー、後輩君」

「余計なこと言うからだろ、先輩殿」

「ふむ。やはり面白いな。此処は」


 二人の掛け合いを見ていた男は、どこか納得した様子で頷くと、財布の中から紙幣を取り出してニーアへと手渡す。

 手渡された紙幣を見て、ニーアは訝しむように男を見据えた。ひょっこりと覗きこんだシエラも、「おや?」という風に首を傾げて男のほう見る。料金を提示するよりも先に手渡されたその金額は、誰が見ても料金よりも遥かに多かった。

 去り行こうとする男の背に向けて、ニーアは溜め息交じりに声をかける。


「……ウチはこんな高くねーぞ」

「では、次来た時用に取っておいてくれ。ご馳走様。また、来させてもらうとするよ。行こうか、ヘルマ」

「はい」


 男に促され、女性の方も立ち上がって店の出入り口に向かっていく。その二人の背に向けて、ニーアは凄むように、それでいて投げ遣りな様子で言う。


「……此処は休みの日しかやってねぇからな……後、名前くらい言ってけよ。でなきゃガメるぞ、これ」


 ニーアの言葉に、男はまたもくつくつと笑いを発したのち、納得したとでも言う風に頷いて見せた。そして――



「グレイアース=ヴェル=ブレードエッジ。それが私の名だ。また来させて貰うよ」



 そう名乗り終えると同時――カランというベルの音と共に、二人は店の外へと立ち去って行った。それを呆気にとられた様子で見送る二人。

 やがて、ニーアがぼそりと呟いた。


「……塩でも撒いとくかな」


 それを耳にしたシエラが、僅かに口角を上げて心なし弾んだ声で言う。


「また凄い人が顧客になったね」

「そうだな……グレイアース……あれが彼(か)の有名な【剣の賢者】様かよ」


 カチャカチャと茶器の片付けに入りながら、ニーアは溜め息をついた。


「面倒臭えことが起きないことを願うぜ」

「だねー。あ、ケーキもう一個。あとココア頂戴」


 ケーキを食べ終わった皿を持ち上げて、お代りを要求するように皿をヒョコヒョコと上下させるシエラの姿に、ニーアは先ほどとは別の意味で溜め息を洩らした。


「アンタは図々しすぎんだよ。ちたぁ遠慮しろ。本気で金取るぞ」

「残念だったね。ボク此処に来る時はお財布、持ってこないんだ」

「……俺は一度、アンタと真剣に話し合う必要がある気がしてきたな」

「そんなのは後でいいから、お代り早くー」


 言動の割に、伏せがちな目と変化の乏しいが故に無表情に見えるその顔で、年上の少女が要求するの見て、ニーアは深い溜め息を漏らしながら、ココアを造るためのミルクと新しいケーキを取り出すために冷蔵庫を開けた。





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