駅前

 土曜日の朝、イリヤはカンナとふたりで私服を着て出かけた。休日の仙台駅の周辺は、たくさんの人たちでにぎわっていた。

 イリヤははじめて女子生徒とふたりきりで街中を歩いた。家を出るまえから緊張していたが、イリヤのその緊張はいつまでたっても消えなかった。

「あんた、緊張してんの?」

「き、緊張するよ、そりゃあ……」

 カンナはあきれた様子で肩をおとした。

「日用品を、買いに行くだけよ……?」

「うん……」

 イリヤが緊張しているとカンナまで緊張しはじめたようだった。

「あんた、モテるんじゃなかったわけ?」

「ぼくの内面を知らないうちはね」

「ああ、なるほど。あんたがオタクだって気づいた途端に、女子生徒たちは離れていくってわけ」

「うん、そうだね。まあ、ぼくはそのほうが気楽でいいけど」

 ふたりでショッピングビルに入った。まず三階の日用雑貨店へ向かった。

「なんだかんだ言って、女子っていうのは、自信のあるやつをこのむのよ。あんたが自信過剰になれば、モテはじめるんじゃないかしら。テキトーでいいのよ、自信って」

「そんなこと、できないや……」

「ま、モテるのに必死なんだったらとっくのむかしに自信過剰になってるはずだから、モテたくない様子のあんたには不必要なはなしだったかもしれないわね」

「ははは」

「おのずと、魔法をまなぶうちに、あいてが見つかってくるんじゃないかしら……」

「そっちのほうが、現実味がないな」

 しばらく沈黙があった。そのわけはわかっていた。だがイリヤは曖昧に返事をかえした。

 そのまま雑貨店へ入り、カンナの生活用品をひとつずつ選んでいく。カンナが自分の発言を後悔したような表情を浮かべていてカンナにもそういった言い過ぎる部分があるんだな、とイリヤは思った。時々、言ってしまうものだ。ありもしないことを。そういうときは恥ずかしくなる。

 雑貨店のあとは洋服店をいくつか回り、最後に下着店へ入ろうとした。そこで、イリヤは足をとめた。

「入ればいいじゃない。ただの下着よ?」

「い、いや、さすがにそこには入れないよ……。禁断の領域だね」

「あっそ」

 カンナはそれだけ言って店へ入っていった。イリヤはトイレのまえのベンチに腰かけてカンナの買い物を待つことにした。

 ショッピングビルをあとにし、大荷物をふたりで運びながら、すこし早かったけれど昼食を取ることにした。

 カンナがファミレスのようにごちゃごちゃした感じは嫌いなのよね、ということらしく、細い通路で見つけたちいさなパスタ店へ入ることとなった。

 席数はすくないものの、ヨーロッパ風の造りといったらいいのか、なんともアットホームな雰囲気のある店だった。

 出てきたミートボールパスタも、美味である。トマト色にそまった麺、まるいミートボール。ボリュームのある料理だが、ほどよい酸味の利いたミートソースと、ニンニクの風味、赤唐辛子の辛味がうまくからみあい、とてもおいしい一品となっている。

「ルパンの映画に出てきたやつよ」

「へえー」

 イリヤはミートボールを口へ運ぶ。そればかり食べてしまったりする。

「あんた、もしかしてルパン三世を知らないとかないわよね……?」

「え」

「ま、マジ!? マジなの、ちょっと!?」

 イリヤはルパン三世を知らない。

「なにそれ?」

「ええええええ!? あそこに貼ってあるじゃない!!」

 たしかに壁にアニメのポスターが貼られていた。どこかの城を背景にしたものだ。

「あの作品に出てきたのよ、これ!! あんた、マジでルパンも知らないわけ!?」

「知らないよ?」

「どうやって生きてきたのよ、ってかオタク失格よね、それって!?」

 イリヤはちょっとムキになった。「オタクって言っても、ぼくらはいつもゲームばかりしているオタクだったから。アニメは見なかったんだよ。オタクにもいろいろあるんだって」

「あっそう」

「うん。まあ、ぼくらはニワカだったかもしれないけど、とにかくオタクをひとくくりにされるとちょっとこまるな」

「それはいいとして」

「いいとして?」

「なんで知らないのよ!」

「ルパン?」

「そうよ、常識よ常識!! 普段、アニメを見ないこのあたしだって知ってるんだから!! それくらい有名なのよ、ルパン三世は!!」

「記憶がないんだよね」

「え」

 カンナは言葉をうしなった。イリヤはなんてことないことを話すみたいに話した。

「いまのぼくの記憶は、高等部の時期からはじまってるんだ。だから、いちど学校も街も引っ越してきてるんだ」

「記憶喪失……?」

 カンナは怪訝な表情で聞いてきた。イリヤはそのカンナの表情がすこしだけ怖かった。

「うん」

「なんで、理由は?」

「どこかから、落ちたとかなんとか……。怪我はないんだけどね、記憶だけすっかりなくなっちゃったみたい」

 イリヤはおかしくなって笑った。それはイリヤにとって笑い話だった。

「そうだったの、たいへんだったわよね」

 カンナは心配してくれているようだった。

「うーん、どうだろう。ぼくはたいへんじゃなかったけど、さすがに母はたいへんだったかもしれないね。まあ、でも、あんな性格の母だから、そこまで気にしてはいなかったのかもしれないけど」

「それは、そうかもしれないわね。ナギコはそういう性格よ。あたしと気があうわ」

「それはよかったね」

「ええ」

「ちなみに、ナギコに霊感はあるの?」

「ああ、どうだろう」

 イリヤは天井に視線を動かし、考えた。

 つまり、母の霊感についてはなにも知らないのだ。

「聞いたことないや。ぼくの霊感についても母には言ったことないし。あれは、いまの記憶のなかでの話だけどね」

「そーなの」

「そーなんだよね。言いづらかったかな、やっぱり」

「ま、べつに言ったところでどうとなる話でもないし、言う必要はないかもしれないわね。言ったとしても、相手が見えなかったら信じてもらえないし、相手が見えるのなら信じてもらえるってだけで。共感を得たいか得たくないかの、エゴにかかってくるわね、そういうのって」

「エゴか」

「エゴよ、それは。そういう欲求のような感情しかないわ、そこには」

「なるほどお」

「あたしの話になるけど」

「聞くよ」

「あたしがあんたをたたかいに誘った理由は、けっしてあんたと共感を得たいからとかじゃないわ。あんたのような仲間がほしかったわけじゃないのよ。あんたはやらなくちゃいけない存在だと思ったから、声をかけた。ま、信じるか信じないかはあんた次第だけどね」

「信じるよ」

 そうイリヤが素直に答えるとカンナはしばらく虚を突かれたようにだまった。

「もしもあんたがあたしとおなじような存在なら、あのときのこともすべて納得するんだけど……」

 カンナは意味深にそうつぶやいた。

「なにそれ、どういう意味?」

「ううん、なんでもないわ」

「そっか」


 ぼらぼらぼらぼら。

 空をヘリコプターが飛んでいた。

 市民体育館は駅を一キロほど歩いた先にある。

 カンナに連れられ、そこへやってきた。

 駐車場に黒い車が数台、停まっていた。

「なにするの?」

「特訓よ?」

 さも当たり前かのように彼女はそう言った。

「え」

 まさか魔法の……?

 イリヤはこころの準備ができていなかった。

 建物へ入ると、ロビーにはひとりの係り員のおじいさんがいた。カンナはその人にはまったく見向きもせず、体育館のなかへと入っていく。

「日本魔法捜査本部ってやつらがあんたの特訓に付き合ってくれるわ。ま、それはうそで。ホントはあんたが危険人物じゃないかどうか調べるためにやってきたやつだけど」

「ええ、ど、どういうことなの、カンナ……!?」

「だ・か・ら!」

 カンナはいらいらした口調で言った。

「あんたのことを伝えたら、かならず連れてこいって言うから連れてきてやったのよ! ま、悪いやつじゃないから気にしないで特訓すればいいわ」

「意味がわからないよ、どういうことだよ、カンナ!」

 イリヤは若干、怒りそうだった。

 体育館のなかには、ひとりの男が立っていた。

 背が高く、気品のある顔立ちをしていた。

「奈良崎、こいつよ」

 カンナが言った。

 奈良崎と呼ばれた男が答えた。

「あそびに付き合わされるほど、おれは暇じゃないぞ」

「あんた、こいつの能力見たらビビるわよ?」

 カンナはにやりと笑って言った。まるで自信があるように。

「魔法の『ま』も知らないくせに、すでに第一魔法が使えるわ」

「なるほど」

「か、カンナ……?」

「なによ」

「あの方はもしかして、警察の方なの……?」

「そうよ、当たり前じゃない。日本魔法捜査本部の人間なんだから。さしずめ政府の犬ってところね」

「犬じゃない」

「あ、あの……」

 イリヤは奈良崎に言った。

「ぼくは犯罪はおこしませんよ……?」

「少年、暇だから言うが」

「暇なんじゃない!」

「だまれ、早乙女」

「餓鬼ね」

 ふたりはしばらく睨みあっていた。それから奈良崎は目を閉じて、それを開いて、あらためるように言った。

「暁という犯罪組織がある。法律関係では対処のしようのない組織だ。そいつらは魔法を利用し、魔法の見えない人びとへ奇跡を見せつけ、金を巻きあげる」

「そんな組織が……」

「ああ、だが最近は音沙汰なしだ。とにかく、魔法は一般人には見えない。そこが重要だ」

「つまりぼくがぼくの無意識のうちに危険や犯罪をおこしてしまうかもしれない、ってことですか……?」

「そうだ、察しがいいな」

 カンナがみずからのほうの荷物を床に置いて「そこのコンビニでジュース買ってくるわ」と言っていなくなる。イリヤも荷物を置く。

「で、実験する」

 奈良崎の身体が突然、ひかった。どうやらカンナとおなじように全身から魔力を放出できるようだ。それをうまく身体のまわりに張りつけるように纏わせることで、魔力の攻撃力と防御力を得るのだという。

「おれの第一魔法は『魔力武器』だ。さまざまな形の武器に具現化できる。早乙女の第一魔法は『炎刀えんとう』だな。あれは鉄に近い魔力の具現化をおこなってるわけではなく、火そのもので刀の具現化をおこなっている。おれの魔力武器の場合はそれらとも違い、少々、わかりづらい。この光の塊が、対象を斬りこむ」

 と、奈良崎は空中に一本の長いやいばのような形をした光を作りだした。

「普通はもっとわかりやすいんだ。だが、おれはまわりとは違う。まあ、気にするな。普通の第一魔法はもっと現実的でわかりやすいってことだけを憶えていてくれればいい」

 イリヤはだまってそれを聞いていた。カンナの話とはまた違った話だったので集中して聞いてはいた。

「で、おれの第一魔法は対象を斬るために存在するから、これは使わない」と奈良崎は空中のやいばを消した。「今回は生身の肉体で実験する」

 イリヤは一歩、うしろへ引いた。カンナが宙を跳び回っていたのを思い出したのだ。奈良崎という男からはいま、それに近い気迫のようなものを感じた。いまにも飛びかかってくるのではないか、という気迫を。

「こういった魔力の使いかたは一般的にはほとんど認知されていない。あくまでも魔法とは便利な掃除機のようなものだと思われているからだ」

 魔法の掃除機ならイリヤでも容易に想像がつく。

「さて、貴様の第一魔法を出してもらおうか」

「だ、出せと言われても……」

 イリヤは、冷や汗がとまらなかった。人は恐怖するとなにもできなくなるというがどうやらそれは本当のことらしい。

「出さないのなら、拘束する」

「こ、拘束……!?」

「むろんだ。場合においては、逮捕せざるを得なくなるぞ」

「た、逮捕……」

 逮捕という言葉にイリヤは敏感に反応する。やはりいつだって警察に逮捕されるかもしれないと思うと緊張してしまうものである。

「あ、あの、ちょ、ちょっと待ってください……!」

 イリヤは両手をばたばたさせて抗議をはじめようとした。

 そのときだった。

 イリヤの頭のなかに突然、外の場景が映し出された。この市民体育館の外にはおおきな公園があった。その公園の入り口で、ひとりの少女が男に連れ去らわれようとしているのだ。なんだろうこの映像は、とイリヤはおどろいた。イリヤは、気がつくと外へ出ていて、その男の顔をぶんなぐっていた。

「でへ!?」

 男は地面を転んだ。

 イリヤははっとした。

 そうか。

 どうやら瞬間移動して男をなぐってしまったようだ。

 うしろからビニール袋を鳴らしながらだれかが走ってくる。

「イリヤ?」

 カンナだ。

 カンナがコンビニから出てきたところだったのだ。

「どうしたのよ」

「だいじょうぶですか?」

 イリヤはカンナに反応せず、地面に座りこんでおびえている大学生くらいの少女の肩を抱いた。女性の肩を抱いたことなんていままでなかったことだった。だが、少女のおびえようは尋常ではなく、だれかがそばで励まさなければならないとイリヤは悟り、励ましたのだった。

「だ、だいじょうぶです。ありがとう、ございます……」

 少女は涙ぐんだ。

 体育館から、奈良崎が出てきた。寒いからかスーツのポケットに両手を突っこみながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 イリヤのなぐった男が、逃げ出そうとする。その男にむかって、奈良崎が石ころを投げつける。頭にすこーん、とヒット。男はふたたび、地面を転ぶ。

 奈良崎の背後から、黒服の男たちが現れる。その黒服たちが男を確保した。絵に描いたような逮捕劇だったが、黒服たちは真剣だった。

「自動的に発動する魔法っていうのとは違うな……」

 奈良崎は事件よりもイリヤの魔法について考えていたらしい。

「こいつの第一魔法は、手動よ。そしてその両手から発する魔力が、キー」

「ということはつまり、いまならもういちど、体感できるわけだな」

 たしかにいま、イリヤの両手は魔力でひかっていた。

「憶えました……」

 ふたりがだまった。

 イリヤは正直に答えた。

 警察が怖かったからだ。

「瞬間移動の原理のようなものを憶えました。コツっていうんでしょうか。もうかんぺきです。いまならその、第一魔法というのを証明できるかと思います……」

「なんだと?」

 奈良崎が、空中にちいさな光のナイフを作った。それを念力で飛ばしてくる。イリヤは、飛んできたナイフを視認し、両手で写真を撮るように捉え、消し飛ばした。ふたりは唖然とした。

「理由はわからないですけど、わかるんですよ。これって、おかしいことですか……?」

「いや、なにもおかしくない」

 奈良崎は言った。

「天才だ」

 奈良崎はそれだけ言って、去っていこうとする。

「あんた、ちょっと待ちなさいよ! ねえ、犬、なに考えてんのよ!!」

 カンナが奈良崎を追いかけていく。奈良崎は足をとめてカンナに振りかえり、

「犬じゃねえよ!」

 と怒鳴ったあと、冷静に、

「……しばらく監視はする。だが、さっきの犯行現場をとめにかかったとき、おまえはいなかったからわからないだろうが。あいつは、見えない位置から飛んだ。記憶でもうしなっているのか? とにかくこちらでいろいろと調べるが、早乙女がいっしょにいるんだろう?」

「ええ、まあ」

「いろいろ聞きたいことはあるが、こちらもこちらでいろいろといそがしい。ハロウィンにおおきな事件がありそうでな」

「ハロウィンって二週間後じゃない」

「ああ、そうだな。だから、貴様らがなにか起こそうとしたらそのときに逮捕してやる。今日はもう、もどる。以上だ」

 奈良崎はきびすをかえし、去っていった。犯罪を起こそうとした男と黒服たちもほかの車に乗りこむ。市民体育館前に停まっていた車がいっせいに発進する。

「あんた、なにしたのよ?」

 カンナがイリヤに歩み寄ってきて聞いてきた。

「ぼくもよくわからないんだけど……」

 イリヤはさっきあったことをカンナに話しはじめた。


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