デート
彼女の自宅はマンションだった。彼女はそこでひとり暮らしをしている様子だった。彼女とふたりでマンションのエンテランスへとやってきたときだった。いかにも怪しい黒のワゴン車が三台、路肩で停車するのが見えた。十中八九、彼女もそれに気がついているはずだった。だが、彼女はエンテランスへと入っていった。
エレベーターは、一階で止まっていた。ふたりで、その箱に乗りこんだ。上昇をはじめた箱のなかで、イリヤは彼女に話しかけた。
「機動隊たちが、やってきたみたいだね……」
「気づいていたわよ」
「逃げるのに手をかすことはできないけど、自首するのに手をかすことはできるよ」
「自首? しないわよ、そんなこと」
「相手は、機動隊だよ……」
「わたしは、あなたを人質に取っているわ」
「ぼくに、そんな価値があるとは……」
「あるわよ、その価値が」
そのとき突然、エレベーターの箱が急停止して照明が落ちた。箱がおおきく揺れ、イリヤは足元をすくわれた。サラサと距離を開き、床に倒れる。
箱のなかは、真っ暗となった。サラサの位置が視認できない。だが、そのサラサに向かって懸命に声をかけて腕を伸ばしたりすることもない。
ふと、暗闇のなかで糸状の生物のようなものを見つけた。シャルナの周波数魔法かもしれない。いままで目に見えないものだと思っていたが、じつは明るい場所では目を凝らしても決して見ることのできないものだったということかもしれない。
だが、シャルナからなにかのメッセージがあったりはしなかった。シャルナはただ、イリヤのいま置かれている状況を逐一、把握しようとしているように思えるだけである。まあ、それでもすこしは安心感を憶えるが。
(足音か)
たんたんたん、と複数の足音がせまってくるのが耳に伝わってきた。機動隊員たちが、廊下を走っているのだろう。足音は、ドアの手前でとまって聞こえなくなった。
それから、しばらくのあいだ音が聞こえなかった。向こう側で、いったいなにをしているのだろう。見えないと、なにもわからない。
「イリヤくんを殺せば、永遠にわたしだけのものになるわね」
サラサが、暗闇のなかで言った。ぼわっと暗闇のなかで、なにかが浮かびあがった。それは人を模した真っ赤な蒸気のようなものだった。箱内の温度も、上昇していく。はじめは、ほんのりとほおを触れるていどのあたたかさだった。だが、やがてその温度が、イリヤの額に汗をかかせるまでに上昇する。
「サラサ、もしもあなたがぼくを殺すつもりなら、ぼくはこの場を離れる。しかし、あなたがもしも自首する気持ちとなるのなら、ぼくはほんのすこしだけあなたを助けたい、と思うはずだよ。だから、その頭でしっかり考えてほしい。まだ、覚醒はしていないんだから……」
「うえから、ものを言うのね……」
「ぼくとあなたの立場を、あなただって理解しているはず」
「まるで、追い詰められるわたしの立場をあなたはずっと以前から理解していて、わたしが自首するかどうかをあなたが最後まで待っていてくれていたかのように感じるわ……」
「その通りだよ、サラサ」
はっきりと言い放ったイリヤの言葉を聞き、サラサはだまりこんだ。
「あなたがコーヘイを殺害した時点で、あなたはすでに詰んでいたんだ。はっきり言えば、ぼくには関係ない話だけど。そもそも、ぼくにとってたいせつなものというものが、いったいなんなのかさえほんとうはわからないことなのだけれど。それでも、サラサがぼくらを傷つけるというのなら、ぼくはそれを全力でおさえこむ。ぼくは、本気なんだ。突然、おとずれた事件だけど。ぼくは、すべてを受け入れた。これは、トワイライトなんだよ……」
ふと、イリヤは彼女の腕らしき部分を掴んで魔力を放った。
ドアが、こじ開けられるおおきな音が響いた。
だが、イリヤの視界にまばゆいひかりは差しこまない。
足音と、銃器をあつかうかちゃかちゃという音だけが、下部から耳に入ってくるのだ。
そう、イリヤはテレポートしていたのだ。
エレベーターの、その箱の上部部分へと。
「なぜ……」
「ぼくは、だれにも言えない秘密をかかえてしまったんだ」
「秘密……?」
「ぼくはもう、以前までの自分とは変わってしまったんだ。過去を取りもどすために努力していたけれど、じつはそんな過去のことなんてほんとうはどうでも良かったことだったんだ。ぼくは、ぼくの思ったことを、実行していくべきだったんだ。だから、ぼくは自分の守りたいものを守っていく。優柔不断な性格は、ぼくの精神には付き物だから、きってもきりはなせないものだけれど。それとも、うまく付き合っていこうと思った」
「なら、わたしのことも守ってくれるの……?」
「それは、ちがうよ、サラサ」
「どう、ちがうの……」
「ぼくは、サラサを守れない。だけど、サラサもぼくもふつうの人間ではないから、ふつうの罪の償いかたはできないんだ。それ以上は、ぼくにはなにも言えないよ」
「……あなたに、会えて、良かったわ」
「すべて、エゴだよ」
箱内から、「うえだ!」というさけび声が聞こえてきた。話し声はひそめていたし、物音も立てたつもりはなかったが、どうやらバレてしまったらしい。
イリヤは、サラサとともに、廊下へテレポートした。機動隊員たちが、エレベーター付近にあつまっているのが視界に入った。吹き抜けから、ひかりが差しこんだ。昼間の太陽が、イリヤの目をほそめさせる。
機動隊員たちが、いっせいに背後を振りかえった。うまく視界のなかで捉えきれないその男たちを、イリヤはなんとか捉えようとする。
機動隊員たちはみな、銃器を装備し、身軽なボディアーマーのようなものを着こんでいる。銃器はおそらく、カービンだ。
「ふたり?」
「少年の情報はないです!」
「……ええい、少女を撃て!」
四十代ほどの男の声がそう命令し、全員にアサルトライフルを構えさせた。
男たちのなかに、奈良崎大地の姿がなかった。
いっしょに来ているだろうと思っていたが、しかしそうではなかったようだ。
「バレないように、サラサが自首するまで、サラサを守り続けることを、ぼくは決めた」
イリヤは、意識を集中した。機動隊員たちが一斉に放ちはじめた銃弾を【センス・オブ・ユニティ】で視認し、その第一魔法で捉えた空間内の弾丸をすべてを消し飛ばしていく。空間内における物体の視認ゆえ、その弾丸がいくら高速で飛び出してこようともイリヤは消去することができる。しかし、弾丸が撃ち出されるまえのマガジン内でのその一発一発の弾丸へのイメージがかんぜんに一致していなくてはならない。頭のなかでの銃という物体へのイメージと、複数の銃器へのイメージと、合計五人の機動隊員たちへのイメージと、その銃から撃ち出される弾丸を消し飛ばすという最後のイメージを、すべて同時に思考しなくては成り立たない。
だが、そのほんの数秒後、一発の弾丸がイリヤのほおをかすめた。弾丸は、廊下の後方へと飛んでいった。その一発を皮切りに、二発、三発と弾丸が消えなくなっていく。
しかし、
「どうなってるんだ……!?」
「わ、わかりません……!!」
一〇秒が経過したあたりで、機動隊員たちはようやくあわてだした。九割九分、消滅していくその弾丸を目の当たりにし、混乱しはじめたのだ。そこでは、イリヤと機動隊たちとの意識による時間差が如実に生まれていた。
「まだ坊やだわ、イリヤくん……」
消滅していく弾丸の方向へと、サラサがゆっくりと歩みはじめる。
「サラサ!?」
「イリヤくん、球切れよ。良くやったわ」
機動隊員たちは怯えながらも、そのカービン銃をおろすと、
「し、CQBへ移れ……!!」
と、言い放つ。
CQBとはおそらく、クロース・クォーター・バトル。近接戦闘の略称だろう。マンションの廊下のような限定的な閉所では、歩兵主体の戦闘をおこなうのだ。
CQBは二十五メートル以内で使う言葉だ。三メートル以内に入るとCQBはCQCへと名前を変える。
だが、その三メートル以内に機動隊員たちを立ち入らせるわけにはいかなかった。
おそらく、サラサは機動隊員たち全員を抹殺するつもりだ。
そんなこと、させるわけにはいかない……!
機動隊員たちが、駆け出した。各々、ナイフや、小銃を抜く。
サラサが、魔力を全開に放出する。周囲は真っ赤となり、熱風が発せられ、イリヤはその猛烈な熱さのせいで目を開けていられなくなる。
「サラサ、だめだよ……!!」
「ごめんなさい」
サラサが、消えた。ふっと風のようにいなくなり、気づくと機動隊員たちとの距離三メートル以内へと入りこんでいる。
サラサが、ひとりの機動隊員の男の腹部を、強烈なパンチでつらぬこうとする。そのことは、イリヤは細めた視界のなかですぐに理解した。だから、イリヤは後先考えず、それを即効で止めに入る。
テレポートで、サラサと男のあいだに、入りこむ。イリヤは、男の胸部を突き出した。振りぬかれたサラサのこぶしが、いまにもみずからの腹部を吹き飛ばそうとしていた。サラサはコンマ数秒後、おどろいた表情を浮かべたが、時すでに遅し。イリヤは、サラサの一撃をもろに腹部へ受ける。だが、サラサは直前で魔力を解除していた。イリヤを殺すことはしなかったのだ。イリヤは吹き飛んだが、腹部はただの打撃を受けただけで済んだ。背後の男と衝突する。しかし、さすが機動隊員だ。イリヤは、男に見事に受け止められた。
一瞬後、サラサと目があう。瞬間の出来事のなかで、イリヤは彼女の心情を掴み取る。かんぺきに掴み取ることはできなかったが、まるで彼女はどこか悲しげな気持ちを抱いているような気がした。
その直後、ひとりの機動隊員が、サラサを襲いかかった。
サラサと、男の間合いは、すでに三メートルを切っている。
男の滑らかな近接戦闘が、サラサの右太ももを蹴りこむ。
「くっ」
サラサは、体勢を崩す。そうなるとさすがのサラサもすぐには反撃できない。サラサは防御をするための魔力の使いかたを知らないのだ。蹴りこまれれば、か弱い少女のように床へ倒れこむ。
そのときだ。
いつの間にか、式部草紙がやってきていた。彼は、機動隊員たちのなかへ混ぎれこんで、そこに立っていた。
その男は、銃を放った。
いままで、日本魔法捜査本部の奈良崎大地たちのチームメンバーの魔法はほとんど見てきたつもりだったが、しかしただひとりのまだ見ぬ魔法が存在していた。それが、式部草紙の魔法だった。彼は、魔法の小銃を作り出していた。
「始末しろ、って命令だろうが」
式部草紙は、舌打ちするように吐き捨てた。
イリヤのなかで、時間がスローとなった。
サラサが、ゆっくりと倒れていく。
額を、一発の弾丸が撃ち抜いていた。
逆光のなか、黒い液体が曲線を描いて噴き出した。
サラサが、床へ倒れこんだ。
イリヤは、さけんだ。
「なにやってるんだあああああああああああああああ!!」
式部草紙が、イリヤをなぐった。
イリヤは、床へ倒れた。
くちびるが切れたらしく、熱くなった。赤い血が、床をしたたる。
「無能どもめ、てめえらもだぞ。銃声で、ニュースになるだろうが……!!」
「す、すみません……」
「ああ、いいよ、もう。奈良崎隊長は、あまいんだよなあ、ほんと。それは、コーヘイにも言えることだが……。おれたちの戦っている相手は、すでに人間じゃねえヤツらなんだぜ……」
式部草紙は、まるでやり切れないといった表情でそうつぶやいた。
イリヤのコートのなかのワイシャツの胸倉を、彼はつかんでくる。
「ついてこい。これは連行だ。てめえは自由にやりすぎた、イリヤ。おれたちに、自由なんてねえんだよ。これは、戦争だと思え。ついてこねえなら、無理やり連れていく。拒否する権利は、ねえぞ。てめえは、やらなくちゃいけねえんだからな」
イリヤは、式部草紙になかば強引に引きずられて連行された。サラサは即死だっただろう。もう助からない。皮肉にも、コーヘイとおなじ結末を迎えたわけである。だが、イリヤがサラサに同情することはできないだろう。サラサは、殺人鬼だったのだから――。
「情でも、移ったか?」
マンションのエンテランスを出た。明るい太陽の下で、一台の車が停まっている。イリヤは、それに押しこめられた。
「いいえ……」
おなじ後部座席に乗りこんできた眼鏡の式部草紙にイリヤはそう答えた。
「周囲が、あまかったんだ。すまない。だが、以前はそうだったはずだぞ、イリヤ。おまえは、おそらくおれたちとおなじ立場の人間だったはずだ。もっと、冷酷になれ。人のなかには、死なないとどうにもならないヤツがいる。まあ、もっとも、この世界では死んでもどうにもならないヤツのほうがおおいがな」
「彼女の、霊体は確認しましたか……?」
イリヤのその不安を、彼はけっして取り除こうとせずにこう、答えた。
「安心しろ、四十九日は監視するだろう」
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