新生活、始めました!
ビルのような家。というかビル。
ツタが壁に張っている灰色のまったくしゃれっ気もない、ちょっと不気味な家。
それは私がこれから住まう家だった。
「ここがお前の部屋だ。好きに使っていいぞ」
通された部屋は、生活感が残る誰かの部屋だった場所をそのまま使う、というような感じだった。
そして……
とにかく漫画が多い。
少女漫画、少年漫画、小説もいくつかある。
百八十センチはある本棚が四つ、ぎっしりとしきつめられた漫画は出版社別に並べられていた。
「『新撰組顛末記』『イチからわかる新選組!』『明治維新 原画集』……新選組好きなのかな。アニメ・ゲーム関係のイラスト原画集も多いし……」
床にも10冊ごとに積み上げられた漫画が五つ、二段ベッドの下がないやつと窓側に大きい机があるくらい。
「うっわあ……ホコリたまってるなぁ……」
ずっと使われていなかったようで、ほこりがたまっている。
着替えよう。と思ってクローゼットを開く。
「え……」
前のこの部屋の持ち主の物だろうが、サイズが小さい。
すべて百四十センチで、私が着られそうな服は見当たらなかった。
結局、兄さんに頼んでサイズの合う服を用意してもらった。
「にいさん、かあ……」
適当に掃除をして、割と綺麗になった自室のベッドの上(ちなみにこの中からも漫画が二十冊近く出てきた)でつぶやいた。
初めて会った人に、ちょっと抵抗がなかったわけではない。
結構いい人そうで、ここでの生活も不便しなさそうでいいものだとも思った。
「あたらしい、学校ね……」
若干憂鬱な気分になりながらも今日は眠りについた。
❄ ❄ ❄
始業のチャイムが聞こえた。
校長室で“お話し”が終わり、シェバは担任に連れられ教室まで歩いていた。
静まり返った校舎の廊下を歩き、そっと通りがかった教室をのぞいてみたりもした。
(全員おとなしく読書をしている……!?)
その光景たるや恐ろしいものを見たかのようにシェバは先生の後ろにおとなしくついていった。
「おはよぉーさん」
がらり、とドアをいつの間にか開けて入っていた先生の後を追い、教室に入ると……
「おはようございます」
そろった生徒たちの声。
(嘘?でしょ?)
「転校生だ。皆、いろいろと面倒みてやるように。いいな?」
「はい」
(ま、まともな学校だ―!!!)
驚きで口がふさがらない。かなり本気で。
気を取り直し、私は自己紹介をした。
「シェバ・アーネストです!わからないこととかたくさんありますが、よろしくお願いします!!!」
がばっと勢いよくお辞儀をしたあと、【おぉー】という歓声が聞こえ、シェバはかなり上機嫌になった。
「はい、アーネストさんの席は……」
すると、窓側から手が上がった。
どうやらそのとなりの席が空いているらしかった。
「おお、助かった。レオン」
そう言って先生は私をその席へ行くように促した。
席につき、鞄をかけてから挨拶をしようと隣の人を見た時だ。
「え?……ミーナ?なんでここに……」
親友がそこにいた。
「え、うそ、知り合い?」
通路を挟んで隣の男子生徒が話かけてきた。
「いや、少なくともオレは女じゃないぞ」
困ったような声が聞こえた。
再び隣人を見ると、男子生徒のようで、親友とは性別からして違った。
「……すみません、親友に似ていたもので」
「いや、いい。そんな偶然もあるさ。改めまして、オレはレオン。よろしく」
片手を軽く振って許し、そして隣からも声が聞こえた。
「僕はスグル。今後とも仲良くしてね」
タクにスグル。この名前は……
「もしかして、東の……?」
「おう、この学校は教師のほうが西の人であることが多い、と言うか全員西。生徒は東しかいないと思うけどな」
レオンがすぐさま答える。
しかし、スグルは首を傾げた。
「あれ、でもシェバは標準語(東の言語)を喋っているよね?西の名前なのに」
「私は南出身だからだよ。南と東の言語は同じだけど、名前は西と似たりよったりだし」
二人とも、【ああ】と納得したようにうなずき、
「そこの三人、授業始まっているわよ!小さい声だからっていいと思っているの!?」
その声に驚き、反射的にシェバはビシッ!!と背筋を伸ばした。
短い息継ぎの間におなかの脂肪が上下する先生の怒鳴り声で三人とも気づいた。実はいつの間にか一時限目の授業が始まっていたのだった。
❄ ❄ ❄
「シェバ、学校へ行っていたのか?」
ノートパソコンから顔を上げ、兄さんは私を見た。
家に帰ると、兄さんがリビングでノートパソコンを開き、仕事をしていた。
ちなみに、私はこのビルのリビングと自室以外の出入りを禁じられている。
どういう意味かはわからなかったけど、兄さんの言うことは聞かなくてはならない。
それがどんな命令だとしても、と耳にタコができるくらい言われ続けた。
「たのしかったよ。隣の席の男子が面白い人たちでね?おんなじ部活に入らないか、って誘ってくれたの!」
「……それで今日の帰りが遅かったのか?」
「……?うん、まあそうだけど」
時計を見ると、六時四十五分。高校生にもなって門限をとやかく言われたことはない。
十一時前後に一人でスーパーに夜食を買いに行ったって何も言われたことはなかった。
なのに……
「明日からは学校に行かなくていいぞ」
「……はい?」
「俺の命令が聞けないのか?」
兄さんは私をにらめつけ、恐ろしさに私は何も言えなかった。
「返事は?」
「は……い」
思ったよりも声が小さく、震えていた。
「声が小さいぞ」
特に変わった感じもないのに、逆らえない。
「はい!」
兄さんは再びノートパソコンへ目線を移した。
私はそこにいることに居心地が悪くなって、逃げるようにして自室へと戻った。
自分用に買ってもらったスマホを操作し、人気動画サイトを開く。
どこへ行ってもこのサイトは私が生きるために必要だ。
「はぁ……リュウくん、相変わらずかっこいい……!」
やっぱり現実はいやだな。
つらいことは何も考えず、ただしあわせにつかろう。
小さなちいさな、二次元の画面を見つめながら、そっとためいきをついた。
「……?何、これ……」
手に当たったある一枚の紙。
『池田屋一階
特に私は気にしなかった。
理解不能な言葉が書かれた紙を本棚の間に挟み、再びネットサーフィンへ。
レッツゴー。
❄ ❄ ❄
また、朝がきた。
顔を洗い、私服を着て、リビングへと向かった。
「おはよう、兄さん」
「おはよう」
(良かった、いつもの兄さんだ)
いつものようにおだやかな空気をまとった兄さんにほっとして、昨日から考えていた話をきりだした。
「兄さん、私塾に行きたいな~」
「却下」
塾は週二日。終わるのは十時だ。帰りに多少友達とかと遊びに行ってもばれないと思うし、
それに来週は定期テストだ。今までは何かしらやらかしてもミーナとか頼れる人が周りにいたから何とかフォローしていったけど、今回は違う。
塾での定期テスト対策に頼り切りだったから、塾以外の勉強法をしらない。
兄さんは許可してくれると思ったけど……
「兄さん……」
「おまえのためだ。わかってくれるよな?」
ぽん、と優しく私の頭をなでる。
朝食後に兄さんはノートパソコンを開き、仕事をし始めた。
(外の空気吸いたいな……)
何気に窓際へと向かう。ひらくものと思っていたが、押しても引いても開かない。
(あれ、おかしいな……鍵はないの……に)
中央部分に目をやると、鍵があったのは内側ではなく外側につけられていた。
鉄のチェーンが巻かれ、南京錠で鍵がかけられていた。
「誰がこんなこと……」
不意に、視線が感じられた。
「お前を守るためなら、何でもする」
「!?……っ!」
振り返る前に首に腕が回された。後ろから抱き着かれたような状態だった。
悲鳴にも似た声が口まで出かかって、思わず自分の口をふさいだ。
耳に兄さんの吐息がかかる。
「今度は、絶対に逃がさん」
うっとりとしたその声音に背にぞくりと毛虫が這ったような感覚さえした。
「うふふ、ありがと」
平静を装って慎重に兄さんの腕を引きはがす。
兄さんは何事もなかったかのようにさっさと仕事へ向かっていった。
それから、兄さんと食事を共にすることはなかった。
三日後、兄さんは今日も仕事が忙しいと言い、早くに家を出てしまった。
しかし、今日は休日。
※定期テスト四日前
カレンダーを見なかったかのように適当な方向を向く。
(何をしようか……)
定期テスト間近。
不登校児となった私は勉強する必要もない。
(勉強……)
頭の中で叫ぶ現実をぽん、と手を叩いて振り払い、キッチンへ向かう。
「よし、プリンつくろう」
材料を用意し、作る。
いたっておかしなところはない。
レシピ通りに作っただけなのに、
「なぜ、ちゃいろいプリンが……?」
レシピに書いてあるのは、と言うか見たことがあるのは黄色いやつで、今目の前にあるプリンはカラメルを混ぜたみたいな茶色をしていた。
「……兄さん、たべてくれるといいな……」
メッセージカードを添え、冷蔵庫に入れる。
「あー、勉強しなきゃ……」
数学プリント、ドリル、その他もろもろ担任から心配せずともどっさりもらい、課題は山ほどあるのだ。勉強、というより宿題だね。
―――夜
「ふう、おわったあー!!」
ギシ、と椅子の背もたれが鳴る。
見事、今日中に課題を終わらせることができた。
机に置かれたスマホを手に取った。時間は4:25と表示されている。
(ちょっとくらいいいでしょ)
手際よくパスワードを打ち込み、動画サイトを開く。
イヤフォンをつける。
ふたたび、二次元の世界へといざなわれていく。
「ふふ……ふふふっ……かっこいいなぁ……」
Am4:30 とある少女の部屋からは、不気味な笑い声が聞こえるのだった。
「おはよう」
リビングを訪れても、誰もいない。
そりゃそうだ。兄さんはとっくに出かけているし、女中のひとたちも別の階に住んでいるらしいから、会うことはない。
「鼻かゆい……」
ティッシュで鼻をかみ、捨てようとしてごみ箱を開けた。
中には、茶色いつるつるした塊。昨日作ったプリンが捨ててあった。
「え……なにこれ……まさか兄さんが」
いや、それはない。兄さんはやさしい人だ。しかも物を粗末に扱うような人ではない。
ではいったい誰が……?
「ってやばい、遅刻する―――!!」
鞄をつかみ、ドアを勢いよく開け、走りだす。
走っているときも、電車に乗ったときも、バスに乗り継いだ時も。
誰が捨てたのか、なぜ捨てたのか。ショックで授業もまともにはいらなかった。
(兄さんは、そんなひとじゃない)
そう思いながらも、あそこを利用するのは兄さんと私しかいない。
――――兄さんと、私しかいない。
ぼうっと、空にうかんだどんよりとした雲を見つめていた。
体調不良で今日は早退した。
いっつも家にいないから、しばらくぶりに学校へと行ったのだ。
いつものツタで覆われたビルの横。駐車場には、何台もの黒い車が停まっていた。
――反射的に、私は近くの物陰に隠れた。
ぎりぎり、といったところか。
車から出てきたのは、真っ黒いスーツに、サングラスをかけたいかつい体格の男性たちだった。
全員が中に入ったのを確認し、素早くビルの中へ入る。
全速力で目指したのは、自室。
消音の工夫もほどこしてあるドアを慎重に開き、中へと入る。
鍵を厳重にかけ、横の本棚を見た。
私は『
棚を押すと、意外にもあっさりと進み、棚一個分ずれた所で棚をスライドさせた。
目の前にあったのは、
私はそれを駆け上がり、暗い部屋を進んだ。
『池田屋一階
本棚と壁の間の奥に、そう書かれた紙が挟まっていた。
ここの本棚には新撰組にまつわる本があちらこちらにある。池田屋事件は新撰組の有名な事件。さらに靖兵隊の副長は原田左之助、永倉新八が務め、“池田屋一階”は永倉新八がいた場所だ。
“永倉新八”が出てくる本、で絞るとほぼすべてになるが、一冊だけ違った。
『
(……あった)
マジックミラーだ。
全フロアを見られるように設計してあるらしく、前にすべてを回っても誰も気が付かなかった。
ついでにいうと、マジックミラーだと分かったのはこれの前でいろいろな人が身だ
しなみを整えているところを見たからだ。
兄さんも例外ではない。
その向こうに私がいることにも気が付かず。
そして私は中を覗いた。
(銃?しかも……あの白い粉の入った袋は何?)
「……は……カタ……」
(博多?ラーメン?)
何を言っているのかまでは聞き取れない。が、明らかにそこにいるメンバーの見た目から、普通の人間でないことは感じられた。
(あの白い粉、確実に違法薬物だよね……)
私はこっそり、その場から離れた。
自室に戻っても、なんだか安心はできなかった。学校の鞄を手にとり、本棚をもとに戻して裏の階段で黒ずくめの男たちがビルから出ていくのをじっと、じっと待っていた――――
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