早乙女カンナ

 翌朝、一通のメールがとどいた。早乙女カンナは定禅寺イリヤの一戸建ての自宅のダイニングキッチンで、それを確認した。


『これから、定禅寺イリヤへ、奉仕しろ。方法は問わない。定禅寺イリヤは。魔王の血を受け継ぐ天才である。最終的には、定禅寺イリヤの子を孕め。』


 カンナは、メール文の内容に絶句し、すぐに画面を消した。そのメールは『夕闇の鐘』という、とある闇組織からのものだった。カンナは、そこに所属していた。おもな任務は、悪人退治。一般警官たちでは対処できない悪人たちを対処するために作られた、日本魔法捜査本部という組織も存在するが、カンナの所属する『夕闇の鐘』もまた、それとおなじようなことをしていた。表では取りあつかわれないような事件を、カンナのような傭兵が金を貰って叩くのだ。

(こ、子を産めってなによ、子を産めって……!!)

 しかし、今回のその任務にはまったく納得いかない。定禅寺イリヤはたしかに優れた才能を持っているだろう。あいつのようなテレポーターなんてカンナはいままで見たことも聞いたこともなかったくらいである。しかしだからといって突然、そいつとの子を孕めなんて言われてもこまるしかない。

 それに、イリヤという男子は何者かわからないのだ。あの夏の夜の仙台駅の屋上駐車場でのことをカンナは思い出す。カンナはそこで彼と約束した。イリヤは、そのことをすっかりしまっているようだけれども。

「おはよう、カンナちゃん」

 とびらをひらいて、ナギコが入ってきた。あくびを吹かしながら、冷蔵庫をひらく。ビンの牛乳を一気飲みする。

 ナギコはイリヤの母親だ。見た目は美人だが、内面はけっこう大雑把そう。まあ、でも、カンナとしてはそんなナギコのような女性のほうが話しやすい。彼女のほうも、カンナのことを昨晩、すでに歓迎してくれている。

 そう、カンナは昨日の夜からこの家で暮らすことになったのだった。すべてはナギコのおかげで。

 気絶したイリヤをここまで運んでくると、ナギコがおどろいた顔で出迎えた。それも無理はない。息子が、意識をうしなって帰ってきたのだから。

 カンナが適当にうそをついて事情を説明すると、ナギコはすんなり納得してくれた(イリヤが学校の帰りの河川敷で大量のザリガニと遭遇し気絶したとカンナは説明した)。

 そうしてカンナは定禅寺家に同居することとなった。定禅寺家には母親と息子のふたりしか暮らしていないので、部屋もあまっているとのことだった。

 その夜、ふたりで深夜となるまで長話をした。カンナが両親との行き違いを話すと、ナギコは「うちで暮らせばいいじゃない」と言ってくれた。そのときカンナはすごくうれしかった。こんな人が母親だったらどんなに良いことだろうな、と思った。

「おはよー、ナギコ」

「イリヤちゃんはまだ、寝てるのお?」

「さあ、どうかしら」

「カンナちゃんは、イリヤちゃんのこと好き?」

「へ……?」

 カンナは目を見開いておどろいた。

「な、なによ、いきなり……」

「だって、そうでしょう?」ナギコは目を細め、胡散臭い探偵のように言った。「痩せているとはいっても、それなりに体重のあるあのイリヤをたったひとりでここまで運んできたんだから。なにかあるな、とはうたがうものじゃん……?」

「ま、まあ、そうね……」

 カンナは、あやうく魔法使いであることをしゃべってしまいそうだった。

 この世界の魔法使いの魔力は、その個人のイメージ力で強さが決まる。強さ、といってもそれは戦闘力の強さ以外にもさまざまな種類が存在する。人類が奇跡と呼ぶもののなかには、魔法が存在したりもしている。霊感のない人間には、魔法は見えない。そのうえ、魔法を使える霊能力者は霊能力者のなかでもごくかぎられた存在となる。カンナが一瞬、しゃべりそうになったときに感じたストレスの影響で、長い赤髪が魔力で逆立った。ナギコがそれをちらっと見た。

「じゃあ、わたし。仕事だから、行くわね。イリヤちゃんのことよろしくう~」

 ナギコはかばんを肩にかけ、ダイニングキッチンを出ていった。朝の六時だというのに、もう仕事へ出ていくのか。ナギコはたいへんなのね、とカンナは感心した。

「いってらっしゃい」

 カンナはナギコを見送った。

「まさか」

 そこではっとした。

 まさか、

 見えていた……?


 二階のイリヤの部屋に向かった。

 とびらをひらき、ベッドのうえで眠るイリヤを見下ろす。イリヤは気持ち良さそうに眠っている。カンナは恥ずかしくなり、顔が熱くなった。すべて、あのメールのせい。

 それからふたたび、あの夜のことを思い出した。

「あんたが言ったのよ。だから、あたしはここにいるの……」

 少年が目覚めようとしていた。少女は、素知らぬ顔で部屋をあとにした。

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