第5話 リヴァイアサンの指先で ――ザジ・ウィンストンの方便
『歌と水の街』は、大陸最大の芸能都市である。
立身と凋落が頻繁に氾濫する街の治安は、年々悪化していた。
街を統治する貴族院運営の歌劇団は私兵を構え、やがて公務を兼任する形で街を取り締まった。
が、既に腐敗した街の兵士の質は悪い。
彼らの市井での横暴への反発が、いつしか、革命兵と呼ばれる貴族院転覆を狙う反体制集団を生んだ。
■
街の中を縦横に走る水路の中には、地下を巡りながら、いつしか枯れたものも多い。
その中の一部を、革命兵のある分隊が拠点としていた。
蝋燭の明かりの中、椅子代わりのバケツに座った少年が分隊長へ、
「ティテラが、貴族院と内通してるってんですか」
と言って睨んだ。
「密告があった。去年彼女を選考 したのはお前だな、ザジ」
「見所がありました」
「歌劇団兵に冤罪で殺された弟の恨みがある、という話だったな。弟の死体を見たか」
「埋葬後でしたよ」
「確認する。共同墓地だな、ティテラも立ち合わせろ」
ザジは不満気な顔を隠さない。
「ザジ。貴族院が、辺境の孤児を間諜に雇ったとも聞く。未成年が一番怪しいんだ」
「じゃあ、俺も疑っていいですよ。まあ、辺境者は主食から肉で、俺らは小麦。他にも火葬と土葬、多婚と単婚、こう文化が違えば少し位怪しくて当前だ。スパイにはうってつけですね」
「リスクに備えるだけだ。では、今夜」
革命兵加入の動機として最も通り易いのは、歌劇団兵に肉親を奪われた恨みだった。
一年前、十六歳にして分隊の信任厚いザジが 、考査の為に夜の路地裏でティテラと会った時、十五歳の少女は極端に憔悴していた。
髪も肌も荒れ放題だが、眼光は鋭い。
「弟の仇を討たせて」
歌劇団兵に鉄杖で頭を割られて死んだという弟の話を聞きながら、その凛とした声をザジはつい、綺麗だな、と思った。
「俺達は組織だ。個人の激情に捉われずに理性的に行動する人間だと、君を信じていいか」
「いえ。信じるって、思考を諦めることだわ。私を信じたりしないで」
ノーと答えながらも、少女の目には確かな正気がある。
ザジは、それを見込んだ。
同時に、その激しい正気に惹かれていた。
深夜の墓地に、分隊長、ザジ、ティテラが忍び込んだ。
土葬にされた彼女の弟の遺体を、ザジが掘り出す。骨だけになった骸は、 頭蓋骨の半球部分が、半分近く欠損していた。
「頭、割れてます」
「そうか」
憮然としたティテラにそれだけ言って、分隊長は墓地を出て行った。
ザジとティテラは、遺体を元に戻した後、脇のベンチに並んで座った。
今では随分気心も知れている。ザジは普段と同じ調子で話し出した。
「悪かったな」
「いいわよ、今更」
「貴族院は、何と言って君を雇った?」
不意打ちに、ティテラが強張る。
ザジが続けた。
「鉄杖じゃあんな砕け方はしない。あれは、脳が沸騰して内から弾けた跡だ。焼死か、火葬。明るければ焼いた形跡が分かるだろうが、昼間に墓暴きなんてことはないと踏んだんだろ」
ティテラが目を伏せ、指を組む。震えを止めようとして。
「……そうよ。弟の遺体 は火葬にしたの。私は、辺境者だから。黙っててごめん。でも、だからって内通を疑……」
「弟が死んだのは街の外ってことだな。なら歌劇団兵も無関係だ。なぜ死因で嘘をついた。革命兵に入る強力な動機を作る為、以外の答はあるか」
二人の唇が閉じ、数瞬、墓地から物音が消える。
やがて、少女の口から声が漏れだした。
いつもの気丈さからは程遠い、酷くか細い声。
「弟が流行り病で死んだ時、院の使者が来たの。言うことを聞けば、お前はいい声をしているから、いずれ歌劇団に入れてやるって」
「先行きの希望で、買収か」
「そう、私は貴族院の内通者よ。華やかな餌に釣られて、死んだ弟をいいように使ったの。汚いね。でもこの街は、……つっぱねるには眩し過ぎた。辺境者の、 私には」
声にすすり泣きが混じる。
「私って、こんな奴よ」
星を見て、ザジが言った。
「歌劇団には入れない」
「分かってたわ、あんな口約束。それでも……」
「違う。あと数年も、この街は続かない」
涙目のティテラが、怪訝な顔をした。
「自治は終わりだ」
少女の目が見開かれ、
「あなた、何者なの。何を知ってるの」
「まだ言えない。君は院の間諜として働きながら、院の情報を俺にくれ」
「私を分隊長に、引き渡さないの」
「あの日、君を信じるなと言ったろう。君が望む君になれなくて、苦しんでるからだってことくらいは分かるさ。そんな女を、怖い人達には渡せないよ」
また、暫く無言。
やがてティテラが、微笑みを浮かべて、
「私も分かるわ。色々言って、つまりザジってお人よしなのね」
「相手によるよ」
ザジの呟きは、いつしか鳴き出した虫の音に紛れた。
「え、何?」
「ほっとけ、と言ったんだよ。行くぞ」
「もう? ね、何か、飲んで帰ろうよ」
終
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