第8話 真夜中の魔物
虫の鳴き声と草木のさざめき、三尾馬の足がたまに地面の石に触れて鳴る、コツコツという音だけがあたりに響いていた。
白い三尾馬は林の中を駆け抜けている最中だ。
馬に乗ってからずっと、ユウトとマセーヌの間に会話は一切ない。ただ静かに、ひたすらまっすぐ王都へ向かっていた。王都までどのくらい距離があるのかもわからないし、会話もないのでユウトは苦痛だった。
ユウトはふと空を見上げた。
さきほどまで薄く光っていた星や月がもうはっきりと自分を主張するようになっていた。目の間に魔物が出現してもおかしくない時間帯になったということだ。
ユウトの心臓は飛び出んばかりの鼓動を打っていた。
マセーヌもまた緊迫した面持ちで辺りを眼で見回していた。
「早速、一匹目ですね」
長い沈黙を経て、マセーヌがついにそれを破るように口を開いた。一匹目ということは、魔物が現れたということなのだろう。
ユウトはマセーヌの背中の横から、進行方向の景色を覗き見た。
——あれが魔物……。
少し先にこの世の生き物とは思えないほど複雑な形をした生物が歩いているのが見えた。大雑把に説明すると、丸みを帯びていて、二足歩行で、一つ目で。毛は生えていないように見える。気味が悪い。
ユウトは魔物を直で見るのは初めてだった。街に魔物注意報が出るときに、絵でその姿を見たことはあったが。
街に魔物が侵入してきたときに、実際にその姿を見ている住人たちは多数いるのだろうが、ユウトはそうではなかった。ラインが魔物を見たと言っていた時は、危険だと思いつつも羨ましかったのを覚えている。
しかし、マセーヌはどうやってあの魔物を倒すのだろうか。ユウトは疑問に思った。
剣で、というにはあまりにも距離があるし、わざわざ馬から降りて戦うわけではあるまい。
魔物に遭遇する度に馬から降りていては、いつまでたっても王都には辿り着かなそうだ。
マセーヌは左手を顔の前に突き出した。なにをするというのだろう。
魔物はもう、すぐ目の前にいる。この距離なら、そろそろユウト達に気づいてもおかしくはない。
魔物は群れを成すらしいので、気づかれれば仲間を呼ばれかねない。早めに処理しなければ命取りだ。
とは言っても、マセーヌほどの実力者であれば魔物の群れでさえ恐怖に値しないのかもしれないが。
顔の前に突き出されたマセーヌの左手からなにかが放たれた。
というのも、目には見えない衝撃波のような物だったので、実体は見えない。空間を切り裂くような、斬撃のような。
——なんだ、あんな魔法も使えんのか?
風を切る音とともに、実体の見えないそれは魔物に直撃した。
断末魔のような鳴き声とともに、魔物は切り裂かれた。言葉通り、バラバラになった。何回も繰り返し斬撃を受けたかのように。
三尾馬は引き裂かれた魔物の死体を横目に、さらに足を進めていく。
ユウトは思わず息を飲んだ。
剣を使わず、離れた距離から斬撃を放つこの男に、自分は喧嘩を売ったのだと思うと急に寒気すらしてきた。
「手から斬撃出せるなんて反則技だろ……」
「魔法を使えるのは貴族として当然の教養です」
マセーヌがどんな顔で言っているのか、ユウトには見えなかったが涼しい口調だ。
まだまだ今のは序の口といったところなのだろう。底なし沼のように、マセーヌという男の実力の底が見えてこない。
「そんな技使えるなら、いつも剣を使う必要ねぇと思うけどな」
遠距離攻撃で、しかも斬撃の魔法。それが使いこなせるなら、実物の剣を抜かずとも敵を切ることができる。となれば腰に装着している剣はなんの意味をなしているというのか。ユウトにはわからなかった。
「相当魔法を極めていなければ魔法発動には危険性がありますから、そういうわけにはいきませんね。魔法をわかっていない庶民はこれだからこまる」
「腹立つなてめー」
魔法発動にはリスクがある、というのは体力の問題か、それとも発動までに少し時間がかかるということなのか。ほかにもまだあるのだろうが、ユウトにそれを知る術はない。
どうせ聞いたところで丁重に教えてくれるなんてこともなさそうだ。マセーヌとユウトは一応敵同士なのだ。
「……群れ」
「あ?」
マセーヌは神妙な面持ちで辺りを見渡しだした。いきなりどうしたというのだろう。
ユウトもマセーヌと同じように、自分たちを囲っている木々や草を見渡したが、特になにもない。それどころか、自然を眺めていると心が癒されそうなくらいだ。
「どうやら魔物の群れに囲まれているみたいですね。さっきのは囮と言ったところか」
「まじかよ。てか、そんなに知性あるんだな魔物って奴は」
囮を使って人間の存在を確かめ、群れで取り囲む。単純な作戦ではあるが、その知性をあなどっていれば足元をすくわれる可能性がある。
群れということは、おびただしい数の、あの気色悪い生物が出現するということだ。ユウトは気分が悪くなりそうだった。
「魔王の手下と言われるくらいですから」
魔物は、彼らを統べる唯一無二の存在、魔王の手下である、という認識は神話に基づいたものだ。誰もがそう認識している。
「魔王なんて本当にいんのかよ。神話も嘘くせぇしな」
ユウトは顔をしかめながらいった。
さぁ? とマセーヌは軽くこたえた。
人間から魔力を喰らい、それを魔王に献げる。それが魔物役割とされている。しかし、勇者カイによって、千年前に封印されたと言われている魔王やその幹部たちが復活していないことを考えると、その話は信ぴょう性にかける。千年間魔物が魔力を喰らい続ければ封印くらい解除できそうなものだが。
三尾馬の走る速度が少しずつ遅くなりはじめていた。そろそろ限界が近くなってくることだろう。無理もない、ユウトが乗る前からこの馬は走り続けていたのだから。
空はまだ依然として暗いままだ。夜を抜けなければ魔物に襲われる危険性は消えない。朝になってしまえば、瞬間移動したかのように魔物は巣に帰っていくから、それまでの辛抱だ。
魔物の群れと一晩中やり合うのが、ユウトとマセーヌの目下の課題だ。やりあうと言っても、ユウトの戦闘能力は極めて低いのでマセーヌだけが魔物とやりあうといっても過言ではない。
小さな森の中をユウトたちは移動していた。草木に覆われているため、かなり視界が悪い。目の前が真っ暗で、魔物の姿が確認できない。
しかし、気配はマセーヌが感じ取ったので間違いなく近くに多くの魔物がひしめき合っている。
白馬は足を止めることなく木々の間を走っている。森を抜けなければ、まともに魔物と戦うことができない。
「森は暗すぎますね。ここを抜けなければ話は始まらなさそうですね」
そういいながらマセーヌはまた手から斬撃を放った。
マセーヌが斬撃を放った途端、その攻撃に魔物が数匹飛び込んだ。いや、飛び込んだのではない。魔物の動きを先読みしてマセーヌは攻撃をしたのだ。
——こんな真っ暗な森で敵の動き先読みできんのかよこいつ……。
砂利を踏む音が進行方向の後ろからしたので、ユウトは振り向いた。
後ろから魔物が複数匹ついてきているようだ。三尾馬に劣らぬ速度でユウトたちの方へ向かってきている。
マセーヌは前方の敵に集中していて、とても後ろを気にしていられない様子だ。
「おい、後ろから魔物が来てる!!」
ユウトが叫ぶが、マセーヌは次々に現れる前の魔物に手こずっている。なにせ数が多すぎるのだ。倒しても倒しても次から次へと一つ目の魔物が現れる。きりがない。
この調子だと、すぐに後方の魔物は追いついてしまう。追いつかれれば、先に攻撃を受けることになるのは後ろ側に乗っているユウトだ。
スコップで襲いかかってきた魔物を叩ければなんとなるが、姿勢が安定しない馬の上でそんなことをできる余裕はユウトにはなかった。
魔法を使って対処するというのも現実的でない。ろくに教育を受けていないユウトの魔法など、何が起きるかわからないのだから。拙い魔法のせいで、マセーヌの邪魔をする可能性だってある。
——くそ、まじでスコップで叩くしかねえのか……?
ユウトはスコップを握っている手と手綱を掴んでいる手の力を一層強めた。
一回でもスコップでの攻撃をはずしたら、確実に魔物の攻撃を食らうことになる。どんな手段で魔力を吸い取ってくるのかはわからないが、食らえばひとたまりもなさそうだ。
後方から近づいてくる魔物達が、思ったよりも早く、ユウト達に追いついてしまった。後ろにピタリとくっつくようにして同じ速度で走行している。
すぐに攻撃してこないということは、ユウト達の様子を伺っているのだろう。マセーヌのことを警戒しているだろうか。やはり魔物という生き物は侮れない知性を持っている。
——おいおいまじでやべぇぞ、最初に攻撃食らうの俺じゃねえかこのままだと。スコップでやるしかねぇ!
ユウトはマセーヌをちらりと見た。やはりまだ後ろに気が回っていないようだ。
ユウトは腹をくくることに決めた。全神経を集中させて、一回きりの攻撃の準備をすることにした。
焦りきっているユウトの目の前に、開けた景色が広がっているのが見えた。やっと森を抜けれる、とユウトは少し安堵した。
——森が終わる!
しかし、森を抜けたからといって、後方の敵がいなくなるわけではない。状況は一緒なのだ。
白馬が森を抜けると同時に、後ろからついてきていた魔物達が一気にユウト達目掛けて飛びかかった。小さな身体からは想像できないような飛躍力だ。
ユウトはできる限り、飛び込んでくる魔物にタイミングを合わせてスコップを一振りしたが、いとも簡単に躱されてしまった。
マセーヌが前の敵の処理を終わらせたのか、後ろを振り向く。しかし、ユウトにしてみれば既に遅かった。
魔物達は大きく口を開け、鋭利な牙をユウトの身体に突き刺した。ユウトの身体のいたるところに一つ目の魔物がぶら下がった。
すぐに、ユウトの身体に噛み付いて離れようとしない複数の魔物をマセーヌが魔法で一掃したが、それでもユウトの傷は思いの外深いようだった。
ユウトの腕や脚に血液が糸のように流れる。
——くっそ、あんな小さいのにめちゃくちゃ強え。傷口が熱い。
魔力を吸い取るからなのか、傷口が焼けるかのように熱い。ただの獣に噛まれたのとはわけが違うようだ。
「一気に魔力を吸われすぎましたね。数が多すぎて処理しきれなかったのが敗因ですかね」
首だけ後ろに向けて、マセーヌが言った。特に表情を変えず、相変わらず鋭い目つきで。
魔物の群れは全て倒したみたいだが、ユウトはグロッキー寸前だ。
ユウトの視界は段々と朧になってきていた。目の前に見える広々とした大草原、星や月、全てがぼやけている。出血も原因だが、魔力を持っていかれたのも原因に違いない。
——ああ、だめだこれ。
複数の魔物に魔力を吸われるとこんなにも堪えるのか、とユウトは思い知らされた。魔力を吸収されるということ自体はじめてだったが、まさか初めてが複数の魔物からの攻撃とは思ってもいなかった。
ユウトは成す術もなく、遠のいていく意識を受け入れるしかなかった。全身の力が抜けて、ユウトは馬から滑るようにして、地面に落下した。
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