妹?
たしかに少女は自分とよく似た顔をしていた。しかしだからといってすぐにその人物がじつのいもうとかどうか判断することはできない。あの写真をながめたときの感覚はいま、ない。あのときのそれはただのかんちがいだったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。いまはもう、イリヤにはどっちかわからない。
シャルナにも、彼女がいもうとかどうか判断する魔法はない。もしかすると佐々木サラサならば、血を舐めることでたしかめられるかもしれないが。とうぜん、彼女を呼び寄せることはできない。
「おにいちゃん、どうしたの……?」
黒髪に黒い瞳の少女は、ソファに腰かけたまま、いぶかしむような視線を向けてくる。
少女はおどろく、と思った。
だが、突然、部屋へ入ってきた自分たちのことを、少女はおどろくことはなかった。
それは、まるでテレポート魔法を知っているかのように。
「警戒してる」
シャルナが、少女の心情を探るように言った。イリヤはそれも含んで、こう言った。
「ぼくの過去をおしえてほしいんだ」
と。
「過去……?」
「だから、そのためにはまず、きみがぼくの兄妹かどうかたしかめるひつようがある」
少女は、だまりこんだ。イリヤにはその少女の気持ちがわかっていた。少女はおそらく自分が記憶をうしなっていることを知らない。だから考える時間がひつようだったのだ、とイリヤはかんがえた。
「ぼくは、記憶がないんだ……」
と、イリヤは告白した。
すると、
「記憶が……?」
少女は、おどろいた顔をつくった。
だが、まだ、少女の警戒は解かれない。そのうえ、少女は逆に警戒力を強めたかのようだった。まるで修羅場でもくぐりぬけてきたかのようなに強い殺意の魔力までその両目へ宿して、
「あたしの名前は?」
と凄んで聞いてくる。
「わからない」
だが、イリヤは怯まなかった。淡々と、その質問に答える。
「あたしの第一魔法は?」
「わからない」
「ママの名前は?」
「ナギコ」
「え、ほんとに記憶、うしなってるの……?」
と、そこで、少女はようやく警戒を解いたかのように顔をおどろかせた。
「なにもわからない。きみのことは今日、はじめて知った……」
「マジ?」
「ほんとうだよ」
「で、あたしに過去のことをたずねにやってきたってこと?」
「そうだね」
「どうして?」
「殺人鬼が、ぼくらを襲おうとしている。それには、もっと強いちからがひつようなんだ……」
「過去を取りもどせば、ちからがもどってくると思ったの?」
「それ以外に、ぼくにはかんがえがなかった……」
「さっきのテレポート魔法を見るかぎり、かなり雑な使いかただった」
そうなのか。
自分ではけっこううまくやっていると思っていた。
だけどそうじゃなかったんだ。
意外だった。
「まあ、そこは良いとして」
少女は言った。
「その人は、だれ?」
少女の顔はとても険しいものだった。だが、それは明るい意味で。
「彼女は、ぼくの仲間」
なんだろうなその顔は、と思いながらイリヤはそう答えた。
「仲間!?」
少女はひどくおどろいた。
意味がわからなかった。
どうしておどろいたのだろう。
ほんとうにわからない。
「おにいちゃんに、仲間!?」
「うん、そうだけど……」
「ママはなんて言ってるの!?」
「かあさんは、いないよ。帰ってこないんだ」
「あ、いつもの……」
いつもいなかったのか。
あの人は。
「ナギコは」
シャルナが言った。
そうだ、とイリヤはそこで思い出した。かあさんは夕闇の鐘と関わっていたんだ。だからシャルナはかあさんの話をしはじめたんだ。だけどそれは自分の知らない世界での話なんだろうな。なんだかすこし悲しい気持ちだな。
その後、シャルナは少女――定禅寺ライラに、特務機関の話をしはじめた。
すると、定禅寺ライラは「なら、しかたないかあ……」と、なかばあきらめた様子でソファを立ちあがって「ついてくよ」と答えた。
そうして、イリヤはいもうとであるかもしれない定禅寺ライラと、シャルナとともに、日本の仙台へと帰還することとなったのだった。
ちなみに、ライラが乗っていた車イスは暁で開発していたらしい高機能車イスとやらで、ライラ自身は足が悪いわけではなかったようだった。まあ、ライラは日ごろから身を隠すための工夫はしていたようだが。
日本へ帰るまえに、ライラから暁の話をいろいろと聞かされた。そのたびに、イリヤはイライラしてしかたなかった。ほんとうに犯罪組織についての話は聞きたくなかったのである。
だが、ライラの世代では犯罪にたいしてまったく手を染めていたわけではなかったらしい。そこは、母にとめられていたとかなんとか、とライラは話していた。真実はイリヤにはわからないことだが。
テレポートで、日本の仙台にある自宅前へと帰ってきたときだった。ライラが兄にたいして質問しづらそうにこう聞いてきた。
「これから、あたしはおにいちゃんと仲良くできるの……?」
「仲良くしてくれると、ぼくはうれしいな……」
イリヤは、初対面の他人に仲良くしてほしい、と口にした気分になって、すごく恥ずかしかった。だけど、ライラという少女と仲良くなるために努力しようとかんがえていた。すべてはこの事件をおわらせるためにだ。
「ほんとうに!?」
ライラは、明るい表情で聞いた。
「うん……」
イリヤは、照れながら笑顔をつくった。だけど、ほんとうに笑顔をつくれていたかどうか自信はなかった。
「うれしい。あたし、すごくうれしいよ、おにいちゃん!」
ライラは、目になみだを浮かべながら上下に身体を揺らしてうれしさを表現した。
「これから、よろしくね。えっと……」
「ライラ、で良いよ、おにいちゃん!」
「うん、わかった、ライラ。ありがとう。よろしくね」
「うん!」
そのときだった。
突然、
自宅の玄関扉が開かれた。
アカネが飛び出してきた。
アカネは焦った表情で言った。
ちいさな彼女は泣いていた。
「カンナがいなくなっちゃった……!!」
泣き止まないアカネから、なんとか事情を聞き出した。
カンナは、イリヤたちが帰ってこないことを怒って、ひとりでミラージュの始末に向かっていってしまったらしい。
イリヤは、三日前にカンナがいなくなったことを知り、いますぐでもそのカンナを探しに向かいたかった。しかし、そうもいかなかった。
「ぼくらが、ライラを探し当てるのに時間をかけちゃったせいか……」
「ニューヨークだと思ってた」
シャルナは、カンナがいなくなったことを悔やんでいたようだった。そういったことを悔やむような少女ではないと思っていただけに、イリヤはすこしほっとした。
「大事な人なの?」
ライラは飄々とした口調で聞いた。
「大事な人だよ。ずっとぼくらといっしょだったんだ。おなじ目的を持っていて、ずっといっしょに悪人を裁こうとしていた」
「そっか。じゃあなんとかして会わないと、だね」
「うん……」
「電話かけてみたら?」
ライラにそう言われ、イリヤは電話をかけた。電話はつながったものの、カンナがそれに出ることはなかった。
「出ない……」
「三日前だっけ?」
「そう」
「良くわからないんだけど、三日前からこの街はこんな調子なの?」
「そう……」
アカネは、ミラージュの幻覚世界に不安を憶えていたらしい。イリヤはまだ、この街が幻覚につつまれているという自覚がなかった。そもそも、どうして自分たちはこの住宅街へテレポートしてこられたのだろうか。どこかで、ミラージュの意識が、この幻覚世界とつながっていて、イリヤたちのことをどこかから察知し、そしてイリヤたちを幻覚世界に招き入れたということだろうか。
「なにが、したいのかな。こんなことして」
「ぼくらを、閉じこめようとしているに決まっているだろう?」
「あたしたち、というか、おにいちゃんがいないことに気がついたときに解除したりすることをかんがえなかったのかな? あるいは、ほかになにか理由があって幻覚を張ったままにしていた、とかんがえるべき、か……。まあ、でも、あの人は精神的におかしかったから、なにをかんがえているのかなんてあたしには到底、わかりっこないんだけど」
道の向こうから、一台の車が走ってきた。自宅の前で、停車する。車のドアが開いて、スーツを着た木田佳乃が現れた。
どうやら、木田佳乃は、イリヤたちが帰ってきていることを知らずに自宅までやってきたらしかった。木田佳乃の目的は、どうやらカンナに会うためだったらしいのだが、そのカンナはここにはいない。
「そうですか……。じつは奈良崎隊長も行方不明なんですよ」
「奈良崎さんも?」
「ええ。まったく連絡が取られない状況でして……」
「なにがあったんだろう」
「わかりません。もしもふたりがともにいて、ミラージュの兵士たちと戦っているような状況ならば、わたしの猫たちがかんたんに探知するはずなのですが……」
「奈良崎大地は無事」
シャルナが言った。
「どういうことですか?」
「あとで説明する」
シャルナはそう言って、向こうの道のなにかを見つめはじめた。イリヤたちは、はっと背後を振りかえった。道の向こうがわから、佐々木サラサがゆっくりと歩いてくる。
「佐々木サラサ……」
木田佳乃は、警戒心を強めた。同僚を殺害した人物がだれなのかすでにわかっていたようだ。当たり前だ。彼女は日本魔法捜査本部の人間なのだから。
佐々木サラサは、自分たちの前で立ち止まった。彼女は、普通にしていれば、イリヤが出会ってきた少女たちのなかでも飛び切りの美人である。だが、彼女はいつも殺人願望をかかえている。そんな危険人物と、友達になったりできるはずもない。いっしょにすら、いたくない。それは社会的に、論理的に。
「早乙女さんは、人質にされたようよ」
サラサがそう、言った。
イリヤは、ことばをうしなった。
「なにやら、イリヤくんを始末するためのひとつの手段みたいだけど。わたしは、良くわからないわ。ごめんなさい、手をかしてあげられなくて……」
サラサは、まるで味方かのようにそう言った。
だが、
「逮捕します」
木田佳乃は、あくまでも警官としての仕事をまっとうする。
小銃を抜き出し、サラサへ突きつける。
サラサは、にこりと笑みを浮かべ、
「人は、アリを踏みつけて、生きているでしょう?」
と、言った。
「わたしと、彼の関係は。いわば、それだったのよ。わかるかしら」
「わたしのなかでのあなたの立場は、地獄から這い出てきた小悪魔にひとしいです。つまり、あなたはわたしによって裁かれるべき人間です」
「言うわね」
サラサはおかしそうに笑った。
「殺害命令が、くだっています。ここであなたを殺害することもできる。しかし、あなたを撃つことはしないでおきましょう。これは、あなたへの最後の慈悲だと受け取ってもらいたい」
「ふふふ。わたしをそんな銃ひとつで殺そうというの?」
「さすがのあなたも、銃弾は避けられないでしょう?」
「そうかもしれないわね。だけど、そうではないかもしれないわよ?」
「そのときは、そのときです。それに、すでに機動隊が出動しているはずです。この幻覚世界のなかに、すでに入りこんでいる。佐々木サラサ、あなたはいま、追われている状況なのよ」
「機動隊? それは強いの」
「武装しているわ」
「また、拳銃?」
「おそらく、より殺傷能力の高い武器を所持している」
「なーんだ」
サラサはつまらなそうに肩をおとし、
「そうなると、いまだけなのね。わたしがイリヤくんとデートできるのは……」
そのサラサのことばが、不安に思ったことから出てきたことばなのか、そうではないことばなのか。そのときのイリヤにはまったく区別がつかなかった。
「手錠をかけてもいいわ」
サラサが木田佳乃へ両腕を差し出した。
「なんですって……?」
木田佳乃は怪訝な表情で睨みかえした。
「手錠よ、手錠。それをかけてもいいから、わたしにイリヤくんとデートするだけの時間をちょうだい。そうしてくれない場合は、この場でイリヤくん以外の人間をみんな、殺すわ」
イリヤは、警戒した。木田佳乃とアカネのふたりも警戒していた。だが、シャルナとライラはなんのこともない、といった余裕の様子で突っ立っているだけだった。
とくに、ライラのほうは、死を間近に感じている様子すらもなく、逆にまるでサラサという人間を詮索しようとしているのである。そのライラの様子には、凄みすら憶えたほどだ。
「わたしたちのいのちは大事」
シャルナが、意味深なことをイリヤに言ってくる。イリヤはどうすればいいのかわからなかったため、そのことばでなんだか救われたような気がした。
「わかった……」
イリヤはサラサの方向へ歩き出した。
「イリヤくん!?」
木田佳乃はおどろいた。
「だいじょうぶです……」
イリヤは、いちど立ち止まり、木田佳乃へ振りかえって彼女を安心させるようにそうことばをかけた。
「サラサは、悪い人間じゃないんです。殺人鬼なので、矛盾していますけど……。ただ、うそをつくような人間じゃない。ぼくが行けば、みんな助かる」
「しかし……!」
「銃をおろしてください」
と言ったのは、イリヤだ。
「ぼくは、みんなを守るために、行くんです……!」
すこし不安そうな表情で、サラサはそう言った。
「サラサがどう思っているのかはわからないけど、もしもみんなを傷つけるようなことをすれば、そのときはぼくがあなたをゆるさない……」
サラサは、目を見開いておどろいた。それから大人のようにほほえんで、
「ごめんなさい、ありがとう、イリヤくん……」
そう、言った。
イリヤは、複雑な気持ちだった。
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