第6話 スコップで十分さ

——……カ……て……!!


 夢の中の声でユウトは目を覚ました。

 危機感、焦燥感。ああ、前世の記憶か、とユウトは理解した。前世の記憶に違いないのだが、夢に出てきたことは今まで一度もなかった。


 前世の記憶が夢に出てきたのも気にはなるが、今のユウトにはもっと気になることがあった。いつ自分の家に帰ってきたのか、ということだ。

 寝巻きに着替えているし、スコップや作業着もいつもの場所にある。昨日はマセーヌにやられてその場に倒れていたはずなのに。まさかあれは夢だったとでもいうのだろうか。


「夢……なのか?」


 ユウトは試しに自分の腹に触れてみた。痛い。昨日のマセーヌの攻撃は夢などではないようだ。

 色々と謎を残し、もやもやとした気分のままユウトは支度を始めた。


「よっしゃあ、今日も頑張りますか」


★★★★


「休憩にしていいぞー!」


 どこまでも遠く届きそうな低くて大きな声が轟く。

 天候の影響で、今日の作業現場はいつもにまして過酷であった。もう秋なのにもかかわらず、夏と変わらないような強い日差し。風も意気消沈したかのようにまったく吹いていない。


 休憩開始の合図を聞き全員作業をぴたりと止めた。待ちわびた様子でその場や日陰に腰を下ろし始める。

 ユウトも同じようにその場に座り込んだ。


「はーーー、つっかれたぁ」


「おつかれ。今日きっついね」


 くたびれた様子でラインがユウトの隣に腰を下ろした。

 作業開始からまだそこまで時間は経っていない。昼前なのにもかかわらず、誰もが疲れを見せはじめていた。


「今日の天気はかなりな。慣れてるとは言え、さすがに疲れるなぁ」


 ユウトもため息混じりに嘆く。

 額の汗をタオルで拭いながら、ラインが問うた。


「ユウトさっきさ、昨日あんまり寝れなかったって言ってたけどなんかあったの?」


「あー、色々あったよそりゃもう」


 ユウトは昨日のことを一つ一つ思い出しながら言葉を紡いでいった。

 情報屋での出来事。マセーヌと対峙したこと、気づけば自分の家で寝ていたこと。

 ラインはユウトの話を身を乗り出して聞いていた。マセーヌと剣を交えるなどそうそうある話ではないので、当然の反応である。


「ユウトはほんと無茶するよね。よく殺されなかったと思う」


「まあなぁ。いやでもこれから殺される可能性も全然ありそうだけどな」


 ユウトが刃向かった相手は、相当の実力を備えているだけではなく冷酷で狡猾な人物だ。これからどのような仕打ちが待っているのか、いくらでも想像できてしまう。立ち向かって行った時点でユウトはある程度の覚悟はしていたのだが。


「どうなんだろうね。でも確実に口止めはされそうだね。僕にマセーヌ様の話したこと、誰にも言わないほうがいいかもね」


「確かにな。それがバレたらやばそうだしな。口止めって、どんな仕打ち受けるんだろ」


 ユウトはそんなことを考えるだけでも気が滅入りそうになった。マセーヌのことだから監禁でもされそうだ。それどころではないかもしれない。あの細長くて意地の悪い目つき。何を考えているのかわからない。


「さぁねー。ユウトが殺されたら僕が埋葬してあげるよ」


 ラインが顔に似合わず物騒なことを言う。


「この俺が死ぬわけないだろ」


「なに、その自信。小さい頃は泣き虫だったのに」


「うるせぇ!」


 突然幼い頃の話を持ち出されたので、ユウトは小恥ずかしくなった。昔のユウトは泣き虫で、よく孤児院でラインに守ってもらっていた記憶があったが、恥ずかしいのでユウトはあまり思い出したくなかった。


「ていうか、よくスコップで戦おうと思ったよね。もはや笑えるんだけどそれ」


 ラインは笑い混じりに言った。

 確かにそうだ。しっかりとした業物の剣に作業用のスコップで立ち向かうなんてどうかしている。冷静になって考えると、ユウトも可笑しくなってきた。


「そうだな。自分でもびっくりだわ。まぁでもよ、スコップが一番手にあってるってもんよ」


「そうかもしんないね。親方からもらったスコップ、僕らずーっと使ってるもんね」


 ユウトとラインが親方に拾われたのは三歳の時だった。言葉の通り、両親を亡くした二人は親方に拾われたのだ。そして孤児院に連れて行かれた。二人が六歳になると、今後のことを考えて親方は仕事を与えてくれた。その時に貰ったスコップを、ラインもユウトも使い続けている。


「このスコップだけは手放せねぇな」


 ラインはそうだね、と言いながら笑みを浮かべた。

 古びたスコップだが、何度もメンテナンスをしているので機能性に問題はない。ちなみにメンテナンスを引き受けてくれているのはブリアだ。干物屋にもかかわらず、そういう物の扱いには慣れている。


「あれ、なんだろ」


 そう言いながらラインは遠くの方を指差す。

 ユウトは水筒の水を飲みながら、ラインが指差す方へ目を向けた。

 さきほどまでそこらに座っていた作業員たちが何人も、一人の人物を囲うようにしている。誰が来たのだろうか。

 その人物はユウトたちに方へ向かってきていた。

 近づくにつれてユウトとラインは、その人物に見覚えがあるということに気づいてきた。いや、と言うよりは見覚えがなければおかしいと言っても過言でない人だ。


「……ん。……親方!?」


 ユウトは口に含んでいた水を噴きそうになった。

 親方は毎日のように事務業に追われているため、現場に現れることはまずないのだ。そんな人物が登場するということは何か大事でもあったとしか思えない。


「なんで親方が?」


 ラインも不思議そうにしていた。親方に会う機会など、普段は年に何回かなのだ。それも何かの打ち上げや行事の時くらいなものである。


 親方はユウトとラインの目の前で足を止めた。さっきまで周りにいた作業員たちはまた地面に腰を下ろしていた。

 相変わらず厳つい見た目だ。ブリアほどではないが高い身長に、太い腕。黒い短髪。いつも、これでもかというくらいの目力を発している。


「おす、小僧ども。久しぶりじゃなぁ」


「お久しぶりっす」


「お久しぶりです」


 ラインもユウトも軽くお辞儀をした。親方には感謝してもしきれないくらいの恩を受けているので、二人とも礼儀を忘れないようにしている。


「なんで親方がここに?」


 ラインよりも先にユウトが質問を投げかけた。

 親方は圧倒的な目力の詰まった瞳でユウトを見つめた。


「ユウト、おめぇの事で来た」


「え、俺の……?」


 ユウトはどういうことか、と驚いた。親方が来るような大事に自分が関わった覚えがないので、戸惑っていた。


「え、ユウトなんかやらかしたの?」


 ラインが目を丸くしている。


「い、いやなんもしてねぇけど……」


 そういいながらもユウトは頭の中で自分の記憶を辿っていた。いつ、どこで、なにをしていたのか。


——なんだ。なにしたんだ、俺。…………あ。


 一つだけあった。まさかとは思うが、もしやあれが原因なのだろうか。


「なんもしてねぇってのは嘘じゃねぇのかのぅ。ワシは知ってんだ。おめぇマセーヌ様に喧嘩売ったらしいなー」


 親方は特に表情を変えずに言った。

 やっぱりそうだ、とユウトは思った。まさかそのことで親方に連絡がいくことはないだろう、とたかをくくっていた。だが、さすがマセーヌだ。手が早い。働いている場所をもう特定している。


「さっき王宮の人間が事務所にきてのう」


「さっき、か。そいつになんて言われたんですか?」


「おめぇをしばらく借りるとよ。仕方ねぇから休業扱いにしといてやるよ」


 しばらく借りる? なんのことだ? ユウトの頭の中にははてなが浮かんでいた。


「え? しばらく借りるってどういうことですか?」


「そんまんまの意味じゃ。おめぇは王宮でしばらく預かるってこった」


「は?」


 王宮で預かる、というのは王宮でしばらくの間生活をするということなのだろうか。なぜそんなことをするのか、ユウトには全く理解できなかった。


 あまりの展開の早さにユウトの頭はついていけていない。

 ラインもまた、気が動転しているようだ。親友が王宮で生活することになるなんて、夢にも思っていなかったのだから。


「いきなりすぎ、ってか、それいつからですか?」


 ユウトは焦ったように問う。


「今日からじゃ」


 太い声で親方はそう言い放った。

 いくらなんでも早すぎるのではないかとユウトは思った。マセーヌは何か急いでいるのだろうか。いや、まだマセーヌの仕業と決まったわけではないのだが。しかし、そうでなければ他に想像がつかない。


「王宮にこの紙を持ってけ、必要な物じゃ」


 親方はユウトに少し皺のついた紙切れを手渡した。

 ユウトはその紙を受け取り、両手で広げた。


——王宮入場許可証。ユウト。国籍ルリアム。俺の個人情報まで……。これは夢でもなんでもなさそうだな。


「今日からって言ったって、この現場どーすんだよ、放棄するんですか?」


「しかたねぇーじゃろ。おめえ、王宮に目ぇつけられてぇのか?」


 親方はユウトの眼を覗き込むようにして言った。

 確かに、はやめに王宮に顔を出さない、という選択肢はない。王宮は基本的に絶対なのだ。それに背けば何かしらの罰が待っているというのがおきまりのパターンだ。ルリアム帝国時代の遺物と言えよう。


「そうだよなぁ。あーーーー、なんでこんなことになってんだよぉーーー」


「仕掛けたのはユウトでしょ、でも」


 そう言うラインは諦めたような口調だ。


「まあそうだけどよぉ……。あの騎士マセーヌとかいう奴陰湿だなぁ。直接何かしてくればいいのに。ずるい奴だな」


「別にまだマセーヌ様の仕業と限ったわけじゃねぇじゃろ。個人的な感情じゃ、それは」


 親方の言う通りマセーヌがやったことではなく、王宮の人間が決めたことなのかもしれない。しかし、実際にあのマセーヌと対峙した者にしかわからない雰囲気が、あの騎士にはある。王宮の人間を駒にして計画を進めていてもなんの違和感もない。それくらい頭が切れそうな人物なのだ。


「あれほどずる賢そうな奴みたことないですって。親方は実際に睨みあったりしてないからわかんないんですよ」


「ていわれてもな、わかんねぇもんはわかんねぇ。支度しな、ユウト」


「はい……」


 ユウトは渋々王宮に顔を出すことを決めた。その場から立ち上がり、スコップを肩に担ぐ。

 ラインはユウトの立ち上がる姿を見ながら言った。


「生きて帰ってきてね、ユウト。ずっと待ってるからね」


「妙なこと言うな、これから本当に死ぬ奴みたいじゃねぇかよ!」


「でも、もしかしたら……」


「いや、ねぇから! ……って、思いたい」


 ユウトはもしかしたら死ぬかもしれない、と薄々考え始めていた。敵に回した相手はかなり厄介だ。こんなことなら喧嘩をふっかけるんじゃなかった、とユウトは少し後悔していた。


——いやでも、姫さんを助けないと俺のもやもや感が晴れなそうだ。あの人と一緒にいれば前世の記憶がどんどん刺激されそうな予感がするぜ。


「ユウト、王宮までの行き方はわかるな?」


「はい、わかります」


 王宮までの道のりには、危険が潜んでいる。実質国の外に都があるという特例故である。

 国の外には魔物が生息していて、それらの侵入を防ぐ為に国の周りには軍人が常駐しているという話をユウトは聞いたことがあったので、なんとなくではあるが危険が潜んでいることを知っていた。


 国を出てからしばらくは、どこの領土でもない地域がある。そこが魔物の生息地。即ち魔物の巣がある場所だ。その場所だけはどの国も欲しがらない。国に魔物が侵入してきてしまったときの厄介さを知っているからだ。ルリアムにもたまに魔物が入り込むことがあるが、その度に大騒ぎだ。


「魔物に殺されねぇかなぁ」


 ユウトが呟くと、親方はさぁな、と乾いた声で言った。

 親方は無責任なことは言えない、と思ったのだろう。正直な話、剣技や魔法を操れる人間でなければ魔物が生息する地域を突破して、都に行くことはかなり厳しいだろう。傭兵を雇うにしても、ユウトにそこまでの金銭的余裕はない。


「魔物はスコップでなんとかするしかねぇってか」


「武器がスコップでいいのか? 剣やら槍やらがねぇとさすがにやばいんじゃないかのぅ」


 親方が心配そうに言う。スコップで魔物と戦うなど、前代未聞なのだ。


「いらねぇなぁ。親方に貰ったこれだけで十分さ。じゃあ親方、ライン、みんな行ってくるわ。ちょっとしたら帰ってくるからよぉ」


 自信が満ち溢れているかのようにそう言うユウトとを見て、親方はそれ以上は何も言わなかった。

 ユウトは意気揚々と歩き始めた。



 薄汚い、薄暗い店に垂れているのれんを、白い服の男が潜り抜けて来た。腰に剣を差しているから、騎士なのだろうか。


「いらっしゃい。緑の髪……。あんた、マセーヌ様だな。どうしてこんなところに」


 店の薄い光に照らされて、その騎士の顔がよく見えた。ルリアム国の姫殿下専属の騎士マセーヌに他ならなかった。

 マセーヌは王専属、王妃専属、その他選りすぐりの騎士の誰よりも頭が切れる騎士だ。実力では他の騎士に劣るかもしれないが、策略では群を抜いている。


 今回もまた、策略のためにマセーヌはブリアの元を訪れていた。


「様付けなどやめていただきたいですね、ブリア様。あなたほどの方が」


「あなたほどって言われてもなあ。もうそういうのからは足を洗った身でなあ」


 ブリアは困ったように髭を撫でる。


「ブリア・コーネス様。あなたはあの薄汚い平民……いや、ユウト様と関わりが深いと存じますが」


「それは間違いねぇな。あいつのことは小さい頃からよぉーくしってる」


「ユウト様のことでここに足を運ばせていただきました」


「ユウトのこと?」


 ブリアは眉をひそめた。一体マセーヌは何を考えているのだろうか。

 ユウトがこの騎士と騒動を起こしたことは、ブリアも知っていた。それだけでなく、倒れたユウトを家まで運んだのはブリアだった。


「あなたがイフン様から聞いたことは、少し問題がありましてね。ブリア様が変な気を起こさないように、ユウト様をこちらで預からせていただくことにしました」


 にやりと笑いながらマセーヌは言った。

 ブリアは呆れたように吐息を吐いた。


「そういうのからは足を洗った、そう言っただろう」


「信用しきれませんよ、そんなことは。いまユウト様は一人で王宮に向かっています。くれぐれも手出しはしないように。私も後ろからユウト様を見守る予定ですので」


 具体的には言っていないが、これはマセーヌからの牽制に違いない。そして、ユウトの命が危ない。

 ブリアがマセーヌに対しての不満を爆発させ、反乱軍を起こさないか懸念しているのは、本人から見てもすぐにわかった。


「そうか。特に何もするつもりはないなあ」


「話がわかる人で安心しました」


 ブリアの言葉を聞き、マセーヌは満足そうな顔で店を出て行った。

 ブリアはため息を小さく吐いた。

 ユウトが魔物に殺されることはなくなったので、一安心だ。なぜなら、王宮に行く途中にユウトが死んでしまえば、恨みによって、マセーヌが一番恐れている反乱軍が出現しかねないからだ。自分の行動で反乱軍を巻き起こしてしまえば、騎士としての立場は奪われるに違いない。


 しかし、問題は解決していない。ユウトを返してしまうと、それこそやり返すという形で反乱の旗を翻されてしまう可能性があるので、マセーヌは長期間ユウトを人質にするだろう。

 ブリアが生きている間は、反乱軍が起きる可能性が高い。ということはブリアを暗殺しようと試みている可能性が高い。さらに、それが遂行された後、障害となりうるユウトのことも消し去ろうとするはずだ。


「尻尾を掴むのが最優先かもなぁ」


 ブリアは一人そう呟いた。

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