第8話

 日曜日はあっという間にやってきた。テレビで今日の占いをみてガッツポーズ。素敵なことが起こるかも、だなんて。

 いつもより丈が短いスカートに少し高いヒールを履いてみた。髪の毛はハーフアップにして毛先を巻いた。そして朝の日課になりつつある、シーグラスを握った。

「今日の私は先生の隣にいていい私」

 悲しんだりしないこと。彼女の話を聞いても笑っていること。そのためのおまじないみたいなものだ。


 待ち合わせは銀座一丁目駅に13時。少し早めに着く電車に乗った。先生はどんな格好で来るだろうか。想像するだけで楽しくなってしまう。先生はラフな格好が多い。荷物もほとんど持たない。特徴がない分、遠くからでも見つけられるのだ。

 駅について改札を出ると、待ち合わせ時間より30分も早いのに先生がいた。見間違いかと思うほど、今日は少し違う服装をしている。

「お待たせしました」

「俺が早めに来ただけだから。付き合ってくれてありがとうね」

 行こう、と初めて私の手を握った。

「シバ、はぐれないでね」

 本当にずるい。好きだと思えば思うほど苦しくなるのに、加速するこの想いは止まることを知らない。

 全然の手は思っていたよりずっと大きくて、温かい。思っていたよりずっと細い指。私の中で、男という生き物は高校時代で止まっている。私の知らない男の人…。

 今日は彼女の誕生日プレゼントを選びに来たんだ。プロポーズする為のプレゼントなんだ。勘違いするな、勘違いしちゃいけない。私はただの歯科助手。職場の年下の女の子。それが私だ。


「どんなのがいいかな?」

「えーと…」

 よく良く考えてみれば、私のアドバイスはためになるのだろうか。

「彼女ってどんなものが好きな方ですか?」

「綺麗なものかな」

「無難にネックレスとかどうですか?婚約指輪は別で買う、とかにして…」

「それいいな!じゃあ…あそこにしよう」

 女子の憧れCartier《カルティエ》。ここのネックレスを貰えたら、一生大事にするだろうな…。こんなお高いところ、私には無縁の場所だ。

「素敵…」

「女子って好きだよね、こういうの」

「だって綺麗だもの。こんな綺麗なものもらったらきっと幸せですよ」

 とても愛されている証だ。先生が彼女を愛している事は痛いほど伝わってくる。こんな場所に私が来ても良かったのだろうか。本当なら彼女と来るべきだったのではないだろうか。

「彼女様はどのようなものが好みなんですか?」店員さんが駆け寄ってきた。

 突然のこと過ぎて返しが思い浮かばない。彼女のフリをするべきだろうか。意を決して返そうとすると「彼女じゃないので」先生が苦笑。

 何を言っているんだ、馬鹿じゃないのか、と声を上げたくなった。店員さんの気まずそうな顔と私のここへの居づらさが今すぐ帰りたいという気持ちにさせた。

「申し訳ありません…」

「いえ、そんな…。サファイアってとても素敵ですよね。」

 ゴールドの翼に挟まれたサファイヤを見つめた。あなたはどちらを選ぶのだろう。綺麗な青色のサファイア。浮気心を見抜くとされている。

「…それにする」先生が言う。

「えっ…少し地味じゃない?」

「いいんだ。これがいいんだ」

 彼女はもっと華やかなのが好きだと思うのに。青色が好きな私だったら泣いて喜ぶくらいだけど…。

 お会計を済ませ、満足そうに戻ってきた。片手には細長い紙袋を持っている。

「どこか行こうか。お礼しなくちゃな」

 袋を持つ手と反対の手でもう一度私の手を握った。次はとても強く握っていた。私も強く握り返した。




 銀座からタクシーに乗り、秋葉原で降りた。行きつけのダーツバーがあるという。またダーツバーかって笑いながらもいつも通りのプランはやはり嬉しかった。

「和哉!」知らない男の人の声だ。

「祐太じゃん!あ、そっか秋葉原に住んでんだっけお前」

 先生はすぐに肩をつかみ私の方に向けた。その男の名前は井口祐太いぐちゆうた。同じ歯科医師だそうだ。井口さんと内山先生は大学からの友達だという。一番の仲良しなんだとか。

 なれゆきで三人でダーツバーに行くことになった。井口さんから内山先生の学生時代の話を沢山聞いた。そして彼女は一個下の歯科医師だということも知った。私もお金持ちに生まれて頭が良ければ先生と同じ大学に通って先生の彼女候補に入れただろうか。そんなわけない。

 内山先生がトイレに立つと、井口さんはこんなことを言い始めた。

「あいつのこと好きなんでしょ、シバちゃん」

 そんなにわかりやすかったのかな。

「あいついいヤツだよ。優しいし。情けないし危なっかしいけど、守ってあげてね」

 それから、と。

「好きなら二番目でもいいんじゃないの。たまーにデートして、たまーにエッチして。奥さんがいても、彼女がいたっていいじゃないと俺は思うけどね」

 なんてクズな考え方なんだ、と思ったのに、なんだか少し納得してしまった。否定されるだけの想いなはずなのに、それもいいと肯定してくれているのだ。でもこんなの綺麗な言い方をしているだけで、この人はつまり私に〝セフレでいいじゃないか〟と言っているのだ。

「割り切れない…から、無理ですそれは」

 好きだという気持ちがこれだけ大きい私には、その関係は向いていないとわかっている。

「そこは頑張って割り切ればいいんだよ。逃げんな。逃げたら近くにいることもできないんだよ」

 セフレとして隣に並ぶか、隣に並ぶことさえできないか。この二択しか私にはないと言いたいのだろう。今の私には選べないと思った。まだ、無理だって。

「終電来そうなので…帰ります」

 席を立つと腕を掴まれ引き寄せると、後ろから先生の両手に抱きしめられていた。

「だめ」甘えた声で言う。

 ああ、もう…。好きが抑えられない。

「でも…終電が…」

「あと少しだけ」

 見つめあう目と目。先生の透き通った瞳にはかなわない。

「俺、帰るよ。あとは二人で楽しんで。頑張ってね、シバちゃん」

 またね、と手を振って井口さんは帰ってしまった。

「少し散歩してから駅に行こう」

 昼間より強く私の手を握りしめてくれた。先生の体温が伝わる。勘違いしちゃいけないのに。どうしても…先生が私を必要としてくれているのではないかと思ってしまう。

 夜風は少し冷たくて気持ちよかった。先生の顔は照れ臭くてよく見ることごできない。どんな表情をしているだろうか。

「シバ…俺、婚約しても結婚はまだしないから」目は合わせない。そっぽを向いていた。

 それは期待していいの?どういう意味なの?先生の言葉は、わからないことがたくさんある。

「こっち向いて、シバ」

「…やだ」

 向いちゃだめだと理性が言う。先生のペースに流されてはいけないと思ってしまう。

「だって…何かするのでしょう?」

 そっぽを向いたまま私が言う。

「うん。する」

 その真っ直ぐの言葉に驚いて振り返ると、唇は重なった。

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