第11話 惚れたから

「そうだ。学校がある時間帯の監視についてはどうするか考えてくれ」


 はい、と返事をしつつもルチアは冴えない顔をしている。


「私は如何しましょう」


 マセーヌが胸に手を当てながら言う。


「お前には他の仕事がある。この件に関してはルチアにまかせよう」


「かしこまりました」


 これからのユウトの日々の監視役はルチア。しかし、これを女の子一人による監視だと思ってはいけない。ルチアは魔法も剣も扱いことができるのだ。ユウトが変な気を起こせばすぐに始末することができてしまうはずだ。


——いくら女の子だからって逆らったら多分殺されるなこれ……。


「そして、ユウト。なぜお前はマセーヌにたてつくような真似をした?」


 真実を見抜くかのような目力と、ぴしっと整えられた白髪。国王のプレッシャーは並大抵のものではない。親方と並ぶのではないか、という目力だ。

 さきほどのルチアの言い振りだと、この問いに関してユウトは嘘をつかなければいけないらしい。マセーヌを庇うような嘘だ。

 嘘をつけというのは、ルチアが保身のためにユウトに刺した釘だが、ユウトからしてみれば嘘をつく理由など一つも見当たらなかった。


 ユウトが真実を話せばルチアに害が及び、さらにはルチアからユウトに厳しいお仕置きが待っているかもしれない。だが、自分がマセーヌからルチアを守ればいいだけの話だとユウトは思った。


——宣戦布告だ、クソ騎士。


 ユウトは息を深く吸い込む。

 とても静かで物音一つしないこの空間に、ユウトの息の音だけが響いた。

 後戻りはできない。ここで真実を言えば、ユウトはその瞬間から戦いに身を投じることになるだろう。姫を守るという試練も生まれる。

 戦いも試練も、ユウトは迎える覚悟を決めた。前世の運命の少女に全てをかけると。


——我ながらまじでバカだよなぁ。ルチアのことなんて全然知らないってのに……。


 素性をまったくしらない皇女に人生をかけてやる、と本気で考えている自分に、ユウトは失笑しそうになっていた。しかし、理性の力では、それは止まらないようだった。

 バカなことであると自分自身でもわかっているのだが、なぜだか、ルチアのために本気で人生をかけるべきだとユウトの本能が言っている。


「このクソ騎士……マセーヌが、暴力をしているのを隠そうとしたからですよ、王さん。ルチアを言いなりにしてるのも気に食わなかった」


 堂々たる様子で、ユウトは偽りのない言葉を発した。

 マセーヌもルチアも、驚いている。


「その話に嘘はないな?」


「ああ、もちろん。本当のことです。ろくな騎士じゃない、こいつは。口封じの魔法と権威を使って無抵抗の人間を殴るなんて、正気とは思えねぇ」


「……マセーヌ。お前には少し話さなければならないようだな」


 少しばかり怒りの声色を見せる王。

 ジガンの言葉を聞いて、バツの悪そうな顔を見せるマセーヌ。


 真実を話し、気が抜けてその場にへたり込みそうになっているユウトを、マセーヌは睨みつけた。恨みが篭ったその視線は刺さるように鋭かった。

 邪悪とでも言えそうなマセーヌの視線を両眼で受け取りながら、ユウトはにやりと口角を上げて見せた。


——ざまぁねぇな、クソ騎士。いつまでもその立ち位置であぐらかいていられると思うなよ。


「あとのことは、ルチアから聞いてくれ。私はマセーヌに話がある」


「わかりました」


 返事をすると、ユウトはぺこりと頭を下げ、王室から出た。マセーヌとのすれ違いざまには、ユウトは彼の耳元で、ざまぁねぇぜと憎まれ口を叩いた。マセーヌがその時どんな表情をしていたのかはわからない。

 ユウトの後を追うように、ルチアも部屋から出てきた。


 王室の扉を乱暴に閉めると、ルチアは深いため息をついた。廊下もかなり静かな空間で、ルチアのため息以外の音がしない。


「あんたなにしてくれちゃってんの?」


 腰に手を当てながら、ルチアはユウトのことを睨んだ。


「なに、って。普通に本当のことを言っただけだ」


「はぁ? 父上には本当のことを言わないようにって、言ったじゃん」


 ルチアは端正な顔をしかめる。


「なんでだよ。別に本当のこと言ったっていいじゃねぇか」


 ユウトの発言にルチアはまた大きなため息をこぼした。


「あんたは平民だからわからないかもしれないけど、貴族には妥協の関係ってもんがあんの。わからないくせに掻き乱さないでもらえる?」


「妥協の関係ねぇ。あいにく、平民のこの俺にはそういうのわかんねぇから好きにやらせてもらうわ」


「やめて。迷惑なんだけど。強い人間には逆らわないのが一番利口なの。わかる?」


「利口とか利口じゃねぇとか知らねぇな。俺はマセーヌとかいう騎士から……いや、全てからあんたを守るって決めたんだ」


 あまりに真摯なユウトの瞳を見て、ルチアは圧倒されそうになっていた。会って間もないのになぜこんなことを言えるのか、そしてこの少年は何者なのか、と。


「本当になんなの、あんた。会ってから全然経ってないのに何のつもりなの」


 ルチアは心底意味がわからない、という表情をしている。誰もが納得の反応と言えるだろう。


 しかし、何のつもりと言われても、ユウトの頭には前に言った通りの台詞しか思い浮かばなかった。前世の運命の人だから放っておけない、という言葉だけでしか今のユウトの胸の内は表現できない。

 どうせ本当のことを言ったところで信じてもらえないのなら、本気だということだけでもわかってほしい、とユウトは思った。


「前世の運命の人なんて言ったって信じねぇだろうから、伝わりやすく言ってやるよ。俺はあんたに惚れた。だから全部を尽くしてあんたを守る」


 ユウトは真剣な眼差しをルチアに向けた。

 ルチアは次の言葉が出てこないようだった。完全にユウトの発言に度肝を抜かれたようだ。この反応だと、ユウトの真剣さは十分に伝わったと言えよう。

 少しの間の沈黙を経て、ルチアはいつもの調子で言った。


「あっそ、勝手にすれば。あんた弱いから守るとか無理そうだけど。守られるの間違いじゃない?」


 突き放すような口調のルチアだが、ユウトの目にはここなしか嬉しそうな反応をしているようにも見えた。


「おう、勝手にさせてもらうぜ。守られる? いいや俺はあんたを守るさ」


 ユウトはにやりとしながら言う。それを見てルチアの口角も上がっているようだった。

 ルチアはわざと眉間に皺を寄せながら言う。


「ていうか、なんで私があんたみたいな薄汚い平民の監視役やらなきゃいけないの。まじで無理なんだけど」


「ほんと貴族はどいつもこいつも作業着をバカにしやがって。この泥が努力の結晶なんだよ」


 ユウトは作業着を両手で広げて見せた。見ろ、と言わんばかりに。


「なにそれきもい。ほんとなんであんたの監視役なんて」


「そんなんしらねぇな。王様にでも文句言っとけよ」


 ユウトが言った途端、ルチアの表情が一変した。なにかまずいことでも言ってしまったのだろうか。

 憂いを帯びたような顔でルチアは言った。


「父上に言ったところで無駄。エヴァンがいるから……」

 

「エヴァン? 誰だ?」


「……なんでもない。早く着いてきて」


 ルチアはそう言うと、ユウトを置いてけぼりにしてそそくさと歩き始めた。


 壁に立てかけておいたスコップを回収し、ユウトは小走りでルチアに追いつく。

 エヴァン。ルチアの親族のことだろうか。もし有名人ならば、ラインはすぐにわかっただろうに。ユウトはまたしても孤児院での自分の過去を省みた。

 そのエヴァンという人物は、ユウトの予想だが、ルチアとはいい関係でないように思える。


 王室までの道を戻るようにしてユウトたちは歩いていた。白い模様の廊下を延々と。


「そういや、学校ある時がどうとかさっき言ってたけど」


 ユウトは突然思い出したかのように言う。

 学校というのは、貴族が高等な教育を受ける施設のことだ。一般教養だけでなく、剣術、魔術などもそこで学ぶらしい。一般的な平民には縁のない話だが。


「ああ、そういえば決めなきゃね。私が学校に行ってる間どうしたい?」


 どうしたい、と言われてもユウトにはよくわからなかった。そもそも、どんな選択肢があるのか。


「どうって……。逆にどう出来んだよ」


「選択肢は三つ。一つはこの屋敷で留守番。朝から夕方まで部屋の中でね。二つ目は学校についてくる。授業は退屈だけどね」


「三つ目は?」


「あの世で留守番。あんたがいなければ私は監視する必要もなくなるしね」


「それだけは勘弁してくれ」


 ルチアが笑顔のままとんでもないことを言い出すものなので、ユウトは青ざめていた。貴族のことだから本当に殺されかねない。幸い、このお姫様は本気ではないようだが。


「それで? どーするの?」


 ルチアが急かすように質問する。


「んー、一日中部屋にいるのも味気ねぇからなぁ。学校についていくかな」


「味気ないっていうけど、人質のくせになに求めてるわけ」


 ごもっともだ。人質のくせに有意義さを求めるなんて、なんとも滑稽なことだろう。しかし、一国の皇女ともあろう者がそんなストレートな表現をしていいものなのか。


「人質って……そんなはっきり言っていいのかよ。仮にもあんた皇女だろ」


「仮じゃなくて、ちゃんと皇女だけど。別に事実だし」


「そんなに開き直られるとなんともいえねぇなぁ」


 貴族とは思えないルチアの発言にユウトは少したじろぐ。そもそもの話し方が貴族とはかけ離れているように思えるが。

 ルチアはあっ、と声を上げた。


「ちなみに、学校についてくるならあるべき態度しっかり取ってよね。変に目立ちたくないから」


「おう、まかせろ。つーか、姫ってだけで目立ってそうだけどな」


「だからこそに決まってるでしょ。目立ってるからこそ、これ以上悪化させたくないの」


 それもそうか、とユウトは思った。この少女のことだから、平凡な暮らしを強く望んでいるに違いない。ルチアは一般的な貴族とは何かが違っているのだ。

 普通貴族と言えば立場や名誉を第一としていて、自分より下とみなした人間を見下しているものだが、ルチアにはそれがほとんど見られない。立場への執着心もそうだが、平民を心から見下しているわけではなさそうだ。普通の貴族であれば、薄汚い平民とは会話すらしないはずだ。


「ここがあんたの部屋ね」


 ルチアが目の前のドアを開けて、中の様子をユウトに見せた。

 一人部屋とは思えない広さだ。部屋の中にあるのは机とベッド、そしてテーブルと椅子。シンプルで質素ではあるが、監禁生活には十分であった。


「私は隣の部屋にいるから、こっち側の壁を何回か叩けば返事する」


「こんな広い部屋でいいのか、俺」


「いいんじゃない。今はもう誰も使ってない部屋だし。父上があんたをそこに入れろって言ってたわけだし」


「ふーん。今はってことは前は誰か使ってたのか」


 ユウトは単純な疑問を投げかけたつもりだったが、ルチアは口ごもる。なにかありそうだ。


「……エヴァン・バイス・ルリアム。私の弟の部屋だった」


「そうなのか」


 エヴァンというのは、ルチア・ユーク・ルリアムの実の弟らしい。

 ルチアとエヴァン姉弟は何か問題がありそうな感じがする、とユウトは直感ながらもそう思った。しかし、今それ以上追求するのも野暮だと思ったので、ユウトはその話題には触れないことにした。


「んじゃあ何かあったら呼ぶわ。とりあえず明日の朝までここにいればいいのか?」


「うん。明日の朝から学校だからそれまであんたはここにいて。食事も持ってきてくれるから、くれぐれも外に出ないように」


「はいよ」


★★★★


 マセーヌは、王より与えられた部屋に閉じこもるように作業をしていた。自らの野望の、詳細を紙に書き記しているのだ。


——あのクソガキが。これでは国王からの評価がだだ下がりだ。なんとかあの場は誤魔化したが、言い訳にしか聞こえなかっただろうな。


 筆を止めることなく、マセーヌは先ほどのことを思い出していた。まさか国王に説教をされることになるとは微塵も考えていなかった。マセーヌの立ち回りが失敗することなど、滅多にないのだ。


「ん?」


 マセーヌは何やら部屋の中に違和感がある気がした。背後を振り返り、きょろきょろと部屋の隅々まで目をやるが、特に何も見当たらない。

 大体違和感があるときは何かあるものだ。何も見えないということは気のせいなのだろう。そう思い、マセーヌは再び作業に戻った。


——私は必ず王の騎士になって見せる。そして、多くの名声を集め、あの人のように……。


 マセーヌの野望は、王専属の騎士になることである。一度皇族専属の騎士となると、普通はその相手に愛着が湧くものだが、マセーヌにはそれがなかった。ルチアよりもジガンの騎士になりたいとさえ思っていた。

 王の騎士となれば、国中で知らない人はいないし、他国でも有名人扱いだ。もちろん、現時点でのマセーヌも名が知れているのだが、他国にはあまり知られていない。


——王の前騎士が幸運にも病で死んだ今、王の騎士は不在。私がその座に就くのも夢ではなくなった。あとはあれをこなせば……。


 騎士の選抜は一年に一度行われる。様々な方法で実力を計測した後、皇族の騎士として配属される。皇族の騎士に選ばれなかった者は、一年間軍事に従事する。いわば軍隊の助っ人だ。

 次の選抜までに騎士を失った皇族は、騎士団の中から自分で騎士を指名することができる。


——私がいま、皇族の騎士ではなく騎士団の一員に戻れば、国王は私を専属の騎士に選んでくださるはずだ。


 不気味な笑いを浮かべながら、マセーヌは計画を着々と進めていた。


——明日ルチア様の学校が終わる頃までにはすべての計画を立てておかねば。時間は有限だからな。


 皇族が学校にいる間は、騎士は王宮で待機している。貴族で溢れている学校は危険性が少ないためだ。送り迎えはもちろん騎士が行うが、その間の時間は自由時間と言える。なので、若い貴族の騎士であるほうが、自由に使える時間が多い。


「マセーヌ様。お手紙です」


 コンコンとノックの音が部屋に響く。


「はい、ただいま」


 マセーヌが作業を止め、部屋のドアを開くと、使用人が立っていた。

 使用人は黙って手紙をマセーヌに手渡すと、軽くお辞儀をした。


「では私はこれで」


「ありがとうございます」


 早歩きで忙しそうに去っていく使用人を遠目で見送ると、マセーヌは手紙の送り主を確認した。


——黒鳥の魔族——


「黒鳥の魔族……。聞いたことのない名前だな。なにかの団体か……?」


 首をかしげながら考えるが、本当に知らないようだ。

 マセーヌはまた計画を立てるのに集中することにした。

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