第4話 クソ騎士

——よくもまあ拷問しておいてのこのこと現れるもんだ。


 しばしの間、男とマセーヌの見つめ合いは続いた。見つめ合うと言うよりは睨み合いといったほうが的確かもしれない。

 その間ルチアは、緊迫した面持ちで立ち尽くしていた。

 ユウトもまた、石像のようにその場に固まっていた。


 金髪の男は、一目でわかるくらい怒りという感情に包まれていた。静かに、内側から燃えるように。

 毎日のように、知りもしない情報を聞かれ理不尽な扱いを受けているのだ。怒りを露わにするのは当然だろう。


「そんなに怖い顔なさらないでくださいよ、イフン様」


 イフン。それがこの金髪の細長い男の名前のようだ。

 イフンは口を閉ざしたまま、マセーヌを凝視している。


「私も仕事と言えど、不本意なんですよ。乱暴を働くなど」


 口角を嫌らしくあげながらマセーヌは言う。その表情を見ればすぐにわかる。これは本心からの言葉ではないと。

 乱暴を働くのが不本意? デタラメもいいとこだ。ルチアが諦めて店を出た後も、ねちっこく尋問拷問を続けていたのはマセーヌの意思に違いない。ユウトは虫の居所が悪くなっていた。


「ルチア様がイフン様への質問を断念したあとも私がこの店に残った理由は、命令だったからです。ルチア様は慈悲の心が強すぎるんですよ」


「そうですか。僕に暴力を振るったのも王宮の命令……と」


 イフンは落ち着きを含みながらも、小さな怒りの炎を灯した声で言った。


「いえ、そういうわけではありませんがね。王宮の方々への誠意と、ルチア様の代わりに汚れ役になるしかなかったのですよ。不本意、それもかなりの」


 マセーヌという男はどうやら狡猾で悪賢いようだ。自分があたかも仕方なく全てを背負ったとでも言わんばかりの口振りだ。


 ルチアはきっと、このマセーヌという騎士にあまり口出しをしないのだろう。いや、できないと考えたほうが自然だ。この男のことだから、ルチアに何かしらの牽制を施していそうである。


——とんでもなく胸糞わりぃやつだな、マセーヌとかいう騎士。


「そうですか。ならば私が責めるのも御門違いという話ですね。それで、今日はどんな用件でしょうか」


 イフンは無表情のまま口だけを動かしていた。


「少しお話したくて。少し二人きりになれませんかね」


 マセーヌは意地の悪そうな長細い眼をユウトとルチアに順番に向けた。出て行け、と促しているかのように。


 マセーヌとイフンを二人きりにしてはまずい、とユウトは思った。また拷問が始まる可能性がある。ここでみすみす従うのは、ユウトの良心が許さなかった。


「マセーヌさん。あんた筆談って知ってるか?」


 考えるよりも先にユウトの口は動いていた。

 マセーヌだけでなく、ルチアとイフンも少し驚いたような表情を見せた。ユウトがいきなり口を挟むとは予想していなかったのだろう。


「なんですか、いきなり。あなたのような薄汚い庶民と話す気はないのですが」


 冷酷な目つきで、マセーヌはユウトを一瞥した。

 負けじとユウトも鋭い眼光を飛ばしていた。


——このマセーヌとかいう騎士、典型的な貴族脳だな。虫唾が走るな。貴族なんて金がなくなったらどうせ庶民と変わらねぇくせに。


「もう一度聞くけど、筆談って知ってるか? 別に俺と姫さんがこの場から消える必要はねぇと思うけど。情報屋の基本だろ。人が多い時は文字で話すって」


「なんなんですか、あなたは。文字もろくに読み書きできないようなガキが、助言ですか?」


「べつに、文字でも書き言葉じゃなきゃ理解できるけどな。んで、なんだ。そんなにイフンさんをいたぶりたいのですかねぇ」


 怒りを煽るようにユウトは言った。

 マセーヌは小さく舌打ちをした。


「べつにいたぶる気なんて、そんな物騒なもの持ち合わせていませんよ。ただ、落ち着いた空間でお話がしたいんですよ。あなたのような人にはわからないでしょうけどね」


 冷静な口調とは裏腹に、マセーヌの表情は殺意でもありそうなくらい歪んでいた。突然平民に予定を邪魔されてさぞご立腹なのだろう。


 ルチアは、依然として口を閉ざしている。面倒なことに巻き込まれるのが嫌なのだろうか。


「まあ、その言い分はわからなくねぇな騎士さんよぉ。でも、姫さんがここから出る理由はわからないんだけど。そんなに都合でも悪いのか?」


 ユウトはぎこちなくにやりと笑ってみせた。

 その様子をみてマセーヌは堪忍袋の尾が切れたのか、鬼の形相でユウトの方へ歩き出した。ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ歩みを進めて、ユウトとの距離を詰めていく。

 ルチアもイフンも口を開かず、それを見ていた。


 ユウトの目の前で足を止めると、マセーヌは腰の剣に手をかざした。そのまま鞘から刃を抜き、ユウトの挑戦的な眼を目掛けて、銀色に光る剣先を向けた。


「これ以上邪魔をするようなら、ここであなたも切り捨てますが。我々の業務を妨害する人間に制裁を下すことは、王宮より許可が降りている」


 ユウトは顔色を変えず、カウンターに立て掛けてあったスコップを握った。

 少し冷めかけたコーヒーを一気に胃に流し込むと、ユウトは足が地面につかない程度に設計された椅子から降り、向けられた剣先をスコップの先で振り払った。

 剣とスコップが触れて発生した金属音が、情報屋の中に鳴り響いた。


「危ねぇな、騎士さんよお。武器を持たない庶民に剣を向けるなんて。皇族の意思を妨害するわけにはいかないし、素直にあんたの言葉に従うよ」


 そういいながらユウトは情報屋のドアをくぐった。

 マセーヌはユウトの背中を眺めながら、なんだか煮え切らないような表情を浮かべている。だが、すぐにイフンに向き直った。

 ルチアが外からドアを閉めた。これでイフンとマセーヌは二人きりだ。


「二人きりにしたくなかったんだけどなあ。剣を向けられちゃ仕方ねぇよな」


 ユウトは外の冷たい空気を肌に受けながら、残念そうな声色で呟いた。

 隣にいたルチアがユウトのことをちらりと見た。


「あなた、なんなの? 物騒なことになりそうだったんだけど。やめてくんない?」


 前回ユウトが少し会話した時とは打って変わった口調で、ルチアが言った。堂々たる目つきで、ユウトの両眼を睨みつけている。


——貴族ってのはもれなく目つきが悪いものなのか。人のこと言えないけど。ていうか、ルチアって子の口調変わりすぎだろ。


「だって、明らかにあの騎士やべぇだろ。ていうか、あんたそんな喋り方だったか? 前回話した時はもっとお淑やかな雰囲気だったと思うんだけど」


 ルチアは面倒臭そうな顔で吐息を吐いた。


「あんたには関係ないでしょ。口調? あんなの周りに人がいたからに決まってるでしょ。一国の姫がまともな言葉遣いじゃなきゃ、評判悪いでしょ」


「体裁を気にして、か。俺に対してはいいのかよ」


「べつに。あんたみたいなのに批判されたところで何もないでしょうし」


 ふてくされたような態度でルチアは吐き捨てた。

 どうやら夜になって、通行人が殆どいなくなった街ではこのお姫様は口調を気にしないらしい。


「ひでえ扱いだなそりゃ。この前は土木作業員の俺に慈悲の心を向けてくれたってのになぁ」


「あれも体裁を気にしてにきまってるけど。ていうか、目の前でいきなり泣き出すとかきもすぎるんだけど」


 今にも吹き出しそうな顔でルチアは言う。

 前回とのあまりのギャップにユウトは驚きを通り越して、感心すら覚えていた。


「あんたに見覚えがあってな。本能がルチア姫を助けるように言ってんだよ。だからこの情報屋で待ってたんだ」


 ルチアは、はぁ? と心底迷惑そうな声をあげた。どこの馬の骨かもわからない土木作業員に付きまとわれているのだから、当然の反応ではあるが。


「前世の記憶があるんだ、俺。前世で俺たちは運命を共にしていた。だから、この世界でも俺はあんたを助けたいんだ」


「え、まじで気持ち悪いんだけど、なんなの? 新手の変態か何か?」


 真剣な顔で不可解なことを語るユウトに、ルチアは飛び切り蔑んだ視線を送った。

 いきなり前世の記憶だとか運命だとか言われても、恐怖を感じるのが普通だ。それも異性に。


「何時間話しても理解してくれなさそうだな。まあ、生まれてこのかたその話がきちんと理解されたことなんてねぇけどな。とりあえず、マセーヌとかいう奴は危険だ」


「マセーヌが危険? 何を知ってそんなこと言ってんの。確かにずる賢いところはあるけど、危害なんてないんだけど」


 マセーヌが危険、というユウトの発言には根拠があるわけではないので、否定されてしまえばそれまでだった。ルチアの家柄的に、騎士など自分に危害が加わらなければいいものなのだろうか。


「そのずる賢さが問題だと思うんだけどな。あんたあの騎士に弱みとか握られてそうだし、そのうち実害ありそうだけど」


 ルチアは少しの間口ごもった。ユウトがほとんど当てずっぽうで言ったことが当たっていたのだろうか。

——なんだ、この姫さん。本当にあの騎士に弱みでも握られてんのか。


「弱みというよりは、マセーヌに従わないと父さまや母さまに迷惑をかけてしまうって、いつも言いくるめられてるだけ。別に皇族としての仕事になんの興味もないから、それでいいけど」


 達観したように、諦めたかのようにルチアは言った。

 姫としての地位に興味がないどころか、窮屈さを感じているようにもとれる話し方だ。諦め半分だが、現状に満足はしていないようだった。


「ふーん。もしやあんた皇族であること自体、嫌なのか? とりあえず親に迷惑掛けないこと以外なんもなさそうな口振りだけど」


 ユウトの質問にルチアは言葉を返さなかった。それが答え、ということでいいのだろう。


 姫として生まれて、その立場に不満を抱いているなんていう話はありがちだ。しかし、目の前にその状況の人間がいると、なんとかしてあげたくなるのが人情だ。それも、ユウトからすれば前世の運命の人なのだから。


「あんたのその不満もどうにかしてやりてえけど、とりあえずマセーヌをどうにかしたほうがいいぜ。巷では皇族の暗殺を目論んでるとか言ってたしな」


「あんたみたいな薄汚い雑魚庶民に、どうにかしてやりたいとか言われる筋合いない。それに、マセーヌをどうにかしろなんて無理な話だもん」


 やはりルチアはまた、悟ったような、達観したような口調で言った。

 ちょっとやそっとのことじゃ、自分の立場や騎士がどうにかならないことを知っているのだ。目の前の庶民が勇敢な発言をしたところで、戯言にしか聞こえないのだろう。


「そうかよ。マセーヌとかいう奴はあんたの家族から信頼を買ってるってとこか。狡猾なやり方で。気に食わねえ野郎だな」


「まあ、あんたが想像してることは大体あってるけど、首突っ込まないことだね。マセーヌは強いし、策士だから。私も従ってれば何も起きないし」


「いや、わりいけど俺は運命の人を見捨てるほど腐ってねえぜ」


「頼んでもないし、運命の人でもないんだけど。いい加減気持ち悪い、あんた」


 顔を引きつらせてルチアはユウトから一歩離れた。

 ここまで聞いてしまったからには、ユウトはルチアを助けないわけにいかなくなっていた。助けるといっても、実害があるわけでもないし、予想に確信があるわけでもない、ただの直感だ。下手すればユウト自身が悪者扱いされる可能性もある。


「とりあえず、俺の名前はユウト。よろしく、ルチア」


 ユウトは手を差し伸べた。

 ルチアはユウトの強引さに少し怯んでいるようだ。軽蔑と恐怖を含んだ表情をしている。

 ほんの少しでも心が傾いたのか、少しの間を置いた後、ルチアはユウトの手を握った。


「なにをしているんですか、庶民のガキ。ルチア様に何か吹き込んだか?」


 マセーヌが憤怒した様子で言った。

 ドアが開いていたのにユウトもルチアも気づいていなかった。握手をする前からそこに立っていたのだろうか。


「……人聞き悪いなあ、騎士さん。ていうか姫を脅して言いなりにするなんて趣味が悪くないか?」


「なんの話だ、ガキ。なにを知ったか知らないが私の邪魔はさせない」


 マセーヌの怒りのボルテージがだんだんと上がってきていた。それと共にユウトの闘争心も高まってきていた。


——……つーか店の中。イフンさんにまた暴力振るったのかこのクソ騎士は。


 マセーヌがドアの前に立っている、その隙間から店の中が垣間見えた。先ほどよりも傷を負ったイフンがぐったりと壁にもたれかかっていた。


「あんた、やりすぎじゃないかねぇ。そろそろ俺の怒りが臨界点なんだけど」


 ユウトのマセーヌに対する怒りは沸騰しそうになっていた。貴族という立場や力を利用し、人を出汁に使い、自分のやりたいように行動するその男を、ユウトは許せなかった。


「いちいち噛み付いてこないでくれますかね、クソガキが。一度痛い目を見ないとわかりませんかね」


 マセーヌはぎらりと両眼を光らせ、剣を抜いた。小綺麗に研がれた美しい刀身だ。一方でユウトはスコップを両手で握りしめ、さも剣を構えるかのような体勢をとった。


 

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