3章 加速

第6話

 どうやって帰ったのか覚えていない。止まらない涙に、すれ違う人々が見てきたことは記憶にある。夜通し泣いていた為、泣き腫らした目を誰かに見られるのは嫌だった。初めて仕事を休んでしまった。

 今思えば、彼女がいないとは一言も言っていなかった。誕生日の日も彼女と過ごしたのだろう。日曜日に会えるのは、彼女が休みではないのだろう。きっと私以外とも遊んでいるのだろう。私はなんて馬鹿なんだろうか。裏切られた、なんて思ってはいけない。先生は裏切ってなどいない。私が勝手に好きになって勝手に期待して勝手に傷ついているだけなのだから。悪いのは全部私だ。先生は一度も手を出してきてはいない。手を繋いだこともない。私は先生にとって、ただの助手だったのだ。先生と私の関係は職場によってできたものだ。それ以上でもそれ以下でもない。思い上がっていたのは私だ。

「頭痛い…」

 私に恋愛は向いていないのだろう。こんなことで傷つくようじゃ駄目なのだろう。先生を好きだということに気づいてすらいなかった。傷ついて初めて、この人が好きだと気付いたのだから。プロポーズ頑張ってねって言えばよかった。あんな別れ方して、もう普通に接してもらえるなんて思ってはいけない。

 そこで、携帯が光っているのがみえた。

 まさか…

《無事家に着いた?大丈夫か?》

 いつだって優しい先生。きっと気付いてしまっただろう。それでもこうやって接してくれるのは…どうしてなの?

 重い身体を起こし、みなみに会いに行こうと家を出た。



「やっと気付いたのね」

 知ってたの?と返すと、「前会った時にね」とみなみは笑った。

「でも、春香。それ以上は駄目だよ。プロポーズして成功したら、それは彼女ではなくて婚約者になるんだよ。気づくのが早くても遅くても内山さんはプロポーズをしているし、後悔なんて意味のないものなの」

 みなみの言葉にはすごく重みがある。いつもチャラチャラしているみなみだが、こういう時の顔は真剣だ。恋愛経験の浅い私には、みなみがいてくれて良かったと心から思える。

「うん、分かってるよ。私はもう先生とは会わないよ。大丈夫、会わないから」

 自分に言い聞かせるように何度か口に出した。大丈夫、大丈夫、大丈夫。もう会わないし、会いたいなんて思わない。先生もきっと誘ってはこないだろう。誘われ街の私からは絶対に誘うことはないんだ、大丈夫。


 けれど、恋というのはそんなに頭のいいものではなかった。理解しようとしても、本能はどんどん加速していく。想いは強くなっていくのだ。

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