第10話 ルリアム国の王宮にて

 日が沈み切る頃には、ユウトたちは都に到着していた。徒歩で三日のところが、三尾馬だと一日くらいで済んでしまった。


 ひんやりと肌を刺す夜風。雲の隙間から少しだけ顔を覗かせる月。秋の夜は寒くて、それでいてなぜか趣がある。


 四季がある国などほとんどないものだが、ルリアムは恵まれている。四つの違う季節と、そのたび代わり映えする大自然。

 特に秋という季節は美しい。赤青黄色緑、様々な色の植物が国中を包み、吸い込まれるかのような魅力を放つのだ。


 ユウトは、そんな秋の魅力を感じながら、マセーヌの背中を追うようにして王宮へ向かっていた。都の街並みは想像していたのよりも壮観だ、と思った。

 何よりも凄いのが大通りだ。ユウトの住んでいる街の大通りの何倍もの横幅と長さで、これでもかというくらい高級そうな店舗が建ち並んでいる。


 先ほど通ってきた普通の住宅街ですら、ユウトの街とはかなりの格の違いを感じたほどだ。巨大な屋敷や拘りをあふれんばかりに見せつけている建物。都でしかお目にかかれない代物だ。都に家を設けている人間はどれほどの金持ちなのか、ユウトには想像もつかなかった。


「あと少しで王宮につきます」


 口をあんぐりと開けたまま都心の景色に釘付けになっているユウトを、マセーヌは蔑むような目つきでちらりと見た。

 都に入ってからは三尾馬に乗れないらしいので、ユウトたちは徒歩で王宮へ向かっていた。ユウトの態度とは打って変わって、マセーヌは三尾馬を引きながら退屈そうに歩いている。


 木造ではなく、金属や石で構成されている建造物が都には多く、建物の大きさもその辺の街のものとは大違いだ。ブリアの干物屋のような店は一つとして見当たらなかった。


 夜なのであまり外で歩いている人はいないが、たまにすれ違う者たちは全て小綺麗な装いに身を包んでいる。さすがは貴族の街だ、とユウトは感動していた。


 王宮に向けて歩いている間、ユウトは自分の首元が気になって触ったり抓ったりしたが、触覚だけを頼りにするならば、特にいつもと変わりなかった。


——ここにいきなり出てきた模様が気になるな。


 ユウトがまたしても首元が気になっているのに、マセーヌは気づいたようだ。後ろを振り返った。


「気になりますか? 突然現れたその模様」


 マセーヌはユウトの首元を見つめながら言う。ゆらゆらとユウトの首元で光る紫の光が、夜の闇に一層映える。


「ああ。めちゃくちゃな。これがなにかわかるやついねぇのか?」


 そうですね……。と考えたあと、マセーヌは提案した。


「とりあえず、都一番大手の情報屋を当たってみるのが良いかと。そこで呪いの類に詳しい人物を紹介して貰うべきでしょう」


「なるほどな……。……つーか、これ呪いなのか?」


「魔物に噛まれたあといきなり現れたこと、その禍々しさ。二つを考慮するだけで、そう考えることができますが」


「まあ、否定はできねぇかもなぁ」


 もしこれが仮に、魔物の呪いだ、と言われても、正直ユウトも別段驚かない気がした。

 呪いとなった場合呪いの影響や解除方法を教えてもらいたい、とユウトは思った。


「てか、もし仮に呪いだったとして、それを解除できる奴っているのか?」


「ええ。ジークス半島の人々は、剣を持たず最古より魔法を極めてきました。呪いに関しても対処できるはずです」

 

 ジークス半島。地図上左の端に存在する半島のことで、半島全体が王国となっているが、ジークス王国と呼ばれることは少ない。

 ちなみにルリアムは地図上で言うならば、中央より少し左寄りの下の方に位置している。

 地図の左半分近くは最盛期のルリアム帝国の支配下にあったため、ジークス半島もその一部であった。その過去があるにもかかわらず、ルリアム国に非常に協力的な国である。


「へえ、そんな奴らがいるんだな」


「あなたは本当に……。無知すぎてこっちが恥ずかしくなりますね」


「仕方ねぇだろ、あんたらと違って学校とかいう教育機関に通ってなかったんだから」


「それもそうですか、庶民と貴族は生きる世界が違いますからね」


 マセーヌは口角を上げて性格の悪そうな笑顔を浮かべた。

 やはりマセーヌという男は典型的な貴族脳で、庶民を完全に見下しているようだ。


「やっぱ腹立つわあんた。貴族なんて金がなきゃただの庶民と変わらねえってのに、なんでそんなにも偉そうなのかわからないな」


 はっ、とマセーヌがわざとらしく笑い声をあげた。


「金があるから貴族なんですよ。現状はそれだけですが。もしもの話などいくらでもできる。そういう話をするのは薄汚い庶民の悪い癖ですよ。そんなことしている暇があったら金でも稼ぐ方がよっぽど有意義かと」


「ほんとムカつくな。俺がもし最強の魔導士とかなら今頃あんたを八つ裂きにしてたぜ」


 ユウトは人差し指でマセーヌを指しながら言う。

 マセーヌはバカバカしい、といいながら前に向き直った。


——貴族脳はこれだから腹が立つんだよなぁ。なんでもかんでも庶民の言うことを受け流す感じ。


 虫の居所が悪いまま、ユウトは前方の景色を眺めた。

 王宮であろう巨大で豪華な建物が見える。建造物の頂点には、国旗が掲げられている。少しの盛り上がった土地に建設されているルリアム国の王城は目立ちに目立っている。

 ユウトの心臓はバクバクと鼓動を打ち鳴らしていた。あと十分ほどで、最高の高級貴族である、皇族の住処に到着するのだ。今までの生活では一切の関わりを持ったことのない人種を目の前にするのだから、緊張するなという方が難しい。


「そろそろ王宮に到着しますが、くれぐれも最低限の礼儀はお願いしますよ。その格好では、礼儀を心得ているのかどうかすら危うく見えますがね」


 マセーヌは再び後ろを振り向き、ユウトのだぼっとした作業着、頭に巻いたタオル、ボロボロの靴、担いでいるスコップをじろじろと見ながら言った。


「あんたなんかに心配しなくても、ちゃんと心得てるから安心しな」


 苛立ちを含んだ笑顔でユウトがそう言うと、マセーヌは無言のまま進行方向へ向き直った。


 沈黙を続けたまま、ユウトたちはついに王宮に到着した。城門の前で、門番が門を開くのを待っている。

 かなりの緊張感に苛まれているユウトだが、それにも劣らず達成感が押し寄せてきていた。


——やっと王宮だぁあぁ!! 人質になりにきたとは言え、やっぱ達成感すげぇわ。


 ユウトは、目の前に佇む石製の巨大な城を見上げながら、満足感と達成感に浸っていた。魔物に襲われながらも無事にここにたどり着いた達成感もあった。


 ほどなくして、城門がゆっくりと開放される。城門が開き切ると、ユウトたちはついに皇族の敷地へと足を踏み入れた。白馬は、マセーヌが入ってすぐの馬小屋に預けていた。

 マセーヌは何食わぬ顔で、城門の先の庭のような空間をずかずかと歩いているが、ユウトは感動すらしていた。まさか自分がこんなところを歩くことになろうとは。そんなことは考えたこともなかった。


 城門の先には少しの空間が設けられていて、その先に城への入り口があるのだが、意外にも城門から入り口までは距離がある。

 いそいそと大股で歩くマセーヌに続いて、ユウトも早歩きで入り口へ向かう。


 守衛の兵士達がユウトの格好を、珍しい動物でも見るかのように観察していた。

 普段この城に庶民が訪れることなどないのだろうから、その反応は至極当然と言えるだろう。それに、泥だらけの作業着で王城に足を踏み入れる輩など前代未聞と言っていいほどだ。


「めちゃくちゃ見られてんなぁ」


「当たり前でしょう。そのような薄汚い格好をしていて、スコップを担いでこの場所を訪れる馬鹿など聞いたことがありません」


 それもそうか、とユウトは思った。

 ユウトは段々とマセーヌの嫌味な言い回しに慣れつつあった。それが良いことなのか悪いことなのかは定かではないが。

 両端に守衛を携えている城の入り口にすんなりと二人は入場し、城内部へと進んでいった。


——天井たけぇぇ。やっぱ本物の城はすげぇなおい。


 見上げても見上げたらないくらい高い天井と、きらきらとした硝子や灯り。

 正面には広い空間が広がった後、幅広い階段がある。広い空間の左右には通路や階段がひしめき合っている。左右の階段は螺旋状になっていて、かなり高いところまで続いているようだ。正面の階段は王室まで繋がっているのだろうか。


 城の景色の新鮮さばかりに気を取られていたが、ユウトは少し奥に見覚えのある少女が佇んでいるのに気がついた。


「ルチア様。ただいま戻りました。ずっとここでお待ちしていらっしゃったのですか」


「ル、ルチア……」


 見覚えのある茶髪の少女。ルリアム国第一皇女、ルチア・ユーク・ルリアムに他ならなかった。まっすぐに伸びる背筋、堂々たる佇まい。相変わらず迫力すら感じる、とユウトは思った。

 凛とした瞳をユウト達に向け、ルチアは第一声を放った。


「もうそろそろ帰る頃だと思って。そんなに長い時間ここに立っていたわけではないです。マセーヌ、そしてユウト。王室に」


「はい。仰せのままに」


 マセーヌは跪き、深々と頭を下げた。これが貴族の礼儀作法なのだろうか。

 ユウトはそれを立ち尽くしたまま黙ってみていた。


 王室に、ということは王と対面するというのだろうか。ユウトは緊張していた。

 いくら無知とは言え、ユウトでもルリアムの王くらいは新聞や絵で見たことがある。そんな人物と生で対面するのだ。緊張しない方がおかしい。


「ユウト。あなたはくれぐれも無礼を働かないように」


 ユウト達を先導し、王室へ向かおうとしていたルチアが足を止め、振り返りながら言った。よっぽど心配だったのだろう。


「心配無用さ」


 ユウトはあたかも余裕そうな顔をして見せた。額には少しの汗が滲んでいたが。

 ルチアは釘を刺したことで満足いったのか、すぐにまた歩き出した。正面の階段を登り、その先の長い通路へ出る。


 王室へ続く通路は驚くほど長いようだ。遠くにある王室の扉が点くらい小さく見える。

 白くて、よくわからない模様の廊下。外の景色があまり見えない、複雑な形をしている窓。長すぎる廊下。どれもユウトにとっては初めてのもので、見慣れないそれらが緊張感に拍車をかける。

 

「廊下長すぎじゃねぇのか……」


「見慣れればどうってことありませんよ、クソ庶民」


「そうかよ」


 マセーヌが懲りずにまた絡んできたので、ユウトは軽く流した。


「なあルチア。俺は王にあって何を言えば良いんだよ」


「様をつけろ、この無礼者が!」


 マセーヌが怒鳴る。最悪剣を突きつけてきそうだったので、ユウトはルチア様、と言い直した。

 ルチアは、前を向いたまま答えた。


「聞かれたことに答えるだけです。しかし、すべて真のことを、というわけではありませんが」


「ふーん」


 少し回りくどい言い方をしているが、要は機転を利かせて嘘をつけと言っているのだ。わざわざ人質として連れてきておいて、嘘をつけなどと図々しい奴らだ、とユウトは呆れた。

 

「聞かれるったって、何を聞かれるんだよ、俺」


「個人情報と、マセーヌに逆らった理由を聞かれるはずです」


 なるほど、とユウトは思った。


——マセーヌのことで俺が嘘をつかないと、姫さんにも後々しわ寄せがいくわけか。てことはこれは全てマセーヌの思い通りってことだよな。なんか癪だなぁ。


 ルチアもマセーヌも望まぬことを、ユウトは企み始めていた。ふてぶてしいマセーヌに一発食らわせてやろうと。

 元よりユウトはルチアをこの一族から解放し、救済する予定なのだから、マセーヌのことなど知ったことではない。とはいっても、かなり漠然とした予定だが。


 靴が地面に触れる音のみが響いてしばらく経過した後、王室の扉はもう目の前にあった。ついにユウトはルリアム国の王と言葉を交えるのだ。

 ユウトの心臓は小刻みに鼓動を打ち鳴らしている。ユウトは手に持っていたスコップを扉の横に立てかけた。さすがにスコップを持ったまま、というわけにはいかない。

 ルチアが扉をゆっくりと開いた。目の前に王室の光景が広がる。


 青い絨毯のひかれた廊下を挟んで、その先にテーブルと玉座がある。王はそこにどっしりと座り、来訪者を待ち受けている様子だ。


「失礼いたします、陛下」


「し、失礼いたします」


「ただいま戻りました。父上」


 ユウトはマセーヌの真似をするように言った。

 玉座に腰をかけている国王、ジガン・ルータ・エル・ルリアムは重々しい雰囲気を見に纏い、口を開いた。


「ご苦労だった。ルチア、騎士マセーヌ。そしてユウト、ようこそ我が国の王宮へ。許可証を確認したい」


 許可証とは、親方から受け取った紙切れのことだろう。

 玉座へ向かって歩きながら、ユウトは作業着のポケットを弄る。

 ポケットから出てきた、しわくちゃの紙切れをジガンの机の上にそっと置いた。


「これ、ですよね……?」


「うむ。間違いない。……君の名前はユウト、だけなのか?」


 許可証に書いてあるユウトの個人情報を確認して、王は顔をしかめた。ユウトが苗字を持っていないからだろう。

 しかし、魔物の大襲来以降ならばありえない話ではない。国家の重要書類がほぼ丸焼けになり、国籍などは再作成せざるをえなくなってしまったのだ。国籍の再作成に際して、大襲来のショックで記憶を失ってしまった人間などは、新しく自分で名前をつけるしかなかった。ユウトも同じようなもので、苗字を覚えていなかったため、名前のみで籍を登録した。

 ちなみに二度目の国籍登録を行ってくれたのは孤児院の先生であった。


「いえ、記憶が……」


 全て言い終わる前に王は察したかのような表情を見せた。

 ユウトは元の位置に戻り、王の次の言葉を待った。


「ユウトにはこれから無期限で、この王宮で過ごしてもらう。衣食住は保証する。外出は許可するが、監視員をつけることとする」


 ユウトはだまってそれを聞いていた。どうせ拒否権はないのだろうから。


——しかも無期限かよ……。監視員って、マセーヌか?


「監視員は、ルチア・ユーク・ルリアムとする」


「は?」


 ユウトは驚いた。一国の皇女とあろうものが、庶民の監視を任されるなどとは思っていなかったのだ。どういうことなのだろうか。

 ルチアもマセーヌもかなり面食らっている様子だ。


「私がこの男の監視員……ですか?」



 

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