第12話 揺れる馬車と垂れる文句

「ほら、起きなさい平民」


 ドアを荒々しく叩く音が聞こえる。もう朝なのだろうか。


 昨日は新鮮なことが多すぎたせいか、ユウトは吸い込まれるようにして眠りに落ちてしまっていた。

 閉じた瞼の上から突き刺さる白い光は、朝日以外にありえなさそうだ。

 飛竜の翼の音も聞こえ始めているし、大羽鴉の鳴き声もやかましいくらいだ。二種類とも朝から行動を開始する生き物なので、もう日が昇っているに違いない。


——あれ、いつ寝たんだっけ……。


 重い瞼を開くと、ユウトの目にはいつもと違う天井と風景が映し出された。

 いつもより広い天井。いつもより柔らかい布団。いつもより日当たりのいい部屋。こちらのほうが幾分もいい暮らしができそうである。


 案の定お天道様は高々と空に浮かんでいて、そのお方が雲を吹き飛ばしたかのように青空が窓の外に映る。


 自室の布団で目を覚まさなかったことを考慮すると、昨日の出来事は夢でもなんでもなく、現実で間違いないようだ。

 王宮から用意されていた食事や寝間着にまったく手をつけることなく眠ってしまったため、ユウトは作業着のままだし、かなり空腹だった。


——ああ、腹減った。……つーか、作業着で寝たせいでベッド少し汚れてるし。弁償しろとか言われねぇかな。


 寝ぼけながらもそんなことを考えているユウトの耳に再び甲高い声が響く。


「学校いくからおきなさい、平民!!」


 さっきよりも声の音量が上がっている。苛立っている様子だ。


「お、おきた!! すぐに準備する!」


 そういえば学校についていくと言ったんだった、とユウトは思い出した。

 さすがに作業着でいくわけにも行かないので、他に着る服はないかとユウトは部屋中を見回した。


「あ」


 机の上に、ルチアが着ていた白いローブに似た服が置いてあるのにユウトは気づいた。似ているというよりはほぼ同じものだ。違いといえば男物である、というくらいか。学校の制服かなにかだろうか。


 ルチアがドアの外でご立腹な様子なので、ユウトは急いでシャワーを浴び、歯を磨き、ローブに着替えた。

 支度を終えると、ユウトは手に馴染んだスコップをいつものように握りしめ、部屋の扉をゆっくりと押した。


「あんた、遅い。早めに来ておいて正解だった。遅刻するから早くしてくれない?」


 部屋の目の前に、顔をしかている茶髪のポニーテールの少女と、目つきの悪い騎士が立ち尽くしていた。ルチアとマセーヌだ。


「わりぃ……」


「早く行きますよ、ルチア様、平民」


 ルチアとマセーヌがいそいそと歩き始めたので、ユウトもそれにつられて歩き出した。

 この建造物は構造が複雑だ。彼らのように知り尽くした人間についていかなければ出口まで辿り着けないほどである。ユウトはもちろん昨日どうやって自分の部屋までたどり着いたのか覚えていない。


「これ、制服なのか?」


 無言で大股で歩くルチアに、ユウトは問うた。

 しばらく返事が返ってこないので、無視されているのかとも思ったが、そうではないようだ。


「そ」


 なんとも質素な返事か、とユウトは思った。

 さっきの苛立った態度といい、いまの対応といい、ルチアは朝機嫌が悪いのだろうか。

 制服、ということはルチアはいつも制服を着ていることになる。正装といえば正装なので、特に問題はないのだが、女の子なら私服の一つや二つ……と思ってしまうユウトだった。


「サイズぴったりだったけど、よく用意できたな」


「……エヴァンが着てたやつ。飛び級で卒業したからもう使わないの」


 今にも舌打ちでもしそうなくらい不機嫌そうな口調でルチアは答える。

 やはりこのお姫様は朝の機嫌が悪いようだ。それに加えて、エヴァンの話を振ったせいで気分を害してしまったのだろう。


「飛び級って——」


「もう黙って歩けないの!?」


「すみません」


 ユウトの言葉を遮ってルチアは怒号を上げた。

 これから朝ルチアに話しかけるのはやめよう、とユウトは思った。


 複雑な道のりを経て、ユウトたちは建物を後にする。

 城門までの間にある、草木が植えられた庭のような空間は相変わらず巨大だ。

 少し歩くと、見覚えのある白くて美しい毛並みの三尾馬が、暇そうに足を遊ばせているのが見えた。だが、今回は馬車を引くようだ。後ろに車が括り付けられている。


「お乗りください」


 馬車と三尾馬の目の前で足を止め、マセーヌが膝を折り曲げた。

 地面に膝をつきながら手のひらで馬車を指すマセーヌを横目に、ルチアは馬車に乗り込んだ。

 ルチアのためなのか、馬車には取り外しができる階段のようなものが装着されている。きっと送り迎えの時の乗り降りの際は、毎回この階段を付けているのだろう。


 跪くマセーヌを見て、毎朝こんなことやってんのか、この騎士は、と冷めた感想を持った。


「平民も早く乗りなさい」


 マセーヌは跪きながら、自慢の、人を殺すかのような瞳を駆使してギロリとユウトの両眼を見た。

 扱いの差が素晴らしいくらい酷いな、と思いつつユウトは馬車に乗った。

 馬車の後ろの空間は布に覆われていて、小さな部屋のようになっていて、屋根もあるため日がほとんどあたらない。


「では、出発します」


 マセーヌは取り外し式の階段を外し、それを馬車の空いている空間に乗せる。そして馬車の前方にある運転席に飛び乗った。

 間も無く、マセーヌが白馬を奮い立たせ、馬車は発進した。

 

 馬車は心地よい。特に今乗っている馬車はかなり心地がいい、とユウトは思った。

 王都に向かっている時の馬車でもそう思ったが、今回は格別と言っていい。馬が良いのか、運転手が良いのか。

認めるのは癪だが、どちらも該当しているのだろう。

 

「ていうか、騎士ってこんなことやるんだな。送り迎えとか」


「まあね。ルリアム国の専属騎士って、どっちかって言ったら執事に近いとこあるし」


 ルチアの口調が、さきほどのとはまるで違う。人格が二つあるかのようにすら感じる。本当に起きてすぐは機嫌が悪かったのだろう。


「そーなのか。騎士って言ったら戦闘とか、敵襲だけに対応するのかと思ったわ」


「まだそういう国もあるみたいだけど、先進国ではルリアムみたいな形式が一般的」


「ふーん。全然知らなかった」


 そういった知識も、学校で勉強するのだろうか。同じ年なのによく世界を知っているな、とユウトは感嘆をあげた。


 とはいえ、だ。そもそも、先進国という言葉。それすらユウトにはわからないので、今の会話はあまり生産性がないと言える。このように、貴族が当たり前に話すことでも、平民に伝わらないことはしばしばある。平民の中でもユウトは特にそうだが。


 ガタガタと揺れる馬車。そこにある、布でできた小さな部屋のような空間にいる少年少女は暫くの間静寂に飲み込まれていた。特に話すことがないというのが大半の理由だった。他には、多少の緊張とかだろうか。

 ユウトはマセーヌの背中と、その前方でめくるめく変わる情景を眺めていた。やはり王都はすごい。景色だけで楽しいと思えてしまうのだから。


——まあ、黙って景色見てんのも悪かねぇかな。


 時間の流れを遅らせるような静寂をルチアが打ち破った。


「気になってたんだけどさ。それ、なに?」


 ルチアがユウトの首元を指差す。

 黒く禍々しい模様に、それを覆う妖しい紫色の光。気にするなという方が無理がある。

 マセーヌに、ジークス半島の腕利き魔法使いに診てもらえ、と助言を貰っただけでこれが何かなど、ユウトにもわからなかった。


「実際俺もなんもわからねぇんだよなぁ。いきなり現れたしな。マセーヌが言うには呪いの類らしいけど」


 前で三尾馬を操っているマセーヌを瞥見しながらユウトは言う。

 ルチアは、ふーん、と軽い返事をした。

 いつも毅然たる態度のルチアが、珍しくあどけない表情でユウトの首元を凝視している。模様が気になるのか、ルチアの距離が近くなってきていて、ユウトの心臓は脈打つ速度を少し上げていた。


——顔近い顔近い。ドキドキするわあほ。


 この状況が長引くと理性が消え去りそうな予感がしたので、ユウトは話題を変えることにした。


「……と、ところで、あんたが授業受けてる間俺はどーしてりゃいいんだ?」


 とっさに変えたとは言え、授業中の話はしたかった。ルチアが授業を受けている間自分はどうするのか、とユウトは疑問に思っていたのだ。

 参加したところで理解などできるはずもないのだから、居ても仕方がないと言える。しかし、ユウトの立場は人質なので、授業に出ろと言われるかもしれない。


「どうって。一緒に受けてもらうよ。そのためにあんたにも制服着させたわけだし」


 言いながらルチアは前のめりになっていた身体を元に戻した。ルチアとの距離が遠くなって少し残念だが、理性との戦いから解放されたのでユウトはほっとした。


 やはり思っていた通り、授業への同行は強制らしい。


「一緒に受けるったって、内容もなにもわかったもんじゃねぇぞ?」


「別にわかるわからないの問題じゃないし」


「とはいうけど、参加型の授業とかねぇのか? 学校ってやつはよくわかんねぇけど、魔術とか剣術で、これやってみてください的なやつ」


 仮にそんな授業に同行することになったら、ユウトはたまったものじゃない。確実に晒し者だ。


「あー、あるかも」


 上に両眼をやりながら思い出すように、ルチアはあっけなく答えた。


「お断りだ。授業中は俺は別のところで時間を潰す」


——なんにもできなくてみんなの晒し者になるのは御免だ。


「だめ」


 ルチアはきっぱりと言った。


「なんでだよ!? 別に支障でないだろーが」


「あんた、監視って言う言葉の意味わかってる?」


 確かに、よく考えてみれば人質を授業中目の届かないところに放しておけば、逃げられてしまう可能性は十分にある。監視を任されている側とすれば、授業を共にしないというのは好ましくない話だ。

 だからと言って、授業に出なければいけないというのも、ユウトからすれば苦痛。どうすればいいのか。ユウトには全くわからなかった。


「ちょ、ま——」


「とにかく! 監視は授業中もさせてもらうから」


 ユウトが取り敢えず策を考える時間を延ばそうと、口を開いた瞬間ルチアに牽制されてしまった。

 結局、授業はルチアと一緒に受ける、という話にまとまってしまった。


「わかりましたよ、どうせ俺に拒否権はねぇんだろうし」


「わかればいい」


「まったくこれだから貴族は嫌になるね」


「平民である自分を恨めば?」


「そーしますよ、姫さん」


 ユウトは半ば拗ねたかのような顔でそっぽを向く。


——まじかよぉぉぉ、魔法使えとか言われたらどーすんだよ。まったく使えねぇぞ。それどころか周りにいるやつに危害すら加えそうじゃねぇか。


 馬車が揺れる音に、ユウトの嘆きの息の音が紛れた。

 平民は学校という環境に一度は憧れるものだが、いざ当事者になってみるとまったく嬉しくないものだな、とユウトは身を以て感じていた。


 ほどなくして馬車はゆっくりと速度を落とし始めた。学校についたのだ。

 城から学校までの距離は意外にもないように思える。馬車で通学するからなのかもしれないが。

 マセーヌが再び階段を嵌め込んでくれたので、ルチアとユウトはそれを使って下車した。

 ユウトの右手にはもちろんスコップが握られている。


 日が当たらない空間にいたので、少しの間意図せずまぶたが下がってしまう。


 太陽の光に眼が慣れるとすぐ、ユウトは外の景色を通観する。見慣れない光景をユウトの視覚が捉える。

 遠目に見る校舎の豪華さや、校庭の広大さ加減などもそうだが、なによりもユウトを驚かせたのは、学校の校門の前に停まっているおびただしい数の馬車や馬。全部生徒が乗っているのだろう。運転手は執事だろうか。


「すっげぇな、この光景。生まれて初めてだ」


 独り言をぽつりと呟くユウトをいないものとするかのように、ルチアはさっさと歩き始めてしまった。

 マセーヌは、いってらっしゃいませ、といいながら頭を下げている。

 

 取り残されそうだったので、ユウトは駆け足でルチアに追いついた。


「ちょいまてよ、俺は戸惑ってんだよ」


「そんなの知ったことじゃないけど」


「冷たっ」


「自分の人質に温かい人なんて滅多にいないと思うけど?」


 自分の人質。そうなのだ。ユウトはマセーヌの人質ではなく、皇族関係者全員の人質なのだ。

 国家反乱軍の設立を抑制するためのツール。それがいまのユウトの立場だ。


「あ、あとさっき言い忘れてたんだけど」


 ルチアは思い出したかのように付け足す。なにを思い出したのだろうか。ユウトはなんとなく嫌な予感がした。


「ん」


「今日私が出る授業、決闘形式で試合するって言ってた。剣術と魔術をどっちも使うらしいけど」


「は?」


 突然、ユウトはなんともいえない焦りに支配された。剣も魔法も人様に見せられたものじゃないのに、決闘をするなど正気では考えられない。


「この学校の授業、全部大教室で受けて、あとで出席紙を集める方式だから、制服着てればあんたがここの生徒じゃないってばれないから心配しなくていいって」


「いやいや、お前、そういうこと言ってんじゃないんだよ俺は!!」


「じゃあなに? まだ文句あるの?」


 ルチアが面倒くさそうに眉を釣り上げるが、ユウトからすれば文句がないわけがない。


「あるわ。ありまくりだわ。魔法も剣も使えねぇっつーの!」


「なんとかなるから。心配しない心配しない。さ、いこ」


「ええ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る