佐々木サラサ

 彼女が話しかけてきたので、イリヤは彼女を連れて教室を出た。

 教室内でいじめを受けているイリヤは、彼女との対話が教室内でおこなわれるかもしれないことを警戒した。

 そのため、彼女と急いで教室を出てひと気のない廊下へと駆けてきた。

 彼女は、佐々木サラサという名前の三学年の女子生徒だった。近頃、学校内では行方不明者が続出していた。それらの生徒たちは全員、彼女が殺した。それは彼女と話したことで、すぐに明らかとなった。

「復讐したの、わたしをいじめてきた生徒たちに。綺麗で頭が良いからという理由だけで、彼女たちはわたしに暴力をふるったわ。だから、復讐したの。べつに、わるいとは思っていないわ。弱肉強食なのよ、これは」

 イリヤは委縮してしまい、言いたいことが言えなかった。それはまさにカンナのいうウジウジしたイリヤそのものだった。カンナとシャルナとはうまく話せるが、同年代のほかの人たちとは初対面ではうまく話せない。

「緊張しているの、わたしが恐ろしいことを口にしてしまったから?」

「それはちがいます……」

 だれかが人を殺したところで、イリヤは緊張なんてしないだろう。時と場合によるが。

「だったら、どうして? まさか、わたしがタイプじゃない?」

 タイプ?

「あなたもおなじ魔法使いなのでしょう?」

「だれから、それを」

 イリヤはそこでスイッチが入った。

 集中して話さなければならない部分だ、と判断したからだ。

 そういった部分では、ウジウジなイリヤもちゃんと集中することができた。

「あのミラージュという男よ。わたしには関係ない男だけれど」

「ミラージュ……?」

 イリヤはあえて相手のかんがえていることをさぐるように怪訝な対応をした。

「ええ、そうよ。あなたに復讐しようとしているようね。ざんねんだけど、わたしには興味のない話よ」

「先輩は、ぼくを殺そうとしているんじゃないんですか……?」

 それを聞くには、あるていどの勇気がひつようだった。もしかすると彼女の逆鱗に触れてしまう可能性もある。だが、イリヤは重要なことだから、聞くことができた。この日常を守るためなら、イリヤは死ぬ気となれた。

「ちがうわよ」

 と彼女はさらっとそう言った。

「ちがう……?」

 イリヤはおどろいた。

「あなたの血が、ほしいだけなの。くれないかしら、その血をすこし……」

 サラサはイリヤにたいしてとても恋しそうな目を向けてくる。

「すこし、ですか……?」

 イリヤは、怪訝に思った。すこし? すべて、ではなくて?

「血で、どうなるんですか」

 そう聞くと、

「わたしの第一魔法が、血による強化なの。わたしは、その血のにおいを嗅いだことで、イリヤくんのことを知ったのよ。べつにあなたのことを殺そうとか、いっさい思っていないんだから」

 と、彼女はいたって優しい口調で語ってくれた。

「ただ、その血に興味があるだけなの」

「そう、ですか……」

 イリヤはまったく拍子抜けしてしまった。

 自分は殺されるのかもしれない、とばかり思っていたのに。

 ミラージュの手先だとばかり、思っていたのに。

 それは、自分のまったくな見当はずれだったのだ。

 それに、血をすこしならば、べつにあげてもいいかもしれないとも思った。

 だって、「すこし」なのだから。

 そのとき、

 突然、

 サラサが抱きついてきた。

「……かわいいわね、イリヤくん。彼女はいるのかしら。あ、そういえばカンナさんといつもいっしょにいるわよね」

 カンナといっしょにいることを知っているらしい。

「は、離してください……!」

 イリヤはサラサを突き飛ばした。

「ふふふ」

 サラサはそれをひらりとかわすと、廊下でくるくる踊った。綺麗で長い黒髪が照明を反射しながら揺れる。

「セックスは、まだなのね?」

「ぼくらは、友達ですよ」

「怖い、顔」サラサがほほえんだ表情で見つめてくる。イリヤは睨みかえしてしまう。

「でも、好きよ、そういう部分。ああ、興奮するわ、強い血を見ると……。イリヤくんを、わたしの虜にすれば、いつでもその血がわけてもらえるのね」

 血を吸うことで、魔力をパワーアップさせることができるのだろう。そんな感じに受けて取れた。だが、そのパワーアップには制限はあるのだろうか。もしも、それに制限魔力や制限時間などが設けられていないのだとしたら、とんでもない才能の少女ということとなる。つまり警戒しなくてはならなくなる。いま、イリヤはすでに彼女にたいして恐怖を抱いているのだ。感覚だけだが、彼女は自分よりも明らかに魔力だけは強いのだ。

 当然、佐々木サラサの魔力がいま、どれだけ強まっているのかなんてことは見た目では判断できない。だからこそ、迂闊には動けない。

 もしも、佐々木サラサが殺人を犯しているのだとしたら、この佐々木サラサを日本魔法捜査本部の人たちへ、報告しなければならなかった。

 だが、それには本当に慎重にならなくてはならないだろうと思う。下手な真似をすれば、自分は始末されるだろうし、まわりの人たちだって無傷ではいられないかもしれない。逃げ道を探し、電話をかけなければならない。

 テレポートすれば、すぐだ。でも、そのタイミングがつかめない。彼女が、キスしてくる。くちびるに。

「セックスしてもいいわよ?」

「ぼくは、監視されています」

「ケーサツに?」

「そうです」

「べつに気にしないわよ、どうせいつか捕まるわ」

 イリヤはそれ以上、警察関連のことは口にしないようにした。

 電話が鳴った。

「出れば?」

「佐々木先輩」

「サラサって呼んで」

「サラサ、もしもぼくと友達になりたいなら、ぼくの日常を壊さないって約束してほしいです……」

「日常?」

 イリヤはズボンのポケットからスマートフォンを取り出してちらっと確認した。『コーヘイ』からのメールだった。それを開くと、『おれも今日の練習に連れてってくれえ!! 校門先で、待つ!!』という迫力のある内容が記されていた。

(校門か)

 イリヤは学校の校門に意識を集中し――テレポートした。


「おお、いきなり登場かよ!?」

 コーヘイはイリヤのテレポートにおどろいた。

「ごめんなさい、ちょっとべつの場所で話したいことが……」

 焦るイリヤを見て、コーヘイは表情を引き締めた。

「わかった」

 イリヤは、コーヘイとともに走りはじめた。


 市民体育館に隣接したT公園の、二階部分にある閑散としたトレーニング広場までやってきた。

 空は、夕焼けに染まっていた。

 秋のおわりごろとなれば、夕焼けに染まるのも早い。

 風は冷たく、ほおを刺した。

 緊張のせいで、身体が重く硬い。

「どうした?」

「佐々木サラサという三学年の先輩が、殺人を犯している可能性があります」

「なるほどな。で、証拠は?」

「彼女は魔法使いです」

 コーヘイは肩をおとし、

「じゅうぶんな証拠だな、そりゃあ」

「ぼくは真面目に――」

 イリヤが必死にうったえようとすると、

「わかってるわかってる」

 とコーヘイは手で制してくる。

 イリヤはなんとも言えなくなる。

 心配だった。

 ちゃんと捜査してもらえるだろうか。

 日本魔法捜査本部のメンバーはみんなフレンドリーだけど、だからといって一般人の懸念を気にかけてくれるとも思えない。

「木田さんなら、調べてくれると思うぜ」

「ほんとうですか!?」

 イリヤはうれしかった。

「ああ、たぶんな。時間あるだろうし。あのハロウィンの騒動がおさまった、ってのがおおきい。おれたちの役目はあくまでも現場の犯人確保だからな。そのほかの仕事は、ほかのやつらの仕事だ」

「なるほど!」

「いわば、おれたちは特攻隊みたいなもんなんだよ」

 特攻隊と言いつつ、調べようとしてくれるコーヘイはやさしい人だった。その感情はおそらく、イリヤだからゆえにあらわしてくれたものだろう。イリヤはコーヘイに感謝しなくてはならなかった。自分の勘違いかもしれない事案を、調べてくれようとしてくれているのだから。

「第一魔法は?」

「生き血を吸うことによる強化、と言ってました」

「吸血鬼かよ。だけど、強化するんだから上位互換か……」

 コーヘイはあごに手をあててかんがえこんだ。

 イリヤはすっかり安心していた。

 これであの佐々木サラサという先輩が、危険人物かどうか調べることができる。

 彼女が、危険人物かどうかという点は、とても重要な点だ。

 彼女は、おそらくカンナよりも強い。

 もちろん自分よりも。

 それはカンナには直接、話せない内容だった。

 カンナに話せば、カンナはきっとサラサに注意しに向かっていってしまうにちがいない。

 イリヤは、カンナに死んでほしくなかった。

 いつもいっしょにいる人だからこそ、そういった情が湧いていた。

 不思議だった。

 いままで母にしか抱いたことのなかったその感情を、家族以外の人に向けることになるなんて思わなかった。

 過去には、どうだったのだろう。

 過去には、そういった感情は抱いていたのだろうか。

 母から言われた言葉を、思い出す。


 ともだち、できたよ。

 ほんとうの、ともだち。

 うしないたくない、人。

 そう、母に伝えたい。

 たのしんでいなかった日々を、母は見抜いていたように思う。

 いまは、たのしいよ。

 以前より、ずっとね。


「おい」

 コーヘイの声で、イリヤはわれにかえった。

「なんです?」

 こーへいは額に汗を浮かべながら、イリヤの後方を指差した。

 イリヤは、おそるおそるうしろを振りかえった。鉄棒のトレーニング器具のある場所だ。そこに、いつの間にか佐々木サラサが立っていた。夕焼け空の下で、彼女のうつくしい顔が不気味にほほえむ。

「サラサ……」

「にげても無駄よ、イリヤくん。あなたの血のにおいはすでに憶えたもの」

「くそ、マジかよ……」

 なんだ。

 コーヘイが、かすれたような声を出した。

 イリヤは、コーヘイに振り向いた。

 コーヘイが口から血をながし、地面に膝をつく。

「こ、コーヘイさん……?」

「にげろ、イリヤ……」

 イリヤは、頭が真っ白になった。

 コーヘイの腹部に、ひどくおおきな穴が開いていた。

 もうどうしようもない怪我だった。

「うそでしょ……」

 開いた腹はいま、脇腹の肉と皮のみで繋ぎ止められているだけの状態だった。

 イリヤは、歯がかたかたと鳴りだすのがわかった。

 即死だ。

 コーヘイが目を見開いたまま、地面に倒れて動かなくなる。


 カンナにだけ内緒にしていたことがあった。イリヤはいま、奈良崎大地に見せてもらった写真の人物を調べていたのだ。じつは、あのなかに自分の家族がもうひとり、いるような気がしてならなかった。それは、奈良崎大地にも黙っていたことだった。

 写真の中央に写りこんでいた車イスの子だ。少女か少年かわからないその子が、自分の家族なのではないか、とイリヤは不思議なのだけれどそう思っていたのである。

 その子なら、自分の過去を知っているような気がした。

 シャルナもそう言った。

 イリヤはシャルナにたいしてのみ、その子のことを話していた。シャルナなら、きっと居場所をおしえてくれると思ったからだ。カンナには言えなかった。いろいろと複雑な関係になりそうで怖かったのだ。シャルナはその子のことを、いっしょに調べてくれた。その子は、ニューヨークにいるとシャルナは言った。

 イリヤはサラサの強烈な一撃を目の当たりにして、イリヤはこのままではサラサには勝てないと悟った。おそらくそのサラサを作り出したミラージュにも、到底、およばないだろう。だからこそ、いまよりもっと強くならなくてはならないのだ。

 サラサが、キスしてきた。こんどはくちびるを強く噛んできた。ひどく強く噛まかれたせいで、下唇から血が溢れた。膝をついてコーヘイを見下ろすイリヤは唇が痛かったが、抵抗することはできなかった。サラサは、その血を吸ってくる。

「病院へ……」

 サラサが血をたのしんだあとで、イリヤはぼそっとつぶやいた。もう絶望的だったけれど、それでもイリヤはそう言うしかなかった。

「病院へ、行かせてほしいです……」

「無駄よ、もう死んでいるわ」

「まだ、わからないですよ……!」

「あきらめのわるい人ね」

「それと、ひとつだけ条件があります……」

 サラサは黙っていた。イリヤは強い意志で、

「ニューヨークに、行かせてほしいです。ぼく以外の人たちを殺そうとしているのなら、それまで待ってほしい……」

「わたし、べつに殺そうとは思っていないわよ。ただ、その人はわたしに牙を剥いたから、殺しただけなの。勘違いしないでほしい」

「わかりました……」

 すこし時間が経つと、身体の震えがおさまり、イリヤの目になみだが溢れた。なみだと血が入り混じり、ぽたぽたと地面に落下した。

「なぜ、ニューヨークなの?」

「ぼくの、過去を知っている人物がいるかもしれないんです……」

「ふーん」

 行かせてくれるか、行かせてくれないか。イリヤは彼女の選択に緊張する。

「いいわよ、ただし条件があるわ」

 イリヤはよろこんだ。だがまだ緊張は解けない。

「条件……?」

「帰ってきたら、わたしとデートして」

「デート、ですか……」

「ええ、デートよ。ほかの子たちとしているように、わたしともそうしてほしい」

 それが、まわりを傷つけない条件なのだとしたら飲もう……。

「わかりました……」

「待ってるわ」

 サラサは、ほほえんだ。

 イリヤは、コーヘイへ手を伸ばした。

 指先が、震えていた。

「約束、まもってね」

 イリヤは、彼女に返答することなくコーヘイとともにテレポートした。

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