第3話 コーヒーはいかが

 あてなど、何もない。後先のことは何も考えず走り出していたが、我に帰るようにユウトは立ち止まった。ずっと走り続けていたので、完全に息が上がっていた。


 いま追い求めているのは貴族、しかも上等な貴族だ。そんな彼らがどこにいるかなんて、この街にいる庶民に聞いたところで仕方がない。それに、無闇に歩き回っても見つからないだろう。では、都に赴いて、王宮に属している人間に直接聞くか。否、そんなやり方は現実的ではない。都が隣にあるから、距離的な話では突飛なものではないが、きっとたどり着いたところで門前払いだ。


——いきなり躓いたな。どーしたもんか。


 ユウトは街の大通りのど真ん中に佇み、持っていたスコップで地面をコンコンと何度も叩いた。思考を巡らせているときの癖だ。


「ルチアがどこにいるかなんてわかるわけねぇえええ」


 つい毎度の調子で、声に出していた。いつも心地の良くない目線を向けられているのにもかかわらず、独り言を言ってしまう。

 通行人にも聞こえるような声で自国の姫の名前を出したので、人々の視線はいつもに増して痛く感じた。


——ああ、ちょっと居た堪れないなこれ。


 ユウトはスコップをコンコンと、地面に叩きつけ続ける。しかし、何もいい案は浮かんでこない。


 夕日が街を包んでいて、世界全体が橙に染まっているみたいだ。飛竜と呼ばれる空を飛ぶ爬虫類が、寝床に帰っていくのが見える。夕方が終わる合図だ。

 早くなんとかしないと、ルチアに会えないまま夜を迎えてしまう。夜になってしまえば皇族とあろう者達は、外をほっつき歩いたりしないだろう。


「あ」


 ユウトは間抜けな声とともにスコップを打ち付ける手を止めた。


——昨日被害にあったのは情報屋の奴なんだから、そいつに聞けばいいじゃん。


 自分のことながら、何故こんなことに気づかなかったのだろうと思った。しかも、相手は情報屋だ。そのくらいの情報は備えているはずだ。

 元来た道にユウトは踵を返した。

 荷を引く商人竜や馬を尻目に、できるだけ早く足を動かした。

 さっき干物屋から出た時からここまで、全力疾走とも言える速さで走ってきたので、ユウトには駆け足で戻るほどの体力は残っていなかった。いくら土木作業員と言えど、三十分近く全力で有酸素運動をしたのだ。スタミナ切れだ。

 

 しばらく歩き続けると、しだいにあたりは紫色を含み始めていた。夜が近い。

 今の配分で歩みを進めていたら、情報屋に辿り着くまでには日が沈みきってしまう。もう一度走らなければならなそうだ。

 ユウトは再び駆け出した。目的地に一秒でも早く到着するために。


——たく、なんでこんなことやってんだよ俺。家帰ってこの前親方に貰った酒飲む予定だったじゃねぇか。


 ついこの間十六歳を迎え、飲酒及び酒の購入を許されたユウト。誕生日当日に親方の元へ呼び出され、不意打ちの祝福を受けた。その際に贈り物としてもらった酒が、未開封のまま家の隅に置き去りにしてあるのだ。


 果実酒と言っていたような気がするが、どんな酒なのかはよくわかっていなかった。しかし、飲酒が合法となってからまだ一度も酒を口にしていなかったので、ユウトは待ち遠しかった。大人達が飲んでいるものを少しばかり飲ませてもらったことはあったが。


「見えてきた!」


 懲りずにまた声に出してしまう。いつもなら視線が飛んでくるところだが、もうあたりは薄暗くなり始めていて、通行人もほとんどいなくなっていたため、特に目立ちもしていないようだった。まばらに街を歩く人々は、帰宅の途中だろう。


 あたりの建物は明かりを灯し始めていて、星のように光が点々と輝いている。空気も昼間と一変して心地よい冷たさになっていた。

 秋の夜風を肌で感じ、額から顎まで零れ落ちる汗とともに、ユウトは干物屋の隣、情報屋までたどり着いた。

 喉が渇ききっていて、口の中は鉄のような味がする。心臓と肺はいまにも限界を迎えそうなほど全力で仕事をしている。

 情報屋の前で少しの間、ユウトは息を整えた。立ち止まったと同時に全身から吹き出てくる汗を、頭に巻いてあったタオルで拭う。


「よし、行くか」


 ユウトはタオルを頭に巻き直すと、情報屋の小綺麗な看板を見上げ、真下にあるドアに手を引っ掛けた。

 ドアは油でも塗っているかのようにスムーズに開き、中の様子があらわになった。

 飲食店のようにテーブルがいくつも配置されていて、カウンター席もある。まるで酒場とでも言ったらいいのだろうか。広さは一人で経営するには少し広いか、といった具合だ。


 店内の照明は明るく、干物屋とは大違いである。建物の至る所にある窓が開放されているおかげか温度もちょうどいい。


「いらっしゃい」


 耳や首にジャラジャラとアクセサリーを付けていて全体的に長細い若い男が、ユウトを迎え入れた。

 視覚の情報を頼りに推測するならば、この金髪の若者が拷問を受けた張本人なのだろう。顔に痣がいくつもあるし、腕に包帯を巻いている。


「あの、すみません。あんたがマセーヌにやられたって言う人ですか?」


 カウンター席にどっしりと腰を下ろし、ユウトは単刀直入に問うた。

 カウンターの向かい側で食器などを洗っているその男は、少し驚いたような顔をしていた。

 男はユウトの方へ顔を向けた。


「なんでそれを。鍵閉めてたし、ブリアさんにしか話してないのに」


「ブリアさんとは長い付き合いだ。そんくらい聞いてるさ」


 そっか。と無表情で言うと、男はさらに言葉を紡いだ。


「昨日の話だよね。ルチア様とマセーヌ様に、アーバニア国軍の意向を聞かれたんだ。本当に知らなかったから、そう言ったんだけどね。かなり手荒に扱われたよ」


 アーバニア国。ルリアムの隣国のことだ。軍の意向ということは、この国に不利益なことが生じそうなのだろうか。


 皇族が直接情報屋に顔を出し、隣国の軍についての情報を収集するということは、少し物騒な話になってきそうだ。しかし疑問なのは、何故この人物にそれを聞いたのか、ということである。情報屋なら他にもあるし、ここよりも大きな店だって都にある。なぜわざわざ隣の街まで足を運んだのだろうか。


「アーバニア国軍の意向なんて、都でいくらでも集められんだろ。なんでわざわざあんたに聞きに来たんですかね。皇族さん達は」


 男は口詰まり、視線を下に落とした。この話はあまりしたくないのだろうか。


「あーごめん、話したくない話もありますよね」


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 男は何個も付けているピアスを弄りながら、半開きのような細い目をユウトに向ける。

 

「僕、アーバニア人なんだ。だからだと思う。五年前からルリアムに住んでるけど」


 苦笑を浮かべながら男が言った。

 あまり言いたくなかったことなのだろうが、ユウトにはアーバニア人だからどうとかいう感情はなかった。いや、むしろそういうことを気にしている人間の方が少ないのではないだろうか。このルリアム国にはそんなのはいくらでもいる。


「ルリアムには他国の奴なんて腐るほどいるだろ、もともとこの周辺は昔一つの国だったわけだし」


 今から五〇年ほど前までは、ルリアムはこの辺り一帯を制した帝国であったが、独立戦争が巻き起こり、崩壊した。それからは周辺の国々の移民などは当たり前にあったし、交流も盛んになっていた。平和の訪れと言ってもいいくらいだ。


「まあ、そうなんだけどね。……もともとアーバニアの軍人だったのが原因なんだ」


「そーなのか。どーりで絡まれるわけだ。アーバニア人がやってる情報屋なんてそこらにあるだろうけど、元軍人となればそういないもんな」


 他国の元軍人が経営している情報屋なら、その国の内部の話が手に入ってもおかしくない。だからマセーヌ達はここを訪れたのだろう。


「でも、とっくにアーバニアの人達との繋がりはなくなってるんだ。最初の方は手紙のやり取りとかしてたんだけど、もうさっぱり」


 見た目と反して、低くて深みのある落ち着いた声で男は言った。

 

「そうか。とんだ災難だったんだな。ところで、なんだけどアーバニアとルリアム、今仲悪いんですか?」


 男の口振りだと、アーバニアとルリアムはかなり臨戦状態に近いものに聞こえる。そんな話はユウトの耳に入っていなかったので、気になった。


「んー、そうかもしれないね。アーバニアが密かに侵略計画を立ててるっていう話はちらほら噂程度に聞くけどね。でも、あまり信ぴょう性のある話でもないから、情報としては不完全だね」


「そうなのか。侵略計画、か。物騒な話になってきてんだな。そんな予兆見えなかったのに」


「いや、予兆はあったよ。ここ数年、ルリアムはアーバニアに対する交流を色んな方面から徐々に減らしてる。きっと、アーバニアが国力をつけてきたから牽制しているんだろうね」


「そーなのか」


 ユウトは流石情報屋だ、と思った。

 国際問題から料理の作り方まで扱っていると謳うだけある。情報屋を除けば、アーバニアとルリアムの関係を詳しく知っている人など、皇族か軍人くらいなものだろう。


「その情報もかなりタメになるだけど、俺が今すごく知りてえのは、ルチアの居場所なんだ。なんか知ってたりします?」


 男は少し怪訝な表情を見せた。首を捻り、ユウトを見つめた。

 

「ルチア様の居場所? なぜ君はそんなことを?」


「ちょっと野暮用があってさ。知ってればでいいんですけど」


「野暮用ね。いつもなら王宮に帰っているところだろうけど、最近夕方から夜にかけてこの店に来ることが多いよ」


 夕方から夜にかけて、ということは丁度今の時間帯のことだ。ルチア達がこの情報屋を訪れたのは、ユウトが見た日だけではなかったということなのだろうか。


「ていうと、毎日のように最近あんたのところに姫さん達はきてるってことか。拷問を受けたのは昨日が初めてで?」


 男は黙って首肯し、洗い終わった後のコップを食器棚に戻しながら、言った。


「コーヒーは、いかが」


「とびっきりうまいやつで」


 情報屋の飲食物は、基本的にそこらの物より値が張る。それは情報量を含めている、とのことだ。勘定の時も、気持ち多めに支払うのが暗黙の了解である。サービス料とでも言ったほうがいいのだろうか。

 情報に応じて、店主が商品をお勧めしてくる。今回ユウトの場合はコーヒーだったので、今の情報にそこまでの価値はないと見える。


「どうぞ」


 男は湯気が出ているコーヒーカップを、ユウトの目の前に置いた。香ばしい香りだ。情報屋だから食べ物や飲み物は期待していなかったが、意外と質は悪くなさそうだ、とユウトは思った。


「ありがとよ」


「でもあんまりあの人達に関わらないほうがいいかもね。特にマセーヌ様には」


「わかってるんだけどなぁ。どうしても、ね」


「そう」


 男は微笑してる、とも取れるような真顔で言った。


「今日はまだルチア達来てないのか」


「そうだね。来るかどうかはわからないけど、来るとしたらもうそろそろかな」


 ここにしばらくいれば、出向かずともルチアに会うことが出来る。あわよくばマセーヌの本性も露見できるかもしれない。


——でもルチアに会って、どうすんだ。マセーヌはやばいから近くに置いておかない方がいい、とでも言うのか。そんなこといってもあしらわれて終わりだ。なんの根拠もないんだし。


 今になって、ユウトは自分の目的を見失っていた。ルチアに会ったところで、何も変わらない、変えられないことに気づき始めてしまった。そもそも、ルチアが危険な状況に置かれている、ということすら怪しい。実はそんなことないというオチかもしれない。


 どーしたものかと考えはじめた直後、ドアが開いた。


「いらっしゃいませ」


 金髪の男が入り口を睨むようにして歓迎の言葉を放った。

 ユウトは首を回してドアの向こう側を見た。


「今日もあなたに聞きたいことがありましてねぇ」


 緑色の少し長い髪を手で弄りながら、不敵な笑みを浮かべている男がそこにはいた。隣にはルリアム国の姫もいるようだった。

 願ってはいたが、タイミングが悪いところで鉢合わせてしまった、とユウトは思った。

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