第6話 番外編 歌と水と猛スピードの街

***「雪響」の番外編です。***


 『歌と水の街』は、大陸の端にある、一大芸能都市である。

 石造りの街中を水路が縦横に走るこの都市の最大の売り物が、宮殿のような歌劇堂で催される少女歌劇だった。

 歌劇堂には女子寮があり、十代から二十代の少女が二百人近く押し込められている。

 ある春の日、十五歳にして歌劇団のトップシンガであるジュシュ・ミグナッハの個室に、同期の少女が飛び込んで来た。

「大変よー、ジュシュ!」

「エンリ、あなたの大変は週にいくつあるの」

 嘆息混じりに、苦笑はするが。

 この歳で個室を与えられているエリートの自分に気兼ねしない友人は、本音では有難かった。

 しかし、

「寮の子達が皆、猛スピードになっちゃったの!」

 この時ははっきりと、面倒くさそうだ、とジュシュは思った。


 街の北方に、古い洞窟がある。

 かつて、黒魔術の使い手として追いやられた人々がそこへ住み着いていた。

 彼らの魔術の正体は医学的な薬術だったことが今では判明しているのだが、そのレシピの一つに 、超速薬というものがある。

 神経を刺激して興奮状態を作り、個人の時間感覚を極端に加速させる。代謝機能や筋肉組織にも働きかけ、それこそ超人的な速度での活動を可能にするのだが――


 寮の廊下。

「がふっ!」

「大丈夫、ジュシュ!」

「今ぶつかって来たの、誰?」

「オルノ、かな。多分だけぎっ!」

「……今のは、ミランダみたいね。速過ぎてよく見えないけはごっ!」

「誰かが超速薬を作って、食堂のお茶に入れげふっ! 飲んでないのは、個室のある人達くらびはっ!」

 廊下は加速状態の寮生達が何人もパニックを起こし、ねずみ花火の大饗宴のごとき様相を呈している。

「エンリは飲まなかったの?」

「食堂のお茶なんて怖くて飲めないよー、歌い子は競争社会だもの。例えばコンテストの朝、喉が半日しびれる程度の麻酔薬を飲ませて大恥かかせる、とかねー」

 こともなげに言うエンリにぞっとして、ちょっとこの子を見る目を変えた 方が良いかな……とジュシュが思った時、

「この棟で、残るはあんた達だけよっ!」

 これも同期のルネが、仁王立ちで高らかに告げて来た。

 人に撥ねられないように壁に張り付いているのが、間抜けだったが。

「ルネ、あなたの仕業? なぜ!」

「知れたことっ! 皆が猛スピードになれば、バラードを歌える人間が誰もいなくなるわ。私以外はね! ようこそ主役! あんた達はせいぜい早口ラップで無理のある韻でも踏んでなさいYO!」

 ジュシュは、もしかしたら自分は同期に恵まれていないのではないかと、頭痛の中で思った。

「ジュシュどうしよう、ルネはあほだよ。先月の歌唱テストでピアノ担当の子にまで負けて爆笑されてたのに強気だよー」

「……ハートの強さは、あの子が トップなのにね」

 ジュシュは、以前薬学の授業で聞いたことがあった。確か神経系の魔術薬は大抵、一度強制的に意識を断絶させることで落ち着く。

 ならば――

「エンリ、何か皆の興味を引く話をして、動きを止めさせて」

「分かったー。皆聞いて!」

 エンリは廊下の中央に陣取ると、両手を胸に当て、祈るような格好で叫んだ。

「皆はイカ焼きと言えば、小麦粉の生地を円盤状にしてキャベツとイカの切り身を乗せて鉄板で焼いて甘辛いソースを塗ったもののことだと思っているかもしれないね。でも、東方では夜店で売っているイカの姿焼きのことをイカ焼きとがふうっ!」

 吹っ飛ばされたエンリに、思わずジュシュが

「下手か! 」

と突っ込む。

 しかし何人かの少女が、何事かと動きを止めていた。

 ジュシュは一人を捕まえ、耳元で、

「ぅわ!」

と叫んだ。

 轟音に脳を叩かれ、少女が昏倒する。

「ジュシュ、さすがトップシンガの声量だねー」

「一撃とは、我ながら感心するわ。神話の雷神みたいな気分」

「うーん、どっちかって言うと殺虫剤とゴ」

「何?」

「ううん何でもない全然全く」

 目を逸らすエンリを追求するのは諦め、ジュシュは次々と、寮生達を手早く昏倒させて行く。

 かくして。

 歌劇場が高速ラッパーで埋め尽くされる危機は、回避されたらしかった。


 翌朝、またもエンリがジュシュの部屋に飛び込んで来た。

「ねーねー大変! またルネが!」

 ジュシュは嘆息し、

「……今度こそ、痛い目見ないと分かんないのかしら」

「でも今回のはねー、美人薬、だって」

 少女達は見つめ合って、しばし黙る。

 三十秒ほど経ってから、ぽつりとジュシュが呟いた。

「温かく見守りましょう。失われかけた技術の再現には意義があり、若者の挑戦心の弾圧は文化の活力を奪うわ」

「だよねー」

 二人はうんうんと頷き合い、

「エンリ、私、久しぶりに食堂でお茶飲もうかしら」

「じゃあ、二人でいこっかー」


 その後、食堂の茶の減りはやたらと早くなったのだが。

 歌劇団がやたらと美人揃いになったかどうかは、定かではない。


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