第7話

 先生からもらったシーグラスを握りしめた。今日は仕事に行かなければいけない。腫れていた目もすっかり元に戻っていた。きっと彼は、いつもと変わらないだろう。だから私も普通にしていなくちゃ。

「おはようございます」先生だ。

 大丈夫。いつも通りにしていれば。

「おはようございます」

 いつも以上の笑顔を作ってしまった。こ!って普通っていうのだろうか。

「昨日大丈夫だった?連絡ないから心配だった」少し困った顔で言った。

 本当にずるい人だと思う。私の心臓はまた煩くなる。勝手に喜んだり、悲しんだり、私は忙しい人間だなあ。

「ごめんなさい。プロポーズ頑張ってくださいね」今度は自然に笑えた。

 好きな人の幸せを願う。それはとても綺麗事かもしれない。でも、先生と先生の彼女が幸せになることは決まっていること。そこに私の入る隙間はない。だったら思いっきり応援しよう。恋という感情を思い出させてくれた人なのだから。

「日曜日あけてくれない?彼女の誕生日にプロポーズする予定なんだ。誕生日プレゼント悩んでいるんだけど、一緒に選びに行って欲しいんだ」

 断る理由はなかった。応援すると決めた相手。私の好きな人。応援はするけれども、一緒に居られるなら一緒にいたい。私はいつからこんなに強欲になってしまったのだろう。会わないという決意はあっけなく砕けて、好きだという気持ちが勝ってしまっていた。恋はこんなに難しいものなのか…。


 日曜日の約束ができたからか仕事はすごくはかどった。憎たらしい衛生士さんの言葉にも今は笑顔で対応できる。

「柴崎さん最近変わったわね。もちろんいい意味よ。キラキラしているわ。前のあなたよりずっと好きだわ」

 もしかしてそれは…内山先生のおかげ?先生を好きになったから?

「好きな男の子でも出来たのかしらね」と、初めて笑ってくれた。

 先生と出会えたことは素敵なことだったんだ…。



「ごめん、みなみ」

 日曜日約束したことを素直に伝えた。みなみに嘘はつきたくなかった。最低だと嫌われたとしても、私はみなみに嘘をつくのだけは嫌だったのだ。

「…春香がさ、そこまで人を好きになるなんて思ってもなかったな。でも春香、この恋は決してハッピーエンドにはならないよ。春香が幸せなら誰かが不幸になる。春香が不幸なら誰かが幸せになる。そういう恋だということを理解しておいてね。春香のその気持ちは誰かを傷つけるかもしれないよ。それは内山さんの彼女かもしれないし、内山さんかもしれない。それから…春香自身の可能性だってあるんだよ」

 うん、わかるよ。この気持ちはきっといけないものなんだろう。好きになることは自由だとはいえ、傷つけることは自由ではない。先生のことを応援する気持ちは本当。でも、諦めるつもりもなかった。私がもう一度愛したいと思えた人だ。愛してもらえなくてもいい。

「私は…幸せになんてならなくていい」

 この恋はバッドエンドでなくてはいけない。それを私は本気で心から望んでいるのだ。

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