第5話 天と地の差

 目的がわからなくなっていたユウトは勢いだけで、ルチアに妄想とも言えそうな心中をぶちまけ、マセーヌに噛みつき、気づけば一国のエリート騎士と対峙する形になっていた。これではバカな庶民が理不尽な貴族に喧嘩を売っているだけにしか見えない。


——この際なんでもいい。ルチアを助けたいってのもあるけど、いまはただこのクソ騎士がムカつく。


 いまのユウトは、目の前の卑劣な騎士への怒りが募っていた。

 ユウトの頭の中では、マセーヌを倒して情報屋イフンの仇をとった後、ルチアを助ける、という漠然とした計画が練られつつあった。


 ユウトの目の前に立ちはだかる騎士マセーヌもまた、怒りに満ちているようだ。彼は考えもなしに噛み付いてくるような人種が一番嫌いなのだ。まさにユウトのことである。


「まさかそのスコップで騎士団から選ばれたこの私とやりあおうって気ですか。とち狂ってますね、薄汚い庶民」


「しらねえのか。実戦でスコップはかなり強力な武器になるらしいぜ」


 戯言を。とマセーヌは呆れたように言う。


「姫さんがあんたはずる賢いって言ってたぜ。あんたのこと何とかして解雇したいような口振りだったけど」


「な」


 ルチアが目を丸くしていた。まさかここで自分の話を出されるとは思っていなかったのだろう。

 ルチアは、皇族であること自体に不満を抱いているし、マセーヌのことをなんとかしたいのも事実であった。しかし、そのようなことをユウトには明確に言っていない。当たり前だ。出会ってすぐの庶民に自分の事情を話すほどルチアはバカではない。ただ、ユウトの純粋な真剣さに心が少し傾きそうになったのは事実である。実際、マセーヌと自分の関係性について少しユウトに話してしまったのだから。


「それは本当ですか、ルチア様」


 マセーヌは突き刺すような瞳をルチアに向けた。


「虚言です、マセーヌ。こんな薄汚い庶民に向かって自分のことを話すものですか」


 必死とも見えるような様子でルチアは言った。そんなルチアをユウトはちらりと見たが、すぐに目を下に逸らされてしまった。


 ルチア自身も、うまく立ち回るのに必死なのだろう。こんな平民に今の安定した状況をかき乱されては困ると思ったに違いない。現状マセーヌを味方したほうが不利益は被らない。もし仮に、本当にユウトがマセーヌをどうにかできそうなら、ルチアはユウトの味方をしていたはずだ。


——姫さんからしたら俺は役立たず認定かよ。まあそうだよなぁ。


「ひどいなぁ、姫さん。握手を交わしたってのに」


 ユウトは戯けたように言ってみせた。


「なんの握手ですか。ルチア様に軽々しく触れるなど、無礼極まりない」


「誓いの握手だよ」


 マセーヌは意味分からない、といった表情をしている。

 ルチアは動揺しているような顔だ。はらはらしているようにもみえる。ユウトがマセーヌにまずいことを言わないか心配しているのだろう。


「何を言っているのやら。もういいです。少しお仕置きが必要なようですね」


 マセーヌは愛想を尽かしたように言った。

 すっかり日は沈み、月の光がユウト達を照らしていた。虫の鳴き声だけが町中を包み込んでいた。土を踏む音がよく聞こえる。


「いきますよ」


 そう言うと、マセーヌは閃光のごとくユウトに第一撃を放った。手加減はしていた。もちろん慈悲の心などではない。平民相手に全力で剣を振るうなど、貴族の恥以外の何物でもないからだ。


 手加減を施した攻撃は、ユウトが反応できるぎりぎりの攻撃速度と言っところか。なんとか初発の剣撃を防ぐことができた。

 マセーヌの一撃は早く、重かった。


——これでも手加減してそうだな。まともにやりあったらまず勝てねぇ。


 この後に及んで勝つことを考えている自分に、ユウトは驚いていた。相手は国家の騎士団から選出された優秀な騎士なのにもかかわらず。


「いてぇな」


 ユウトは両手にかなりの衝撃を受けていた。手が痺れるような、痛むような感じだ。マセーヌの攻撃を防いだせいだった。


「私の一撃を防いだのが奇跡でしたね。この実力がわかってもなお、私に刃向かう気ですか?」


 マセーヌは鋭い目つきでユウトを見る。ユウトは怯まず、それに返すようにマセーヌを睨んだ。


「ああ。あんたのことが俺は嫌いだからなぁ。卑劣で狡猾で、ずる賢いあんたが」


「そうですか。あなたに嫌われた所でなんの支障もありませんが」


 姫を実質言いなりにし、理由をつけて自分の暴力を正当化する。それだけでユウトが彼を嫌う理由としては十分すぎるほどであった。


「あんた、なんで……。もういいじゃん」


 ルチアが小声で言った。

 ルチアからすれば、ここでユウトが噛みつかなければ話は面倒なことにならないし、一番平和に終わる。少しでも早くこの状況を脱したい気持ちで一杯なのだ。

 ユウトはルチアの望みと反して、闘争心を失っていないようだった。油断を感じさせないような、凛とした表情を見せている。


「騎士マセーヌ。あんたは皇族の暗殺を企んでいるらしいな」


「噂、ですか。くだらないですね。庶民が考えることなど全てがくだらない」


「くだらない、かぁ。本当にその話は噂なのかって思ってきたけどな。あんたを見てるとあながち嘘でもなさそうだなって思っちまうけど、ねぇ!!」


 ユウトはスコップの先でマセーヌの腹を突こうと全力を込めた。今のユウトが出せる最高速度の攻撃だった。

 マセーヌは涼しい顔をしながら、ユウトの一撃を剣で軽く去なした。やはり、実力の差はかなりのようだ。


「しょうもない攻撃ですね。時間の無駄です。もう終わりにしますよ。私たちは王宮に帰らなければいけないのでね」


 ユウトの身体が突然光り始めた。なにがおこったのか。予想できる答えはひとつしかない。魔法にかかった、というところだろう。

 マセーヌは剣を握りしめたままユウトの懐へ潜った。

 ユウトは距離を取ろうと試みるが、どうしてなのか身体が全く動かない。イフンにかけた声を出さないようにする魔法、それと同じ類のものをかけられてしまったのだろうか。


——くそ……!! 魔法か!!


 マセーヌは口角を上げてほくそ笑む、あの顔をしながら攻撃を繰り出した。剣の柄を、ユウトの鳩尾目掛けて。

 身動き一つ取れないユウトはマセーヌの峰打ちをもろに受け、その場に倒れた。スコップが地面に落ちた音が切なく響く。


「……前世の……運命……助け……て……や……る」


 絞り出したような声でそう言うと、ユウトの視界は閉ざされた。

 救いたいという純粋な気持ち、怒り。それらはあっけなく身分の差で押さえつけられてしまった。現実とはなんとも残酷なものなのだろうか。


 貴族と平民、エリートと凡才の差は雲泥の差だった。いや、天と地の差と言ってもいいほどだった。ユウトに戦闘での勝ち目は全くない。ユウトがこれからマセーヌをどうにかしたいと思っても、この調子では一生叶わない。ルチアの予想どうりだ。というよりは、誰もが予想できることだが。


「さて、ルチア様。戻りましょう。イフン様に口止めもしたことですし、この薄汚いガキも処理したことですしね」


「……はい」


 ルチアは地面に倒れているユウトをちらりと見た。


——こいつはなんであんなに頑張ってたんだろ。マセーヌがむかつくから? 私のため? 私のためっていうのもおかしな話。前世の運命がどうとか言ってたけど、全く意味わかんないし。


 そもそもの行動の源が、前世の運命の人を助けるためと、土木作業員の少年は言っていた。しかし、ルチアはそこから理解できなかった。妄言か、あるいは精神異常か。


——でもこいつは真剣だった。わからない。前世の運命の人だとか、マセーヌが気に食わないからとか、意味わかんない。なんでそんなことで強者に刃向かうんだろ。面倒なことになる前に、痛い目見る前に平和に終わらせるのが一番なのに。


 マセーヌは腰に手を当てながら、深くため息をついた。


「……この馬鹿なガキが歯向かってくるだけならばよかったのですが……」


 含みのあるような言い方だ。なにか都合の悪いことでもあったのだろうか。

 ルチアはマセーヌを見た。なにやら悩んでいるような顔をしている。


「どうしたのですか、マセーヌ。なにかあったのですか」


 ユウトと話していた時とは違い、品のある口調でルチアは問うた。


「口止めが遅かったのか、イフン様が少し口を滑らせてしまってましてね。しかも、その相手はよりによって……」


 アーバニア軍の意向を聞き出すために、正義の象徴でもある騎士が国民に暴力を振るったなどという話が漏洩すれば、マセーヌの評判はがた落ちだ。それを恐れているのだろう。


「よりによって、ということはあなたの行動が世に知れてしまう恐れがあるだけではないのですね」


「そうですね。いくら業務とは言え、暴力を働くのは望まぬことです。それが世に知れるのは中々辛い思いですが、その話を知ってしまったのがまさかブリア様とは」


 マセーヌはいつもの調子で心にもないことをしれっと挟み込みながら話した。

 ブリアの名前が出た途端、ルチアの表情が険しくなった。恐怖ともいえような表情だ。


「世に知れ渡るだけでは心配はそこまでいりません。なにせ私の評判が下がるだけですから。しかし、ブリア様なら十分反乱軍を立ち上げることができてしまう」


「……そうですね。ブリア・コーネスは危険です。でも、どうするのですか」


 きっと、評価が下がることもかなり恐れているのだろう、とルチアは心の中で突っ込みながら、話を続けた。実際、ブリア・コーネスの危険性についてはルチアもよくわかっている。国民を奮いたたせ、ルリアム国に反乱の旗を翻す可能性を秘める男なのだ。


「……卑怯な真似になってしまいますが、そうですね。人質をとるのが一番得策かと」


「人質?」


 ルチアはマセーヌの言っている意味がよくわからなかったので、首を傾げた。

 マセーヌは意地の悪そうなにやけ顔で言う。


「ブリア様とこのガキは繋がりがある。それはさきほどイフン様に聞いたことです。だから、反乱の予兆が少しでも見られたらこのガキを殺すんですよ」


 ルチアは唾を飲んだ。


「でも、どうやって? ブリア・コーネスと繋がりがあるならなおさら保護される可能性があるでしょう?」


 マセーヌは再び口角を上げて言った。


「保護される前に、こちらで預かるんですよ、このガキを」


 預かる。ということは都に、いや王宮に閉じ込めるということなのだろうか。ルチアは混乱していた。王宮に閉じ込めると言っても、ただの平民に足を踏み入れさせていいものなのか。


「大丈夫ですよ、私がなんとかしますから」


 ルチアが浮かない表情をしているのがわかったのか、マセーヌはそう付け足した。

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